Short stories

●キスのシチュエーションで20題

http://toy.ohuda.com/




①1.お互いの瞳を見つめつつ

 ――キスのマナーくらい、知ってる。

 降谷と初めて唇を重ねたときの日のことは、一生忘れない。二人が付き合うきっかけとなった、あの日のキス。直前まで他愛もない話をしていたのに、不意に訪れた沈黙。よく「天使が通った」なんて言われるけれど、まさにあの瞬間降谷と新一の間を横切っていったのは恋のキューピッドだった。
 不思議な会話の途切れ目に、どちらからともなく視線を絡ませた。探り合う瞳が問い掛ける。――なぁ、ひょっとするとオレたち。――ねぇ、君ももしかして。
 海の青さをぎゅっと閉じ込めた新一の強い眼差しは、降谷の心を見透かそうと揺らめく。冬の空を切り裂いて、更に奥。宇宙のように広がる彼の内面はとても複雑で、闇は濃くあるのに想い出の一粒一粒は儚いかと思えば強く瞬く。それらを掻き分けて深い深い水底に手を差し入れると、柔らかく纏わりつくのは秘められた愛慕。
 新一がコナンだった頃にも何度か感じたその目に宿る熱は、ここに来て形を伴った。
――触れて良いのだろうか。
 降谷と違い、恋する気持ちを隠すのが下手くそな新一は、とっくの昔に悟られていた自覚はある。それでも、遠ざけるつもりがあったのなら早々にされていた。そうしなかったのは降谷だ。
――重ねて良いのだろうか。
 降谷の懐に飛び込み、新一の恋情を打ち明けても。
 一生の恋なんて、きっともう二度とできないと思いこんでいた新一の世界を抉じ開けたのは、降谷だ。この人が放つ強く気高い至高の魂が、新一を惹きつけて狂わせた。
 責任を取れなんて言うつもりはないけれど、一番近くでその輝きを見守り続ける権利くらい、与えてくれたってバチは当たらないと思うのだ。
 そんな自分勝手で独りよがりな言い分さえも降谷は受け入れてくれるというのか。

 降谷はなにも言わない。
 新一も、なにも言わない。言えない。

 探り合い、雄弁に語る瞳。
 好きよりも、愛している、よりも。もっとも色濃く写し出した感情を一片も逃すまいと、睫毛が触れる距離で交歓する。
 歓喜、多幸、心地良い。どんどんと湧き上がる苦しくはち切れそうな胸の中の膨らみ。叫ばなければ、破裂しそうだ。だというのにそのどれもが最適解な言葉じゃないと魂が嘶く。
 ついに距離を無くした二人の境界。
 唇に触れた熱は直ぐに馴染み、混ざり溶け合いフラットになる。くっつき、離れ、また重なり。いつしか新一の両頬に添えられた降谷の手が後頭部の髪に差し入り弄ろうとも、そこから生み出された電流が新一の背筋を駆け下りようとも、決して唇は離れなかったし瞳は閉じなかった。

 新一が初めてした降谷とのキス。触れ合わせるだけの優しいキス。だが、魂と魂が重なり合うような、あれだけのものはきっともう、二度と味わえないだろう。二人に死が訪れても尚、魂に刻みつけられ永遠に忘れることなく、そこに有り続けるのだ。




服を脱がしながら



 降谷さんの家のベッド脇にあるチェストの引き出しには、夜のお供として常に切れることなく補充されているものがある。
 2つのサイズのスキンと、専用のローションボトル。このローションは洗面所にも同じ物が保管されていて、慣れて自分一人で準備が出来るようになるまでは、降谷さんと二人で使っていた。そっちのは今は、オレしか使っていない。
 防水シートを広げて、枕元にそれらお供たちをスタンバイしていると、降谷さんがただいまと言いながら寝室に入ってきた。
「おう。用事とやらはもういいのかよ」
 仕事上がりの降谷さんに家まで迎えに来てもらい、ここに着いたところであっちの方に電話でのお呼び出し。「先に準備して待ってて」とキスの後に言って出て行ったけど、正直半々の確率だと思っていた。
「ああ。明日の休みも変わりなし」
「今んとこはな」
 にやりと笑えば、降谷さんは渋い顔をして、フラグを立てるのはやめてくれと言った。オレはそれに対して笑い声を上げる。これもまたどうなるか、半々の確率だろう。
「それにしても、準備するのもだいぶこなれてきたね」
 クローゼットから替えの下着を出して、降谷さんがしみじみと言った。
「そ、そりゃあ……もう両手超えるくらいしてるし。オレだっていつまでもマグロに甘んじるワケにもいかねぇしな」
 まだ降谷さんのリードが必要だけど、強請られれば上に乗る位のことは出来るようになってきた。ふふん、と鼻で笑う。
 けれど、降谷さんはさらに上から目線の嘲り笑いをしてみせてこう言った。
「ほぉー?じゃあ、今日はさらに積極的な君が見れるというわけだ。楽しみだなぁ?」
「う、えぇと……」
 キシ、とスプリングが鳴って、片手を付いて身を乗り出した降谷さんが、真ん中に陣取っていたオレに向かって唇を突出す。
「ん」
「……ん、って」
 かぁあと血が急上昇する音が聞こえた気がした。
「キス、してくれないのか?」
 わざと低く囁く声は、オレがこれに弱いと知っているから。所謂ウィスパーボイスというやつを耳元でされると腰砕けになるのを、降谷さんは知っていて時折悪戯のように仕掛けてくる。
 しんいちくん、と更に畳み掛けるように落とされる爆弾。これ以上追撃されたら敵わないと、数える程度しかしたことのないオレからのキスを贈った。
「――ん、」
 ふに、と柔らかく触れた感覚に恥ずかしさが勝って、すぐに離した。もういいだろ、と未だにワイシャツにネクタイ姿の降谷さんにシャワー浴びてこいと追い出すつもりだったのに。
「は、ちょ……っ」
 後頭部を押さえられて、降谷さんからの追い打ち。啄むキスは前哨戦の合図。シャツの襟ぐりから立ち昇る降谷さんの体臭が鼻を擽る。それだけなのにもうその香りに充てられて、押し返すつもりの手は添えるだけになってしまう。
「ねぇ、新一くんが脱がせてよ」
「――え?」
 頭がふわふわとしてきて、最初何を言っているのか意味が分からなくて、聞き返した。
 触れるか触れないかの所で喋る降谷さんの吐息が、唇を掠めていく。
「シャワー浴びてきて欲しいんだよね?早く触れてほしいなら、僕の服――」
 君が脱がせてくれないかな。なんて。
 挑発の眼差しがオレの負けず嫌いの心を射貫く。目の色だけで伝わった戦いの火蓋を切る気配。うっそりと微笑む降谷さんに、噛み付くようにキスを仕掛けた。

 ちゅく、ちゅ、と水音が跳ねる。唇の隙間から吐息を逃しながら、絡み付いてくる降谷さんの熱い舌に翻弄されるがまま。経験値の低さはどうしようもないけれど、せめて上だけでも脱がしてやりたいと指に力を入れる。
 ネクタイを解くのなんて簡単なのに、左右間違えて引っ張ってきつくしてしまったのは、別に降谷さんに耳まで弄られたからじゃない。
 項を指で押されただけなのに、腰が抜けたなんて絶対にバレたくないから必死でボタンを外した。
 袖を抜き、震える手で下に下ろす。
「なぁっ、も、いいだろ……っ」
 これ以上お預けを食らうのはゴメンだと上目遣いで縋りつく。降谷さんはオレのこういうお強請りに弱いと知ってるから。
 ――早くあんたが欲しい。さっきからあそこがひくひくしてて、せつない。
 そう漏らせば、案の定、喉を唸らせた降谷さんはオレを思い切り押し倒して、口を大きく開けて丸呑みする勢いでキスしてきた。ぐっと重たくのしかかる体重と、お互いの熱がぶつかり合って思わず声が洩れた。
「あっ んん、」
「いけない子だ。どこでそんな煽り文句を覚えてきたんだろうね?」
「ばーろ、ッ、んなもん、一人しかいねえだろっ――ん……」
 反論はすぐに封じられて口内で残響と変わる。
 降谷さんの高い体温に押し潰されながらも気付けば上も下も脱がされて。相変わらずの手練手管に翻弄されながら、オレはいつかのリベンジを心に誓うのだった。


●子供になっちゃった15題


http://toy.ohuda.com/



04:そこまで笑うことなのか


 APTX4869――――

 まさか、ここまでとはな。とかつての仇敵の言葉がリフレインする。
 組織の残党が持ち出し複製していた劇毒をバーボンとして潜入し奪取。までは良かったのだが、詳しくは伏せるが不意をつかれ銃撃を受けた際に投与されてしまった。
 多くの怒号と銃弾が飛び交う中、風見に引きずられ安全地帯へと退避する。大きく脈打つ鼓動と、全身を蝕む激痛。骨が、神経が焼かれていく生き地獄――――。

 そうして、僕は工藤家の玄関で恋人の大爆笑という洗練を浴びることとなった。



「はー、はー、マジか……」
 ひとしきり笑った後、新一くんは玄関の上がり框で四つん這いになり肩で息を震わせた。
 これでよく公安が務まるな、とか、ちっさくなっても降谷さんまんまじゃねーか、とか。鼻の絆創膏が似合う三十路も中々いないとか。
 言いたい放題の新一くんにさすがの僕も我慢の限界と、こめかみをひくつかせた。外見が幼くなってしまったとはいえ、中身は大人のままである。自分でも己の失態を恥じ、悔やみ、新一くんに余計な心配をかけさせてしまう心苦しさもあり、伝えるべきか否か相当悩んだというのに。
 だが敢然に自分の落ち度なので強くも言えない。ぐっと拳を握り、堪えた。……が。

「はは、は。…………よかった」

 ぽつんと落とされた言葉にカッとなる。
「っな!何も良いことなんて――」
「良かったんだよ。降谷さんが生き延びてくれてさ……。そいつの致死率、知ってっか?」
 俯いたままの頭の天辺、旋毛を凝視する。揺れる肩と震える声は、嘲笑っているわけじゃなく。
 ぽたりと落ちた雫の音。玄関マットに小さな滲み。
「降谷さんと、宮野がこそこそ何かやってんのは気付いてたけどよ……。あんたなら、大丈夫だって、信じて、ッ」
「――新一くん!」
 堪らず、その頭にしがみついた。
 細く短い腕じゃ、肩を、身体を包んてやることが出来ない。こんな小さな手じゃ、彼の心を掬えない。
 ごめん、と何度も繰り返した。新一くんの手が僕の背中に回されて、胸に熱い吐息がぶつかる。ぎゅう、と掴んだ拳がぶるぶると震えていた。
「ばーろぉ!降谷さんの、バカ野郎……!いつもオレに無茶するなとか、絶対に死ぬなとか!――あんたが!!死んだら……ッ!意味ねぇだろ!?」
 うん、うん、と頷く。
 ばかやろう、と鼻を啜り詰る声を受け止めて。服がぐしょぐしょになろうとも、彼の気の済むまでその場に佇み続けた。今の僕よりも大きい新一くんの背中を、ただひたすらに擦る。僕は生きている、と。この生命の証である熱を少しでも彼に伝えたくて。
 長い間、僕たちは抱き締めあっていた。


●年の差カップルに10題


http://toy.ohuda.com/


★4.子供扱い

「もう理性だけじゃ抑えられないんだ」

 真正面から抱きしめられ、新一は自分の下腹部に当たる固く熱いものの存在に目を瞠った。
「あ、あた、あたっ」
――当たってます、降谷さん!
 でくのぼう宜しく真っ直ぐと体を硬直させて、急激に茹だった頭は何も言葉を紡ぎ出せず、まるで金魚のようにぱくぱくと空気を口から吐き出すだけ。
 ここにきて今更ながら、新一は自分のこれまでの煽りまくっていた言動を省みた。そして、この場を上手くあしらえない経験値の低さを恨めしく思ったのである。


 ――大学に入学したその日から恋人のポジションに収まった降谷とのお付き合いは、なんやかんやとありながらも一年を越えた。
 その間、降谷からはキスしかされたことがなくて。新一としてはその先に早く進みたいのに、降谷は頑なに首を縦に振ろうとしなかった。それどころか性的な事に興味津々な子供みたいだなんてからかわれていなされて。
 ネットで男同士のセックスについての知識は十分得ている。降谷だって新一が成人するまでは手を出さないと何度も何度も言ってくれている理由も、ちゃんとわかっている。
 けれど、納得してるかというとそうじゃなくて。それに最近やたらと降谷の態度が目についてどうにも苛立ちが収まらない。事あるごとに「偉いね、良い子」なんて頭を撫でて。――これはあれだ。恋人扱いじゃない。子供扱いされてるとしか思えない。
 だから、軽く触れただけのキスのあと、降谷が今夜はもう遅いから家まで送るよといつものように言い出した時に、思い切って後ろからしがみついて、言ったのだ。
「今夜は帰りたくない。9時なんて、高校生の門限かよ。子供扱いすんなよ」――――と。
 その瞬間、新一の視点が降谷の背後からぐるりと回って彼の前へ。気付けば自分を見下ろす、蒼を濃く揺らめかせた双眸と対峙していた。


「新一くん。僕は今、ぎりぎりの理性でここに立っている」
 ゴリゴリとしたものが強く押し付けられている。ていうか、大きくないか?風呂場でうっかり見てしまった時もちょっと驚いたけど、そんなものの比じゃないサイズのデカブツが、新一のへその辺りに存在している。たまにぴくりとしているのが生々しい。
 気まずさに下も向けず、上も見れず。ひたすら降谷の喉を凝視する新一の額にかかる、降谷の吐息。
「君が二十歳を迎えるまで、あと14日。……たったの14日と思うか?二週間なんて、君にとってはあっという間だろうね。だが一年間耐え続けた僕にとっては、今が正に正念場。分かるか?この地獄の日々が」
 ふぅ、と苦しげに吐き出された息が熱い。羞恥に汗をかいている新一よりも、何倍も高い温度。
「君を子供扱いでもしないと、もう耐えられないんだ。理性なんてほとんど残っちゃいない。君の姿にコナンくんを重ねて、まだ子供まだ子供と唱え続けなければいけない僕の気苦労なんて、分かる筈もないだろうけど」
 新一が降谷との『そういった行為』を意識しだしたのは半年前くらいだったか。それこそ、風呂場で降谷の全裸を見てしまった時から脳裏にチラついて離れなくなってしまった日から。
 だが降谷は、それよりももっともっと早いうちから、新一を肉欲を伴う目で見ていたという。真夏、新一が無邪気に半裸でハーフパンツだけで降谷の家をうろついていた時も。何度かここに泊めさせてもらい、ソファで寝ようとした降谷をベッドに引き止めた時も。
「わかってくれたかな。僕の気持ちが」
 呆れ混じりに落とされた降谷の言葉に、声もなくコクコクと頷いた。
「……そう、ありがとう。さて今すぐ送っていきたい所だけど、少しだけ待っててくれるかな」
 こいつをどうにかしてくる、と引き剥がされて。ぽっかりと空いた空白部分から徐々に冷めていく体温。
 無意識、だった。
 咄嗟に伸ばした手で降谷の服の裾を捉える。
「オレ、……オレがやる。手でも、くち、とかでもいいから」
 ごくんと唾を飲み込んで。決死の覚悟で挑んだ新一がそこで見たものは。


 未成年を子供と振り分けた、降谷の努力の行方や如何に?

●料理にまつわる10題×2

★十人十色の料理の腕前
☆01:可愛らしい不器用さ
02:大味さがなかなか◎
①03:偏りすぎているメニュー
04:意外に上手な人
05:意外に下手な人
①06:調理など不要!捕らえて食うのみ
07:どう見てもレトルト食品
①08:栄養重視
09:これが食べ物!?
①10:正に家庭の味

★愛情込めて10の手料理

http://toy.ohuda.com/




01:可愛らしい不器用さ


 鬼の撹乱を見たかったのに、と新一くんはあからさまにがっかりしてそう言った。
 今朝は38度あった体温も、午後には下がってやや微熱程度。2時過ぎにいろんなものを買い込んで突撃してきた彼はきっと、寝込む彼氏を甲斐甲斐しくお世話する姿を絵に描いてきたのだろう。
「悪いね、健康が取り柄で」
「まぁったくだぜ」
 悪びれもせずそう返す新一くんの、キッチンへと向かう後ろをついて行く。レジ袋から透けて見えたのはレトルトのおかゆと、スポーツドリンクがいくつか、それからりんごが2個。時間帯からすると今食べるならりんごだろう。
 ストッカーから包丁を出したところで、「何やってんの」と咎める声に振り向いた。
「何って……。りんご、食べるんだよね?」
「そうだけど、それはオレの役目!降谷さんは寝てろよ」
 包丁を取り上げて調理台の上に置くと、ぐいぐい脇へと押してくる。
「い、いや……だって君、りんごの皮剥ける?」
「るせー、んなもん、適当に剥きゃいいんだよ」
「うわ怖っ」
 うっかり正直な反応をしてしまい、新一くんからの恨みがましい視線から目を反らした。――いや、僕は何も悪くないはずなんだけど。
「じゃあ何もしないし言わないから、ここに居させてよ。せっかく君が来てくれたのに、別々の部屋なんて寂しいだろう?」
 あんまり機嫌を損ねると帰ってしまいかねない、気紛れな仔猫を宥めようと必死になる三十路。……言いたければ何とでも言うがいい。僕にとって大事なのは、目の前の恋人をいかに機嫌よく長時間滞在させるか、なのだ。その他の事などどうでもいい。体調不良で弱くなった心は、ただただ愚直に新一くんの存在を欲していた。
 渋々と了承してくれた新一くんに満面の笑みでお礼を言う。別に、とかなんとか、もごもご口籠ってそっぽを向く恋人の可愛らしさにまた口の端が弛みかけるが、これ以上刺激しないためにも持ち前の表情筋を総動員して耐えた自分を褒めてやりたい。惚れた人の前ではいつだって恰好つけていたいのが男の性なのだ。

 新一くんはキッチンの調理台ではなく、ダイニングテーブルにまな板と包丁を移し、椅子に腰掛けてりんごを手に取った。
「そっちでしないのか?」
「は?」
 元からそのテーブルに着いていた僕の目の前でりんごの皮剥きを始めた新一くんに問かければ、手元から目を上げてこちらをチラ見してくる。疎かになったその場所、新一くんの綺麗な指を刃先が掠めてヒヤリとした。
「や、何でもない――」
「さみしーつったの、降谷さんだろ」
 皮剥きに集中してくれと続けるはずだった言葉は霧散し、耳に飛び込んできた新一くんの声を脳がフル回転で解読しようとする。自分が放った『寂しい』気持ちを、この子は律儀にも汲んで追い出さないばかりか、目の前に面と向かって居てくれるという。
 自分が果たして同じ事をしてやれるかというと正直思いも付かなくて、きっと背中に視線を浴びながら調理をしていただろう。
 これが、育ちの違いかと広げた両手に顔を埋めた。
「降谷さん、具合まだ悪いんじゃねーのか?」
 ベッドで休んでろよ、とつっけんどんな中にも気遣う色が潜んでいて、また更に愛おしさが増していく。こういう所が狡いと思うのは、惚れた弱みか。
 まだ熱さが居残る顔を上げて、覗き込むように近付いていた恋人にリップ音を立ててキスをした。
「っぶね!刃物!」
「そんなヘマはしないよ」
「今度やったら強制的に追い出すかんな!」
 家主よりも強い権力を振りかざす暴君。そんな彼の尻に敷かれるのもまた一興と、お叱りを甘んじて受ける。
「もう何もしないから」
「ぜってーだぞ?ったく……」
 仏頂面で、再び視線を落とす新一くんの目つきは真剣だ。一気に気持ちを切り替えて皮剥きに集中する様を、片手に頬杖をついてぼんやり眺める。少しつとがった唇は無意識なのだろう。やや寄り目に、指先をひたすら注視している――――が。
 しょり、じょり、しょり、ぼとん。
 しょり、しょり、ぽとん。
 皮は細く、太く、薄く、厚く。そのどれもが長く連なることはなく、すぐに途切れてまな板の上に小山を作る。その高さと反比例にその身を小さくさせていく果実。
 新一くんは長く続けて皮剥きする事には拘らないようで、一顧だにしないまま無言で刃を滑らせている。左右非対称の楕円が手のひらの中でくるくると踊る。
 聞こえてくるのはさりさりという音、新一くんのやや強めの鼻呼吸、紅色の花弁が積もる音。


 ――――ふるやさん?  ほらやっぱつかれてんじゃん

 あんたがかぜなんかひくわきゃないって、おもってた


 夢と現の狭間で揺れて、傾いて。
 遠くに新一くんの声を聞いたと思ったのだけど、それさえも確かじゃなくて。
 砂浜を歩いているような、アンバランスな浮遊感。

 さり、さり、さり

 足音はどこまでも遠くまで続いていた。



 木曜日の夜九時。降谷の住むマンションの、リビングにあるソファは久しぶりの恋人たちの逢瀬を深く受け止める。
 座る二人の間隔は拳一つ分。新一の後ろ、背もたれに降谷の腕が乗る。自然と絡み合う視線。期待に高鳴る胸。重なり合う唇。ノックされて、おずおずと開いた新一の口腔内にするりと忍び込む降谷の熱い舌。
「んっ」
 縋り付くものを求めて伸ばされる新一の手はしかし、突如鳴り出した電子音にびくりと止まった。
 熱烈なキスはあっけないほど簡単に終わりを告げ、ワンコール鳴り終わる前に降谷は端末を取り通話を押す。「はい」とだけ応えて機敏な動作でソファから立ち上がり、リビングを出ていってしまった。
 取り残されて比重が傾き沈む座面と、心。新一はドアの隙間が狭まり閉じきってその背中が見えなくなるまでじっと見送った。
 はぁ、と溜息が零れるが、仕方のないことだ。彼は忙しい人だから。
 最前線を退いても、管理クラスに昇進すればそれはそれでやるべき事は山積みで。人員の采配や突然のアクシデント、もたらされる数々の機密情報。何もない時が僕の休日さと笑う彼は確かに、この国の恋人の姿としては相応しいだろう。
 だが、もう一人の恋人としては、やや不満が溜まり気味になるのはどうしても否めない。
 新一だって降谷の仕事に関しては嫌というほど理解しているし、そんな使命に一途な彼も惚れた所の一つでもある。
 付き合ってもう二年。いやまだ二年?とにかく、この二年という長くも短い期間、二人が一日をゆっくりと過ごせた回数は少ない。新一らよりも長く付き合っているのに未だ熱愛中の服部がドン引きするレベル。
 ……細切れには会えてはいるのだ。一日の終わりに数時間。会ってキスして身体を繋げて。そしてほんの少しの会話。会えない日々を埋めるかのように、濃密なひと時を過ごす。
 これじゃセフレと変わりないなんて、初めの頃は思ったりもした。
 けれども降谷の新一を見つめる眼差しが。躰に触れる指先や、言葉に滲む甘やかさが、抱える想いの大きさ、深さを物語っているから。
 いくら鈍感だポンコツだと云われる新一であろうとも、その想いは確かなものだと実感せざるを得ないのだ。

「お待たせ、ごめんね新一くん」
 戻ってきた降谷が、ソファでずっと同じ位置、同じ姿勢でスマートフォンを弄っていた新一の傍らに立ったまま、謝罪を口にした。
 ディスプレイを消して見上げ、首を振る。
「気にすんなって」
 これもいつもの事だから。喉までこみ上げた言葉は飲み込んで、立ち上がる。
「――送っていくよ」
「いいっていいって。逆方向だろ?」
 アウターを羽織り、スマートフォンをそのポケットへ突っ込んだ。
 この遣り取りも、もう何度目だろう。気にしてはいない。していないけど、やはり目には見えなくても、静かに音も無く降り積もった雪の日の朝、カーテンを開いた時の驚きのように。気付けば『それ』は相当溜まっていたらしい。
「たまにはどっかでゆっくりしてぇけどな」
 言うつもりなんて全くなかった。
 自分でも何でこんな言葉が転げ落ちたのか皆目検討も付かない。
 やべえ、と振り向いた先で降谷は矢張り眉をハの字にして突っ立っていた。
「しん――」
「違う!違うからな!?ちゃんと零さんの事情だって理解してっし、全然不満なんかなくて、だから、その……」
 両手をアワアワと振り回し、目の前の伏せられた視線をなんとかして持ち上げようと、必死で言葉を紡いだ。
「ワガママ言いたいわけじゃなくて、なんでだろーな?つい?ついポロッと……いや!本音とかそんなんじゃねーぞ?なぁ、零さんってば」
 こっち向いてくれよ。そんな傷付いた顔すんなよ。
 縋るように伸ばした両手を。――降谷は、捕まえて背後へと廻した。
「ぅわっ、っぷ」
 固い胸板に顔面から飛び込み、息が出来ないと横を向いたところで微かな振動に目を丸くした。
「れ、れーさん?」
「くっくっ……」
 小刻みだった揺れがどんどんと大きくなっていく。なんで笑っているんだろうか、この人は。
 首を大きく曲げて上を見れば、少年のような笑顔で降谷がこちらを見下ろしていた。
「悪戯大成功」
 悪ガキだった頃の降谷はきっと、こんな顔をして笑うのだろう。白い歯を見せて、鼻翼に皺を寄せて。してやったり!みたいな表情は初めて見たから、新一はもう何が何やら。
「えっ、どゆこと?」
「今のは有給確定の連絡。僕は明日から三日間は『確実に』オフって事。国会議事堂が爆破でもされない限り、この電話は鳴らない。ただのガラクタ。……この意味分かるかい?」
 さあ、一眠りしたら出掛けようか。
 道具はすでに揃えてあるんだ。場所も決まってる。新一くんのも用意してあるから、心配しないで。
 ウキウキ、わくわく。そんな擬音が聞こえてきそうな降谷の声音に新一は首を傾げた。
 道具?  場所?
 手が離され、その姿を目で追いかければ降谷は玄関脇の物入れへと足早に向かいガタゴトと何かを広げ始める。
 こわごわと覗いた先には、一見してそれが何なのか判る物ばかりがあった。
 コナンだった頃に散々やったけど、この人本当は羨ましかったのか?言えば一緒に連れてってやったのに。……いや、あの当時は灰原がいたからな。無理だな。なんて。
「零さん……」
「三連休取れるかも、ってなったらね……。嬉しくてちょっとずつ集めてたんだ。けど、取れなかったらを考えたら言い出せなくて」
 テントに寝袋、ランタン、ディレクターズチェア、ストーブに天体望遠鏡まである。しかも大きい。
 冬の廊下、それも玄関先だというのに、降谷の頬は上気して朱い。その様がなんともいえなく可愛らしくて、新一はつい吹き出した。
「なんだよ、言えよそういう事は!まぁ……キャンプに関しちゃ俺はベテランだからな、任せとけって。火起こしは得意だぜ?」
「あ、今回はゆるキャンでいくからそういうのは結構」
「ハハ……。あっそ」
 この人の口から「ゆるキャン」なんて単語が飛び出してくる日が来ようとは。
 このままでは明日が待ちきれないと寝付けなくなり寝坊する子どもみたいになってしまうから。その場であぐらをかいてキャンプ道具の一つ一つを解説しだした降谷に、どこで切り上げさせてベッドに押し込むか。
 新一はタイミングを見計らいながら適当に相槌を打っては、その幸せそうな横顔についつい見惚れてしまうのだった。


 おわり。

「っ!降谷さん!受け止めて!!」
 地上八階建てのビル。その屋上で、工藤くんが叫んだ。
「待て無理だ!僕がそっちに――――」
 フェンスの外側に立つ、彼の背後に新たな影。指名手配犯である連続殺人の容疑者が、ナイフを振りかざす。
 危ない、と叫ぶ余裕も無く。
 ダイヤの形をした金網の隙間から光る切っ先が突き出され、工藤くんはそれをすんでで避けながら身を翻した。
 天からの、雨の雫が頬に瞼にと煩く降り注ぐ。それでも瞬き一つしてなるものかと見開いた視界の中、彼の姿が大きく近づいてくる。
 無理だ、と声にならない叫び。
 この両腕を犠牲にしても構わない。彼の命が助かるのならば。
 だが、優秀な頭が直ぐ様弾き出した生存率は簡単に絶望へと僕を突き落とす。
 腕(かいな)が泳ぐ。たとえゼロパーセントだとしても、彼がその身に負うであろう傷を一つでも減らせれば、と。
 なぜ。僕はまた。失いたくない人に限って――それも、僕の目の前で。世界から色が抜け落ちていく。
 五階、四階とスローモーションの映像を無理矢理見せつけられている残酷な映像の中、唯一の登場人物である工藤くんは――――笑って、いた。
 空中でもなんとか姿勢を立て直した彼は胸ポケットから何かを取り出す。

 ――――ポンッ バシュッ

 ペンライトのようなそれは音を立てて上に長く伸び、その先で羽根を広げるが如く放射状に布を張った。
 バン!と音を弾かせ、風圧を受けてたわみながらも、翼の骨は決して折れず空気を大きくはらみ、落下速度をぐんと下げて。
「――降谷さん!!」
 呆気に取られた僕の上、地上五メートルの辺りまで舞い降りた工藤くんは、何故かそこで、手を離した。
「なっ……!!」
 両手を広げて飛び込んできたのは、天から舞い降りた使者か。きらきらときらめく雨粒が目に錯覚を起こさせる。――――きっと、そう、恋に落ちた瞬間はここだ。後から思い起こせばこの時、確かに僕の世界が大きく変わった。
 工藤くんを抱き締めながら後ろに倒れ、二人勢いを殺すように水溜りの中びしょ濡れになりながら転がる。腕の中に抱え込んだ彼の頭を庇いながら、いつかの光景がリフレインする。あの時も、小さな体と頭を庇うのに必死だったっけ、と。
 インカムから、屋上の出入り口で犯人を刺激しないように待機していた者たちから、確保の声が上がる。それを伝えると「俺がヤツの隙きを作ったおかげですね!」と生意気にも笑って言うから。
「……バカか君は!あんな凄い道具があるならあるとちゃんと言ってから飛び降りろ!こっちの命が幾つあっても足らんだろうが!!」
 理不尽だと知りつつも、縮んでしまった寿命が訴える、工藤くんとこの先重ねて行ける時間が短くなってしまったことへの苛立ちをぶつければ。彼はぽかんとしたまま、僕の腹の上に跨った姿勢で見下ろして。
「――――クッ、」
 堪えきれないといった風に喉を震わせ、そして高らかに声を上げて、笑った。
「降谷さんあんた、言ってる事メチャクチャだぜ!?」
「しっ知るか! そもそもね、君が何故あんな所にいたのか……知ってたらあいつをおびき出す場所を変えたというのに」
「いやぁ〜。こればっかりは」
 信じてもらえないだろうけど、ホントたまたまだったんです。なんて。
 そよがせた目線が、嘘を語っていたから。
 僕は彼の鼻をぎゅうと摘んで、それから。
 腹筋を使って身を起こし、工藤くんの体を力一杯抱きしめた。ずぶ濡れなのはお互い様だ。

「これ以上、好きになった人に先逝かれる苦しみを僕に与えないでくれないか」

 縋り付く手指はみっともなく震えていたけれど。
 散るさだめと知りつつも、僕は、芽生えたばかりの一輪の恋を工藤くんへと差し出した。





 数日後。
 あーいうのは吊橋効果と言ってだな、とごねつつも。元々僕に想いを寄せていたらしい新一くんは僕の腕の中で気怠げに前髪をかき上げて嘆息した。
「犯人とっ捕まえて良いとこ見せりゃ、ちっとは靡いてくれっかな、とは考えてたけどよ……。展開、早くねぇ?」
「へぇー……。やはり、あれは仕組んだものだったのか。ちょっと君、そこに座って。安全を確保した上で行動を起こすことについての重要性を君に説く必要があるみたいだ」
「ば、ばーろ!腰が爆発して起き上がれねぇってのに鬼か!?ピロートークで誘導尋問とか、ホントこれだから公安ってやつはよぉ……」
 僕は、あの時の意趣返しができて満足だと、愛しい君の体温を全身で感じ取りながら声を立て笑った。
 
6/11ページ
スキ