陽だまりのデュエット
私が初めてルーク様とお話したのは、私が公爵家に仕え始めてひと月ほどが経った頃だった。話したとは言っても、ルーク様は記憶を無くされたばかりで言葉などは一切話せない状態だった。なので私が一方的に話しかけていたというのが正しいだろう。
公爵家に来たばかりの私に課せられた仕事は屋敷内の清掃であった。部屋や廊下の掃除にシーツ交換と、小さい体ではなかなか大変な重労働であった。ルーク様のお部屋は先輩メイド達が担当していたので、下っ端の私の管轄ではなかった。ところがある日、その先輩メイドの内の一人が体調を崩し私が手伝いとしてルーク様のお部屋の清掃に入ることになったのだ。いつもは遠目でしか見ることのなかったルーク様と初めて対面することになったのだった。
ルーク様のことは、先輩メイドや騎士達がヒソヒソと話しているのが偶々耳に入ってくる程度にしか聞かなかったが、噂の内容は聞いていて気持ちの良いものではなかった。憐憫の情も有るのだろうが、殆どは現在のルーク様のご様子を面白おかしく嘲笑し見下すものだった。
『神童』と呼ばれていたルーク様と現在の赤子のようなルーク様を比べては、「お労しい」「嘆かわしい」「未来の王配がこのような有様とは」等、好き勝手言いたい放題だった。ルーク様が泣き出す度、またかとでも言いたげに騎士やメイドはルーク様をあやすことなく、遠巻きに眺めるだけだった。
私がヘルプでルーク様のお部屋の清掃に訪れた日も、ルーク様はベッドの上で頭を振り乱しながら泣き叫んでいらっしゃった。そんなルーク様を気にすることなく先輩のメイド達は掃除を始めたが、初めて近くでお泣きになるルーク様を見た私はなんだか放っては置けない気分になった。
自分と同じ年齢でありながら、一切の記憶を失くし右も左も分からぬ赤子のようなルーク様。これだけでも相当お辛い境遇なのに、ルーク様を気にかけてくれる人は誰一人いない。使用人達は言わずもがな、旦那様はルーク様に無関心で、奥様はお優しいがお体が弱いため偶にしかお会いできない。記憶を失う以前から仕えているというガイは、他と比べるとルーク様の面倒をよく見ているが、彼だって常に付きっきりではない。それに女性恐怖症だという彼はメイド達が近くに居てはルーク様に寄り付こうとしない。これだけ沢山の人が居る御屋敷の中で、こうして泣き叫ぶルーク様に手を差し伸べる人が一人も居ないこの状況が酷く悲しかった。
十年分生きた記憶のある私ですらまだまだ誰かに縋って泣きたい時があるのに、真っさらなルーク様は誰にも縋ることができずどれだけ不安だろう。どれだけ辛いのだろう。そんなことを考えていたら、自然と体が動いていた。
「大丈夫、大丈夫ですよルーク様。マリアがお傍に居りますからね」
暴れ泣き叫ぶルーク様をぎゅっと抱きしめてぽんぽんと背中を叩く。安心させるように一定のリズムで背中を優しく叩きながらルーク様に大丈夫、大丈夫と語りかける。しばらくそうしていると、ルーク様の泣き声は次第に小さくなり、うつらうつらと船を漕ぎ始めた。ルーク様が完全に寝静まったのを確認すると、起こさないようにルーク様のお体をベッドにそっと横たわらせた。
直後、 やってしまったと私は頭を抱えた。仕える相手に対して何と不敬なことをしてしまったのだろうか。良くてクビ、最悪死刑だろうかと顔を青くした。ベッドの周りでは先輩メイド達が無言で私とルーク様をジーっと見つめていた。私は周りの先輩達からカミナリが落とされるのをビクビクと待っていたのだが、降ってきたのは小さな呟き一つだった。
「……ルーク様が泣き止んだ」
目を丸くしながらぽつりと呟かれた内容に、他の先輩達も声をあげた。
「いつも泣いて暴れて大変だったのに、こんなに簡単に泣き止むなんて!」
「よくやったわマリア!これで仕事が捗るわ!」
「こんな事ならもっと早くあやしてみれば良かった!」
どうやら先輩達は怒っていないようだ。むしろ褒められてしまった。
「あの...、どうして先輩達はルーク様をお慰めしようとは思わなかったのですか…?」
ルーク様に泣かれるのが嫌ならお慰めすれば良かったのにと私は疑問を投げかける。私のように抱きしめたりするのは流石に不敬だが、他にも方法はあったはずだ。
「それは...」
もごもご言い辛そうに話す先輩によると、以前のルーク様はそれはそれはお厳しい方で、使用人が何かミスを犯せば容赦なく罰する貴族然とした方だったそうだ。その頃のルーク様を知っていると、今のルーク様はあの頃とは違うと分かっては居ても萎縮してしまうらしい。ルーク様をあやすなんていう発想自体が湧かなかったようだ。
「ではこれからはルーク様をお慰めしては?」という私の提案を、先輩達はルーク様の記憶がお戻りになってからが怖いからと拒否した。代わりに私をルーク様のお世話係に推薦すると言い出した。私は冗談だと思っていたのだが、先輩達は本気だったらしく、後日、私はルーク様付きのメイドとしてお仕えすることを執事長のラムダス様から命じられた。奥様からも「ルークのことをよろしく頼みます」と直接お言葉を頂き、平身低頭でお応えするしかなかった。不敬を咎められずに済んだ挙句、昇進までしてしまったのだから世の中どうなるか分からないものである。
余談だが、言葉を話せるようになられたルーク様が泣きながら頭痛を訴えられ屋敷内が大騒動に発展するのはそう遠くない未来である。日常的に頭痛が頻発していたのに、言葉が話せなければそりゃあ泣き叫ぶしかないよなぁと使用人全員が反省した出来事であった。
公爵家に来たばかりの私に課せられた仕事は屋敷内の清掃であった。部屋や廊下の掃除にシーツ交換と、小さい体ではなかなか大変な重労働であった。ルーク様のお部屋は先輩メイド達が担当していたので、下っ端の私の管轄ではなかった。ところがある日、その先輩メイドの内の一人が体調を崩し私が手伝いとしてルーク様のお部屋の清掃に入ることになったのだ。いつもは遠目でしか見ることのなかったルーク様と初めて対面することになったのだった。
ルーク様のことは、先輩メイドや騎士達がヒソヒソと話しているのが偶々耳に入ってくる程度にしか聞かなかったが、噂の内容は聞いていて気持ちの良いものではなかった。憐憫の情も有るのだろうが、殆どは現在のルーク様のご様子を面白おかしく嘲笑し見下すものだった。
『神童』と呼ばれていたルーク様と現在の赤子のようなルーク様を比べては、「お労しい」「嘆かわしい」「未来の王配がこのような有様とは」等、好き勝手言いたい放題だった。ルーク様が泣き出す度、またかとでも言いたげに騎士やメイドはルーク様をあやすことなく、遠巻きに眺めるだけだった。
私がヘルプでルーク様のお部屋の清掃に訪れた日も、ルーク様はベッドの上で頭を振り乱しながら泣き叫んでいらっしゃった。そんなルーク様を気にすることなく先輩のメイド達は掃除を始めたが、初めて近くでお泣きになるルーク様を見た私はなんだか放っては置けない気分になった。
自分と同じ年齢でありながら、一切の記憶を失くし右も左も分からぬ赤子のようなルーク様。これだけでも相当お辛い境遇なのに、ルーク様を気にかけてくれる人は誰一人いない。使用人達は言わずもがな、旦那様はルーク様に無関心で、奥様はお優しいがお体が弱いため偶にしかお会いできない。記憶を失う以前から仕えているというガイは、他と比べるとルーク様の面倒をよく見ているが、彼だって常に付きっきりではない。それに女性恐怖症だという彼はメイド達が近くに居てはルーク様に寄り付こうとしない。これだけ沢山の人が居る御屋敷の中で、こうして泣き叫ぶルーク様に手を差し伸べる人が一人も居ないこの状況が酷く悲しかった。
十年分生きた記憶のある私ですらまだまだ誰かに縋って泣きたい時があるのに、真っさらなルーク様は誰にも縋ることができずどれだけ不安だろう。どれだけ辛いのだろう。そんなことを考えていたら、自然と体が動いていた。
「大丈夫、大丈夫ですよルーク様。マリアがお傍に居りますからね」
暴れ泣き叫ぶルーク様をぎゅっと抱きしめてぽんぽんと背中を叩く。安心させるように一定のリズムで背中を優しく叩きながらルーク様に大丈夫、大丈夫と語りかける。しばらくそうしていると、ルーク様の泣き声は次第に小さくなり、うつらうつらと船を漕ぎ始めた。ルーク様が完全に寝静まったのを確認すると、起こさないようにルーク様のお体をベッドにそっと横たわらせた。
直後、 やってしまったと私は頭を抱えた。仕える相手に対して何と不敬なことをしてしまったのだろうか。良くてクビ、最悪死刑だろうかと顔を青くした。ベッドの周りでは先輩メイド達が無言で私とルーク様をジーっと見つめていた。私は周りの先輩達からカミナリが落とされるのをビクビクと待っていたのだが、降ってきたのは小さな呟き一つだった。
「……ルーク様が泣き止んだ」
目を丸くしながらぽつりと呟かれた内容に、他の先輩達も声をあげた。
「いつも泣いて暴れて大変だったのに、こんなに簡単に泣き止むなんて!」
「よくやったわマリア!これで仕事が捗るわ!」
「こんな事ならもっと早くあやしてみれば良かった!」
どうやら先輩達は怒っていないようだ。むしろ褒められてしまった。
「あの...、どうして先輩達はルーク様をお慰めしようとは思わなかったのですか…?」
ルーク様に泣かれるのが嫌ならお慰めすれば良かったのにと私は疑問を投げかける。私のように抱きしめたりするのは流石に不敬だが、他にも方法はあったはずだ。
「それは...」
もごもご言い辛そうに話す先輩によると、以前のルーク様はそれはそれはお厳しい方で、使用人が何かミスを犯せば容赦なく罰する貴族然とした方だったそうだ。その頃のルーク様を知っていると、今のルーク様はあの頃とは違うと分かっては居ても萎縮してしまうらしい。ルーク様をあやすなんていう発想自体が湧かなかったようだ。
「ではこれからはルーク様をお慰めしては?」という私の提案を、先輩達はルーク様の記憶がお戻りになってからが怖いからと拒否した。代わりに私をルーク様のお世話係に推薦すると言い出した。私は冗談だと思っていたのだが、先輩達は本気だったらしく、後日、私はルーク様付きのメイドとしてお仕えすることを執事長のラムダス様から命じられた。奥様からも「ルークのことをよろしく頼みます」と直接お言葉を頂き、平身低頭でお応えするしかなかった。不敬を咎められずに済んだ挙句、昇進までしてしまったのだから世の中どうなるか分からないものである。
余談だが、言葉を話せるようになられたルーク様が泣きながら頭痛を訴えられ屋敷内が大騒動に発展するのはそう遠くない未来である。日常的に頭痛が頻発していたのに、言葉が話せなければそりゃあ泣き叫ぶしかないよなぁと使用人全員が反省した出来事であった。