陽だまりのデュエット
さわさわと植物が風に揺られる音がする。少し肌寒さを感じ重たい瞼を持ち上げた。目を開いた先には満天の星空が広がっていた。視界の端では白い花の花弁が風に揺られている。綺麗だなぁと思いながらぼんやりと夜空を眺めていたが、徐々に意識がハッキリしてくると、なぜ自分がこんな所で寝転がっているのかを完全に思い出した。
ガバッと飛び起きて辺りを見回すと近くにルーク様と屋敷を襲撃した賊の女が倒れていた。そのすぐ先には谷を割った間から月光に照らされた海が淡く輝いているのが見えた。私は痛む身体に鞭打ってルーク様の近くに駆け寄ると、ルーク様と自分に治癒術をかけた。するとルーク様は小さな呻き声を出しながら目を覚まされた。
「大丈夫ですかルーク様?」
まだ覚醒しきっていないご様子のルーク様に声を掛ける。
「うぅ...マリア……?一体何が、、、って何処だよここ?!」
「シーーーッ!静かにしてくださいルーク様。あれをご覧ください」
大声で叫ぶルーク様の口を慌てて塞いで賊の女を指さす。私が指し示した方を見て、ルーク様は意識を失う直前のことを思い出されたようだ。
「俺達がこんな所にいるのはあいつの所為か…。てかホントに何処だよここ?何でこんなことになったんだ?」
小声でルーク様に尋ねられるが正直私も分からない。とりあえずもしやと思ったことを口に出してみる。
「私もよくはわかりませんが、もしかするとルーク様とあの賊との間で擬似超振動が発生したのかもしれません」
「擬似超振動か...。確か同じ振動数の音素同士がぶつかった時にあらゆるものが分解・再構築される現象が超振動だったな。擬似超振動は特殊な条件下で第七音譜術士同士が共鳴して起こるんだよな?てことはあの女は第七音譜術士ってことか」
記憶の中の知識を探りながらルーク様が言葉を紡ぐ。以前図書室でルーク様と共に読んだ本のことを思い出しながら答える。
「はい、恐らくそのようかと」
「はぁ〜〜〜ったく、とんだ面倒事に巻き込まれたもんだぜ」
やれやれという風に頭を振り倒れた女をルーク様はジロリと見やる。すると女が視線に気付いたのかただの偶然か、ぴくりと体を動かした。
慌てて身を隠せる場所を探したが、それよりも先に女の意識が覚醒した。キョロキョロと周りを見渡す女と私達二人の視線がバッチリと合う。お互い時間が止まったかのように身体が停止したが、先に動き出したのは女の方であった。
「あなた達、確かお屋敷にいた...」
そう言いながらこちらに近づいてくる女。もちろん私とルーク様は女から距離をとる。
「ちょっと!どうして離れるのよ!?」
私達の対応に声を荒げながら女が吠える。私は呆れながら問に答える。
「あなたが公爵家を襲撃した賊だからです」
ルーク様を守らなければと私は前に出て答える。後ろから不満気な視線を感じるが、継承権持ちの主人を賊の前に出す訳にはいかない。私よりもルーク様の方がずっとお強いのはわかっているが、公爵家に使える者としては例え死んでも主の盾にならなければ。
「違うわ誤解よ!私の目的はヴァンを討つことであなた達に危害を加える気はないわ!!」
冷ややかな視線を向ける私達に女は弁明するが、自分達を襲ってきた相手の言葉などこちらとしては信用できない。
「では何故グランツ謠将を襲ったのですか?」
「それは、多分あなた達に言っても理解できないわ」
あなた達には関係ないでしょ?とでも言いたげなトーンで女は言い放ち、襲撃の理由を話そうとしない。普通は被害者には平身低頭で事件の経緯を詳らかに説明すると思うのだが?
「ふざけるな!ヴァン師匠を殺そうとしたくせに理由も話さないような奴の言うことなんか信じられるか!」
ルーク様が吐き捨てる。敬愛する師を殺そうとしているのだ。そんな人物に私は無害ですと言われても信用できない。こちらを人質にとってグランツ謠将を殺すつもりかもしれない。そもそもグランツ謠将を襲撃するだけならわざわざ公爵邸で事を起こす必要はないのだ。警戒心を解こうとしない私達に諦めたのか、女は勝手に結論を出す。
「とにかく、こうなったのは私の責任だからあなた達は私が責任を持って屋敷まで送り届けます。その代わり足を引っ張らないで」
女の言葉に私とルーク様は思わず見つめ合う。何故こんなにもこの女は上から目線なのだろう。そして何故この女と共にいなければならないのだろうかと。こちらはお前が信用できないから一緒にいたくないのだと言葉でも態度でも示したはずだが...。あまりのことに二人揃って唖然としていたのだが、それが気に食わなかったのか女は「二人とも早く来なさい」と私達の方に振り向き叫んだ。
女の叫び声に引き寄せられたのか、草むらから猪型の魔物が姿を現した。街の外で騒げば魔物が寄ってくることくらい分かりそうなものなのに。残念なものを見る目でついつい女を見ていると、女は信じられないことを口に出した。
「さっさと構えなさいルーク」
「「えっ?」」
思わず声が重なる。すると何をさも当たり前のことをというように女が話し出す。
「あなたは剣を持っているでしょう?戦う力を持つものは子供でも戦うわ」
「何言ってるの!?ルーク様が手にしていらっしゃるのは木刀よ!それにルーク様は公爵家の御子息なのよ!魔物と戦うなんてそんな危険なことはさせられません!!」
滅茶苦茶な女の物言いに言葉が乱れるほど動揺してしまった。ルーク様のお名前を知っているということは、ルーク様のご身分も理解しているはず。だというのにルーク様に魔物と戦えなどと平然と宣うのは一体どういう頭の構造をしているのだろう。
「それに見たところあなたは信託の盾騎士団の兵士なのでしょう?軍人がいるのに何故態々ルーク様が戦わなければならないのですか!」
女の服装はローレライ教団を守護する信託の盾騎士団の物だと推測できた。果たしてあんなに露出度の高い軍服で戦闘ができるのかは甚だ疑問であったが素人よりは戦えるはず。しかし女の返答に僅かな期待は呆気なく消し飛んだ。
「私は音律士なの。前衛には不向きだわ」
なんでもない事のように言い放つ女に私の頭が停止する。この女は軍人の癖に民間人を自分の盾にするというのか。後衛職でも軍人は軍人だ。ましてや自分の行動で一般人を危険に晒しているのだから、死んでも守るくらい言うべきなのでは?呆れ果ててモノも言えずにいたが、魔物が動く気配を感じ現実に思考を戻す。
「チッ!とにかくコイツをどうにかするぞ!」
ルーク様が剣を構えて魔物に立ち向かう。武器も持たない私では前に出ても足を引っ張るだけなので、仕方なく以前本で読んだ譜術を思い出しながら唱えてみる。敵の攻撃力を下げる譜術なのだがどうやら上手くできたようだ。本で読んだだけで実施で使った事がある譜術は治癒術くらいなので、ルーク様にバフ技を使うのはもう少し経験を積んでからにしようと考えながら魔物の動きを観察する。石を投げて魔物の意識をルーク様から逸らしたり、ルーク様に治癒術を掛けたりと私はサポートに徹した。
もうそろそろ魔物が倒れそうだというところで女の譜術が発動し、魔物はドシンと地に倒れた。屋敷で聴いた歌を歌っているなとは思っていたが、まさかあの歌にダメージがあるとは思っていなかった。目を覚ました時に体が痛んだのは、てっきり擬似超振動のせいだと思っていたのだがどうやらそうではないらしい。
そういえば女は目を覚まして直ぐに平然と立ち上がっていたなと思い返す。女はさも自分が魔物を倒したというように「ほら、さっさと行くわよ」と一人山道を下り始める。ほとんど魔物にダメージを与えたのはルーク様なのに。ルーク様と二人顔を見合わせため息を着いた。
山道は人一人がやっと通れる程度の細い獣道しかなく、女と離れようとわざと先に行かせたり、逆に女を振り切って逃げようとしてみたけれど、女は私達が来るのを待っていたり走って追いかけられたりとこちらの心身が先に疲弊してしまった。ただでさえ慣れない山道で、賊に付き纏われ、挙句魔物との戦闘を強要されているのだ。
疲れ果てて衣服もボロボロの私達とは対象的に女は身奇麗な格好で平然と立っていた。それどころかこちらを見て、これだから温室育ちはと言いたげな視線を向けてきた。前衛のルーク様は勿論、中距離で魔物の意識を逸らしたり囮を引き受けていた私達の姿がボロボロになるのは当然だ。女はずっと私達の後ろに隠れて歌を歌っているだけなのだから当然身奇麗なままである。
女の術は詠唱が長く発動も遅い。そのため戦闘に慣れてきた私達は、女が歌を歌い終わる頃には既に戦闘を終わらせられるようになってしまった。喜んでいいのか悲しんでいいのか分からない。
「俺達無事に帰れるのかな…」
ルーク様が不安そうに呟く。常に前衛として剣を振らされるルーク様は一番お疲れになっている。その上命懸けの戦闘など初めてなのだから肉体的にも精神的にもお辛いはずだ。励ましてさしあげたいのはやまやまなのだか、私も無事に帰れる気がしない。
「私がちゃんと送り届けると言っているでしょう!」
女は何が不満なのと言いたげに吐き捨てる。ならばせめて言葉と行動を一致させてほしい。言い返す気力も無く、私とルーク様は二人寄り添いながら女の後ろを歩いた。
しばらく山道を下っていると、馬車の馭者が水汲みをしているところに出くわした。
「うわあああ!何だお前さんたち!もしや漆黒の翼か!?」
突然現れた私達に驚いて馭者が大声を出す。
「漆黒の翼?」
何だそれとルーク様が馭者に訪ね返す。
「漆黒の翼は最近騒ぎを起こしてる盗賊集団だよ。確か男女3人組らしいが・・・あんたらも3人組だな!?」
馭者はまさか漆黒の翼!?と私達を怯えた表情で見つめる。
「違います、私達は漆黒の翼ではありません」
「俺達をケチな盗賊団なんかと一緒にすんじゃねぇ!」
私とルーク様が漆黒の翼ではないと否定すると、隣から信じられない言葉が聞こえてきた。
「そうね、相手が怒るかもしれないわ」
ルーク様は「はぁ?」と女を睨み、私はこいつは何を言っているんだろうと思わず女の顔を見つめてしまったが、女は私達の反応などどうでも良いのかさっさと馭者に近寄り話しかけた。
何故ルーク様と私がここまでコケにされなければならないのか。盗賊も私達なんかより襲撃犯で殺人未遂犯で誘拐犯のあの女と一緒にされる方が余程失礼だと怒るだろう。「この馬車は首都までいきますか?」という女の声が聞こえ、私は頭を押さえながら会話に割って入った。
「すみませんご主人、ここは何処だか教えて頂けませんか?実は道に迷ってしまいまして...」
自分が馭者と話しているのだから大人しくしていろとでも言いたげな視線を向けられるが無視する。
「なんだ、ここが何処かもわかってなかったのかい。ここはタタル渓谷だよ」
「タタル渓谷!?」
思わずルーク様と目を合わせる。タタル渓谷はイスパニア半島にある敵国マルクトの領土だ。あのまま女を放置して首都まで乗せられていたら、私達は敵国の首都に送り込まれるところだった。「えっ、ここはマルクトなんですか?」という女の間抜けな声が聞こえる。余計なことを話すなと怒りそうになるのを堪えて、キムラスカの人間かと馭者に疑われ誤魔化そうとしている女を無視しルーク様と小声で相談する。
「ルーク様、いかがなさいますか?幸いタタル渓谷なら南下すれば中立自治区であるケセドニアに辿り着きますが…」
「そうだなぁ、歩いて行けない距離じゃねぇけど…」
2人して馭者と話している女を見てため息を着く。
「野宿して日が昇ってから移動しようにもなぁ...。あいつが居たら騒いで体力回復どころか魔物と強制戦闘だからなぁ…」
「ですね…」
2人揃ってしょっぱい顔をしてため息を着く。正直私もルーク様も既に体力の限界を迎えていた。少しでも休むことができれば良いのだが、あの女がいる限り不可能だ。学習能力がないのかすぐに喚き散らし魔物を呼び寄せるのだ。そして魔物の相手をさせられるのはこちらなのだから尚の事タチが悪い。
「どうやらこの辻馬車はエンゲーブを経由してグランコクマに行くようです。少し遠回りにはなりますが、馬車でエンゲーブに寄って準備を整えてからケセドニアに向かうのはどうでしょうか?」
馭者と女のやり取りから馬車の経路を聞き取りルーク様に提案する。
「そうだな。それにエンゲーブは食料生産が盛んな村だったな。なら流通拠点になってるケセドニアに向かう馬車もきっとあるだろ。よし、馬車に乗ってエンゲーブに行こうぜ!」
ルーク様の声が聞こえたのか馭者が声を掛けてくる。
「おっ、馬車に乗るのかい?エンゲーブまでなら3人合わせて9000ガルドだよ!」
「9000ガルド...」
「高ぇ...」
女を抜きにして2人で6000ガルド。現在私達が所持しているのは魔物を倒して得た1000ガルドちょっと。着の身着のまま飛ばされてきたので財布など持っていない。しかしこれでは1人分にすら満たない。
「なんだ兄ちゃんたち金がないのかい?それじゃあ馬車には乗せられないねぇ」
せめてキムラスカ国内ならファブレ公爵家の名を出してツケにする事もできたのだろうが、残念ながらここはマルクト帝国。ファブレの名を出そうものなら忽ち憎き仇めと痛めつけられるだろう。夜道を強行軍するしかないのかと二人で肩を落としていると、女が「……これを」と馭者にペンダントを差し出した。
「ほぉー、こいつは大した宝石だな。よし、3人とも馬車に乗せてやるよ!」
大きな紫色の宝石がついたペンダントはとても一兵卒が易々と手に入れられるような安価なものには見えなかった。何か曰く付きの大切な物なのではと思ったが、女のペンダントよりもルーク様の安全の方が大切だとルーク様の後を追い馬車に乗り込んだ。
「やっとひと息つける」と綻ぶルーク様の顔を恨めしそうに女が見ていたが、元はといえば自分自身の行いの所為なので恨むなら自分を恨んでほしい。
ガバッと飛び起きて辺りを見回すと近くにルーク様と屋敷を襲撃した賊の女が倒れていた。そのすぐ先には谷を割った間から月光に照らされた海が淡く輝いているのが見えた。私は痛む身体に鞭打ってルーク様の近くに駆け寄ると、ルーク様と自分に治癒術をかけた。するとルーク様は小さな呻き声を出しながら目を覚まされた。
「大丈夫ですかルーク様?」
まだ覚醒しきっていないご様子のルーク様に声を掛ける。
「うぅ...マリア……?一体何が、、、って何処だよここ?!」
「シーーーッ!静かにしてくださいルーク様。あれをご覧ください」
大声で叫ぶルーク様の口を慌てて塞いで賊の女を指さす。私が指し示した方を見て、ルーク様は意識を失う直前のことを思い出されたようだ。
「俺達がこんな所にいるのはあいつの所為か…。てかホントに何処だよここ?何でこんなことになったんだ?」
小声でルーク様に尋ねられるが正直私も分からない。とりあえずもしやと思ったことを口に出してみる。
「私もよくはわかりませんが、もしかするとルーク様とあの賊との間で擬似超振動が発生したのかもしれません」
「擬似超振動か...。確か同じ振動数の音素同士がぶつかった時にあらゆるものが分解・再構築される現象が超振動だったな。擬似超振動は特殊な条件下で第七音譜術士同士が共鳴して起こるんだよな?てことはあの女は第七音譜術士ってことか」
記憶の中の知識を探りながらルーク様が言葉を紡ぐ。以前図書室でルーク様と共に読んだ本のことを思い出しながら答える。
「はい、恐らくそのようかと」
「はぁ〜〜〜ったく、とんだ面倒事に巻き込まれたもんだぜ」
やれやれという風に頭を振り倒れた女をルーク様はジロリと見やる。すると女が視線に気付いたのかただの偶然か、ぴくりと体を動かした。
慌てて身を隠せる場所を探したが、それよりも先に女の意識が覚醒した。キョロキョロと周りを見渡す女と私達二人の視線がバッチリと合う。お互い時間が止まったかのように身体が停止したが、先に動き出したのは女の方であった。
「あなた達、確かお屋敷にいた...」
そう言いながらこちらに近づいてくる女。もちろん私とルーク様は女から距離をとる。
「ちょっと!どうして離れるのよ!?」
私達の対応に声を荒げながら女が吠える。私は呆れながら問に答える。
「あなたが公爵家を襲撃した賊だからです」
ルーク様を守らなければと私は前に出て答える。後ろから不満気な視線を感じるが、継承権持ちの主人を賊の前に出す訳にはいかない。私よりもルーク様の方がずっとお強いのはわかっているが、公爵家に使える者としては例え死んでも主の盾にならなければ。
「違うわ誤解よ!私の目的はヴァンを討つことであなた達に危害を加える気はないわ!!」
冷ややかな視線を向ける私達に女は弁明するが、自分達を襲ってきた相手の言葉などこちらとしては信用できない。
「では何故グランツ謠将を襲ったのですか?」
「それは、多分あなた達に言っても理解できないわ」
あなた達には関係ないでしょ?とでも言いたげなトーンで女は言い放ち、襲撃の理由を話そうとしない。普通は被害者には平身低頭で事件の経緯を詳らかに説明すると思うのだが?
「ふざけるな!ヴァン師匠を殺そうとしたくせに理由も話さないような奴の言うことなんか信じられるか!」
ルーク様が吐き捨てる。敬愛する師を殺そうとしているのだ。そんな人物に私は無害ですと言われても信用できない。こちらを人質にとってグランツ謠将を殺すつもりかもしれない。そもそもグランツ謠将を襲撃するだけならわざわざ公爵邸で事を起こす必要はないのだ。警戒心を解こうとしない私達に諦めたのか、女は勝手に結論を出す。
「とにかく、こうなったのは私の責任だからあなた達は私が責任を持って屋敷まで送り届けます。その代わり足を引っ張らないで」
女の言葉に私とルーク様は思わず見つめ合う。何故こんなにもこの女は上から目線なのだろう。そして何故この女と共にいなければならないのだろうかと。こちらはお前が信用できないから一緒にいたくないのだと言葉でも態度でも示したはずだが...。あまりのことに二人揃って唖然としていたのだが、それが気に食わなかったのか女は「二人とも早く来なさい」と私達の方に振り向き叫んだ。
女の叫び声に引き寄せられたのか、草むらから猪型の魔物が姿を現した。街の外で騒げば魔物が寄ってくることくらい分かりそうなものなのに。残念なものを見る目でついつい女を見ていると、女は信じられないことを口に出した。
「さっさと構えなさいルーク」
「「えっ?」」
思わず声が重なる。すると何をさも当たり前のことをというように女が話し出す。
「あなたは剣を持っているでしょう?戦う力を持つものは子供でも戦うわ」
「何言ってるの!?ルーク様が手にしていらっしゃるのは木刀よ!それにルーク様は公爵家の御子息なのよ!魔物と戦うなんてそんな危険なことはさせられません!!」
滅茶苦茶な女の物言いに言葉が乱れるほど動揺してしまった。ルーク様のお名前を知っているということは、ルーク様のご身分も理解しているはず。だというのにルーク様に魔物と戦えなどと平然と宣うのは一体どういう頭の構造をしているのだろう。
「それに見たところあなたは信託の盾騎士団の兵士なのでしょう?軍人がいるのに何故態々ルーク様が戦わなければならないのですか!」
女の服装はローレライ教団を守護する信託の盾騎士団の物だと推測できた。果たしてあんなに露出度の高い軍服で戦闘ができるのかは甚だ疑問であったが素人よりは戦えるはず。しかし女の返答に僅かな期待は呆気なく消し飛んだ。
「私は音律士なの。前衛には不向きだわ」
なんでもない事のように言い放つ女に私の頭が停止する。この女は軍人の癖に民間人を自分の盾にするというのか。後衛職でも軍人は軍人だ。ましてや自分の行動で一般人を危険に晒しているのだから、死んでも守るくらい言うべきなのでは?呆れ果ててモノも言えずにいたが、魔物が動く気配を感じ現実に思考を戻す。
「チッ!とにかくコイツをどうにかするぞ!」
ルーク様が剣を構えて魔物に立ち向かう。武器も持たない私では前に出ても足を引っ張るだけなので、仕方なく以前本で読んだ譜術を思い出しながら唱えてみる。敵の攻撃力を下げる譜術なのだがどうやら上手くできたようだ。本で読んだだけで実施で使った事がある譜術は治癒術くらいなので、ルーク様にバフ技を使うのはもう少し経験を積んでからにしようと考えながら魔物の動きを観察する。石を投げて魔物の意識をルーク様から逸らしたり、ルーク様に治癒術を掛けたりと私はサポートに徹した。
もうそろそろ魔物が倒れそうだというところで女の譜術が発動し、魔物はドシンと地に倒れた。屋敷で聴いた歌を歌っているなとは思っていたが、まさかあの歌にダメージがあるとは思っていなかった。目を覚ました時に体が痛んだのは、てっきり擬似超振動のせいだと思っていたのだがどうやらそうではないらしい。
そういえば女は目を覚まして直ぐに平然と立ち上がっていたなと思い返す。女はさも自分が魔物を倒したというように「ほら、さっさと行くわよ」と一人山道を下り始める。ほとんど魔物にダメージを与えたのはルーク様なのに。ルーク様と二人顔を見合わせため息を着いた。
山道は人一人がやっと通れる程度の細い獣道しかなく、女と離れようとわざと先に行かせたり、逆に女を振り切って逃げようとしてみたけれど、女は私達が来るのを待っていたり走って追いかけられたりとこちらの心身が先に疲弊してしまった。ただでさえ慣れない山道で、賊に付き纏われ、挙句魔物との戦闘を強要されているのだ。
疲れ果てて衣服もボロボロの私達とは対象的に女は身奇麗な格好で平然と立っていた。それどころかこちらを見て、これだから温室育ちはと言いたげな視線を向けてきた。前衛のルーク様は勿論、中距離で魔物の意識を逸らしたり囮を引き受けていた私達の姿がボロボロになるのは当然だ。女はずっと私達の後ろに隠れて歌を歌っているだけなのだから当然身奇麗なままである。
女の術は詠唱が長く発動も遅い。そのため戦闘に慣れてきた私達は、女が歌を歌い終わる頃には既に戦闘を終わらせられるようになってしまった。喜んでいいのか悲しんでいいのか分からない。
「俺達無事に帰れるのかな…」
ルーク様が不安そうに呟く。常に前衛として剣を振らされるルーク様は一番お疲れになっている。その上命懸けの戦闘など初めてなのだから肉体的にも精神的にもお辛いはずだ。励ましてさしあげたいのはやまやまなのだか、私も無事に帰れる気がしない。
「私がちゃんと送り届けると言っているでしょう!」
女は何が不満なのと言いたげに吐き捨てる。ならばせめて言葉と行動を一致させてほしい。言い返す気力も無く、私とルーク様は二人寄り添いながら女の後ろを歩いた。
しばらく山道を下っていると、馬車の馭者が水汲みをしているところに出くわした。
「うわあああ!何だお前さんたち!もしや漆黒の翼か!?」
突然現れた私達に驚いて馭者が大声を出す。
「漆黒の翼?」
何だそれとルーク様が馭者に訪ね返す。
「漆黒の翼は最近騒ぎを起こしてる盗賊集団だよ。確か男女3人組らしいが・・・あんたらも3人組だな!?」
馭者はまさか漆黒の翼!?と私達を怯えた表情で見つめる。
「違います、私達は漆黒の翼ではありません」
「俺達をケチな盗賊団なんかと一緒にすんじゃねぇ!」
私とルーク様が漆黒の翼ではないと否定すると、隣から信じられない言葉が聞こえてきた。
「そうね、相手が怒るかもしれないわ」
ルーク様は「はぁ?」と女を睨み、私はこいつは何を言っているんだろうと思わず女の顔を見つめてしまったが、女は私達の反応などどうでも良いのかさっさと馭者に近寄り話しかけた。
何故ルーク様と私がここまでコケにされなければならないのか。盗賊も私達なんかより襲撃犯で殺人未遂犯で誘拐犯のあの女と一緒にされる方が余程失礼だと怒るだろう。「この馬車は首都までいきますか?」という女の声が聞こえ、私は頭を押さえながら会話に割って入った。
「すみませんご主人、ここは何処だか教えて頂けませんか?実は道に迷ってしまいまして...」
自分が馭者と話しているのだから大人しくしていろとでも言いたげな視線を向けられるが無視する。
「なんだ、ここが何処かもわかってなかったのかい。ここはタタル渓谷だよ」
「タタル渓谷!?」
思わずルーク様と目を合わせる。タタル渓谷はイスパニア半島にある敵国マルクトの領土だ。あのまま女を放置して首都まで乗せられていたら、私達は敵国の首都に送り込まれるところだった。「えっ、ここはマルクトなんですか?」という女の間抜けな声が聞こえる。余計なことを話すなと怒りそうになるのを堪えて、キムラスカの人間かと馭者に疑われ誤魔化そうとしている女を無視しルーク様と小声で相談する。
「ルーク様、いかがなさいますか?幸いタタル渓谷なら南下すれば中立自治区であるケセドニアに辿り着きますが…」
「そうだなぁ、歩いて行けない距離じゃねぇけど…」
2人して馭者と話している女を見てため息を着く。
「野宿して日が昇ってから移動しようにもなぁ...。あいつが居たら騒いで体力回復どころか魔物と強制戦闘だからなぁ…」
「ですね…」
2人揃ってしょっぱい顔をしてため息を着く。正直私もルーク様も既に体力の限界を迎えていた。少しでも休むことができれば良いのだが、あの女がいる限り不可能だ。学習能力がないのかすぐに喚き散らし魔物を呼び寄せるのだ。そして魔物の相手をさせられるのはこちらなのだから尚の事タチが悪い。
「どうやらこの辻馬車はエンゲーブを経由してグランコクマに行くようです。少し遠回りにはなりますが、馬車でエンゲーブに寄って準備を整えてからケセドニアに向かうのはどうでしょうか?」
馭者と女のやり取りから馬車の経路を聞き取りルーク様に提案する。
「そうだな。それにエンゲーブは食料生産が盛んな村だったな。なら流通拠点になってるケセドニアに向かう馬車もきっとあるだろ。よし、馬車に乗ってエンゲーブに行こうぜ!」
ルーク様の声が聞こえたのか馭者が声を掛けてくる。
「おっ、馬車に乗るのかい?エンゲーブまでなら3人合わせて9000ガルドだよ!」
「9000ガルド...」
「高ぇ...」
女を抜きにして2人で6000ガルド。現在私達が所持しているのは魔物を倒して得た1000ガルドちょっと。着の身着のまま飛ばされてきたので財布など持っていない。しかしこれでは1人分にすら満たない。
「なんだ兄ちゃんたち金がないのかい?それじゃあ馬車には乗せられないねぇ」
せめてキムラスカ国内ならファブレ公爵家の名を出してツケにする事もできたのだろうが、残念ながらここはマルクト帝国。ファブレの名を出そうものなら忽ち憎き仇めと痛めつけられるだろう。夜道を強行軍するしかないのかと二人で肩を落としていると、女が「……これを」と馭者にペンダントを差し出した。
「ほぉー、こいつは大した宝石だな。よし、3人とも馬車に乗せてやるよ!」
大きな紫色の宝石がついたペンダントはとても一兵卒が易々と手に入れられるような安価なものには見えなかった。何か曰く付きの大切な物なのではと思ったが、女のペンダントよりもルーク様の安全の方が大切だとルーク様の後を追い馬車に乗り込んだ。
「やっとひと息つける」と綻ぶルーク様の顔を恨めしそうに女が見ていたが、元はといえば自分自身の行いの所為なので恨むなら自分を恨んでほしい。