陽だまりのデュエット
ND2018 レムデーカン・レム・23の日
今日もバチカルの空は高く青く澄んでいる。私マリア・グレースはキムラスカ王国のファブレ公爵家に仕えるメイドである。公爵家の御令息であらせられるルーク・フォン・ファブレ様のお世話が私の仕事だ。今日もルーク様の起床のお手伝いをするためルーク様の部屋へと足を運ぶ。
ルーク様の部屋は屋敷の母屋から中庭を挟んだ場所に建てられている。使用人たちに与えられた部屋でさえ母屋へと通じる路が有るのにルーク様の部屋にはそれがない。一度は屋根のない外を通過しなければ母屋へと立ち入ることができないのだ。まるでルーク様だけがこの屋敷から隔離されているようだといつも物悲しい気持ちになる。
そんなことを考えながら、花の世話をしている庭師のペールさんと挨拶を交わしルーク様の部屋の前に辿り着く。
「ルーク様、お目覚めでしょうか?」
ノックをしてから尋ねればルーク様から「ああ、入っていいぞ」と入室の許可を頂いたので「失礼します」と言いながら部屋に入る。ルーク様はいつも私が起床のお声掛けをする前にはご自身でカーテンを開け、服も寝間着から普段着へと着替えられている。本来ならメイドである私がお手伝いしなければならないのだが、ルーク様本人が嫌がって先に済ませてしまうのだ。
私も自分の仕事を完遂するために早めにルーク様の部屋に向かうのだが、そうするとルーク様も先に全て終わらせてしまおうといつも以上に早起きをしてしまい、それが段々エスカレートして日中に睡魔に襲われ眠ってしまう事態が発生してしまった。そのためルーク様のお召かえの任は免除され、私の朝の仕事は朝食のご案内のみになってしまった。使用人仲間であるガイ曰く、「あれはただの思春期だから気にするな」という事らしいが、メイドとしては仕事のできない奴だと主人に思われそうで胃が痛い。
「おはようございますルーク様」
「はよ、マリア」
ルーク様は少し頭を抑えながら返事を返してくださる。その様子にもしやと思い私はルーク様に尋ねる。
「ルーク様、また例の頭痛でございますか?」
「ああ、さっきちょっとな...。でももう何ともねぇや」
ルーク様が御髪をガシガシと掻きながら吐き捨てる。
ルーク様の頭痛は7年前、敵国であるマルクト帝国に誘拐されてから起こるようになってしまわれたそうだ。誘拐された時に何があったのかは分からないが、誘拐される以前の記憶を全て失くし、後遺症として頻繁に頭痛が起こるのだから余程恐ろしい目に遭われたに違いない。バチカルで一番の医者に見せても頭痛の原因はわからず、自然に治まるのを待つしかないのが現状だ。
ルーク様の記憶喪失は、言葉を話すことも自力で立って歩くこともできないほどの重い症状であった。私はルーク様が無事保護されて2,3ヶ月ほど経ってからこの屋敷で働き始めたのだが、当時のルーク様はまさに身体の大きな赤ん坊と言ってもいいような有り様だった。口から出てくるのは言葉ではなく「うー」や「あー」等といった意味のない音ばかりで、立ち上がることができないどころかハイハイすらできず、寝返りをうって転がることでしか移動もできなかった。
そんなルーク様のご様子を使用人たちはお可哀想にと気の毒に思ったり、あるいは気味悪がったりしていた。私が公爵家に仕えることができたのは、後者の使用人たちが自ら暇を願い出た結果人員に穴が空いたからだった。
当時の私は貧民街で両親と貧しくも幸せな生活を送っていたのだが、不運なことに立て続けに両親を流行病で亡くし自分一人で生きるため働き口を探していた。そんな時に降って湧いたのが公爵家で新たに使用人を募集するという話だった。幼く、何より貧民街の出身という賎しい身分の自分が雇ってもらえるかは分からなかったが、藁にもすがる思いで公爵家のメイドに応募した。そして上手いことポンポンと話は進み、私は無事ファブレ公爵家のメイドに就職することができたのである。
「ルーク様、本日の予定を申し上げてもよろしいでしょうか?」
どうやら頭痛が治まっているのは本当のようで、ルーク様は「おう、いいぞ」と許可をくださる。
「本日はグランツ謠将がお見えのようです。なんでも火急の用とか」
私がそう言うとルーク様は顔を輝かせる。
「ヴァン師匠が!?用って何だろう?俺に剣の稽古つけてくれんのかなぁ!」
あからさまに上機嫌な様子で今にも部屋を飛び出して行きそうなルーク様を押し留めて私は続きを話す。
「グランツ謠将は現在旦那様と会談中です。終わり次第ルーク様をお呼びなさるそうですが、まだ暫くお時間が掛かるようです」
「なんだよ、親父との話なんか茶々っと終わらせればいいのに…。仕方ねぇなぁ、ちょっとその辺散歩でもして時間潰してくるよ」
そうおっしゃるとルーク様は座っていたベッドから立ち上がり、扉を開けて中庭へと出ていかれた。せっかく大好きなグランツ謠将がいらっしゃっているのに会いに行けずそわそわしているご様子だった。そんなルーク様に私は苦笑いしながらも、主の居ぬ間にとベッドメイキングを手早く済ませるのだった。
ルーク様がお散歩から戻ってから少しして、執事長のラムダス様から旦那様とグランツ謠将の会談が終わったのでルーク様をお呼びするようにとの指示を受けた。ルーク様をお呼びすると待ってましたというような満面の笑みで会議室へと向かわれた。ルーク様たちがお話されている間に私はルーク様の部屋の掃除をしてしまおうと掃除用具を持って移動した。
それから小一時間ほどして、ルーク様の部屋の掃除を終わらせたのと同時にルーク様は部屋にお戻りになった。「これからヴァン師匠が稽古してくれんだ!」と剣を持って嬉しそうに報告してくださる。「それでは稽古の後の飲み水とタオルをご用意しておきますね」と申し上げると、「頼んだ!」と言いながらルーク様は部屋を飛び出して行ってしまわれた。
私がタオルと飲み水を用意して中庭に向かうと、ガイがベンチに座ってお二人の稽古の様子を見学していた。その近くではペールさんも花の世話をしながら稽古の様子を伺っていた。稽古の邪魔をしないように持ち物をガーデンテーブルまで運ぼうと、丁度ルーク様の真後ろ辺りを歩いている時だった。
突然謎の歌声が聴こえてきたかと思ったら強烈な眠気に襲われた。それは私だけではなかったらしく、ガイやペールさん、ルーク様にグランツ謠将までもが地面に膝を着いていた。なんとか水の入った容器を落とさずに地面に置いて、何が起こっているのか理解しようと頭を働かせていると、「これは譜歌じゃ!」というペールさんの叫び声が聴こえた。ふと歌が途絶えて代わりに女の声が聞こえた。
「ようやく見つけたわ。...裏切り者ヴァンデスデルカ、覚悟!」
そう言うと女はグランツ謠将に襲いかかった。
「やはりティア、お前か!」
何度も女の攻撃を捌きながらグランツ謠将が女に攻撃を止めるよう訴えかけるが相手は聞く耳を持たない。先程の歌の影響か、グランツ謠将の動きは普段の精彩を欠き防戦一方だった。
それでも女の攻撃を受け止め弾き返したが返した場所が悪かった。先程まで女がいた反対側、私とルーク様がいた方向へと女は弾かれた。その結果、女は私の目の前に着地し、それに対して私は未だ立ち上がれず逃げることすらできない状況だった。なんとか立ち上がろうと全身に力を込めるが足はフラフラとして覚束ず走り出すことができない。するとひと足先に回復したらしいルーク様が私を守ろうと女の前に飛び出す。「邪魔をしないで」とナイフを振りかぶる女の攻撃を防ごうとルーク様が木刀を振り上げた。
その時ルーク様の体が光り出し、私はなんだか嫌な予感がして鈍い体を無理矢理動かしてルーク様を守ろうとルーク様に抱きついた。その瞬間、とてつもない光に包まれ私の意識は一瞬で消えてしまった。
今日もバチカルの空は高く青く澄んでいる。私マリア・グレースはキムラスカ王国のファブレ公爵家に仕えるメイドである。公爵家の御令息であらせられるルーク・フォン・ファブレ様のお世話が私の仕事だ。今日もルーク様の起床のお手伝いをするためルーク様の部屋へと足を運ぶ。
ルーク様の部屋は屋敷の母屋から中庭を挟んだ場所に建てられている。使用人たちに与えられた部屋でさえ母屋へと通じる路が有るのにルーク様の部屋にはそれがない。一度は屋根のない外を通過しなければ母屋へと立ち入ることができないのだ。まるでルーク様だけがこの屋敷から隔離されているようだといつも物悲しい気持ちになる。
そんなことを考えながら、花の世話をしている庭師のペールさんと挨拶を交わしルーク様の部屋の前に辿り着く。
「ルーク様、お目覚めでしょうか?」
ノックをしてから尋ねればルーク様から「ああ、入っていいぞ」と入室の許可を頂いたので「失礼します」と言いながら部屋に入る。ルーク様はいつも私が起床のお声掛けをする前にはご自身でカーテンを開け、服も寝間着から普段着へと着替えられている。本来ならメイドである私がお手伝いしなければならないのだが、ルーク様本人が嫌がって先に済ませてしまうのだ。
私も自分の仕事を完遂するために早めにルーク様の部屋に向かうのだが、そうするとルーク様も先に全て終わらせてしまおうといつも以上に早起きをしてしまい、それが段々エスカレートして日中に睡魔に襲われ眠ってしまう事態が発生してしまった。そのためルーク様のお召かえの任は免除され、私の朝の仕事は朝食のご案内のみになってしまった。使用人仲間であるガイ曰く、「あれはただの思春期だから気にするな」という事らしいが、メイドとしては仕事のできない奴だと主人に思われそうで胃が痛い。
「おはようございますルーク様」
「はよ、マリア」
ルーク様は少し頭を抑えながら返事を返してくださる。その様子にもしやと思い私はルーク様に尋ねる。
「ルーク様、また例の頭痛でございますか?」
「ああ、さっきちょっとな...。でももう何ともねぇや」
ルーク様が御髪をガシガシと掻きながら吐き捨てる。
ルーク様の頭痛は7年前、敵国であるマルクト帝国に誘拐されてから起こるようになってしまわれたそうだ。誘拐された時に何があったのかは分からないが、誘拐される以前の記憶を全て失くし、後遺症として頻繁に頭痛が起こるのだから余程恐ろしい目に遭われたに違いない。バチカルで一番の医者に見せても頭痛の原因はわからず、自然に治まるのを待つしかないのが現状だ。
ルーク様の記憶喪失は、言葉を話すことも自力で立って歩くこともできないほどの重い症状であった。私はルーク様が無事保護されて2,3ヶ月ほど経ってからこの屋敷で働き始めたのだが、当時のルーク様はまさに身体の大きな赤ん坊と言ってもいいような有り様だった。口から出てくるのは言葉ではなく「うー」や「あー」等といった意味のない音ばかりで、立ち上がることができないどころかハイハイすらできず、寝返りをうって転がることでしか移動もできなかった。
そんなルーク様のご様子を使用人たちはお可哀想にと気の毒に思ったり、あるいは気味悪がったりしていた。私が公爵家に仕えることができたのは、後者の使用人たちが自ら暇を願い出た結果人員に穴が空いたからだった。
当時の私は貧民街で両親と貧しくも幸せな生活を送っていたのだが、不運なことに立て続けに両親を流行病で亡くし自分一人で生きるため働き口を探していた。そんな時に降って湧いたのが公爵家で新たに使用人を募集するという話だった。幼く、何より貧民街の出身という賎しい身分の自分が雇ってもらえるかは分からなかったが、藁にもすがる思いで公爵家のメイドに応募した。そして上手いことポンポンと話は進み、私は無事ファブレ公爵家のメイドに就職することができたのである。
「ルーク様、本日の予定を申し上げてもよろしいでしょうか?」
どうやら頭痛が治まっているのは本当のようで、ルーク様は「おう、いいぞ」と許可をくださる。
「本日はグランツ謠将がお見えのようです。なんでも火急の用とか」
私がそう言うとルーク様は顔を輝かせる。
「ヴァン師匠が!?用って何だろう?俺に剣の稽古つけてくれんのかなぁ!」
あからさまに上機嫌な様子で今にも部屋を飛び出して行きそうなルーク様を押し留めて私は続きを話す。
「グランツ謠将は現在旦那様と会談中です。終わり次第ルーク様をお呼びなさるそうですが、まだ暫くお時間が掛かるようです」
「なんだよ、親父との話なんか茶々っと終わらせればいいのに…。仕方ねぇなぁ、ちょっとその辺散歩でもして時間潰してくるよ」
そうおっしゃるとルーク様は座っていたベッドから立ち上がり、扉を開けて中庭へと出ていかれた。せっかく大好きなグランツ謠将がいらっしゃっているのに会いに行けずそわそわしているご様子だった。そんなルーク様に私は苦笑いしながらも、主の居ぬ間にとベッドメイキングを手早く済ませるのだった。
ルーク様がお散歩から戻ってから少しして、執事長のラムダス様から旦那様とグランツ謠将の会談が終わったのでルーク様をお呼びするようにとの指示を受けた。ルーク様をお呼びすると待ってましたというような満面の笑みで会議室へと向かわれた。ルーク様たちがお話されている間に私はルーク様の部屋の掃除をしてしまおうと掃除用具を持って移動した。
それから小一時間ほどして、ルーク様の部屋の掃除を終わらせたのと同時にルーク様は部屋にお戻りになった。「これからヴァン師匠が稽古してくれんだ!」と剣を持って嬉しそうに報告してくださる。「それでは稽古の後の飲み水とタオルをご用意しておきますね」と申し上げると、「頼んだ!」と言いながらルーク様は部屋を飛び出して行ってしまわれた。
私がタオルと飲み水を用意して中庭に向かうと、ガイがベンチに座ってお二人の稽古の様子を見学していた。その近くではペールさんも花の世話をしながら稽古の様子を伺っていた。稽古の邪魔をしないように持ち物をガーデンテーブルまで運ぼうと、丁度ルーク様の真後ろ辺りを歩いている時だった。
突然謎の歌声が聴こえてきたかと思ったら強烈な眠気に襲われた。それは私だけではなかったらしく、ガイやペールさん、ルーク様にグランツ謠将までもが地面に膝を着いていた。なんとか水の入った容器を落とさずに地面に置いて、何が起こっているのか理解しようと頭を働かせていると、「これは譜歌じゃ!」というペールさんの叫び声が聴こえた。ふと歌が途絶えて代わりに女の声が聞こえた。
「ようやく見つけたわ。...裏切り者ヴァンデスデルカ、覚悟!」
そう言うと女はグランツ謠将に襲いかかった。
「やはりティア、お前か!」
何度も女の攻撃を捌きながらグランツ謠将が女に攻撃を止めるよう訴えかけるが相手は聞く耳を持たない。先程の歌の影響か、グランツ謠将の動きは普段の精彩を欠き防戦一方だった。
それでも女の攻撃を受け止め弾き返したが返した場所が悪かった。先程まで女がいた反対側、私とルーク様がいた方向へと女は弾かれた。その結果、女は私の目の前に着地し、それに対して私は未だ立ち上がれず逃げることすらできない状況だった。なんとか立ち上がろうと全身に力を込めるが足はフラフラとして覚束ず走り出すことができない。するとひと足先に回復したらしいルーク様が私を守ろうと女の前に飛び出す。「邪魔をしないで」とナイフを振りかぶる女の攻撃を防ごうとルーク様が木刀を振り上げた。
その時ルーク様の体が光り出し、私はなんだか嫌な予感がして鈍い体を無理矢理動かしてルーク様を守ろうとルーク様に抱きついた。その瞬間、とてつもない光に包まれ私の意識は一瞬で消えてしまった。
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