11月の5〜7日 幕間

11月5日から7日にかけての降新
【防寒着】【おみやげ】【旅行】

「さっっっっむ!!」
 なめてかかっていた。さすがは気温差十度。東都では薄手のダウンでも少し暑いくらいだと感じていたのに、北の大地に降り立った瞬間に鼻がじんじんと痛みを訴えた。
 試される大地の名は伊達じゃねぇな、と慌てて近場のファストファッション店に飛び込み、厚手のダウンを買い求める。その場でタグを切ってもらい、着ていた方を脱いで紙袋に適当に押し込んだ。約束の時間まで余裕はあるが、距離が距離なだけに早めに移動したい。
 するとその様子を伺っていた店員が、恐る恐ると話しかけてきて、こう言った。
「恐れ入りますが、東都からいらしたのでしたら手袋と厚手の靴下なんかも揃えた方がよろしいですよ」
 お気持ちだけいただきます、と断りかけて蘇ったのは今朝の降谷の一言。
 ――あっちは気温が低いだけじゃない。身を切る風が吹くから。こっちのダウンを着ていったほうがいい。靴下も、二枚履きで。手袋も持っ……こら、人がせっかくアドバイスしてるってのに!
 デイパックに入れられた手袋を必要ないと押し返し、一泊に必要な分だけを持ってきた。降谷さんは体温が高いから寒さが堪えるんだろ、俺なら平気、と突っぱねて。それに、そもそも一泊もするつもりはなかった。依頼された案件はこれまでの経験からいくと半日もあればお釣りがくる。
 ダウンを買って帰っただけできっと降谷さんは「それ見たことか」という顔で出迎えるんだろう。想像しただけで悔しさにギリギリとなるが、自らが撒いた種だ。出来る事ならこれ以上彼に愉悦の元となるものを与えたくないのだが、そんなガキ臭い意地をぐっと堪えて店員に向かって愛想笑いを浮かべた。
「そうですね……。売り場はどちらになりますか?」
 しもやけになって帰った時の方が、降谷の対応が塩っぽくなるどころか、それを万遍なく擦り込むような説教になってしまうと容易に考えられたので。
 十数分後には、さらにネックウォーマーまで装備を揃えて目的地へのバスに飛び乗る自分がいた。……寒くては思考も鈍りがちだからな、と言い訳を連ねて。


 依頼を難なくこなし、腕時計を見やれば帰りの飛行機までまだ時間があった。せっかく北の大地に来たのだし、お土産の一つでも買っていこうかなと空港内をぶらつく。
 オーソドックスにいけば、木彫りの熊だけど。
 店内をぐるりと見渡して、ふと視界に飛び込んできたものに心を奪われた。





 外食で鴨鍋を食べた後、二人連れ立って帰宅した。玄関の明かりがオートで点くと、降谷がビクリと一瞬身を固くしたのに気付いて内心で吹き出す。原因は一つしかない。わざと何でもない風を装って、尋ねた。
「降谷さん、どうかした?」
「いや、どうかした、って君……」
 玄関マットには二組の獣がこちらを向いて鎮座していた。
 茶色の熊と、黄色の狐。見ればわかる通りのルームシューズなのだが、つま先部分が口になっていて大きくぱっかりと開いている。熊の口にはフェルトの牙がくっついていた。
 アラサーとアラフォーの男の二人暮しに似つかわしくない、それ。
「へへ、お土産」
「おみやげ……」
 時々、降谷はこういうギャップのある光景に出くわすと思考が固まる。以前それを指摘したら、「頭が固くなってきた証拠だな……」と苦い顔をしていた。今回もまた似たような状態になってしまったと自覚したのか、苦々しい顔をしてこちらを振り向いた。
「……なんの悪戯かな」
 他意はないのだと、ホールドアップをしてへらりと笑った。
「先日の北海道のお土産だって、ホントに!」
 降谷さん、その日の朝も落ち込んでたから元気づけようと思って!と続ければ、ふぅんと胡乱げな眼差し。あれ、なんだか雲行きが怪しくなってきたぞと首を傾げる。
「てっきり僕は、クローゼットの奥に隠すようにしまわれた新しいダウンと手袋、靴下にタイツから目をそらすための囮かなと思ったんだけどな」
 違うかい?と意地悪げに細められた目。
「なんだ、しっかりバレてら」
「当然だろ。今朝着替えるときに配置がおかしくなってたからチェックしたんだから」
「ひぇ……さすがこーあん」
「僕をなめてもらっちゃ困るな」
 で、と再び視線を床に落とした降谷は、真剣そのものの声色で聞いてきた。
「人生の先輩のアドバイスをまるっと無視して余計な散財してしまったことは咎めないけど。――僕が熊でいいんだよな?」
 がく、と脱力して。もうどっちでもいいと答えた。いそいそと足を中に入れるアラフォーの背広姿を呆れ眼で眺める。もっと嫌がられるかと思ったのに。
 足元を見て、顔を上げて。ご機嫌を隠しもしないで垂れた目をさらに緩ませて、降谷はにぱりと笑った。
「意外とかわいいね」

 ――――ダン!と玄関扉に頭を打ち付けて。
 痛みに呻きながら、自分の中で荒れ狂う男としての猛々しい感情も、「あんたがな」と叫びたい気持ちも必死に堪えた。
「し、新一くん!?」
「……今度は、一緒に行こうぜ。旅行に。降谷さんと行きたい」
 赤い顔を隠さずに振り向くと、降谷もまた笑みを浮かべて頷いた。
「そうだね。その時までにちゃんと、年上のアドバイスに耳を傾ける素直さを身に着けてくれればなおさらだな」
 かちんときて、狐の足で熊の上顎に噛み付いてやった。

 
 
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