優しい虎と瑠璃色の林檎
今日も机に向かって、手紙を回収する作業。地味な作業だけれど、潜書するための物資を集める手段として、なくてはならない作業だ。
手紙を宛名別に仕分けて、時々自分宛の手紙を読む。地味な作業の中のほんのちょっとの楽しみだ。
乱雑に置かれた茶色い封筒の群れに、ひとつだけ綺麗な瑠璃色の封筒が混ざってある。手に取ってみると、ふわっと林檎の香りがする。私宛の手紙だった。
「中島敦様
今夜私の寝室に来てください。
司書」
回収している手紙の中には隣に座っている司書さんからの手紙が混ざっている。
「司書さん、これはどういう…?」
「何も言わずに手紙通りにすればいいのよ。」
唇に司書さんはその細い人差し指が抑え込まれた。冷たいその指は、ひんやりしてて気持ちいい。
しばらく口をつぐむと、その指は唇から離れ、呆けたままの私を放って、指の主は机に向き直して作業を続けた。
「寝室」という言葉はごく普通な日常的な言葉だが、異性から言われると、何故だか魔力を帯びてしまう。
司書さんの寝室…。いつも林檎の香りを漂わせている司書さんだから、寝室もきっと心地のいいりんごの香りで溢れかえってるのだろう。司書さんは女性だから、色々と小物も多くて、可愛く装飾されているのかもしれない。ベッドもきっとふかふかで、可愛いシーツが敷かれているのだろう。
「敦さーん?」
ベッド…。
「敦さん、何顔を赤くしてるの?」
我に返ると、司書さんが至近距離に見つめてきて、近い距離にある仮面にびっくりして、椅子から転げ落ちてしまった。
「いたたた…」
「もう、ぼーっとしちゃって赤くなって終いには椅子から転倒。何考えてるのかしら…変な敦さん。」
「し、司書さん、すみません…。」
司書さんの差し伸べたひんやりした手を掴み、立ち上がる。頬が熱い。あぁ…変なこと考えて恥ずかしいところを見られるなんて、私はどうかしてる。
「あらあら、もしかしてえっちなことでも考えてたー?」
「ち、違います!」
いたずらっぽい口調で、司書さんに問われた。すみません、本当は少し、邪なことを考えていたのかもしれない。
「まぁ、とりあえず、引き続き仕事頑張ろう。」
改めて椅子に座り、私達はまた無言の手紙回収作業に戻った。
*
一日の仕事が終わり、瞬く間に夜が訪れた。
夕飯もお風呂も済ませて、ようやく時が来た。
司書さんの寝室に入る時が。
宿泊棟の一階、「司書」と書かれているプレートが貼られてある扉の前で私は突っ立ってしまっている。
異性の寝室に入るのは、どうしても緊張してしまう。ノックしようとしてる手が震えている。そして頬が何故か少し熱くなってるのを感じる。
コンコン。
ガチャ。
「あら、敦さん。いらっしゃい!」
「あ、お、お邪魔します…!」
ノックしたあと、扉を開けた司書さん。いつもポニーテールにしている髪を解いて、長めの髪は流れるように肩に垂らされている。衣装もいつもと違って、フリルが袖と裾をあしらっている、襟元の瑠璃色のリボンが印象的な真っ白のワンピースを着ている。おそらくパジャマだろう。だが顔は、相変わらずお面で隠れている。
「顔が赤いよ?もうえっちなことばかり考えちゃって!とりあえず上がってちょうだい。」
「はい、失礼します…」
司書さんの招きに応じて、恐れ恐れ部屋に入っていく。入口で、もうりんごの香りがふわりと漂ってくる。司書さんの匂いだ。
司書さんの寝室は思ったよりもずっと簡素だった。四角い部屋の壁は、薄い桜色。大きい木造の本棚が二つ右側の壁際に置かれており、ぎっしりと本が詰め込まれている。真正面に見えるのは、飾り気のない、素朴なデスクと椅子。そのデスクの左側には、壁にぴったりとくっついているダブルベッド。瑠璃色のかけ布団が綺麗に、真っ白なシーツの上に敷かれている。そしてベッドの真正面の壁際には、木製のクローゼット。
思ったよりも少女らしくない部屋だけど、壁の色や掛け布団のカバーの色には、少し少女らしさが垣間見える。
「なーに人の部屋をじろじろ見てるのよ!」
頬に痛みとともに少し拗ねたような司書さんの声が聞こえた。司書さんの方を見ると、彼女は背伸びして私の頬をつねっている。
「すみまへん!!痛いれふ!!」
どうやら司書さんも、照れているようだ。こんな風に、いたずらばかりな司書さんにも、こんなところがあるから憎めない。
やっと頬をつねるのをやめたところ、司書さんに気になることを聞いてみた。
「司書さん、私を寝室に呼んできて、何の用ですか…?」
すると司書さんは少しもじもじしながら、黙り込んでしまった。
そんな司書さんを見ると、こっちまで緊張してきて、ゴクリと思わず音を立てて唾を飲み込んだ。
「私ね…」
ゴクリ…。
「敦さんに…」
………。
「読み聞かせ、してほしいの!」
……え?
「読み聞かせ…?」
「何がっかりしてるのよ…!やっぱり変かしら…」
すみません、また少し、邪な考えが邪魔してきたからであって…。
「いえ、何か重大なことかと思って、拍子抜けだと言いますか…」
「私にとっては重大なの!」
両手を握り締めて、バタバタと両手を振り回しながら、怒った声で言った。
その様子があまりにも可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「笑うんじゃない!」
「痛いですよ!」
また司書さんが背伸びして、頬をつねってきた。少しも力加減をせず、冗談抜きで痛い。
「最近、少し不眠気味で…。どうしても、ひとりでなかなか寝付けないのよ。そこで、なんとなく、本を読み聞かせてもらったら、落ち着いて寝れるかなと思って。」
「そうですか。司書さんの力になれるなら、もちろんいいですよ。」
「やった!ありがとうね、敦さん!」
子供みたいに私の両手を掴んで、ぴょんぴょんと飛び跳ねる司書さんを見て、ほっこりした気持ちになりながらも、手に触れてきたことに頬が熱くなった。
「とりあえず、そこの本棚に本を選んで!私はベッドで待機ね!」
やっと手を離すと、司書さんはお布団に潜り込み、壁際の本棚に指差した。
子供っぽい仕草が可愛いと思いながら、本棚を漁ってみた。二つの本棚のうちの一つには、見たこともない、英語の本がいっぱい並んでいる。背表紙に「Alchemy」という単語が多く見られることから察するに、錬金術関連の本だろう。
「そこの本、文豪の敦さんにとっても珍しいかしら?好きに見ていいのよ!私は気長に待ってるよ。」
確かに珍しい本ばかりだ。普通では手に入れられないだろう。一冊を手に取って、適当な頁をめくってみても、私には難しいことしか書かれていない。そこの本はまだ今度にしよう、と決めて本を戻した途端、ある一冊の古ぼけた、日本語で書かれた手記が目に入った。まるで引き寄せられたかのように、それに手を伸ばした。
「るり…?」
「はい?」
本に書かれている名前を、無意識に口にした。そして何故か、司書さんがそれに答えた。
「どうしたの?敦さん?」
「るり?」
「何言ってるのかしら?私は司書よ?」
記憶喪失の司書さんは、自分の本名を知らない。最初、「るり」と呼んだ時に反応した司書さん…。もしかして司書さんの本名って…!
「司書さん、あなたの本名がわかったかも知れません!」
「何よいきなり!その手記、なんなのかしら?」
どうやら司書さんは、この手記の存在を知らない。旧家にある錬金術関連の本と一緒に持ってきたらしくて、気づかないうちにそれが混ざっていた。
「どれどれ…全然読めない…これ何語よ?」
「日本語…ですよ?正気ですか…?」
「うーん…日本語に見えるけど、私の脳では処理できない。何らかの錬金術かしら、別に珍しい事じゃない。読んでくれるかしら?」
いやいや、珍しいことですよ。
ツッコミを我慢し、手記に視線を落とした。
*
るり
誕生
とある錬金術師が自分のホムンクルスとして錬金術で錬成した試験管ベイビー。外見は自分とそっくりのはずだが異変によって目が瑠璃色に変わったため、「るり」と名付けられた。外見と身体機能は人間とほぼ同じだが、賢者の石が心臓替わりに機能している。賢者の石が壊されない限り、死ぬことは無い。
*
一頁目に目を通し、絶句した。ホムンクルス。錬金術師。賢者の石。「るり」。これはおそらく、「るり」の育成手記のようだ。司書さんの言っている記憶とは食い違いが多いが、この手記で色々と司書さんの謎が解ける気がする。
「敦さん、なんて書いてあるかしら?」
司書さんが目を輝かせているような雰囲気を醸し出し、こちらに寄せて手記を覗く。
だが司書さんに言っても、おそらく信じてくれないだろう。
そもそも、自分でも司書さんのことが書かれているとは思わない。だがなんとなく、この「るり」というのは、司書さんの名前だ。
「司書さんの親御さんの手記らしいです。司書さんの名前は…」
「名前は…?」
ワクワクしているような口調で、司書さんが食い付いてくる。
「るり…。」
「やぁ…!ちょっとわけがわからないけど、変な感じがするの…!」
仮面で隠れた顔を、さらに手で覆って、司書さんがお布団に走って戻っていった。
「もうその手記は戻しなさい!恥ずかしいのよ!何故か!」
枕に顔を埋め、悶えながらくぐもった声で司書さんは言った。
「るり…?」
「んっ!やめなさい…!」
あまりにも可愛らしい反応をするので、もう一回名前を呼んでしまった。
「多分これは体に刻まれた記憶が反応してるの!多分間違いなく私の名前だけど、それで呼ばないで!!」
可愛い反応されるともっといじめたくなる、という司書さんが言ってた言葉が蘇る。今でその気持ちがよくわかった。
しかしそうしたら、仕打ちが帰ってくるのでやめておこう。
「呼ぶのやめますよ、少しからかいすぎたのですかね…すみません。」
「うるさい!隣の本棚の中島敦全集第一巻でも取り出して『山月記』を読み聞かせなさい!」
仮面越しでも、司書さんは顔を真っ赤にさせているのが分かる。もう少しからかいたいけど、指示通りに自分の全集を手に取り、司書さんのベッドの隣にある椅子に腰掛ける。
「自分の作品を読むのが少し恥ずかしいですけど、読みますね。」
「うん、お願い。」
元の調子に戻って、司書さんは姿勢を正し、読み聞かせを聞く姿勢に入った。
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね……」
*
途中まで読んだところ、司書さんの静かな寝息が聞こえてきた。仮面に隠されてみえないが、おそらくもう眠りについたのだろう。
ここで一つ、邪念が芽生えてしまった。まるで彼が、私に囁くように。
(仮面を、捲ってしまえ。)
確かに、司書さんの顔を見てみたい気はある。だが、わざわざ顔を隠しているのだから、それなりに顔を見せたくない意地でもあるだろう。手を出せない。
「んん…」
突然、司書さんは寝返りを打って、仮面がずるりと顔から落ちてきた。
初めて見る司書さんの顔…。
閉じた目には長いまつ毛、ほんのりと薄紅の頬、小さな鼻と唇。唇も頬と同じ薄紅色で可愛らしい。
もし、司書さんの目は瑠璃色だったら、もしかしたら…。
でも、真実はどうだとしても、司書さんは司書さん。みんなのために頑張る、大切な司書さん。そこになんの変わりもない。
「おやすみなさい、るり。」
扉を開けて、司書さんの寝室をあとにした。
<続く>
手紙を宛名別に仕分けて、時々自分宛の手紙を読む。地味な作業の中のほんのちょっとの楽しみだ。
乱雑に置かれた茶色い封筒の群れに、ひとつだけ綺麗な瑠璃色の封筒が混ざってある。手に取ってみると、ふわっと林檎の香りがする。私宛の手紙だった。
「中島敦様
今夜私の寝室に来てください。
司書」
回収している手紙の中には隣に座っている司書さんからの手紙が混ざっている。
「司書さん、これはどういう…?」
「何も言わずに手紙通りにすればいいのよ。」
唇に司書さんはその細い人差し指が抑え込まれた。冷たいその指は、ひんやりしてて気持ちいい。
しばらく口をつぐむと、その指は唇から離れ、呆けたままの私を放って、指の主は机に向き直して作業を続けた。
「寝室」という言葉はごく普通な日常的な言葉だが、異性から言われると、何故だか魔力を帯びてしまう。
司書さんの寝室…。いつも林檎の香りを漂わせている司書さんだから、寝室もきっと心地のいいりんごの香りで溢れかえってるのだろう。司書さんは女性だから、色々と小物も多くて、可愛く装飾されているのかもしれない。ベッドもきっとふかふかで、可愛いシーツが敷かれているのだろう。
「敦さーん?」
ベッド…。
「敦さん、何顔を赤くしてるの?」
我に返ると、司書さんが至近距離に見つめてきて、近い距離にある仮面にびっくりして、椅子から転げ落ちてしまった。
「いたたた…」
「もう、ぼーっとしちゃって赤くなって終いには椅子から転倒。何考えてるのかしら…変な敦さん。」
「し、司書さん、すみません…。」
司書さんの差し伸べたひんやりした手を掴み、立ち上がる。頬が熱い。あぁ…変なこと考えて恥ずかしいところを見られるなんて、私はどうかしてる。
「あらあら、もしかしてえっちなことでも考えてたー?」
「ち、違います!」
いたずらっぽい口調で、司書さんに問われた。すみません、本当は少し、邪なことを考えていたのかもしれない。
「まぁ、とりあえず、引き続き仕事頑張ろう。」
改めて椅子に座り、私達はまた無言の手紙回収作業に戻った。
*
一日の仕事が終わり、瞬く間に夜が訪れた。
夕飯もお風呂も済ませて、ようやく時が来た。
司書さんの寝室に入る時が。
宿泊棟の一階、「司書」と書かれているプレートが貼られてある扉の前で私は突っ立ってしまっている。
異性の寝室に入るのは、どうしても緊張してしまう。ノックしようとしてる手が震えている。そして頬が何故か少し熱くなってるのを感じる。
コンコン。
ガチャ。
「あら、敦さん。いらっしゃい!」
「あ、お、お邪魔します…!」
ノックしたあと、扉を開けた司書さん。いつもポニーテールにしている髪を解いて、長めの髪は流れるように肩に垂らされている。衣装もいつもと違って、フリルが袖と裾をあしらっている、襟元の瑠璃色のリボンが印象的な真っ白のワンピースを着ている。おそらくパジャマだろう。だが顔は、相変わらずお面で隠れている。
「顔が赤いよ?もうえっちなことばかり考えちゃって!とりあえず上がってちょうだい。」
「はい、失礼します…」
司書さんの招きに応じて、恐れ恐れ部屋に入っていく。入口で、もうりんごの香りがふわりと漂ってくる。司書さんの匂いだ。
司書さんの寝室は思ったよりもずっと簡素だった。四角い部屋の壁は、薄い桜色。大きい木造の本棚が二つ右側の壁際に置かれており、ぎっしりと本が詰め込まれている。真正面に見えるのは、飾り気のない、素朴なデスクと椅子。そのデスクの左側には、壁にぴったりとくっついているダブルベッド。瑠璃色のかけ布団が綺麗に、真っ白なシーツの上に敷かれている。そしてベッドの真正面の壁際には、木製のクローゼット。
思ったよりも少女らしくない部屋だけど、壁の色や掛け布団のカバーの色には、少し少女らしさが垣間見える。
「なーに人の部屋をじろじろ見てるのよ!」
頬に痛みとともに少し拗ねたような司書さんの声が聞こえた。司書さんの方を見ると、彼女は背伸びして私の頬をつねっている。
「すみまへん!!痛いれふ!!」
どうやら司書さんも、照れているようだ。こんな風に、いたずらばかりな司書さんにも、こんなところがあるから憎めない。
やっと頬をつねるのをやめたところ、司書さんに気になることを聞いてみた。
「司書さん、私を寝室に呼んできて、何の用ですか…?」
すると司書さんは少しもじもじしながら、黙り込んでしまった。
そんな司書さんを見ると、こっちまで緊張してきて、ゴクリと思わず音を立てて唾を飲み込んだ。
「私ね…」
ゴクリ…。
「敦さんに…」
………。
「読み聞かせ、してほしいの!」
……え?
「読み聞かせ…?」
「何がっかりしてるのよ…!やっぱり変かしら…」
すみません、また少し、邪な考えが邪魔してきたからであって…。
「いえ、何か重大なことかと思って、拍子抜けだと言いますか…」
「私にとっては重大なの!」
両手を握り締めて、バタバタと両手を振り回しながら、怒った声で言った。
その様子があまりにも可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「笑うんじゃない!」
「痛いですよ!」
また司書さんが背伸びして、頬をつねってきた。少しも力加減をせず、冗談抜きで痛い。
「最近、少し不眠気味で…。どうしても、ひとりでなかなか寝付けないのよ。そこで、なんとなく、本を読み聞かせてもらったら、落ち着いて寝れるかなと思って。」
「そうですか。司書さんの力になれるなら、もちろんいいですよ。」
「やった!ありがとうね、敦さん!」
子供みたいに私の両手を掴んで、ぴょんぴょんと飛び跳ねる司書さんを見て、ほっこりした気持ちになりながらも、手に触れてきたことに頬が熱くなった。
「とりあえず、そこの本棚に本を選んで!私はベッドで待機ね!」
やっと手を離すと、司書さんはお布団に潜り込み、壁際の本棚に指差した。
子供っぽい仕草が可愛いと思いながら、本棚を漁ってみた。二つの本棚のうちの一つには、見たこともない、英語の本がいっぱい並んでいる。背表紙に「Alchemy」という単語が多く見られることから察するに、錬金術関連の本だろう。
「そこの本、文豪の敦さんにとっても珍しいかしら?好きに見ていいのよ!私は気長に待ってるよ。」
確かに珍しい本ばかりだ。普通では手に入れられないだろう。一冊を手に取って、適当な頁をめくってみても、私には難しいことしか書かれていない。そこの本はまだ今度にしよう、と決めて本を戻した途端、ある一冊の古ぼけた、日本語で書かれた手記が目に入った。まるで引き寄せられたかのように、それに手を伸ばした。
「るり…?」
「はい?」
本に書かれている名前を、無意識に口にした。そして何故か、司書さんがそれに答えた。
「どうしたの?敦さん?」
「るり?」
「何言ってるのかしら?私は司書よ?」
記憶喪失の司書さんは、自分の本名を知らない。最初、「るり」と呼んだ時に反応した司書さん…。もしかして司書さんの本名って…!
「司書さん、あなたの本名がわかったかも知れません!」
「何よいきなり!その手記、なんなのかしら?」
どうやら司書さんは、この手記の存在を知らない。旧家にある錬金術関連の本と一緒に持ってきたらしくて、気づかないうちにそれが混ざっていた。
「どれどれ…全然読めない…これ何語よ?」
「日本語…ですよ?正気ですか…?」
「うーん…日本語に見えるけど、私の脳では処理できない。何らかの錬金術かしら、別に珍しい事じゃない。読んでくれるかしら?」
いやいや、珍しいことですよ。
ツッコミを我慢し、手記に視線を落とした。
*
るり
誕生
とある錬金術師が自分のホムンクルスとして錬金術で錬成した試験管ベイビー。外見は自分とそっくりのはずだが異変によって目が瑠璃色に変わったため、「るり」と名付けられた。外見と身体機能は人間とほぼ同じだが、賢者の石が心臓替わりに機能している。賢者の石が壊されない限り、死ぬことは無い。
*
一頁目に目を通し、絶句した。ホムンクルス。錬金術師。賢者の石。「るり」。これはおそらく、「るり」の育成手記のようだ。司書さんの言っている記憶とは食い違いが多いが、この手記で色々と司書さんの謎が解ける気がする。
「敦さん、なんて書いてあるかしら?」
司書さんが目を輝かせているような雰囲気を醸し出し、こちらに寄せて手記を覗く。
だが司書さんに言っても、おそらく信じてくれないだろう。
そもそも、自分でも司書さんのことが書かれているとは思わない。だがなんとなく、この「るり」というのは、司書さんの名前だ。
「司書さんの親御さんの手記らしいです。司書さんの名前は…」
「名前は…?」
ワクワクしているような口調で、司書さんが食い付いてくる。
「るり…。」
「やぁ…!ちょっとわけがわからないけど、変な感じがするの…!」
仮面で隠れた顔を、さらに手で覆って、司書さんがお布団に走って戻っていった。
「もうその手記は戻しなさい!恥ずかしいのよ!何故か!」
枕に顔を埋め、悶えながらくぐもった声で司書さんは言った。
「るり…?」
「んっ!やめなさい…!」
あまりにも可愛らしい反応をするので、もう一回名前を呼んでしまった。
「多分これは体に刻まれた記憶が反応してるの!多分間違いなく私の名前だけど、それで呼ばないで!!」
可愛い反応されるともっといじめたくなる、という司書さんが言ってた言葉が蘇る。今でその気持ちがよくわかった。
しかしそうしたら、仕打ちが帰ってくるのでやめておこう。
「呼ぶのやめますよ、少しからかいすぎたのですかね…すみません。」
「うるさい!隣の本棚の中島敦全集第一巻でも取り出して『山月記』を読み聞かせなさい!」
仮面越しでも、司書さんは顔を真っ赤にさせているのが分かる。もう少しからかいたいけど、指示通りに自分の全集を手に取り、司書さんのベッドの隣にある椅子に腰掛ける。
「自分の作品を読むのが少し恥ずかしいですけど、読みますね。」
「うん、お願い。」
元の調子に戻って、司書さんは姿勢を正し、読み聞かせを聞く姿勢に入った。
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね……」
*
途中まで読んだところ、司書さんの静かな寝息が聞こえてきた。仮面に隠されてみえないが、おそらくもう眠りについたのだろう。
ここで一つ、邪念が芽生えてしまった。まるで彼が、私に囁くように。
(仮面を、捲ってしまえ。)
確かに、司書さんの顔を見てみたい気はある。だが、わざわざ顔を隠しているのだから、それなりに顔を見せたくない意地でもあるだろう。手を出せない。
「んん…」
突然、司書さんは寝返りを打って、仮面がずるりと顔から落ちてきた。
初めて見る司書さんの顔…。
閉じた目には長いまつ毛、ほんのりと薄紅の頬、小さな鼻と唇。唇も頬と同じ薄紅色で可愛らしい。
もし、司書さんの目は瑠璃色だったら、もしかしたら…。
でも、真実はどうだとしても、司書さんは司書さん。みんなのために頑張る、大切な司書さん。そこになんの変わりもない。
「おやすみなさい、るり。」
扉を開けて、司書さんの寝室をあとにした。
<続く>