陽だまりのデュエット
まだ日が登り始めたくらいの早朝だが、ちらほらと村人達が畑仕事や家畜の世話をしている姿が目に入った。私達はあの女が居ては戦闘の邪魔になると思い、ひっそりと宿を抜け出し魔物と戦闘するため村の外に出た。ルーク様にはマントを纏っていただくことも忘れない。
村の北側の見晴らしの良い平原で魔物と戦闘をしていると、ルーク様が子どもが一人で森の中に入っていくのを見つけた。一人で森に行くなんて危険だとご心配されたルーク様が子どもを追いかけなさるので、私もその後に続くしかなかった。
森の入口では、ルーク様が見かけた子どもが数匹のウルフに囲まれていた。魔物は今まさに子どもに襲いかかろうとしているところで間に入るには間に合わない。最悪の事態が起こるのではと思った瞬間、子どもは見たこともない譜術を使い、周りにいたウルフ達は全て倒されてしまった。ホッと胸を撫で下ろした瞬間、魔物を倒した子どもは力が抜けたように倒れてしまった。私とルーク様は慌てて子どもに駆け寄った。
子どもは中性的な面立ちだがどうやら男の子のようで、その細腕から先程の凄い譜術を放ったとは到底思えぬような華奢な体つきだった。見たところ外傷はなく、先程使った術の影響で倒れてしまったようだ。とても強力な譜術だったので術者にも負担がかかるのかもしれない。
「おい!大丈夫か!?」
助け起こしながらルーク様が男の子の無事を確認される。彼はふらつきながらもルーク様の助けを借りて立ち上がった。
「ご心配をお掛けしてしまってすみません...。助けて頂きありがとうございました」
心底申し訳ないという風に彼は頭を下げる。
「俺達は別に何にもしてねぇけどよ…。それよりお前、こんな所に一人でやって来て何してんだ?危ねぇだろ!」
ルーク様が少し怒りながらに問う。本当にこの子は何をしていたのだろう。それに見たところ、この子が着ている服はローレライ教団の教団服のようだった。
「はい、実はこの近くの村のエンゲーブで食料泥棒の騒ぎが起きているのですが、どうやら犯人がこの森に住むローレライ教団の聖獣チーグルのようなので教団関係者として調査しようかと...」
チーグルといえばローレライ教団が聖獣と指定している草食の魔物だったなと思い出す。盗みを働くなど聖獣ではなく害獣と改めるべきでは?確かにローレライ教団としては放っておけない事件だろう。
「それなら、わざわざ一人で調査に来なくても良かったのでは?」
エンゲーブにはもう一人ローレライ教団の軍服を着た少女がいた。導師イオンの連れのようなので、もしかするともっと沢山の教団員がエンゲーブには来ていたのかもしれない。こんな所に導師が何の用で来ているのかは知らないが、導師に報告すれば調査するための人員を割いてくれたのではないだろうか?
「実は...僕はあまり自由に行動することができないのです。だからこっそりと抜け出して来たんです」
少し悲しげな顔をしながら彼は答えた。自由に行動できないのは不憫に思うが、しかしそれよりも子どもが一人でこんな所にいることを黙認する事はできない。
「だからといって、一人で森を進むのは危険です。一緒に村へ戻りましょう?」
「申し訳ありませんがそれはできません。チーグルが食料を盗んだ犯人ならば、僕は導師としてこの事件に責任を持たなければなりません!」
そう彼は私の提案をキッパリと断った。いや、それ以上に聞き捨てならない単語が聞こえた。
「ど、導師...?」
「お前、まさか...!導師イオンなのか...!?」
動揺する私達に気付いているのかいないのか彼はあっさりと肯定する。
「はい、僕はローレライ教団の導師イオンと申します」
穏やかな微笑みを浮かべ名乗る彼とは裏腹に、私の頭からはサアッと血の気が引いていった。
「導師イオンとは気が付かず、大変無礼を申し上げました!どうかお許しください!」
私は土下座しようと地に膝をつけるが、導師がアワアワしながら止めに入り、それでも真っ青な顔で地面に額を付けようとする私を見かねたルーク様が止めたことでその場は収まった。
結局、村に戻らず調査を続行するという導師の意志は強く、このまま導師をお一人にする訳にはいかずルーク様が導師の護衛を買って出た。
「そういえば、お二人のお名前をお伺いしてもいいですか?」
導師に尋ねられてそういえば名前を名乗っていなかったことに思い至る。
「俺はルーク。こっちはマリア、俺のメイドだ。訳あって旅することになったんだ」
家名を伏せ当たり障りの無いようにルーク様が答える。彼が導師と分かってからは私がおいそれと話しかけられる相手ではないので、必要以上に会話に参加しないようにしようと決意していた。しかしそんな決意も、叱られた子犬のようにシュンとした様子で導師に見つめられるとあっさりと揺るがされるのであった。
森を少し進んだところで、後ろから誰かが近づいてくる気配があった。私とルーク様は警戒し導師を背後に隠して様子を窺うと、あの賊の女が姿を現した。またコイツか...とルーク様と二人揃ってうんざりしていると、私達を見つけた女がキーキーと喚き始めた。
「あなた達!勝手に出歩かないでちょうだい!村中探し回ったんだから!!」
誰も探してくれなんて頼んでないのだが…。ルーク様も相手をするのが面倒なのか目すら合わせようとしない。すると導師が後ろから身を乗りだし女の姿を視界に収める。
「貴方は…?」
不思議そうに尋ねる導師の姿を目に入れ、女は「導師イオン!!」と大声で驚く。そしてズンズンと私達に近づくと、
「あなた達!導師イオンをこんな所に連れ出すなんてどういうつもり!?」
と私とルーク様に詰る。私達が何を言っても自分の都合のいいように話を改変する相手に何を言っても意味が無いので黙っていると、導師イオンが庇ってくださる。
「待ってください。お二人は一人で森に入る僕を心配して着いてきてくださっただけです。それよりも貴方は一体誰ですか?信託の盾騎士団の兵士のようですが...」
導師がお尋ねになると、女は声色を高くし媚びるように答えた。
「そうだったのですね!私はモース大詠師旗下情報部第一小隊所属ティア・グランツ響長であります」
「貴方がヴァンの妹ですか!」
「「ヴァン師匠(グランツ謠将)の妹ぉ!?」」
まさかの新事実に私とルーク様の声が重なる。
「じゃあヴァン師匠を殺すとか殺さないとかあれは何だったんだよ!?!?」
「殺す...?」
困惑するルーク様の物騒な内容の叫びに導師が反応する。女は「何でもありません!」と導師に弁明しながらルーク様を睨みつける。私も何が何だかの状況で頭が停止していた。そんなカオスな状況の中、草むらから突然ぴょこんと何かが跳び出した。
「チーグルです!」
と言う導師の言葉に私とルーク様は「あれが?」と思わずまじまじ見る。聖獣というからもっと勇ましく神々しい姿を想像していたのだが、どちらかといえば可愛らしく人畜無害そうな小動物だった。私達に驚いたのか、チーグルは素早い動きで森の奥へと逃げていってしまった。
「あ、待て!」とルーク様が走り出して追い掛けてしまったので私も慌ててその後を追った。結局、女の話は有耶無耶になってしまうのだった。
チーグルを追って森を進むと、川の中央にひと際大きな木が聳え立っていた。木には大きな虚があり、その前にはリンゴが幾つか落ちていた。導師がリンゴを拾って確認すると、リンゴにはエンゲーブの焼印が着いていた。どうやら泥棒の犯人はチーグルで違いないらしい。チーグルの巣であるらしい木の虚の中に導師は躊躇なく入っていく。私とルーク様と、ついでにグランツ謠将の妹だという女も続いて入るのだった。
虚の中は陽の光が少なく薄暗かったが、かなりの広さがあるようで中には数十匹のチーグル達がいた。みゅーみゅー鳴く姿は可愛らしいが、如何せん数が多いため可愛いよりも喧しいが勝つ。ルーク様はうぜぇーと辟易し、女は頬を赤く染めながらうっとりとチーグルを眺めていた。
私達の行方を阻むように群がるチーグル達に導師が道を開けるよう頼む。すると群れの奥から一匹の年老いたチーグルが群れに向かって何事か語りかけた。その声に従ったのかチーグルの群れは左右に分かれ、年老いたチーグルの前まで進む道ができた。
「...ユリア・ジュエの縁者か?」
年老いたチーグルの前まで進むと向こうから人間の言葉で語りかけられた。
「おい!魔物が喋ったぞ!」
ルーク様が驚かれる。私もまさかチーグルが人間の言葉を話せるとは思っていなかったので吃驚した。導師の話では、年老いたチーグル(チーグル族の長らしい)が持っているソーサラーリングの力で人と会話をする事ができるのだそうだ。
導師は当初の目的である食料泥棒の件について長老に尋ねた。長老の話では、子どものチーグルが北の森で火事を起こしてしまい、その結果森に住んでいたライガの住処を燃やしてしまったそうだ。当然ライガは怒り、住処を燃やしたチーグル達を餌とする為にこの森に移り住んだ。仲間を喰われないようにする為に、チーグル達は村から食料を盗み定期的にライガに食料を届けていたらしい。
この話を聞いて導師や女はチーグルを哀れんでいたが、私としては自業自得としか思えない。ルーク様も「住処を燃やされたんだ。怒って当然だろ」とライガの方の肩を持たれた。
「確かにそうかも知れませんが、本来の食物連鎖の正しい形とは思えません」
そう導師はおっしゃるが、先にその食物連鎖を壊したのはチーグルなのだ。それに下手に自然界の事に人間が介入する方が余計に生態系を壊してしまう。
しかし導師にはチーグル達を救うという選択肢以外は無いようだった。「ライガと交渉しましょう」と宣言する導師を止めることはできず、私達は火事を起こした犯人だという子どものチーグルを案内係にライガの住処に向かうことになった。
チーグルの住処を出た所で、近くに落ちていたエンゲーブ産のリンゴが目に入り私はふと疑問に思う。
「そういえば...ライガは肉食の魔物でしたよね?どうしてリンゴや他の食料まで盗んでいるんですか?」
私の疑問にルーク様も確かにと同意する。
「そっか、ライガに届けるんなら肉だけ盗めばいいもんな。おい、ブタザル!何で野菜や果物まで盗んでんだ!」
子どものチーグル(ミュウというらしい)の耳を左右に引っ張りながらルーク様が問い詰める。ミュウはみゅーみゅー鳴きながら「ごめんなさいですの!ごめんなさいですの!」と謝るばかりで理由を言わない。「やめなさい!ミュウが可哀想よ!」という女の言葉にルーク様が耳を貸す訳が無いので、代わりに私がルーク様をお止めしてミュウに訳を聞き直した。
「みゅう〜...。ライガさん達がこの森にやってきて、仲間達みんなお外を歩くのが怖くなっちゃったんですの...。だから餌を探しに行くことができなくなっちゃったんですの...。」
既に何匹かのチーグルは喰われているらしく、チーグル達がライガを恐れるのも無理はない。だからといって、更に盗みを働くことを容認する事はできない。
「こうなったのは全部お前の自業自得だろ!ライガの所為にしてんじゃねぇよ!!」
「みゅうぅぅ...ごめんなさいですの...」
ルーク様の叱責に耳をぺしょんと下げて落ち込む姿は可哀想だが、これはミュウが背負うべき罪なので慰めることはしなかった。女は相変わらずルーク様に怒鳴り散らし、ミュウを庇い慰めるのだった。
ミュウの案内でとうとうライガの住処までやって来たが、ライガは想像以上に大きく迫力のある魔物だった。それもそのはずで、彼女はライガの女王であるらしかった。こんな魔物と戦闘になったらとても無事では済まない。何としてもルーク様だけはお守りしなければと気を引き締める。導師は交渉すると言っていたがどのように交渉するのだろうか。
導師はミュウに「ミュウ、ライガクイーンと話をしてください」と言うとミュウをライガの女王の前に突き出した。え、ミュウに丸投げ!?と思っていると、案の定女王が怒って咆哮を上げミュウが吹き飛んだ。ルーク様が被っていたマントも吹き上げられて御髪が露わになる。被害者の前に放火犯を差し出すなんて怒られて当然だろう。しかも女王の気が立っているのはその所為だけではなかった。
「卵が孵化するところだから来るな、って言ってるですの...」
ミュウが目を回しながら伝えた内容はかなり宜しくないものだった。
「不味いわ!卵を守るライガは凶暴性を増してるいはずよ!」
同意するのは不本意だが女の言葉は確かに正しい。このままでは女王とまともに話し合うことはできないかもしれない。
「じゃあ、出直すっていうのか?」
「ですが卵が孵れば、生まれた子供たちは食糧を求めて町に大挙するでしょう」
ルーク様の質問に、導師はこのままライガを放置すれば近くの村人達が襲われてしまうと答える。人里近くにいるライガは繁殖期前に狩り尽くすのが普通だと女は説明した。では一体どうすれば良いのだと頭を悩ませていると、導師はミュウに「彼らにこの土地から立ち去るように言ってくれませんか?」と頼む。
「導師!それはちょっと」
待ってください、と言う前にミュウが女王に話してしまった。女王はわざわざ訳されなくても分かるほど怒り狂っていた。導師の言っていることは交渉でも何でもなく、ただの一方的な要求だ。何の見返りもなしに、被害者にここから出て行けといえばライガでなくても怒るだろう。
女王の怒りの咆哮で飛ばされた岩の欠片をルーク様が剣で捌く。まさに一触即発の危機的状況だが、戦闘だけは避けたい。ルーク様にお怪我をさせないのは勿論、導師イオンの身にもしもの事があれば世界中が大混乱である。私は震える足を叱責し、ミュウに通訳を頼んで前に出る。
「御前を失礼致します。私はマリアと申します。この度はチーグルと我らの連れが多大なご迷惑をおかけ致しまして大変申し訳御座いませんでした」
女王の前で膝を折り、誠心誠意心を込めて謝罪する。導師を貶す言葉を吐いてしまったが命が掛かっているのだ、許してほしい。私の誠実な態度に少し気を鎮めたのか、「グルル...」と唸りながらも女王は話を聞く態勢に入った。
「本日、私達がこの場にやって来たのは畏れ多くも女王様にお願いしたいことがあったからです」
みゅうみゅうとミュウが私の言葉を訳し、女王はミュウを通じて「言ってみろ」と答える。
「それでは申し上げます。...チーグル達がこの森を女王様に明け渡す代わりに、チーグル達を許してやってほしいのです」
私の言葉に後ろに居た三人は「はぁ!?」と声が上げる。ミュウも驚きつつも通訳を続ける。
「この森は自然豊かで食糧も豊富です。この森ならばチーグルが居なくなってもライガの皆様が食べる分の食糧は充分にある筈です」
後ろから「何を勝手なことを言ってるの!」という女の叫びが聞こえるが無視する。元々はチーグルがライガの住処を燃やした事がこの騒動の原因なのだ。住処を奪ってしまったのだから、代わりとして自分達の住処を手放すのはチーグル達が受けるべき当然の罰である。女王は私の真意を探ろうと、私の目をじっと見つめる。それに負けじと私もじっと女王の瞳を見つめ返した。
どれくらい見つめあったのか、張り詰めていた空気の中、先に言葉を発したのは女王だった。
「我らがこの森に住み着けば、人間達は我らを退治しに来るのでは?」
女王がミュウを通じて尋ねる。「恐らくそうなりましょう」と私も答える。
「ですので人間達に見つからないよう、御子が生まれても人里には近付かないと女王様にお約束して頂きたいのです。そうすれば、この森にライガが住んでいることを知っているのは私達だけです」
暗に私達は黙っているので人に害を成すことはしないでほしいとお願いする。女王は暫く悩んでいたが、憎きチーグル達が居なくなるならと条件を呑んでくれた。
何とか交渉が成立し、私はホッと肩の力を抜いた。ルーク様が駆け寄り笑顔で「良くやったな!」とお褒めの言葉をくださる。安堵に満たされて私も顔を綻ばせながら「はい!」と答えた時、それは起こった。
ライガの女王の足元に魔法陣が広がったと思った瞬間、巨大な雷の剣が女王を貫いた。突然の譜術に反応する事ができず、私とルーク様は術の発動が終わるまでただ呆然と見つめることしかできなかった。
「困りますねぇ、勝手に村の近くにライガが住み着かれては...」
やれやれと肩を竦めながらゆったりとした足取りで導師の近くへと歩み寄る男は、にかやかな表情とは裏腹に底冷えするような冷たい目をしていた。ライガの女王は既に虫の息で、私とルーク様が必死にライフボトルやレモングミ、治癒術を施したが、努力は虚しく女王は息を引き取った。
導師は困惑と非難を含んだ声色で「ジェイド!」と男の名を呼んだが、男は気にした風もなく飄々とした様子で誰かを呼び寄せた。
「アニース、ちょっとよろしいですか?」
すると草むらから昨日宿屋で会ったローレライ教団の少女が姿を現した。
「はぁーい大佐♡」
アニスと呼ばれた少女は猫なで声で男の側まで駆け寄ると、男から何かを耳打ちされる。それに了解の意を示すと、少女は再び出てきた方向へと走り去っていった。
男は青い軍服に身を包み、大佐と呼ばれていた事から恐らくマルクトの軍人であろうと窺える。しかし、マルクトの軍人とローレライ教団の導師が何故共に居るのかが分からなかった。
こちらとしてはルーク様の正体がバレる前に彼らと距離を置きたいが、今すぐ彼らの前から逃げ出すのは不自然である。逃げ出せば不審に思われ捕えられる可能性がある。その上、ルーク様は先程の女王の咆哮でマントが脱げ、御髪が露わになっている。もしかしたら既に正体がバレてしまっているかもしれない。
警戒している私とルーク様を気にする様子もなく、男は悠々とした足取りでこちらに近付いてきた。そのまま私達の真横を通り過ぎると、男はライガの卵の前に立ち止まった。いち早く男の意図を理解したルーク様は男と卵の間に割り込むと、男が何処からか取り出した槍を剣で塞いだ。
「おやおや、邪魔をしないでいただけますか?」
相変わらずにこやかな笑みを浮かべながら男は言う。しかしその声色には、ルーク様を小馬鹿にしたような嘲りの色が混じっていた。男の嘲笑と行動にルーク様は激怒なさる。
「テメェ!今何しようとしやがった!!」
「おや、見て分かりませんでしたか?ライガの駆除をしているのですよ」
何を当たり前のことを?とでも言うように男が話す。
「だから何でライガを殺す必要があったんだよ!!ライガの女王は人間には手出ししないって約束したじゃねぇか!!」
ルーク様が悲痛な声で叫ぶ。しかし目の前の男には何も響かなかった。
「魔物の言う事など信用できません。それに、もし見逃して人に被害が出た場合、貴方はどう責任を負うつもりですか?」
男の言葉にルーク様が押し黙る。確かに男の言っていることは正しい。しかし、ライガの女王と実際に話した私には、ライガの女王が嘘をついているようには思えなかった。彼女は魔物ではあったが、他の魔物とは違い知性のある瞳をしていた。ライガが人間達にとってどのような存在であるか十分に理解し、自分達にとっての最善を選択した。あのマルクト軍人さえ来なければライガの女王が死ぬことはなかったのにと、私は無力さと虚しさを感じた。
男が再び卵を壊そうと槍を構える。しかしルーク様も卵を背に庇い引こうとはしない。
「これ以上邪魔をするつもりなら、こちらも容赦はしませんよ」
男が笑みを消して告げる。温度のない声には恐ろしい程の威圧感があり、全身に重りをつけたようなプレッシャーを感じた。ルーク様のお体も恐怖で震えていらっしゃったが、それでも瞳はキッと男の顔を見つめ、男と対峙していた。
永遠にも感じた重苦しい空気を断ち切ったのは導師の声だった。
「ジェイド、どうかそこまでにして下さい」
導師の呼びかけに男は軽く嘆息しながらルーク様の前から離れた。ルーク様は力が抜けたように地面に座り込まれた。慌ててルーク様の元へ行き、ルーク様にお怪我が無いか確認した。私は初めて感じた殺気に怯んでルーク様をお守りできず情けなさでいっぱいだった。
ルーク様は卵の無事を確認すると、纏っていたマントで卵を包み込み割れないよう大事に抱きかかえた。予想外のルーク様の行動に思わず尋ねる。
「ルーク様、卵をどうなさるおつもりですか…?」
「どうもこうも、こんな所に置いといたらまたマルクトの奴らに壊されるかもしれないだろ!」
ルーク様の言う事も理解できる。今ここであのジェイドという男を退けたとしても、彼が部下や近くに駐留しているマルクト軍に指示を出し、卵を駆除しに来るかもしれない。
「だからといって持って帰るのは流石に...」
「あーうるせぇ!何も聞こえねぇ!!」
卵を抱えたままルーク様は私の言葉に聞く耳を持たずそっぽを向く。ライガの卵を街中に持ち込む訳にはいかないし、生まれたらルーク様が襲われてしまうかもしれない。かといって見捨てるのは目の前でみすみす母親を死なせてしまった負い目があり忍びない。どのみち、ルーク様はこうと言ったら聞かない方なので、生まれた時のことは生まれてから考えようと私も投げやりになってしまった。
「ルーク、ライガの卵を守ってくださってありがとうございます」
導師がルーク様に近付き礼を述べる。
「な!?べ、別にお前に礼を言われるような筋合いはねぇよ!」
ルーク様が照れながら導師の言葉に返す。ルーク様のご様子に導師もにこりと微笑み言葉を重ねる。
「元々は僕がライガと取り引きするよう言い出したんです。それなのに結局僕は何もできず、お二人にご迷惑をお掛けしてしまいました。ルーク、マリア、ありがとうございました」
導師が深々と頭を下げてお礼をするのを慌てて止めて、私達一行はチーグルの長老に結果を報告しに向かうのだった。
チーグルの長老に事の顛末を伝えると、長老はミュウを森から追放し、季節が一巡りする間ルーク様に仕えることを罰として課した。足元をちょこちょこ動き回るミュウをルーク様は鬱陶しがられ、グランツ謡将の妹は羨ましそうにそれを見ていた。
戦闘中は邪魔になるからと、ライガの卵は私が預かり一行は森の出口を目指し歩いた。ライガの卵を守り持ち帰るのを「優しいのね、それとも甘いのかしら?」と嫌味たっぷりに女は言ってきたが、私もルーク様も無視して歩く。マルクトの軍人もやれやれというような仕草をしていたが、そちらも無視して歩いた。
そんなギスギスしたパーティであったが、流石大佐と言うべきか圧倒的戦力の加入により私達は森の入口まで楽に帰ることができたのだった。
しかし、森の入口ではマルクト軍が私達を待ち構えていた。「おかえりなさぁ〜い♡」と言う信託の盾の少女の出迎えで緊張感が霧散しかけるが、「そこの三人を捕らえなさい!」と言うジェイドの声に引き戻される。抵抗しようにも相手は軍人であり、人数も向こうの方が多く分が悪い。私達はなす術もなく捕えられ、マルクトの戦艦タルタロスへと連行されるのだった。
村の北側の見晴らしの良い平原で魔物と戦闘をしていると、ルーク様が子どもが一人で森の中に入っていくのを見つけた。一人で森に行くなんて危険だとご心配されたルーク様が子どもを追いかけなさるので、私もその後に続くしかなかった。
森の入口では、ルーク様が見かけた子どもが数匹のウルフに囲まれていた。魔物は今まさに子どもに襲いかかろうとしているところで間に入るには間に合わない。最悪の事態が起こるのではと思った瞬間、子どもは見たこともない譜術を使い、周りにいたウルフ達は全て倒されてしまった。ホッと胸を撫で下ろした瞬間、魔物を倒した子どもは力が抜けたように倒れてしまった。私とルーク様は慌てて子どもに駆け寄った。
子どもは中性的な面立ちだがどうやら男の子のようで、その細腕から先程の凄い譜術を放ったとは到底思えぬような華奢な体つきだった。見たところ外傷はなく、先程使った術の影響で倒れてしまったようだ。とても強力な譜術だったので術者にも負担がかかるのかもしれない。
「おい!大丈夫か!?」
助け起こしながらルーク様が男の子の無事を確認される。彼はふらつきながらもルーク様の助けを借りて立ち上がった。
「ご心配をお掛けしてしまってすみません...。助けて頂きありがとうございました」
心底申し訳ないという風に彼は頭を下げる。
「俺達は別に何にもしてねぇけどよ…。それよりお前、こんな所に一人でやって来て何してんだ?危ねぇだろ!」
ルーク様が少し怒りながらに問う。本当にこの子は何をしていたのだろう。それに見たところ、この子が着ている服はローレライ教団の教団服のようだった。
「はい、実はこの近くの村のエンゲーブで食料泥棒の騒ぎが起きているのですが、どうやら犯人がこの森に住むローレライ教団の聖獣チーグルのようなので教団関係者として調査しようかと...」
チーグルといえばローレライ教団が聖獣と指定している草食の魔物だったなと思い出す。盗みを働くなど聖獣ではなく害獣と改めるべきでは?確かにローレライ教団としては放っておけない事件だろう。
「それなら、わざわざ一人で調査に来なくても良かったのでは?」
エンゲーブにはもう一人ローレライ教団の軍服を着た少女がいた。導師イオンの連れのようなので、もしかするともっと沢山の教団員がエンゲーブには来ていたのかもしれない。こんな所に導師が何の用で来ているのかは知らないが、導師に報告すれば調査するための人員を割いてくれたのではないだろうか?
「実は...僕はあまり自由に行動することができないのです。だからこっそりと抜け出して来たんです」
少し悲しげな顔をしながら彼は答えた。自由に行動できないのは不憫に思うが、しかしそれよりも子どもが一人でこんな所にいることを黙認する事はできない。
「だからといって、一人で森を進むのは危険です。一緒に村へ戻りましょう?」
「申し訳ありませんがそれはできません。チーグルが食料を盗んだ犯人ならば、僕は導師としてこの事件に責任を持たなければなりません!」
そう彼は私の提案をキッパリと断った。いや、それ以上に聞き捨てならない単語が聞こえた。
「ど、導師...?」
「お前、まさか...!導師イオンなのか...!?」
動揺する私達に気付いているのかいないのか彼はあっさりと肯定する。
「はい、僕はローレライ教団の導師イオンと申します」
穏やかな微笑みを浮かべ名乗る彼とは裏腹に、私の頭からはサアッと血の気が引いていった。
「導師イオンとは気が付かず、大変無礼を申し上げました!どうかお許しください!」
私は土下座しようと地に膝をつけるが、導師がアワアワしながら止めに入り、それでも真っ青な顔で地面に額を付けようとする私を見かねたルーク様が止めたことでその場は収まった。
結局、村に戻らず調査を続行するという導師の意志は強く、このまま導師をお一人にする訳にはいかずルーク様が導師の護衛を買って出た。
「そういえば、お二人のお名前をお伺いしてもいいですか?」
導師に尋ねられてそういえば名前を名乗っていなかったことに思い至る。
「俺はルーク。こっちはマリア、俺のメイドだ。訳あって旅することになったんだ」
家名を伏せ当たり障りの無いようにルーク様が答える。彼が導師と分かってからは私がおいそれと話しかけられる相手ではないので、必要以上に会話に参加しないようにしようと決意していた。しかしそんな決意も、叱られた子犬のようにシュンとした様子で導師に見つめられるとあっさりと揺るがされるのであった。
森を少し進んだところで、後ろから誰かが近づいてくる気配があった。私とルーク様は警戒し導師を背後に隠して様子を窺うと、あの賊の女が姿を現した。またコイツか...とルーク様と二人揃ってうんざりしていると、私達を見つけた女がキーキーと喚き始めた。
「あなた達!勝手に出歩かないでちょうだい!村中探し回ったんだから!!」
誰も探してくれなんて頼んでないのだが…。ルーク様も相手をするのが面倒なのか目すら合わせようとしない。すると導師が後ろから身を乗りだし女の姿を視界に収める。
「貴方は…?」
不思議そうに尋ねる導師の姿を目に入れ、女は「導師イオン!!」と大声で驚く。そしてズンズンと私達に近づくと、
「あなた達!導師イオンをこんな所に連れ出すなんてどういうつもり!?」
と私とルーク様に詰る。私達が何を言っても自分の都合のいいように話を改変する相手に何を言っても意味が無いので黙っていると、導師イオンが庇ってくださる。
「待ってください。お二人は一人で森に入る僕を心配して着いてきてくださっただけです。それよりも貴方は一体誰ですか?信託の盾騎士団の兵士のようですが...」
導師がお尋ねになると、女は声色を高くし媚びるように答えた。
「そうだったのですね!私はモース大詠師旗下情報部第一小隊所属ティア・グランツ響長であります」
「貴方がヴァンの妹ですか!」
「「ヴァン師匠(グランツ謠将)の妹ぉ!?」」
まさかの新事実に私とルーク様の声が重なる。
「じゃあヴァン師匠を殺すとか殺さないとかあれは何だったんだよ!?!?」
「殺す...?」
困惑するルーク様の物騒な内容の叫びに導師が反応する。女は「何でもありません!」と導師に弁明しながらルーク様を睨みつける。私も何が何だかの状況で頭が停止していた。そんなカオスな状況の中、草むらから突然ぴょこんと何かが跳び出した。
「チーグルです!」
と言う導師の言葉に私とルーク様は「あれが?」と思わずまじまじ見る。聖獣というからもっと勇ましく神々しい姿を想像していたのだが、どちらかといえば可愛らしく人畜無害そうな小動物だった。私達に驚いたのか、チーグルは素早い動きで森の奥へと逃げていってしまった。
「あ、待て!」とルーク様が走り出して追い掛けてしまったので私も慌ててその後を追った。結局、女の話は有耶無耶になってしまうのだった。
チーグルを追って森を進むと、川の中央にひと際大きな木が聳え立っていた。木には大きな虚があり、その前にはリンゴが幾つか落ちていた。導師がリンゴを拾って確認すると、リンゴにはエンゲーブの焼印が着いていた。どうやら泥棒の犯人はチーグルで違いないらしい。チーグルの巣であるらしい木の虚の中に導師は躊躇なく入っていく。私とルーク様と、ついでにグランツ謠将の妹だという女も続いて入るのだった。
虚の中は陽の光が少なく薄暗かったが、かなりの広さがあるようで中には数十匹のチーグル達がいた。みゅーみゅー鳴く姿は可愛らしいが、如何せん数が多いため可愛いよりも喧しいが勝つ。ルーク様はうぜぇーと辟易し、女は頬を赤く染めながらうっとりとチーグルを眺めていた。
私達の行方を阻むように群がるチーグル達に導師が道を開けるよう頼む。すると群れの奥から一匹の年老いたチーグルが群れに向かって何事か語りかけた。その声に従ったのかチーグルの群れは左右に分かれ、年老いたチーグルの前まで進む道ができた。
「...ユリア・ジュエの縁者か?」
年老いたチーグルの前まで進むと向こうから人間の言葉で語りかけられた。
「おい!魔物が喋ったぞ!」
ルーク様が驚かれる。私もまさかチーグルが人間の言葉を話せるとは思っていなかったので吃驚した。導師の話では、年老いたチーグル(チーグル族の長らしい)が持っているソーサラーリングの力で人と会話をする事ができるのだそうだ。
導師は当初の目的である食料泥棒の件について長老に尋ねた。長老の話では、子どものチーグルが北の森で火事を起こしてしまい、その結果森に住んでいたライガの住処を燃やしてしまったそうだ。当然ライガは怒り、住処を燃やしたチーグル達を餌とする為にこの森に移り住んだ。仲間を喰われないようにする為に、チーグル達は村から食料を盗み定期的にライガに食料を届けていたらしい。
この話を聞いて導師や女はチーグルを哀れんでいたが、私としては自業自得としか思えない。ルーク様も「住処を燃やされたんだ。怒って当然だろ」とライガの方の肩を持たれた。
「確かにそうかも知れませんが、本来の食物連鎖の正しい形とは思えません」
そう導師はおっしゃるが、先にその食物連鎖を壊したのはチーグルなのだ。それに下手に自然界の事に人間が介入する方が余計に生態系を壊してしまう。
しかし導師にはチーグル達を救うという選択肢以外は無いようだった。「ライガと交渉しましょう」と宣言する導師を止めることはできず、私達は火事を起こした犯人だという子どものチーグルを案内係にライガの住処に向かうことになった。
チーグルの住処を出た所で、近くに落ちていたエンゲーブ産のリンゴが目に入り私はふと疑問に思う。
「そういえば...ライガは肉食の魔物でしたよね?どうしてリンゴや他の食料まで盗んでいるんですか?」
私の疑問にルーク様も確かにと同意する。
「そっか、ライガに届けるんなら肉だけ盗めばいいもんな。おい、ブタザル!何で野菜や果物まで盗んでんだ!」
子どものチーグル(ミュウというらしい)の耳を左右に引っ張りながらルーク様が問い詰める。ミュウはみゅーみゅー鳴きながら「ごめんなさいですの!ごめんなさいですの!」と謝るばかりで理由を言わない。「やめなさい!ミュウが可哀想よ!」という女の言葉にルーク様が耳を貸す訳が無いので、代わりに私がルーク様をお止めしてミュウに訳を聞き直した。
「みゅう〜...。ライガさん達がこの森にやってきて、仲間達みんなお外を歩くのが怖くなっちゃったんですの...。だから餌を探しに行くことができなくなっちゃったんですの...。」
既に何匹かのチーグルは喰われているらしく、チーグル達がライガを恐れるのも無理はない。だからといって、更に盗みを働くことを容認する事はできない。
「こうなったのは全部お前の自業自得だろ!ライガの所為にしてんじゃねぇよ!!」
「みゅうぅぅ...ごめんなさいですの...」
ルーク様の叱責に耳をぺしょんと下げて落ち込む姿は可哀想だが、これはミュウが背負うべき罪なので慰めることはしなかった。女は相変わらずルーク様に怒鳴り散らし、ミュウを庇い慰めるのだった。
ミュウの案内でとうとうライガの住処までやって来たが、ライガは想像以上に大きく迫力のある魔物だった。それもそのはずで、彼女はライガの女王であるらしかった。こんな魔物と戦闘になったらとても無事では済まない。何としてもルーク様だけはお守りしなければと気を引き締める。導師は交渉すると言っていたがどのように交渉するのだろうか。
導師はミュウに「ミュウ、ライガクイーンと話をしてください」と言うとミュウをライガの女王の前に突き出した。え、ミュウに丸投げ!?と思っていると、案の定女王が怒って咆哮を上げミュウが吹き飛んだ。ルーク様が被っていたマントも吹き上げられて御髪が露わになる。被害者の前に放火犯を差し出すなんて怒られて当然だろう。しかも女王の気が立っているのはその所為だけではなかった。
「卵が孵化するところだから来るな、って言ってるですの...」
ミュウが目を回しながら伝えた内容はかなり宜しくないものだった。
「不味いわ!卵を守るライガは凶暴性を増してるいはずよ!」
同意するのは不本意だが女の言葉は確かに正しい。このままでは女王とまともに話し合うことはできないかもしれない。
「じゃあ、出直すっていうのか?」
「ですが卵が孵れば、生まれた子供たちは食糧を求めて町に大挙するでしょう」
ルーク様の質問に、導師はこのままライガを放置すれば近くの村人達が襲われてしまうと答える。人里近くにいるライガは繁殖期前に狩り尽くすのが普通だと女は説明した。では一体どうすれば良いのだと頭を悩ませていると、導師はミュウに「彼らにこの土地から立ち去るように言ってくれませんか?」と頼む。
「導師!それはちょっと」
待ってください、と言う前にミュウが女王に話してしまった。女王はわざわざ訳されなくても分かるほど怒り狂っていた。導師の言っていることは交渉でも何でもなく、ただの一方的な要求だ。何の見返りもなしに、被害者にここから出て行けといえばライガでなくても怒るだろう。
女王の怒りの咆哮で飛ばされた岩の欠片をルーク様が剣で捌く。まさに一触即発の危機的状況だが、戦闘だけは避けたい。ルーク様にお怪我をさせないのは勿論、導師イオンの身にもしもの事があれば世界中が大混乱である。私は震える足を叱責し、ミュウに通訳を頼んで前に出る。
「御前を失礼致します。私はマリアと申します。この度はチーグルと我らの連れが多大なご迷惑をおかけ致しまして大変申し訳御座いませんでした」
女王の前で膝を折り、誠心誠意心を込めて謝罪する。導師を貶す言葉を吐いてしまったが命が掛かっているのだ、許してほしい。私の誠実な態度に少し気を鎮めたのか、「グルル...」と唸りながらも女王は話を聞く態勢に入った。
「本日、私達がこの場にやって来たのは畏れ多くも女王様にお願いしたいことがあったからです」
みゅうみゅうとミュウが私の言葉を訳し、女王はミュウを通じて「言ってみろ」と答える。
「それでは申し上げます。...チーグル達がこの森を女王様に明け渡す代わりに、チーグル達を許してやってほしいのです」
私の言葉に後ろに居た三人は「はぁ!?」と声が上げる。ミュウも驚きつつも通訳を続ける。
「この森は自然豊かで食糧も豊富です。この森ならばチーグルが居なくなってもライガの皆様が食べる分の食糧は充分にある筈です」
後ろから「何を勝手なことを言ってるの!」という女の叫びが聞こえるが無視する。元々はチーグルがライガの住処を燃やした事がこの騒動の原因なのだ。住処を奪ってしまったのだから、代わりとして自分達の住処を手放すのはチーグル達が受けるべき当然の罰である。女王は私の真意を探ろうと、私の目をじっと見つめる。それに負けじと私もじっと女王の瞳を見つめ返した。
どれくらい見つめあったのか、張り詰めていた空気の中、先に言葉を発したのは女王だった。
「我らがこの森に住み着けば、人間達は我らを退治しに来るのでは?」
女王がミュウを通じて尋ねる。「恐らくそうなりましょう」と私も答える。
「ですので人間達に見つからないよう、御子が生まれても人里には近付かないと女王様にお約束して頂きたいのです。そうすれば、この森にライガが住んでいることを知っているのは私達だけです」
暗に私達は黙っているので人に害を成すことはしないでほしいとお願いする。女王は暫く悩んでいたが、憎きチーグル達が居なくなるならと条件を呑んでくれた。
何とか交渉が成立し、私はホッと肩の力を抜いた。ルーク様が駆け寄り笑顔で「良くやったな!」とお褒めの言葉をくださる。安堵に満たされて私も顔を綻ばせながら「はい!」と答えた時、それは起こった。
ライガの女王の足元に魔法陣が広がったと思った瞬間、巨大な雷の剣が女王を貫いた。突然の譜術に反応する事ができず、私とルーク様は術の発動が終わるまでただ呆然と見つめることしかできなかった。
「困りますねぇ、勝手に村の近くにライガが住み着かれては...」
やれやれと肩を竦めながらゆったりとした足取りで導師の近くへと歩み寄る男は、にかやかな表情とは裏腹に底冷えするような冷たい目をしていた。ライガの女王は既に虫の息で、私とルーク様が必死にライフボトルやレモングミ、治癒術を施したが、努力は虚しく女王は息を引き取った。
導師は困惑と非難を含んだ声色で「ジェイド!」と男の名を呼んだが、男は気にした風もなく飄々とした様子で誰かを呼び寄せた。
「アニース、ちょっとよろしいですか?」
すると草むらから昨日宿屋で会ったローレライ教団の少女が姿を現した。
「はぁーい大佐♡」
アニスと呼ばれた少女は猫なで声で男の側まで駆け寄ると、男から何かを耳打ちされる。それに了解の意を示すと、少女は再び出てきた方向へと走り去っていった。
男は青い軍服に身を包み、大佐と呼ばれていた事から恐らくマルクトの軍人であろうと窺える。しかし、マルクトの軍人とローレライ教団の導師が何故共に居るのかが分からなかった。
こちらとしてはルーク様の正体がバレる前に彼らと距離を置きたいが、今すぐ彼らの前から逃げ出すのは不自然である。逃げ出せば不審に思われ捕えられる可能性がある。その上、ルーク様は先程の女王の咆哮でマントが脱げ、御髪が露わになっている。もしかしたら既に正体がバレてしまっているかもしれない。
警戒している私とルーク様を気にする様子もなく、男は悠々とした足取りでこちらに近付いてきた。そのまま私達の真横を通り過ぎると、男はライガの卵の前に立ち止まった。いち早く男の意図を理解したルーク様は男と卵の間に割り込むと、男が何処からか取り出した槍を剣で塞いだ。
「おやおや、邪魔をしないでいただけますか?」
相変わらずにこやかな笑みを浮かべながら男は言う。しかしその声色には、ルーク様を小馬鹿にしたような嘲りの色が混じっていた。男の嘲笑と行動にルーク様は激怒なさる。
「テメェ!今何しようとしやがった!!」
「おや、見て分かりませんでしたか?ライガの駆除をしているのですよ」
何を当たり前のことを?とでも言うように男が話す。
「だから何でライガを殺す必要があったんだよ!!ライガの女王は人間には手出ししないって約束したじゃねぇか!!」
ルーク様が悲痛な声で叫ぶ。しかし目の前の男には何も響かなかった。
「魔物の言う事など信用できません。それに、もし見逃して人に被害が出た場合、貴方はどう責任を負うつもりですか?」
男の言葉にルーク様が押し黙る。確かに男の言っていることは正しい。しかし、ライガの女王と実際に話した私には、ライガの女王が嘘をついているようには思えなかった。彼女は魔物ではあったが、他の魔物とは違い知性のある瞳をしていた。ライガが人間達にとってどのような存在であるか十分に理解し、自分達にとっての最善を選択した。あのマルクト軍人さえ来なければライガの女王が死ぬことはなかったのにと、私は無力さと虚しさを感じた。
男が再び卵を壊そうと槍を構える。しかしルーク様も卵を背に庇い引こうとはしない。
「これ以上邪魔をするつもりなら、こちらも容赦はしませんよ」
男が笑みを消して告げる。温度のない声には恐ろしい程の威圧感があり、全身に重りをつけたようなプレッシャーを感じた。ルーク様のお体も恐怖で震えていらっしゃったが、それでも瞳はキッと男の顔を見つめ、男と対峙していた。
永遠にも感じた重苦しい空気を断ち切ったのは導師の声だった。
「ジェイド、どうかそこまでにして下さい」
導師の呼びかけに男は軽く嘆息しながらルーク様の前から離れた。ルーク様は力が抜けたように地面に座り込まれた。慌ててルーク様の元へ行き、ルーク様にお怪我が無いか確認した。私は初めて感じた殺気に怯んでルーク様をお守りできず情けなさでいっぱいだった。
ルーク様は卵の無事を確認すると、纏っていたマントで卵を包み込み割れないよう大事に抱きかかえた。予想外のルーク様の行動に思わず尋ねる。
「ルーク様、卵をどうなさるおつもりですか…?」
「どうもこうも、こんな所に置いといたらまたマルクトの奴らに壊されるかもしれないだろ!」
ルーク様の言う事も理解できる。今ここであのジェイドという男を退けたとしても、彼が部下や近くに駐留しているマルクト軍に指示を出し、卵を駆除しに来るかもしれない。
「だからといって持って帰るのは流石に...」
「あーうるせぇ!何も聞こえねぇ!!」
卵を抱えたままルーク様は私の言葉に聞く耳を持たずそっぽを向く。ライガの卵を街中に持ち込む訳にはいかないし、生まれたらルーク様が襲われてしまうかもしれない。かといって見捨てるのは目の前でみすみす母親を死なせてしまった負い目があり忍びない。どのみち、ルーク様はこうと言ったら聞かない方なので、生まれた時のことは生まれてから考えようと私も投げやりになってしまった。
「ルーク、ライガの卵を守ってくださってありがとうございます」
導師がルーク様に近付き礼を述べる。
「な!?べ、別にお前に礼を言われるような筋合いはねぇよ!」
ルーク様が照れながら導師の言葉に返す。ルーク様のご様子に導師もにこりと微笑み言葉を重ねる。
「元々は僕がライガと取り引きするよう言い出したんです。それなのに結局僕は何もできず、お二人にご迷惑をお掛けしてしまいました。ルーク、マリア、ありがとうございました」
導師が深々と頭を下げてお礼をするのを慌てて止めて、私達一行はチーグルの長老に結果を報告しに向かうのだった。
チーグルの長老に事の顛末を伝えると、長老はミュウを森から追放し、季節が一巡りする間ルーク様に仕えることを罰として課した。足元をちょこちょこ動き回るミュウをルーク様は鬱陶しがられ、グランツ謡将の妹は羨ましそうにそれを見ていた。
戦闘中は邪魔になるからと、ライガの卵は私が預かり一行は森の出口を目指し歩いた。ライガの卵を守り持ち帰るのを「優しいのね、それとも甘いのかしら?」と嫌味たっぷりに女は言ってきたが、私もルーク様も無視して歩く。マルクトの軍人もやれやれというような仕草をしていたが、そちらも無視して歩いた。
そんなギスギスしたパーティであったが、流石大佐と言うべきか圧倒的戦力の加入により私達は森の入口まで楽に帰ることができたのだった。
しかし、森の入口ではマルクト軍が私達を待ち構えていた。「おかえりなさぁ〜い♡」と言う信託の盾の少女の出迎えで緊張感が霧散しかけるが、「そこの三人を捕らえなさい!」と言うジェイドの声に引き戻される。抵抗しようにも相手は軍人であり、人数も向こうの方が多く分が悪い。私達はなす術もなく捕えられ、マルクトの戦艦タルタロスへと連行されるのだった。