1章






「あ、あのー……すみませーん」


聞き覚えのある情けない声と共に、保健室の引き戸が恐る恐る開けられる。

申し訳なさそうに立っていたのは、瓶底眼鏡にモジャモジャのアフロヘア――すべての元凶である、あの転入生だった。
その両手には、有名洋菓子店のロゴが入った紙袋が大事そうに抱えられている。
わざわざ買ってきたのだろうか。律儀なやつだ。


「せ、生徒会長さんっ!」


転入生はベッドの上の俺を見るなり、涙目でガタガタと震え出した。


「転入生の日向悠陽と申します!今日は食堂でお水をぶちまけてしまって、本当に、本当に!すみませんでしたあぁ!退学させられても文句言えません、どうか、このお詫びの品で免じてくださいぃ!」


床に額を擦り付けんばかりの勢いで、涙目で箱を差し出してくる。
 
あまりの猛勢に、俺も、周囲の生徒会メンバーも呆気にとられて硬直した。

だが、数時間前と違い、こいつの常軌を逸したトラブルメーカーっぷりも、学園の不可抗力な災害のようなものとして処理する度量が今の俺にはあった。


「……もういい」

自分でも驚くほど、その言葉はあっさりと口から出る。
少し前の俺なら、こんな事故ですら許せなかったはずだ。


「別にこんなことで退学になんてしねえよ。謝罪が済んだなら、さっさとその箱をそこに置いて帰れ」
「えっ、本当ですか……!? あ、ありがとうございます、生徒会長さん!なんて優しいんだ!」


パァッと顔を輝かせた日向は、緊張が解けたのか、またしても激しく足元を狂わせた。


「わ、わわっ!? あ、あれっ!? ベッドの脚にコードがぁっ!?」
「おい、お前――」


嫌な予感が脳裏をよぎる。
日向は、床を這っていたコードに見事につまずいた。重力を無視したような勢いで、そいつの身体が前方へとダイブする。
 
日向の手から放たれたケーキの箱が、空中で無惨にひっくり返りながら、まっすぐベッドの上の俺目掛けて飛んできた。


 ――グシャァッ


「……っ!?」


柔らかい衝撃と共に、強烈な甘さと冷たさが広がった。
箱から飛び出したのは、贅沢に生クリームがデコレーションされた、出来立てのショートケーキだった。
乾いたシャツの胸元、そして白いシーツの上に、真っ白な生クリームと、潰れた真っ赤なイチゴが派手にすり潰され、こびりつく。


「あ」


日向がベッドの端に突っ伏したまま、完全に硬直した。
一瞬の静寂。
保健室の白い空間に、甘ったるいバニラとイチゴの匂いが虚しく充満していく。



俺は、頬に飛び散った生クリームを無言で指先ですくいとる。
…甘い。
そして、地を這うような声で呟いた。


「……九重」
「なにかな、会長」


九重は眼鏡の奥の目を面白そうに細めながら、すでにスマホを手に入力画面を開いている。


「今すぐクソ風紀を呼び戻せ。……この転入生を、退学にするように伝えろ」
「あはっ、転入生くん面白すぎ!」
「あらあら、会長。今度は制服がクリームまみれになってしまいましたね」
「うわあああ! りんりんの顔が高級ケーキ仕様にー! ちょっと可愛い!」
「わああごめんなさいい!! わざとじゃなくて、わざとじゃなくてっ!!」


感動の和解から一転、保健室は前代未聞の大パニックに包まれた。
新しく始まった俺たちの日常は、どうやら前途多難、どころではないらしい。
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