1章





全寮制の男子校、私立青嵐学園。

この学園には、生徒たちの投票で決まる『抱かれたい男ランキング』『抱きたい男ランキング』という、くだらない恒例行事がある。

結果が発表される日になれば、校内はその話題で持ちきりになる。教師たちも苦笑いを浮かべるだけで、止めようとはしない。


「会長だ……」
「目、合った?」
「いや無理、近寄れねぇって……」

 
廊下を歩くだけで、ひそひそと声が上がる。

視線には慣れた。
羨望も、畏怖も、憧れも。
そう見えるように、自分を作り上げてきた。
完璧であれば、誰も踏み込んでこない。
隙を見せなければ、傷つくこともない。
 

燃えるような赤髪を揺らしながら歩けば、人の波は自然と左右へ割れる。

誰も近づこうとはしない。
それでいい。
他人は信用しない。
期待もしない。
ずっとそうやって生きてきたのだから。

 

生徒会室の前で立ち止まり、鍵を差し込む。

放課後だが、喧騒から離れたこの棟はひどく静かだ。

カチャリ、と無機質な金属音を立てて扉を開ける。

 
「……」
 

室内は、妙なほど静まり返っていた。

整然と並んだ机。
誰も座っていない椅子。

いつもなら聞こえてくる水無瀬の穏やかな声も、早乙女の軽口も、九重のため息も、朝比奈の笑い声も聞こえない。

シンと冷えきった空間に、数日前、生徒会全員から突きつけられた言葉を思い出す。
 

――『会長が私たちを頼ってくれるまで、生徒会室には行きません』
 

いわゆるボイコットというやつだ。
 
馬鹿げている。
俺が「必要ない」と言っただけの話だ。
事実、俺がやった方が早い。
俺がやった方が確実だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
誰かに任せる理由が分からない。

 
「……好きにしろ」
 

誰もいない部屋に小さく呟き、自席へ向かう。
重い革張りの椅子に腰を下ろすと、机の上には高く積まれた書類が視界に入る。


溜息を飲み込み、こめかみを指先で押さえる。

元々眠りは浅いタチだ。
それに加えてこの異常な仕事量。ここ数日は、まともに熟睡できた記憶すら無かった。頭の奥がずっと、重く、鈍く痺れている。
だが、眠れないなら働けばいいだけだ。
生徒会が滞りなく機能することは俺自身の利益になる。


ペンを取り、最初の書類へ目を通す。
静寂の中、カリカリと硬い音だけが室内に響きだす。

 
その時だった。

コンコン、と静かだが迷いのないノックが響く。

 
「失礼する。今週の見回り報告書を持ってきた」
 

聞き慣れた低い声に、思わず手にしていたペンが止まる。

 
「……クソ風紀」

 
黒髪の男が遠慮のない足音を立てて部屋へ入ってくる。


風紀委員長、桐生隼人。

この学園で一番気に食わない男だ。

理由ならいくらでもある。
学業も運動も優秀。風紀委員長としての評価も高い。
俺を前にしても、一切臆さない。

だが、一番気に食わないのはそこじゃない。

こいつの目だ。
何もかも見透かしたような、あの鋭い目。
俺がどれだけ冷たく突き放そうと、一歩も退かず真正面から見返してくる。

まるで、俺の奥まで覗き込まれそうで。
……こういう人間が、一番嫌いだ。




桐生は部屋を見渡し、誰もいない生徒会室と机いっぱいの書類に視線を落とした。

 
「まだ一人でやってるのか」
「報告書はそこへ置け」

 
顔も上げす、短く返す。
問いかけには答えなかった。

桐生はため息を一つつき、手元の書類を机の端に置いた。

 
「顔色が悪い」
「問題ない」
「問題ある奴ほどそう言う」
「余計な世話だ」
「世話を焼かせてるのはお前だ、バ会長」


普通の人間なら、ここまで冷たくあしらえば引き下がる。
だが、こいつだけは違う。
俺の拒絶など意にも介さず、勝手に踏み込んでくる。

心配などされたくない。
誰かに弱みを見せるくらいなら、一人で倒れた方がましだ。

俺はこれ以上話すことはないというように桐生を一瞥すると、再びペンを走らせた。


 
「……ったく。どういう経緯でこんな有様になってるのかは知らねえが、精々倒れるなよ」
 

その一言だけ残し、桐生は部屋を出ていく。
扉が閉まる音が静かな室内に響いた。
 

「……余計なことを」
 

小さく吐き捨て、再び書類へ視線を落とす。

集中しろ。
考えることは仕事だけでいい。
それ以外は、何も要らない。


何より重要なのは完璧であることだ。
完璧でいれば、誰にも口を挟ませない。
完璧でいれば、失望されない。
完璧でいれば、自分一人で済む。



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