たぬきのお嫁さん

 真のライバルは

 諸伏家には家庭用の除雪機だけでなく小型のホイールローダーもある。毎冬、諸伏家から降谷家までの道路を開けてくれるのもあって、農繁期は貴重な若手として惜しみなく労働でお返ししている。
 今年こそ、除雪機くらいは購入しないとなと道路までひと一人通れるくらいの道をスコップで地道に作りながら、降谷は思った。犬は喜び庭駆け回ると言うけれど、同じイヌ科でも狸は違うのか、新一はこたつの中から出てこない。二日連続で酷使した腰が悲鳴を上げているのは降谷も同じなのだが、基本の体力が違う。だがこたつでアイスを食べながら笑顔で送り出されると、悪態の一つも吐きたくなるもので。後でこっそり背中に雪玉入れてやる、とスコップの雪を遠くに投げ捨てた。

「ごめんくださーい」
 カラカラと諸伏家玄関の引き戸を開けて、新一が声を張り上げる。冬の間は玄関内で飼われている雌の柴犬のミドリが身を起こす。初めのうちこそ吠えられて苦手だと零していたのに、今やすっかり友だちだ。しゃがんでわしわしと体中を撫でている新一はとても嬉しそうだった。
 ヒロの母親が返事と同時にスリッパの音をパタパタと立ててやってきた。あら、新ちゃんこんにちは。の語尾にいつもハートマークが付いているのは気のせいではないと思う。
「零くんもこんにちは。ヒロくん除雪仕事でお風呂上がったばっかりで。上がって待ってて」
 いそいそとお茶淹れるわと先導しようとする彼女を引き止めたのは、新一の方だった。
「おばさんこれ、うちの両親から。お世話になってるお礼にだって」
 アメリカのお菓子?らしいよ。という大雑把な説明に苦笑して補足する。
「ニューヨークのブロードウェイにある有名なパン屋のビスコッティ……クッキーみたいなものです。あとこっちは紅茶。ここのは味も良ければ缶のデザインも素敵ですよ」
「零さんスゲー詳しいのな」
「ひとにあげるのに、『よく分かんないけどお菓子です』じゃあ失礼だろう」
「ふぅん」
「ふぅん、って君ね」
 そこにヒロが来て、同じ説明を繰り返した。今日はこれを渡しに来ただけだから、長居するつもりは元々なかった。ヒロも早朝からの除雪に疲れたのか大欠伸を一つして、そのうち遊び行くよ、と言った。
「あ〜あ、遂に先越されちゃったか。残念」
 突如、ヒロの母親が肩を落として嘆きの声を上げた。ヒロと新一はきょとんとして、声の主を見遣った。
「もう、折角食べ物で頑張って釣ってたのにぃ!」
 ヒロの母親は本気で悔しがっていた。やはりなと内心頷きながら、勝ち誇った笑みも心の中に留めておく。ご近所付き合いは円満に、だ。
「なんだかんだで新一は、僕の手料理が一番好きなんです」
「知ってた〜!あー、悔しい」
 未だに伝わっていない二人を置いてけぼりに、会話はポンポンと弾んでいく。
「お式は?」
「挙げないつもりです。どちらも呼べるほどの身内も知り合いもいませんし」
「そうなのね〜。あっでも、お祝いは贈らせて頂戴。うちの娘になっていたかもしれない可愛い子の、二度とないハレの日ですからね!お写真は?」
「ありがとうございます。写真は撮るつもりでいます」
「絶対に!見せてね!!」
 渾身の目力で押され、たじたじになりながら頷いた。なんのことだとヒロは首を傾げ、母親がじとりと横目で我が子を睨む。
「新ちゃんがゴールインしたのも気付けないなんてこの子はもう!」
「知るかよ!言われなきゃわかんないって」
 降谷もこんなすぐに悟られるとは思わなかった。女の勘というのはどこの世界も恐ろしいものだ。――除く、新一。

 諸伏家からの帰り道、晴れた空の下をさくさくと雪を踏みしめ歩く。太陽光の照り返しの眩しさに目を細めた。
「一番の難関をクリアしたらなんかどっときたな……」
 隙あらばと新一を誘惑していた親友の母が一番の難敵だった。なんなら実の息子より可愛がっていた――と思う。降谷の作る料理の次に美味しいと褒めそやす新一にとって、もしかしたらあれが母の味になっていたのかもしれない。
 一番外れにある我が家までの道程をこの時期に通る車はいない。二人並んで歩く先、雪に覆われた屋根が見えてきた。
「帰ったらこの干し芋とお茶でのんびりしようぜ」
 新一が手にしているビニール袋には、降谷のライバルが作った美味しい美味しい干し芋が沢山入っていた。諸伏家のさつまいもは絶品なのは、降谷もよく知っている。その種芋を貰ったのに、数年経っても未だに同じ味に漕ぎつけられていないことも、悔しさ半分、尊敬半分。
「早く春がこねぇかな」
 調子外れの音程で鼻唄を歌いながら、弾む足取りで新一が言った。
「そうだね。雪はもう降らなくていいとは思うよ」
「それもだけどさ、やっぱ零さんはあったかいお日様の下が似合ってると思うんだよなぁ」
「…………そう、かな」
 これまでは闇の中を息を殺して生きてきたというのに。
 へへ、と寒さに鼻の頭を赤くして、空いている手を握ってきた新一は。それだけじゃない理由に頬まで染めながら笑った。
「一目惚れっつーか。畑で汗かきながら働いてる姿が格好良いなって、初めて見たときからずっと思ってた。でもなんかどっか寂しそうで。そのぽっかり空いてるとこに、俺が入れたらなって、ずっと思ってたんだ」
 いつの間にか歩みを止めた自分の足の、数歩先で振り返る姿が雪の反射光と重なる。手をかざし目を細めた降谷の、視界の中で佇む新一のはにかんだ口元が、言葉を紡ぐ。
「お嫁さんにしてくれて、ありがとう」
 きっとこの光景は、いつまでも色褪せることなく降谷の胸に有り続けるだろう。繋いだままの指先から伝わる命の温もりを、永遠に忘れないようにと。引き寄せ抱き締めて、改めて永遠に変わらぬ愛を誓った。




 
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