うっかり番

「もしもし?珍しいわね、新ちゃんから電話くれるなんて。生活費足んなくなっちゃった?――あら違うの。あっ分かった!ついに新ちゃんにも春が来たのね?んもぅ、運命の番なんてものはないとか言っちゃってたくせについにラブラブな人ができたのね?ってのは冗談で〜……えっゴメンもう一回言ってくれる?――ウソ、ほんとにできちゃったの。私まだおばあちゃんって呼ばれたくないんだけど!……そっちのできちゃったじゃなく?なぁんだぁ〜。番の方かぁ…………、…………つがい!?新ちゃんに!?だって先月そっちに帰ったときまだいないって言ってたじゃない。ってことは、もしかして、無理矢理とか?どこの誰なのか身元は割れてるのなら言ってちょうだい。優ちゃんとそっちに行くからそいつの首根っこ掴まえて……えっ?もしもし、聞こえないわ。もっかい……ぇぇええええ!?」
 その数時間後には機上の人となり、日本に着いたのは夜の10時近く。というのに、仕事帰りだろうスーツ姿のままでその人は我が子と共に到着ロビーの外で待っていた。
「ご無沙汰しております。こちらからお伺いするつもりでしたのに……わざわざすみません」
 最後に会ったのは、確か一昨年の暮れだったかしら。年末年始を家族で過ごそうと帰国していた時に、律儀にもお歳暮を持っていらしたのよね。その時新ちゃんは二十歳だったから、零くんは三十ニかしら。てことは、今は三十四歳……さんじゅうよんさい!?やだ、相変わらずの可愛い顔《ベビーフェイス》なんだけど!この顔で公安のエリートしてるのズルくない!?
 さらにはキャリーケースをごく自然に、当然のように持ってくれるそつのなさにデキる男の匂いを感じる。これはポイントが高いわ、と心の中で唸った。だめよ、有希子。可愛い可愛い一人息子の新ちゃんの操を奪った男よ、この人は。こんなんで絆されないんだから!
「すまないね、君も相変わらず忙しくしているようだが」
 優ちゃんはいつもと変わらない。ちょっと!もう少しなんかこう嫌味とか、チクリと刺すようなことくらい言ってよ!父親の威厳みたいなものはないのかと睨もうとしたら、新ちゃんに呼ばれてそっちに行っちゃった。……こういうとこ呑気なんだから!
 隣を歩いているのに、歩幅を合わせてくれる彼は、以前とは違う部署になったからゼロじゃない、とは新ちゃんから聞いていたけど詳しくは知らなくて。でもずっと交友は続いていたようだ、というのは秀ちゃんからの話。
 それがなんでどうしてこうなったのかという疑問は顔に出ていたみたい。
「ここでは何ですし、レンタカーを借りてきましたから……。ご自宅へ送りがてら、ご報告します」
 数歩先を行く新ちゃんは、優ちゃんと楽しそうに何か話してる。ちらほら聞こえてくる言葉の断片から、事件とか事件とか謎解きとか。いつもの二人の会話に、当事者である新ちゃんがなんでそんなに呑気なのよと呆れた溜息が出た。
「いや、本当に……有希子さんと優作さんには誠に申し訳なく……」
 きっとお嫁さんとかに理想もあったでしょう、と。初めて聞く、その弱々しい声に以前の覇気はなくて。
「なぁに?貴方もしかして、新ちゃんと結婚するの嫌なのかしら」
 じとりと睨み上げれば、もげそうなくらいに首を左右にぶんぶんと振る姿。
「とんでもない!……違うんです。僕にはもう身寄りもないので、籍をそちらに入れることもなんら問題も障害もありません。けれど、仕事は辞めるわけにはいかない。――工藤くんにはきっと、寂しい思いをさせてしまうのではないか、と」
 今も帰宅は真夜中だし、定休日なんてものはない。いつか子供が生まれて、手助けが欲しいときに傍にいられるとも限らない。運動会、入学式、卒業式。もちろん休みをもぎ取る気ではいるが、ひとたび大きな事件や何かが起こったとき、優先されるべきは国家の治安と安全だからこそ。
 ――ふぅん、『工藤くん』ね。
 レンタカーはいつも彼が乗り回している白い愛車と真逆の、黒の大きめSUV。優ちゃんは「ふむ。こういうのもいいなぁ」なんて言いながら眺め回してる。私は断然、クラシックカー。エンジンの鼓動を感じられない車なんて、乗り回しても面白くないもの。
 助手席に新ちゃんが乗り込んで、後ろの席に私達。シートベルトをお願いしますね、とちゃんと声をかけてくる辺り、現役警察官!って感じがして好感が持て……って違う違う!
 当初の目的を思い出して、気を奮い立たせる。優ちゃんは何も話す気がないみたいだし、ここは私がビシッと!言わなくちゃ!
「ところで貴方たち、付き合ってもいなかったって本当なの?」
 単刀直入に。ルームミラー越しに、運転手の顔を見てやろうとしたけど微妙に角度が合わない。新ちゃんはといえば「降谷さんゴメン。俺、簡単にしか言ってねぇ」と片手で軽く拝んでる。君ねぇ、と呆れた声が小さく聞こえた。
「番になった詳しい経緯は聞きましたか?」
「なぁんにも。ただ『番ができた』『うっかり事故だったんだけど』『相手は降谷さんだから、大丈夫』としか」
 ゴン、とハンドルに頭をぶつけて、「きみねぇ……」と大きな溜息。隣では焦ったように、いやだって会ってから言えばいいかなって思って!とあわあわする息子。ああ、この人ももしかしたら苦労してるのかも、なんて思っちゃったりなんかして。うちの子、優ちゃんに似て大事なところほど自己完結しちゃうきらいがあるから。ほんっとーに、申し訳ない。
「いや、そもそも僕から連絡を取るべきだったんだ。例え君が頑なにそれを拒否しようとも……ね」
 ひゅるりと一瞬ブリザードが通り過ぎてったけど、こんな事で動じる私達一家じゃないのよね、残念ながら。新ちゃんもゴメンって!と軽〜く手を合わせただけ。けどそんな事はどうでもいいわ。過ぎたことをぶちぶちと言うよりも、私は早く事の顛末を聞きたいの。だって――だって!
「んもう!そんな事より早く教えてよ!二人の馴れ初め!」
 だって、新ちゃんは今はΩだけど元はバリッバリのα気質で誰がどう見ても紛うことなきαだったのよ。我こそが世界の王!ってタイプじゃないけど、エベレスト級に聳え立つプライドとか、自分が一番イケてるとか、モテるとか、……あらやだ、悪口じゃないのよ。ただティーンエイジャー特有の中二病?自分が主人公になったみたいなあの頃はそれがまた顕著で……当時は優ちゃんと微笑ましく見守ったものだわ。
 話がそれちゃったけど、つまりΩになってもそれは大して変わってなくて、おんなじαに押し倒されるなんてゴメンだとか俺がアカンボ産むとかぜってー無理!と豪語してたのになんでまた、お付き合いよりも先に項噛ませるとこまで一足飛びに行っちゃったのか。それが知りたいわけ。もしかしたら密かにロマンス始まってた?嫌い合っていた者同士、実はラブが潜んでた?両片想いってやつ?有希子そういうの、大っっっ好き!!
「有希子、本音がだだ漏れだぞ」
「えっ?」
 隣で優ちゃんが窘めてくれるまで気付かなくて。前の二人はといえば耳を赤くしながらも、しっかりとそこは否定してきた。
「マジでそん時まで、降谷さんとは探偵と公安って距離感だったよな」
「そうだね。君ときたら事件の管轄なんかお構いなしに巻き込まれたり首を突っ込んできたりするから、いつの間にか警察庁でも工藤新一が関わってるなら僕を呼べ、みたいなトラブル処理係としての地位が定着してしまって」
「そっ……れは、俺のせいじゃねぇだろ。つーか、トラブル処理係って何だよ!」
「いやいやいや、君が活躍したり隣《警視庁》に顔を出すたびに、何故か報告が僕のところに上がってくるようになってね。あの時だって、僕は無関係だった案件なのに君が現場入りしたからと呼び出されて」
「あぁ、だから降谷さんあんなに苛ついてたのか」
「顔には出してないのによく分かったね」
「目がちょっと据わってたからな……当社比で。あと風見さんがいつもより数センチ距離を取ってたから」
 なんだそれ、と運転手が可笑しく相槌を打ったところで強制終了させるために身を前に乗り出した。
「ハイハイハイハイ!いちゃつくのは後にしてもらえる?肝心の番になるまでを、知りたいのよ私は!」
 なんなの、私達お邪魔虫みたいじゃない。キャッキャウフフは二人だけの時にして頂戴。
「す、スミマセン。……ええとですね。それで呼び出された先の事件現場にて、詳しくは伏せますが誘拐されていた子供が犯行グループの乗ったバンから放り出されて」
「それを俺がキャッチしようと走って」
「工藤くんだけじゃ勢いを殺せず二人とも大怪我すると判断し、僕もその後ろで構えていたら」
「当たりどころが悪かったんだよな」
「う、うーん?まぁ言い方はアレだけどもそうなるよね」
「お互い軽傷で済んで良かったっつーか」
「一番大事だった人質の子供は無傷だったしね」
 ほのぼのとしてるところ悪いけれど、項の噛み痕は軽傷以下ってことなのかしら。Ωがαと番うってのは、αが思う以上に重大なことなのに。
 ムギギギと静かに怒りを募らせていたらそれが伝わったらしく、彼は慌てて付け足した。
「あっでもちゃんと、病院に行きましたよ!精密検査もしてもらいましたし……」
「お、おう!しっかりバッチリ、番になってるって!綺麗な噛み痕ですねぇ〜だってよ!」
 なによその「元気なお子さんが生まれましたよ〜」みたいな言い方は。ほら、隣で零くんが乾いた笑いをこぼしてるじゃない。
「その後、ちゃんと二人で真面目に話し合った結果として、お互い相手に不足無しという事で……。僕としても上層部や何やらのしがらみを背負っての結婚はしたくなかったのと、同性異性に強い拘りがあるわけでもなかったので」
「αは番がいなくても平気だけど、Ωはそうもいかねーだろ?一度番っちまったもんは取消せねぇし、俺も降谷さんならまぁいいかなって」
 両手の人差し指で、こめかみをぐりぐりして。――ううん?つまり?
「つまり、新ちゃんも零くんも、好きあって番を受け入れたんじゃなく……」
「それはナイナイ!」
 振り向いて、手を顔の前でパタパタ扇いで笑う新ちゃんは全然平気な顔をしてる。零くんは身もフタもない……と脱力していたけど、取り繕うでもなく。
「優ちゃん……。あたしの知識や考え方はもう古臭くなっちゃったのかしら……」
 愛がないのに番になっちゃったら、もうちょっとこう、悲壮感とか何か漂わせたりするものなんじゃないの!?
 まるで今日の晩ごはんはレトルトカレーにしました〜、みたいな。そんな軽さで、二人は未来を決めちゃって。
 優ちゃんは「ふむ、新一も成人している事だし。僕達が口を挟む理由はないからね」なんて、達観したような口ぶり。うっそぉ。本気で言ってるの?
「入籍はいつするのかね?」
「お二人が日本にいらっしゃるうちに済ませようかと」
「そうか。新一は引っ越すのか?」
「いや、そのまま住むけど?」
 優ちゃんの問に軽く答える新ちゃん。私達は頻繁に帰れないから、あの家の手入れとかも考えたらそうよね。ということは、むしろ頻繁に帰らない方がいいってことじゃない。新婚家庭にいきなり押しかける姑なんてやぁよ、私。
「しかし新一の部屋では手狭だろう。リフォームしてもう一つ主寝室増やすか?」
「へ?なんで?」
「何でって、私達の主寝室を使うのは気が引けるでしょう?かといって新ちゃんの部屋じゃベッド二つも置けないじゃない。一つにするにしたって、クイーンサイズが収まるような……」
 優ちゃんの言う通り、隣室とくっつけて広くしないととてもとても。それとも夫婦別室みたいにするのかしら。
「零くんのお仕事もあるし、やっぱり別々の方がいいのかしらね」
「そうですね。流石にヒートの時はうちに来てもらって一緒に過ごしますが……」
「いきなり同棲しても俺ら多分、すれ違いでそんな顔を合わせることも少ないだろうなってな。それに隣ん家にゃ博士も宮野もいるし」
 ――――んんんんん!?
「工藤くん、同棲じゃなくて同居だよ。僕達結婚するんだから」
「あ、そっか」
 これには優ちゃんも少しばかり唖然としちゃってる。そうよね……そうよね!?番になって結婚するのに、住所は別なの!?籍はどうなるの!?っていうか、えっ、甘々な蜜月はどこ!?
「父さん母さんのそんな顔、初めて見た」
 ブフッと吹き出して、クツクツ笑ってるけど。新ちゃん、私達はあなたの生みの親、育ての親として、幸せな人生を送ってほしいと思ってるのよ。――ほとんど放ったらかしにしてきちゃったけど。
「降谷くん」
「は、はいっ」
 優ちゃんが初めて、零くんに話しかけた。口調は一応柔らかいけど、目がなんとなく…、なんとな〜く、怒ってる?
「詳しく説明してくれるかな?我が息子はこういった面に関してはどうにも話が上手くなくてね」
 年上として、αとして、夫として。きちんと責任を果たせと。優ちゃんからのプレッシャーを受けて、零くんは背筋をピシッと伸ばした。ハンドルを握る手は十時十分。まるで初心者のような運転姿勢。
「申し訳ありません。当初は同居の路線で進めていたのですが、」
「降谷さん、ちょっ」
 零くんの話を遮ろうとした新ちゃんを、優ちゃんは「新一」の一言で黙らせちゃった。何か、新ちゃんにとって都合の悪い……つまり、恥ずかしい話が聞けるのかも!
「試しに僕の所で一泊したところ、その……まぁ、つまり。アレが起きてしまいまして」
「アレ、とは?」
 優ちゃんの声色に楽しむものが混ざってきた。こういう時のこの人、じわじわと追い詰めて狩りをするみたいな、本当に生き生きとしてる。
「ヒートですよ……。お義父さんも人が悪い。息子さんだってそういった話は親に聞かせたくないでしょうに」
「おや、それはすまないね。では君たちは心が結ばれないままに体を繋げたのかね?」
 チクリと刺すような零くんの言葉にも動じず、好きでもないのにセックスしたのかと優ちゃんは切り返した。車内の空気はどんどん不味くなっていくばかり。窓を少し開けたけど、そんな事したって和気藹々ムードになるわけじゃないってのは、分かってる。
「いいえ。抱いてませんよ。不本意な状況で初夜を迎えては後々に禍根を残すだけですからね」
 なんと、ヒートで前後不覚になった新ちゃんを諭して抑制剤を服薬させ、零くんは寄り添うことでΩのαを求める衝動に応えたという――
「――めっちゃ王子様じゃない」
 思わずドスの効いた声で唸っちゃった。
 そんなのもう、愛しかないじゃない。
 あのなぁ、と新ちゃんが呆れた声を上げたけど、それが照れ隠しなのは赤くなった耳でバレバレ。
「それから工藤くんの方で頑なに同居を拒むようになってしまったので……。僕としては心配の種は尽きませんが、無理強いはしたくないので」
「俺の我儘みてーな言い方だぞそれ!……降谷さんち落ち着かねぇんだって」
 あらあら〜?これは、ひょっとして……ひょっとするのかしら?
 優ちゃんも同じものを感じ取ったみたいで、口ひげを撫でながら「……ふむ」って頷いてる。
 うふふ、なぁんだ。私達がやきもきする必要なんてなかったというわけね。
「まぁ、なんだ。お互い好きあってなかったとしてもこれから先はどうなるか。それは二人の努力次第ということかな?」
「そうねぇ。少なくとも、零くんは家庭を作るのもやぶさかではない、って感じだったし?」
 私達の会話に顕著に反応したのは当然ながら新ちゃんの方。
「ハァ!?……え、降谷さん!?」
「いや、今すぐ生んでくれなんては言わないよ。ただ、長い目で見ればいつかは僕たちが惹かれ合う未来もあるのかもしれないな、と。数あるパターンの一つとして、そんな状況が起こりうるかもしれない。そうなったら僕は君を僕だけのΩとしてパートナーとして、ちゃんと迎えに行って僕のテリトリーに囲うつもりだし、心も体も僕のものにするのに努力は惜しまないつもりだよ」
「ひぇ……マジかよ……」
 さすがは零くんの方が大人というか。切り替えの早さは公安のエリートを勤めるだけあって上手いわね。新ちゃんはタジタジになってるけど、全力で嫌がってる風でもないし。これはもう、私達の出る幕はないみたい。
 優ちゃんとそっと目配せしあって、小さく頷いた。

 新ちゃんが住み慣れた我が家を出て、零くんと暮らし始めたのはそれから一ヶ月後のこと。なんでも、ご飯が美味しすぎるのがいけない、とすっかり餌付けされちゃったみたい。
 そうなれば零くんのペースに巻き込まれるのは必至で、同居開始から半月も経たないうちに二人から「正式に番になりました」という報せを受けることになり。
 私はあれだけおばあちゃんと呼ばれるのが嫌だと思っていたのに、気付けば行きつけのお店でベビー服の新作があれば買っちゃうくらい、二人の子供が生まれるのを楽しみにしている始末。あ、もちろん送りつけたりなんかしてないわよ。だって変なプレッシャーかけたりしたらうちの息子のことだもの、絶対変に拗れるって分かってるから。それに元αだから、産むまでは中々受け入れられないだろうなと――そう思っていたのに。
 新ちゃんの適応力の高さは折り紙つきだけど、あれだけ嫌がっていたαを受け入れて、さらには零くんの努力の賜物かちゃんと愛せるようにもなって。けれどまさかニ年後に私がおばあちゃんになるなんて!
 出産まであと三ヶ月という所で大量の服やおもちゃと共に帰国した私達を白い目で見た新ちゃんは、その後おずおずと「実は僕も……」とこれまた大量の服とおもちゃを貸倉庫に隠していたらしい零くんに呆れ果てて。
 私と零くんは並んで新ちゃんのお説教を受ける羽目になるのだけど、なんだか共犯者みたいねと笑ったら、零くんもそうですねと笑ってくれたので良しとするわ。


 
 
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