1章
(桐生side)
生徒会室の重い扉が閉まる音を背に、静まり返った廊下を歩く。
手元に残った見回り報告書の控えへ視線を落とし、俺は小さく息を吐いた。
「……相変わらず、面倒な奴だ」
竜胆千景。
中等部の頃から何かにつけて比較され続けてきた男だ。
定期試験の順位表を見上げれば、いつも僅差であいつの名前が俺の上にある。運動神経も、生徒会長としての手腕も一級品。
腹が立つのは、何も映していないような冷たい瞳で、人を全く信用していないところだ。
忠告すれば「余計な世話だ」の一言で切り捨てる。
あの頑固さだけは昔から変わらない。
風紀委員室へ戻ると、副委員長の相川慧がソファに寝転がったままスマホを眺めていた。
「おかえりー、委員長」
「……ただいま」
制服のネクタイを少し弛め、報告書を机へ置いて椅子へ腰を下ろす。
「生徒会、どうだった?」
「どうもこうもない」
先程見た光景が脳裏に浮かびながら、肩をすくめる。
「今日も会長一人だった」
「え、まだ?」
「水無瀬も、早乙女も、九重も、朝比奈もいない」
相川は「あー…」と全てを察したように天井を見上げて納得したような声を漏らした。
「やっぱやってるんだ」
「知ってるのか」
「昨日、早乙女と会ってさ。生徒会、今絶賛ボイコット中なんだって」
「……ボイコット?」
「うん。『会長が俺たちを頼ってくれるまで生徒会室には行かない』って」
あいつらは何をしてるんだ。
ここ最近で一番呆れているかもしれないと思いながら、額に手を当てた。
「馬鹿なことを」
「荒療治なんだよ。あの人、自分で全部やっちゃうじゃん?」
相川は苦笑しながら言う。
「頼ってほしいんだってさ」
俺はしばらく黙った。
あいつらの言い分も分からなくはない。普通の人間なら、寂しさに負けるか、仕事の重圧に耐えかねて、折れるはずだ。
だが――。
「……無理だな」
「えー」
「あいつは音を上げない」
竜胆はそういう男だ。
人に任せるくらいなら自分がやる。
限界が来ても止まらない。
止まる時は、自分で止まるんじゃない。
身体が先に壊れる時だ。
「倒れるまでやるだろ」
確信を持って言った言葉に、相川は笑みを消した。
「そんなに?」
「ああ」
短く答える。
「あいつは傲慢だ」
だから誰も信用しない。
誰にも期待しない。
だが同時に、自分の責任だけは絶対に投げ出さない。
中等部の頃からずっとそうだ。
周りがいくら諭しても聞かないのだから、一度痛い目を見てもらうという最終手段も仕方がないのだろうか。
重い沈黙が満ちかけたその時、相川が「あ、そういえばさ!」とわざとらしく明るい声を上げて空気を変える。
それに嫌な予感がした。
「転入生、もう会った?」
「遠目で見ただけだ」
数日前に来たという転入生――日向悠陽。
俺が知っているのは、瓶底眼鏡にアフロという今どき漫画でも見かけないような格好をしているということくらいだ。
「なんかさ、行く先々で騒ぎを起こしてるらしいよ」
「騒ぎ?」
「階段で転ぶ、誰かにぶつかる、荷物ひっくり返す。本人は泣きそうな顔で必死に謝ってるから、周りは怒れないんだって。天性のラッキーボーイというか」
天然のトラブルメーカーってやつ?、と楽しそうに首を傾げる相川をじろりと睨んで呻いた。
「また厄介事かよ……」