2章
遊馬たちが作業へ戻ると、資材置き場は再び慌ただしさを取り戻した。
だが、組み立て作業の佳境に入ったところで、運搬用のリアカーの脇にいた委員が困ったように声を上げた。
「悪い、こっちもう一人足りない! テントの支柱を運ぶのに、手が足りないんだ!」
体育祭で使用する備品の数は、生徒会でも把握しておく必要がある。俺がその確認を終えようとした矢先だった。
「あ、会長。悪いんだけど、ちょっとそこ持ってくれるか?」
実にあっけらかんと、クラスの男子にノートを回すような気安さで、遊馬が俺に協力を求めてきた。
その瞬間、周囲の体育委員たちの顔からサッと血の気が引く。
「い、委員長!? 会長にそんな重労働をさせるんですか!?」
「いくらなんでも失礼すぎますって!」
焦り狂う部下たちを余所に、俺は顔色一つ変えず、ブレザーの袖を少しだけ捲り上げた。
「確認は済んだ、構わない。さっさと終わらせるぞ」
淡々と言い放ち、俺は迷いなく冷たい鉄の支柱を掴み上げ、日向や遊馬たちとそのまま指定された場所まで運んでいく。
「日向、そっち少し上げろ」
「は、はい!」
「違う。右だ」
「あっ、ご、ごめんなさい!」
「……そのままでいい。運ぶぞ」
ずらりと並んだ資材の運搬を全て終え、全員が額の汗を拭った時のことだった。
日向がおずおずといった様子で俺に近づいてきた。
「あの……会長」
「何だ」
「その……この前のこと、本当にすみませんでした。」
「……何の話だ」
申し訳なさそうに眉を下げて謝罪する日向に俺はしらを切った。
「え?」
「お前は謝っただろ。もう済んだ話だ」
こちらとしては掘り返される方が堪らない。
罪悪感なんて抱えなくていいから、とにかく俺の情けない姿はさっさと忘れてほしかった。
すると、日向は目をぱちくりとさせ、不思議そうに俺の顔をじっと見つめてくる。
まだ言いたいことがあるのか。
「会長って」
「何だ、言いたいことがあるならはっきり言え」
「……もっと、冷たくて怖い人かと思ってました。噂だと誰も近寄れない人だって聞いてたので」
その率直すぎる発言に、周囲の体育委員たちが一斉に頭を抱えて青ざめる。
だが、俺は眉ひとつ動かさず至極真面目なトーンで言い返す。
「実際そうだと思うが」
「違います」
日向はきっぱりと首を横に振った。
「怖いんじゃなくて、すごく厳しい人なんだなって思いました。こうやって僕たちの手伝いもちゃんと、嫌な顔せずに手伝ってくれるし、僕の失敗も許してくれるし」
そこまで言うと、日向は何の計算も、裏表も、下心すらもない、一点の曇りもない笑顔を浮かべて言葉を繋いだ。
「あと会長さんって、すっごく綺麗ですよね」
――ヒュッ、と周囲の空気が凍りついた。
「……綺、綺麗!?」
体育委員たちが一斉に日向を見た。
よりにもよって、傲岸不遜を絵に書いたような俺に向かってそんな言葉を真正面から口にするとは、誰も思っていなかっただろう。
誰もが次の瞬間、冷たい叱責が飛ぶものと身を強張らせる。
だが、その張り詰めた沈黙を、からりとした笑い声が吹き飛ばした。
「ははっ!」
遊馬が愉快そうに腹を抱えて笑う。
「まぁ、それは俺も前から思ってたわ」
「い、委員長まで何を言い出すんですか!?」
「いや、だって事実じゃん」
遊馬は悪びれる様子もなく肩をすくめ、俺の顔を指さした。
「顔だけ見たら綺麗系だしな。中身は男前だけど」
その遊馬のあまりに自然な同意に、周囲の体育委員たちも、恐る恐る俺の顔を見やりながら、
「……まぁ、それは」
「否定はできないですけど……」
と、だんだん同調し始めてしまう。
しかし、周りの予想通りに俺の唇から怒りの言葉が紡がれることはなく。
ほんの一瞬だけ、俺は自覚を伴うほどに大きく目を見開いた。
綺麗。
日向の口から発せられたその一言だけが耳の奥に残り続ける。
男である自分に向けて、そんな言葉がこれほど純粋に投げかけられたのは、一体いつ以来だろう。
『――坊ちゃんは、本当に奥様によく似ていらっしゃる』
脳裏を過ったのは、幼い日の記憶の光景。
柔らかな笑み。髪を撫でてくれた、優しくて細い手。
氷のように冷え切っていたはずの胸の奥底に、小さな、けれどとても懐かしい温もりが灯ったような気がした。
「……会長?」
日向の少し不安そうな声に呼ばれ、引き戻されるように意識が戻る。
俺はゆっくりと伏せていた目を開けた。すぐにいつもの無表情へと戻り、ただ低く、短く応じた。
「……そうか」
それ以上、返す言葉は見つからなかった。
怒声も冷徹な一喝もない、ひどく拍子抜けするようなその一言に、周囲の委員たちは、
「……え?」
「怒らねぇの?」
「マジかよ、奇跡だろ……」
と、肩透かしを食らったように目を瞬かせている。
そんな中、遊馬だけが全てを見透かしたように苦笑し、肩をすくめて日向の背中を叩いた。
「だから言ったろ? 最近の会長はさ、ちょっと前より丸くなってるんだって」
「誰がだ」
「ほら、そういう否定だけは相変わらず早い」
くくっと喉を鳴らして笑う遊馬の隣で、日向だけが周囲の焦りも俺の心の機微も全く理解できず、
「え? 何か僕、変なこと言いました?」
と、ただ不思議そうに首を傾げていた。
本気で分かっていないらしい。
悪意も打算もない。
だからこそ、一番厄介だ。
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