1章







静寂が保健室の狭い空間を支配する。

水無瀬は痛ましそうに瞳を揺らし、朝比奈は堪えきれずに鼻をすすり、早乙女は困ったような笑みを浮かべて俺を見つめていた。誰もが俺の、この情けない本音に言葉を失っている。
その時。


「はぁ……。やっぱり、とことん面倒くさい人だ、あなたは」


一歩引いた場所から、冷ややかな、それでいて呆れ果てた声が放たれた。


九重だ。
泣きそうになって取り乱している他の役員たちとは違い、あいつだけは腕を組んだまま、いつも通りの底の知れない、腹黒い笑みを浮かべていた。


九重はゆっくりとベッドへ近づくと、眼鏡をくい、と押し上げる。
そのレンズの奥に見える赤い瞳と目が会う。


「水無瀬たちのように、優しく慰めてもらえると思うなよ、会長」


九重はベッドの端に手を突き、俺を見下ろすように顔を近づけてきた。


「人を頼る方法が分からない? 大層な理屈だ。要するに、プライドが高すぎて『助けてくれ』のたった一言が言えないだけだろう」
「なっ、……!」
「あなたが『完璧』という殻に閉じこもって、誰も信用しないのは勝手だ。だがな、俺たちはあなたの愉快な仲間たちじゃない。抱かれたい男ランキング1位の完璧な人形を拝むために、生徒会に入ったわけじゃないんだよ」


ピシリと、容赦のない正論が俺の胸に突き刺さる。言い返す言葉が、見つからなかった。


「方法なんてどうでもいい。あなたが『やれ』と命令すれば、俺たちは喜んで犬のように働くんだ。それすらしないのは、他人を信用してないからじゃない。あなたが『裏切られて傷つくのが怖い』っていう、ただの臆病者だからじゃないのか」
「ちょっと、九重くん、言い過ぎ……」


『臆病者』。
その一言が頭の中で反響する。
違うと言いたい。俺は弱くなんかない。

本当に、そうだろうか。


水無瀬が慌てて割って入ろうとしたが、九重はそれを手で制し、さらに言葉を重ねた。


「いや、はっきり言わないとこの俺様会長は理解しない。……いいか、竜胆。俺たちは傲慢で、口が悪くて、そのくせ責任感だけは人一倍強くて危なっかしい――そんなあなたの下で働きたいから、ここにいるんだ」


九重の言葉に、早乙女も、朝比奈も、そして水無瀬も、強く頷いた。


「次に一人で抱え込もうとしたら、今度は水をぶっかけられるだけじゃ済まないからな」


九重はそう言って、ようやくいつもの、意地の悪い、けれどどこか楽しそうな笑みに戻った。



俺は何も言えなかった。

どうして、そこまで言う。

俺はお前たちを何度も突き放した。
「必要ない」と切り捨てた。
仕事しか見ていない冷たい会長だと、自分でも思っている。

それなのに。
どうして、誰一人として俺から離れていかない。


「……理解できない。なんでお前達は、そこまで」

「りんりんってさ、優しくないよ? すぐ怒るし、全然褒めてくれないし。でもね、困ったとき、一番最初に前に出るのもりんりんなんだよ」


別にそれはおまえらのためじゃない。
俺が生徒会長だから果たすべき責任を果たしているだけだ。


「それは都合の良い勘違いだな」

「ああもう強情なんだからー。カイチョーがどういう考えで行動してようと、俺らはカイチョーの責任感があって、でも不器用なところに惚れてんの」

「会長は利益で動いているつもりなんでしょう。でも、その利益のために誰より努力して、誰より責任を負う人を、私は知りません。だから私たちは、会長についていきたいんです。」


今まで向けられてきたのは、羨望や畏怖ばかりだった。
そうなるように振る舞ってきたのは俺だから。
こんな真っ直ぐな信頼を向けられたことなんて、一度もない。


幼い頃から刷り込まれてきた
『人を信用するな』
その言葉と、目の前の四人の姿が噛み合わない。

分からない。
本当に分からない。
それでも――。
目の前の四人が嘘をついているようには、どうしても見えなかった。


胸の奥が熱い。
苛立ちとは違う。
怒りでもない。
名前の分からない感情。
こんなものは知らない。


「てかさ。九重全部持ってくじゃん」
「そーだよ! 僕らだってもっと言いたいことあったのにー」


早乙女と朝比奈が頬をふくらませて文句を言うが、九重は素知らぬ顔だ。
そんな3人を他所に、水無瀬がにっこりと微笑む。


「今日でボイコットは終わりですね」
「……お前ら、本当に、生意気な奴らだな……」
「はは、お褒めに預かり光栄です、会長さま」


もし、こいつらの言葉を信じてしまったら。
今まで守ってきたものが、音を立てて崩れてしまいそうだった。

俺は顔を覆うように腕を乗せ、小さく呟いた。


……こんなものは、知らない。


九重の強かな声と、早乙女たちの安堵した笑い声が、静かな保健室に響き渡っていた。

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