2章
(竜胆side)
キーンコーンカーンコーン……
昼休みの到来を告げるチャイムが鳴り響く。
教科書を閉じ、いつものように一人で席を立とうとした、まさにその瞬間だった。
「りんりんー!」
教室に明るい高めの声が響く。
「お昼行こー!」
弾丸のような勢いで突っ込んできた庶務の朝比奈を筆頭に、気がつけば俺のデスクは水無瀬、九重、早乙女の4人に完全に包囲されていた。
その異様な光景にあちこちから視線が集まるのがわかった。無理もない、他者を寄せ付けない冷酷な生徒会長の席に、これほどお気楽な面々が群がっているのだから。
俺は小さく息を吐き捨て、椅子の背にもたれかかった。
「……なんだ」
「今日はみんなで学食食べよー!」
思いついたことをそのまま全力の行動力に変える朝比奈が、目を輝かせてトレイを持つジェスチャーをする。
「却下だ」
「多数決で可決したの!」
「多数決を取った覚えはない」
「今取った!」
「俺を抜きでか」
「全会一致です~!」
無邪気な笑顔で両手を広げる会計の早乙女に、俺はこめかみを押さえた。悪気なく場をかき回す天才がここにも一人。
「一人足りてない。九重、お前は反対しろよ。役員としてのバランスを考えろ」
矛先を向けられた書記の九重は、切れ長の目の奥で眼鏡をキラリと光らせ、実に見事な腹黒の笑みを浮かべた。
「そっちの方が面白そうだったからな」
「……チッ」
結局、4人の図々しい押しに圧される形で、俺は数分後、賑わう大食堂の床を踏む羽目になった。
食堂の扉を開けて中へ入った瞬間、周囲のざわめきが一瞬だけ止む。
「あ……」
「会長だ」
「今日は一人じゃない……?」
「生徒会が全員揃ってる」
ひそひそと囁く声があちこちから波のように伝わってくる。
普段の俺なら、羨望も畏怖もすべて無視して一瞥もくれなかっただろう。だが、今日ばかりは、その奇妙な視線の理由くらいは分かった。
いつもなら、俺は端の席で一人、燃料補給のように無機質に食事を済ませる。生徒会役員たちとぞろぞろと連れ立って学食へ来ることなど、ただの一度もなかったからだ。
周囲の喧騒を文字通り結界のように遮断した窓際の円卓。
今日の俺のメニューはグリルチキンプレートだ。ライスは少なめ。先日の大惨事と寝不足を経て、ようやく食欲が戻ってきだしたところだった。
朝比奈が勝手に俺の隣へ、早乙女は当然のように向かいに座る。
遠慮という言葉はこいつらの頭からは消え去ったらしい。
「そういえば」
早乙女がモグモグと口を動かしながら箸を止めた。
「体育祭って今年も借り人競走あるの?」
「ああ、候補には入ってた」
「お題も見直さないとねー」
確かに去年は酷かった記憶がある。学生の行事としては容認でき難いものまで紛れ込んでいた。
「今年は会長が検閲するんでしょ?」
「ああ。借り人競走のお題だけじゃない。今年は体育委員会から種目の追加案も上がってきてる」
水無瀬が、お茶を飲みながら穏やかに言葉を継ぐ。
「今年は種目が少し増えるんですよね」
「確か、仮装競走もあったな」
左隣の九重が、淡々と正確な記憶を口にする。
「え、何それ絶対面白いじゃん!」
朝比奈が身を乗り出して声を弾ませるが、俺はチキンを口に運ぶ手を止めた。
勘弁しろ。誰だそんなトンチキ競技を企画したやつは。
「……」
「うわ、カイチョー顔怖」
「はは、嫌なのか? 会長」
勘のいい九重に返事をすることなくしぶしぶ頷いた。
「えっ、じゃあ会長却下しちゃうの?」
朝比奈が意外そうに丸い目をさらに丸くする。
俺が、行事の多様性を私情で潰すと思ったのだろうか。
心外だ。
「……いや」
「え?」
「体育委員会の提案が基準をクリアしているかで決める」
「なんだ。じゃあなんでそんな嫌そうなの?」
「……俺の威厳がなくなるだろうが」
一瞬の静寂の後、朝比奈と早乙女が派手に吹き出した。九重は口元を隠しながら肩を震わせ、水無瀬にいたってはいつも通りの仏のような微笑みを崩さない。
「あはは、何その理由! そんな嫌だったら職権乱用して潰しちゃえばいいのにー」
早乙女がけらけらと笑いながらジャムパンをかじる。
「馬鹿を言うな。俺の好みで可否を決められるわけねえだろ。条件を満たしてるなら通す。それだけだ」
その一言で、四人が一斉に目を瞬かせる。
「そういうところは本当に真面目だな」
九重が、その不器用なまでの真っ直ぐさに惚れ込んだような笑みを小さく漏らす。だが、それで終わらないのがこの役員たちだった。
「でもりんりんなら、仮装なんて何をやっても似合いそー」
「やめろ、朝比奈」
「王子様とか」
「やめろ」
「確かに。中世の宮廷衣装がよく似合いそうですね。白馬の手配が必要でしょうか」
一見一番まともそうな水無瀬が、にこにことした天然笑顔のまま一番ズレた爆弾を笑顔で投下してくる。
「水無瀬まで乗るな。余計に質が悪い」
「すみません」
形だけの謝罪で全く反省の色は見えない。
「それでは、体育委員会に『衣装には一段と気合いを入れるように』と根回しをしておこう」
「おい、九重」
止めるどころか特大の薪をくべる腹黒をじろりと睨みつけるが、九重は面白そうに目を細めるだけだ。
「カイチョー」
「なんだ」
「午後もがんばろーね」
早乙女がへらりと、けれどどこか温かい笑みを浮かべてこちらを見た。
少し前の俺なら、この輪にいること自体を鬱陶しいと思っていただろう。
面倒だ。
うるさい。
落ち着かない。
それでも、以前ほど居心地が悪くはない気がした。
ぎこちなく早乙女から視線を逸らし、トレイを見る。
「……言われなくても分かってる」
俺の返事に早乙女と朝比奈が顔を見合わせてハイタッチし、水無瀬と九重がくすくすと笑った。