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優しい虎と瑠璃色の林檎

それは、司書になって間もない頃の話。

まだ就任して日が浅く、右も左も分からない状態だった。無計画的に文豪たちにひたすら有碍書に潜書してもらい、食料がそこを尽きてしまった。洋墨だけは溜まっていたので、とりあえず文豪達に有魂書に潜書してもらう事しかできることがなかった。

「オダサクさん、お願いするね。」

「はいはい、んじゃ、おつかい行ってくんでー」

オダサクさんこと、織田作之助は眩い光に包まれながら、有魂書の中に入っていった。光は次第に収束し、パタッと有魂書だけが地面に落ちた。

オダサクさんを見送ったあと、私は助手であるたっちゃんこと、堀辰雄と机に向かってひたすら手紙を回収する作業に入った。

「私が無計画なせいでこんな地味な作業をさせてしまって、悪いね、たっちゃん。」

「ううん、司書さんもみんなのために頑張ってますから、僕が出来ることなら手伝いたいです!」

「ありがとう。錬金術師としては慣れてるけど、やはり司書としてはまだまだね…。」

「いいえ、これから頑張って行けばいいんですよ、司書さん!」

たっちゃんが眩しい微笑みを返してくる。心のどこかがホッとした気分になった。

人付き合いは苦手だが、この人たちとなら、なんとかなりそうな気がした。

そう思いながら作業に戻る。



「あの…司書さん、ひとつ聞いていいですか?」

しばらくの沈黙のあと、たっちゃんは恐る恐る話しかけてきた。

「どうしたの?」

「どうして、紙で自分の顔を隠してるんですか…?」

私は、手で自分の顔に貼ってある紙に触れ、少し黙り込んだ。

何か気まずいことがある訳では無い。ただ恥ずかしくて、言葉を選ばずにはいられないだけだった。

「……これはね、私が正気でいられるためのものよ。人前で剥がしてしまえば、とんでもないことが起きてしまうの!」

戸惑いを悟られないように、わざといたずらっぽい語調でたっちゃんの疑問に答えた。

「何が…起きてしまうのでしょうか…?」

「ふふふ、さぁ…でも剥がさせはしないよ」

たっちゃんは少し眉をひそめ、怯えてるような表情をする。面白い顔だ。やはり、人との付き合いに「いたずら」は欠かせない。それは気軽に人と話せる一種の手段である、と、私は考えている。

しばらく手紙と食料を回収する作業を行い、たっちゃんの疲れが顔に出てきたのが目に見える。やはりこんな単調な作業は疲れやすいし、何も面白みがない。

「たっちゃん、もう疲れたでしょ?休憩をとろうかしら。お疲れ様。」

「いえ、司書さんもお疲れ様でした!あの、お茶入れておきますね!」

「気遣いありがとう。私は有魂書の本棚に様子を見てくるね。」

「はい、いってらっしゃい!」



たっちゃんと別れ、私は有魂書の本棚に行った。そこには一冊の有魂書が地面に置かてある。紛れもなくオダサクさんが潜書しに行った有魂書だ。

私が地面にある本に歩み寄ると同時に、眩い青い光が視界に入ってきた。

眩しい光に当てられ、思わず後ずさる。

すると、光の中から、見知らぬ青年が現れた。

見たところ、髪は暗い水色で、分厚い眼鏡を掛けている。服装はどこか中華風なところがあり、しかし袴をはいているという、独特な身なりをしている。そして何より目立つのは、その肩にかけている白虎の毛皮だ。

「中島敦、敦は倫敦のドンと同じです。よ、よろしくお願いしますね。」

気弱そうに、青年は軽く自己紹介を済ませた。それを聞いた私は、その場で立ち尽くしてしまった。

中島敦…。

司書就任前、私は家にこもっては文学作品に耽っていたばかりだった。その中で一番忘れられなかった作品は、この中島敦の山月記だった。それを読んだ衝撃と感動は、今でも忘れられない。どうしても、自分と重ねてしまうのだった。彼の作品が好きで好きで、旧家に全集を揃えてあったほどだった。

そして山月記は、私に司書になる決意を与えてくれた作品でもあった。

それの創造主、中島敦が、今、目の前にいる。

ぜひとも、仲良くなりたい…!

けど、どうすればいいのだろう…。私…こういうの苦手で…。

なるべく冷静を装うが、どうしても手が震えてしまう。

「おっ、おっしょはーん!新人、連れてきたでー!」

呆然とした私に、敦さんの後ろから出てきたオダサクさんが声をかけてきた。オダサクさんの元気な声に、私は我に返った。

「あ、あぁ…オダサクさん、お疲れ様。ゆっくり休んできていいよ。」

「んじゃ、お言葉に甘えて休ませてもらうわ!またなー!」

オダサクさんはいつもの軽々しい歩き方で、私と敦さんから遠ざかっていった。

「あの、織田さんから聞きました。あなたが司書さん…ですね?」

「そ…そうよ。私はこの帝国図書館の司書。よろしくね、敦さん。」

平然を装おうとするものの、声が震えてしまう。声の震えをなんとか抑えて、言葉を続けた。

「早速だが、今からきみが私の助手よ。よろしく頼むね!」

「え、いきなり…ですか!?」

「そうよ。仕事できそうな顔をしてるからね。ふふふ。」

できるだけいたずらっぽく言って、本音を隠した。ここで、「仲良くなりたいから」だなんて、言えることじゃない。

「はぁ…わかりました。私に務まるかはわかりませんが、頑張ります。」

敦さんは戸惑いながらも、快諾してくれた。「これで敦さんと仲良くなる道へと一歩踏み込めた!」と、密かに心の中で叫んだ。

「ずいぶんと聞き分けがいいのね。これからここで暮らすのだから、この図書館を案内するよ。」

「あ、はい!よろしくお願いします!」

「……さ、行こう。ついてきて。」

柔らかい笑顔を見せてくれた敦さんから逃げるように、私は率先して有魂書のコーナーを出た。



図書館を一通り案内したあと、敦さんを司書室に連れていった。

「案内していただいて、ありがとうございました、司書さん!」

「いいえ、これから働いてもらうのだから、環境をよく知ってもらわないとね。」

司書室のデスクに腰掛け、閉じたドアを背に立っている敦さんを見つめた。

「これからは一緒にここで暮らすのよ。改めてよろしくね、助手さん。」

「あ…はい、よろしく…お願いします。」

敦さんは少し困った顔をするも、律儀に返事をした。面白い顔だ。もっと見たい。もっと困らせたい。

「敦さん。」

「はい?」

敦さんがきょとんとした隙に、私はデスクから降りて、すっと素早くその分厚い眼鏡を摘み取った。手にした眼鏡のレンズを見てみると、頭がぐわんぐわんとしてしまうほど、度数が強い。

「わぁ…!?」

少し遅れて、敦さんがやっと反応をした。目を見開いて、口をパクパクさせて、とても面白い顔をしてる。その慌てようを見て、必死に笑うのをこらえて、感情を込めないように言う。

「へぇ、敦さん、結構目が悪いのねー。」

「ちょっと、司書さん!返してください!眼鏡なしじゃ何も見えなくて困ります!」

必死に訴えてくる姿があまりにも可愛くて、自然と目をそらしてしまう。目が良く見えない敦さんは、手をバタバタさせながら、必死に私の姿を探す。そんな敦さんを横目に、私は眼鏡を隠そうと司書室のドアを開け、出ていこうとした。

「待ってください!司書さんどこですか!?」

見向きもせずにそのまま廊下へ出た。すると後ろからバンッと大きな音が響き、何事かと振り向いたら、ドアの前に仰向けに倒れた敦さんがいた。

「敦さん、大丈夫!?」

「ドアに、ぶつかってしまいました…」

敦さんが額を擦りながら言った。申し訳ない気持ちが込めてくる。

「ごめんなさい…。眼鏡、返すね。額を見せて…?」

敦さんの額を見たら、そこにたんこぶができて、赤く腫れている。さすがにお遊びがすぎたようだ…。

「赤くなってる…。今すぐ直してあげるよ。」

敦さんの額に手を当て、手に力を込めた。これくらいの傷は、補修室に行かずに、この場でなんとかなる。

「痛みがなくなっていく…!すごいですね、司書さん!」

「ううん、これでも錬金術師よ。」

ついさっき傷を負ったとは思えないくらい無邪気な顔で、思わず笑ってしまいそうだった。

「あの、司書さん…?もういいですか…?」

「わっ、ご、ごめんなさいっ!」

敦さんの顔をついぼーっと見つめてしまった。傷を負わせてしまったことで、すっかり弱気になってしまい、慌てて起き上がる。せっかくこうやって会えたのだから、嫌われたくない…!

「司書さんって、面白い人ですね。」

そういいながら、敦さんはゆっくりと立ち上がる。

「何を言ってるのよ…。傷を負わせてしまったというのに…!」

「でも、司書さんに悪気がないのがわかります。それに私が頭をぶつけた時、すぐ駆け寄ってくれましたし。司書さんは優しい人ですよ。」

「なっ、違うよ…!うちの文豪に傷を追わせるなんて司書失格よ。だから慌てたのよ!」

「司書さん…もしかして照れてるんですか?」

仮面で顔を隠してるのに、すぐ見透かされた。どんくさい見た目をしてる割には、鋭い人のようだ。

「と、とにかく、一通り図書館を案内したし、今から有碍書の潜書してもらうよ。きみにも、文学を守るために戦ってもらうの。」

話題をそらしつつ、前もって立てた予定通りに進める。まだ来たばかりだが、一回は彼の能力を見定めるために、戦ってもらわなければならない。

「え、あの、戦う覚悟は出来てるのですが…戦う私を見ても、驚かないでくださいね…。」

意味不明なことを言った彼に、思わず首を傾げて見つめてしまった。驚くとはどういうことだろう…?もしかして、穏やかな彼が戦うのは他人にとって意外なこと、という意味なのか?確かに、穏やかなたっちゃんが戦ってるところは想像出来なかったので、最初は驚いたが、もう慣れてしまったもので、簡単には驚かないだろう。

「まぁ、そう簡単に驚いては司書は務まらないのよ。うちの図書館は今食料不足で、少し辛いかもしれないが、堀辰雄さんと二人だけで会派組んで、『歌のわかれ』に潜書してもらう。」

「はい、わかりました。やってみます。」



扉を開けて、先に薄暗い部屋に入っていく。

薄暗い部屋の中には、本棚が壁際にびっしりと並んでいて、部屋の真ん中には本棚に囲まれているように机と椅子がちょこんと置いてある。本棚にある本はところどころ黒く染まっており、背筋が凍るような気配を発している。

「ここが有碍書を閉まっている部屋よ。ここの本棚にある本はすべて侵食されていて、きみたちに浄化させてもらわないといけないの。潜書してる間は私が見てるから、危なくなったら撤退するよう指揮するので安心しなさい。」

部屋の外にいる敦さんとたっちゃんは恐る恐る私に続いて部屋に入ってくる。初めて入る敦さんはともかく、たっちゃんでさえ不安そうにあたりをキョロキョロと見回す。やはり何度入ったとて不気味なものは不気味なままだ。

はしごを持って、「い」とラベルが貼ってある本棚に移動し、はしごを登って上段にある「歌のわかれ」を引っ張り出す。

はしごを降りて、部屋の中央に置いてある椅子に座った。机の前に来た不安そうな顔をしてる二人に赤黒く染まっている本を差し出す。

「はい、これに潜書してもらうね。たっちゃんは先輩だから、敦さんにやり方を教えてあげるのよ。」

「はい、わかりました!中島さん、よろしくお願いしますね…!」

「こちらこそ、よろしくお願いします、堀さん。」

侵食された有碍書を受け取って、たっちゃんはそれを机に置き、開いた。本来文字が綺麗に並んである頁は、文字がぐちゃぐちゃにされ、ガラスの破片のように白い紙の上に散らばっていて、何の意味もなさないものとなっている。机の前にたっちゃんは真剣な眼差しで開かれた頁を見つめ、後ろにいる敦さんは状況がわかっていないながらも真面目な顔で有碍書を見つめている。

ふたりが見つめている有碍書の周りに禍々しい紫の霧が立ち、部屋中に拡散していく。霧が濃くなっていく一方で、部屋にそびえ立っている本棚も、目の前にある机も、二人の姿も見えなくなった。



やがて霧が晴れ、机の前に立っていたはずの二人はもういない。机の上に開かれた有碍書の頁を見てみると、本来文字が散らばめられているところが、まるでモニターのように、映像を映し出している。そこに本来部屋にいたはずの二人の姿が見えた。

「文字は、災いを呼びますよ。気をつけましょう、堀さん。」

「そうですね…頑張りましょう!」

二人はそれぞれ剣を構え、有碍書の中を探索していく。

そして早くも侵食者に遭遇した。

「うわっ……ぐ、グロテスク……」

もう何回も潜書してるのに、たっちゃんはまた侵食者の姿に驚く。たっちゃんなら余裕で倒せる敵なのに、またそんなにすぐ驚いて…と心の中で面白がっていたら、聞いたことのない声とともに、侵食者が目にも留まらぬ速さで切りつけられ、消滅していった。

「馬鹿に割く時間時間はない、消えろ。」

剣を振り下ろしたものは、敦さんだった。

正確に言うと、敦さんであって、敦さんではない誰かだった。

彼は裸眼で、目つきが鋭く、髪ははねてぴょこぴょことしている。

あのおっとりとした穏やかな青年とは全く違う雰囲気を醸し出しているが、髪の色も、目の色も、その独特の服装も、その白虎の毛皮も、すべて彼が「中島敦」であることを証明している。

彼の隣にいるたっちゃんは、目が大きく見開いて、ポカーンと口を開けているが、言葉の一つも出られずに、ただ呆然と彼を見つめている。

多分、私も今たっちゃんと同じ顔をしているのだろう。

前言撤回、私は今、ものすごく驚いている。そしてその上に、心がドキドキして、ワクワクが止まらない。

「おい、ぼーっとしてる暇があったら、さっさと進めたらどうだ!」

「あ、す、すみません…!」

先程弱気だった敦さんと違って、いい意味でも悪い意味でも、はっきりとものを言うようになった。図書館での先輩であるたっちゃんにも、容赦なく注意する。

敦さんのこと、もっと、もっと知りたい。私がこれ程人に興味を持ったのは、記憶がある限りでは、これが初めてだった。



有碍書が青い光を帯び始めるのは、侵食者を全員撃退した合図。これで「歌のわかれ」は、また一頁浄化された。

本を机の上に置き、二人の帰りを待つ。その間に自分の興奮を鎮めるように深呼吸する。

やがて青い光は部屋中を照らし、目が眩むほどの眩い光になる。そして光は次第に収束し、二人の姿が再びこの部屋に現れた。

「二人とも、お疲れ様。」

「ぼ、僕、疲れましたので、休んできますね…!お疲れ様でした!」

たっちゃんが逃げるように部屋を出て行った。先輩のはずなのに戦闘中にあの敦さんにいろいろと容赦なく注意されたので、すっかり怯えてしまっているので、無理もない。

「敦さん、お疲れ様。」

「堀さんのあの様子じゃ、また『彼』が何かをやってしまったのかな…」

「まさか、敦さんにそんな一面があるなんて、さすがの私も驚いたよ。もしかして、敦さんって二重人格なのかしら?」

こんな時ばかりは、仮面をして良かったと思う。だって、きっと、今は興奮の気持ちが顔にも出てると思う。

「恥ずかしながら、そうです…。そして『彼』の時は、何をやったか全然覚えてないんです。恥ずかしい…。」

「なるほどね。」

なるべく冷たく言うけれど、脳内ではいろいろと聞きたいことが浮かんでくる。グイグイ行くときっと引かれてしまうから、ここは我慢しないと。

「とにかく、今日はもう遅いから、休んでていいのよ。宿泊するところは別棟にあるの、案内するね。」

「あれ、もう深夜の2時ですね…。時間が経つの早いですね。」

「敦さんが来たのは、もう夜のことだったのでね。さぁ、行こう。」

有碍書を元の本棚に戻し、敦さんと一緒に、有碍書保管室を後にした。



「ここがきみの部屋よ。」

「中島敦」と名札が付けてある部屋の前まで、敦さんを案内した。

宿泊棟は3階まであり、部屋は文豪の番号順に振り分けられている。78名の文豪と館長と私の部屋で、合わせて80室がある。敦さんの部屋は2階にあって、たっちゃんの部屋の隣だ。

「私の部屋は一階にあるから、何かあったらいつでも訪ねてきて。今晩はゆっくりおやすみなさい。」

「はい、ありがとうございます。おやすみなさい。」

「うん、おやすみなさい。それじゃあ私は、残りの仕事を片付けてくるね。」

「あの、司書さん。」

図書館本館に戻ろうとしたところ、敦さんに呼び止められた。

「どうしたの?」

「言い忘れたことがありました。私を転生させてくれて、ありがとうございます。私には出来ることが限られていますが、これからは司書さんの仕事の手伝いをさせてください!」

優しい微笑みを浮かべながら、敦さんは言った。

いきなり感謝されて、少し驚いたが、その上にすごく嬉しい。

こんな風に感謝されるのが初めてで、感じたことのない感情が浮かんできた。とても暖かくて、嬉しくて、頬が熱くなって、涙が出そうだ。

「司書として当然なことを、したまでよ。これから、よろしくね…敦さん。」

溢れ出る感情を抑えて、なんとか返事をした。

「よろしくお願いします、司書さん。おやすみなさい。」

「おやすみ…なさい。」

また優しく微笑む敦さんの笑顔が眩しくて、それに避けるように、私はその場を後にした。

これからの生活を楽しみにしながら。

<続く>
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