陽だまりのデュエット




誰かの話し声が聞こえる。

重い瞼を震わせ目を開く。霞む視界の向こうで赤髪の少年が震えて泣いている。
ああ、守らなければ…。彼を、ひとりぼっちで泣いている彼を、守ってあげなくては…。
重たい右腕を持ち上げて彼の手を握る。

「だいじょうぶ、だいじょうぶですよルーク様...。マリアがお傍に居りますからね…」





---ルークside---

ルーク・・・
我が声に・・・・!
ルーク・・・!



いつもの頭痛と幻聴に魘され飛び起きる。見慣れない部屋の景色に頭が混乱した。
「...ここは?」
「タルタロスの船室です」
零れた疑問にすぐさま答えが返ってきた。声の主は誰かと顔を向ければ、いつものように涼しげな顔をしたいけ好かない男ジェイドがいた。その近くには何故かヴァン師匠の妹だとかいう女もいる。俺の隣ではマリアが気を失って倒れていた。
何故こんなことになっているのだろうかと、気を失う前のことを思い出す。
「そうか...。確か魔物が襲ってきて......」
グリフィンの群れがタルタロスを襲い、そして、そして……。
「(俺...人を殺した……!?)」
気を失う直前を思い出した。気絶させたはずの神託の盾兵が目を覚まし襲いかかってきたのだ。人間相手に剣を振るったのは初めてだった。ヴァン師匠との稽古だっていつも人形相手ばかりだったし、この旅で初めて魔物との戦闘も経験したのだ。人間相手に命の奪い合いなんてしたことがなかった。
思わず自分の手をジッと見つめる。汚れは付いていないはずなのに、己の手が酷く血に塗れているように感じられた。今も人間の肉を貫く感触が手から離れない。

怖い、怖い...!殺した、人を...殺してしまった……!!

言いしれない恐怖に襲われる。まさか、自分が人を殺してしまうなんて...!人の命を奪うことは罪。それが常識、当たり前。普通に生きていれば人を殺すなんてことありえない...。なのに俺は、俺は……!これからどうなってしまうのだろう…?俺が殺した人間は、俺を恨んでいるのだろうか?その家族は、俺を憎むのだろうか…?俺は、この罪を一生背負わなければならないのだろうか…?
ゾッと背筋が凍る思いがした。何か黒い影が俺の背にしがみついて離れないような、そんな感じがした。恐ろしくて堪らなくて、身体の震えが止まらない。世界の全てが自分の敵で、見えない何かに責められ続けているような、そんな気がする。
誰でもいい。誰でもいいから俺を助けてくれ...!俺を、1人にしないでくれ……!!


「だいじょうぶ、だいじょうぶですよルーク様...。マリアがお傍に居りますからね…」


「っマリア...!」
震える俺の手を右手で優しく握りながらマリアが言う。まだ覚醒仕切っていない様子でありながら、俺を安心させようと優しい笑みを浮かべながら「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言い聞かせるように呟くマリアの姿に、俺は1人ではないのだと安堵した。
マリアはいつだって俺の味方だった。他のメイドや使用人、騎士や家庭教師がどれだけ俺を悪く罵っても、マリアは俺を見限らなかった。それだけじゃない、マリアは怒ってくれたんだ。俺よりも俺を馬鹿にするヤツらのことを怒ってくれた。俺に黙ってラムダスや母上に報告して処罰してもらっていたことも知っている。マリアはいつだって俺を守ってくれていた。そして、それは今も。

気付けば身体の震えは止まっていた。まだ自分の犯した罪とは真っ直ぐに向き合えそうにはないけれど、マリアが傍に居てくれれば、楽に呼吸ができるような、そんな気がした。



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ぼんやりしていた頭が段々とクリアになるに従って、私は自分が何をしているのか気が付いた。ルーク様の手を握り、「だいじょうぶ、だいじょうぶ...」と呟き続けている様子は、お前の方が大丈夫じゃないだろと突っ込まれても仕方がないような様子だった。
慌てて飛び起き「申し訳ありません」とルーク様に土下座し謝罪する。懐かしい夢を見ていたからといってルーク様を幼子扱いしてあやすなど、穴があったら入りたいくらい恥ずかしい。幸いルーク様はお怒りになっている様子はなく、むしろ私の突然の謝罪に困惑しているようだった。

「そろそろよろしいですか?」
私とルーク様のやり取りを傍観していたらしいジェイドが声をかけてきた。そこでようやく、私は現在の状況を思い出した。艦橋の奪還に失敗し、どうやらどこかの船室に閉じ込められてしまったようだ。
「さて、そろそろここを脱出してイオン様を助け出さなければ」
「イオン様は何処かに連れて行かれたようでしたけれど...」
ジェイドとグランツ謡将の妹が当たり前のように言葉を交わしているが、一つ突っ込ませてほしい。
「あの、何故グランツ謡将の妹がここに...?」
私の質問にルーク様もうんうんと首を縦に振る。ようやく喧しい女から解放されたと思ったのに、何故またこの女が居るのだろうか?しかも当たり前のように着いてくる気のようですし...。グランツ謡将の妹は私とルーク様を忌々しそうに見ながら口を開いた。
「貴方達のせいで牢屋に入れられて、暫くしてから神託の盾の襲撃で見張りの兵が倒されて、その時の戦闘の衝撃で牢の扉が壊されたのよ。そのおかげで脱出できたのだけれど、神託の盾兵がマルクト兵を襲っているのを見て止めようと間に入ったら、神託の盾に捕まってしまったのよ…」
悲劇のヒロインのように悲しげに語っているが、要は襲撃のどさくさで脱獄したが、尊大な正義感で両軍を仲裁しようとした結果、味方(?)のはずの神託の盾に反逆者と見なされ投獄された、と。そして不運なことに私達と相部屋にされてしまったようだ。お互い苦虫を噛み潰したような顔をしながら見つめ合う。
「おい!こいつも連れて行くのか!?」
ルーク様が女を指差しながら嫌そうにジェイドに問う。女は「こいつですって!?それに人に向かって指を差すなんて失礼よ!」と珍しく真っ当な主張をするが、誰も相手にしなかった。
「今は少しでも多くの戦力が必要です。どうやら我々に対して敵意は無いようですし、利用できるものは利用しましょう」
ですので仲良くしてくださいね〜♪とジェイドが茶化しながら言うが、仲良くなどできそうにない。タタル渓谷での女との戦闘を経験している私とルーク様は、女が戦力になるのか甚だ疑問だった。だからと言って、何時までもここでウダウダしている訳にもいかず、仕方がないので私もルーク様も女の同行に否を唱えることはできなかった。

納得はしてもギスギスとした空気の流れる私達の様子などどうでもいいのか、ジェイドはさっさと話題を戻した。
「話を戻しますよ。神託の盾たちの話を漏れ聞くとタルタロスへ戻ってくるようですね。そこを待ち伏せてイオン様を救出しましょう」
ジェイドの言葉にルーク様が体を強ばらせる。
「...お、おい!そんなことしたらまた戦いになるぞ…!」
僅かに震えながらおっしゃるルーク様のご様子に私は先程の光景を思い出した。ルーク様が剣で神託の盾兵を貫く姿。あの様なことがまた起こってしまうのではないかとルーク様は恐れていらっしゃるのだ。しかし、何も知らない女にはルーク様の恐怖が分からなかったらしい。「それがどうしたの」と返す女にルーク様が悲痛に叫ぶ。
「また人を殺しちまうかもしれねぇって言ってんだよ!」
「...それも仕方ないことだわ」
素っ気ない女の返しにルーク様が息を飲む。
「殺らなければ殺られるもの」
「な...何言ってんだ……!人の命を何だと思って……」
人を殺すことに躊躇を持たない女の言葉を聞いてルーク様は狼狽なさる。命を大切にするという当たり前の常識が、ここでは通用しないことに愕然としたご様子であった。
「そうですね、人の命は大切なものです。ですが、このまま大人しくしていれば戦争が始まってより多くの人々が死ぬんですよ」
「今はここが私達の戦場よ。戦場に正義も悪もないわ。生か死か、ただそれだけ。普通に暮らしていても魔物や盗賊から襲われる危険がある。だから力のない人々は傭兵を雇ったり、身を寄せ合って辻馬車で移動しているのよ。戦える力のあるものは子供でも戦うことがあるわ。そうしなければ生きていけないから」
女やジェイドが言っていることは正しいのだろう。だがこちらはまともな戦闘訓練も受けたことがない素人だ。好きで戦場に来た訳でもない私達には余りにも荷が重すぎた。
「そんなの俺には関係ない!俺はそんなこと知らなかったし好きでここに来た訳じゃねぇ!」
今にも泣き出してしまいそうな声色で叫ぶルーク様の手を思わず握る。理不尽なこの状況に怒っているのか恐れているのか、あるいは両方か、ルーク様の握りしめた拳はわなわなと震えていた。
「驚きましたね。どんな環境で育てばこの状況を知らずに済むというのか...」
ルーク様を小馬鹿にしたようにジェイドが零す。その言葉に私も怒りが込み上げる。私はルーク様を庇うように前に出るとジェイドに言い返した。
「お言葉ですが、私も此度の戦乱に巻き込まれるまでキムラスカとマルクトの情勢がここまで悪化している事など知りませんでした。ましてやローレライ教団内部のいざこざなど知る由もありません。軍人の常識と世間一般の常識を同列に並べられても困ります」
育った環境が違えば常識も変わる。私やルーク様が世間知らずなのは自覚しているが、戦場の心得を一般人に説かれても困るのだ。このような事件に巻き込まれなければ、たとえ戦う力を持っていたとしても私達は傭兵を雇ったり辻馬車に乗ることを選んでいたはずだ。人の命を脅かすことに恐怖を感じる。軍人だって同じであろうが、彼らは自分の意志でその道を選んだのだ。私達とは覚悟が違う。それなのにそんな人達と同じ覚悟を決めろと突然言われてもできる訳が無い。勿論そんなことを言っている場合ではないことは分かってはいるが、避けられる戦闘はできるだけ避けたい。導師イオンの奪還よりも、ルーク様の心身の無事の方が私には大切だった。
私の言葉を聞いて軍人2人はどうやら呆れたようであった。戦場に身を置いている状況で何を悠長なことを...とでも思っているのだろう。
「確かにこんな事になったのは私の責任だわ。だから私が必ずあなた達を家まで送り届けます。」
キリリとした面持ちで女が私達に語りかける。けれど今までの女の行動や言動を振り返るととても信頼できそうにない。そんな思いを視線に乗せて私もルーク様も無言で女を見つめる。私達の無言を了解と勝手に受け取ったのか、女は言葉を続けた。
「その代わり足を引っ張らないで。戦う気がないなら足手まといになる」
タタル渓谷で私達が女に言いたかった言葉を逆に言われてしまった。確かに今の私達の主張は、戦場ではただの我儘かもしれない。それでもこの女に足手まとい扱いされるのは腹が立った。
「た、戦わないなんて言ってない!……人を殺したくないだけだ」
女の言葉に思わず反発してしまったルーク様だったが、やはり人相手に剣を振るうことは気が進まないご様子だった。
「同じことだわ。今戦うということはタルタロスを奪った『人間』と戦うということよ。敵を殺したくないと言うなら大人しく後ろに隠れていて」
ルーク様の言葉を聞いて女は切り捨てるように言い放つ。
「……なるべく戦わないようにしようって言ってるだけだ。……俺だって死にたくない」
「私だって...!好きで殺しているんじゃないわ」
なるべく戦いを避けようというルーク様の言葉に女が声を荒らげる。誰も女が好き好んで人を殺しているなんて言っていないのに、そこまで声を荒げて否定するのは一体何なのだろう。この女は自らの意思で軍に身を置いているのではないのか?軍人のくせに一般人相手に私だって辛いのだからあなた達も覚悟を決めなさいとでも言いたいのだろうか?

「結局戦うんですね?戦力に数えますよ」
2人の口論を静観していたジェイドが、言質は取ったとばかりに確認する。苛立ちながらルーク様が是を返すと、ジェイドは「結構」と一言返し、牢の入口に張られているセンサーに近づき何かを投げつけた。するとセンサーが一瞬で消えて、いとも簡単に脱獄できてしまった。
廊下に出ると、ジェイドは近くに備え付けられていた伝声管に何やら司令を出した。その途端、タルタロスが突然急停止し、完全に機能が停止してしまった。突然の出来事に目を丸くしている私達にジェイドがタルタロスの非常停止機構、通称『骸狩り』だと説明する。どうやらタルタロスの機能を復旧させるには暫く時間がかかるそうだ。その隙に私達は唯一開閉する左舷昇降口に向かい、導師イオンを連れた信託の騎士を待ち伏せし導師を奪還する作戦らしい。近くの部屋で取り上げられていた武器を発見し、私達は左舷昇降口へと急ぐのだった。
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