積もり積もって満ち満ちて


***

 赤井と宮野、それに新一の味方であるはずの阿笠博士まで口を揃えて降谷に頼れと言われてしまえば、再び小さくなってしまった新一にはもう為す手がない。必ず電話すると約束して人目を憚りながら自宅に戻り、スマートフォンの真っ黒な画面を睨むも中々勇気は出てこない。
 だいたいいつも、ヒートが終わったあたりで降谷から体調を伺うメールが来てそれに返事をしがてら次に会う予定なんかを取り付けていた。けれど先日、暫く会いたくないような事を返したばかりだ。どの面下げて降谷にお願いできようか。
「っつーか……正直、気マズイよなぁ」
 精神の安定を欠いた原因は自分にあると、降谷は誤解してしまうかもしれない。かと言って正直に赤井のフェロモンを試しに嗅いだらこうなったなんて言おうものなら、降谷は赤井をブチ殺しにかかってきてもおかしくない。成程、赤井があれだけ渋ったわけだ。大変申し訳ないことをした。
 普段なら手のひらにすっぽり収まるはずのスマートフォンは、この小さな手いっぱいに広げないと持ちにくい。片手で持ったまますいすい打てた文字だって、こんなんじゃできやしない。
「いや……ンなことより。今もし目暮警部とかに呼び出されたって、飛んで行くこともできねぇんだよな」
 それは、一大事だ。江戸川コナンはもういないのに。あれから何年も経ってるのに当時と同じ身長のままで出ていったらそれこそ大事件だ。
「腹括れよ、俺……!」
 意を決して、メールを作成し送った。だがそれに対して返事が返ってくることはなかった。半日待ってみたが、結果は変わらず。自分のなけなしの勇気は肩透かしをくらい、宙ぶらりんに。それならいっそ、と電話を掛けてみたがそれさえも繋がらず。もしかしたら仕事が立て込んでいるのかもしれない。暫く新一と会う予定がないとなれば、多忙な降谷の事だ。連絡を取り合わない前提でスケジュールを組んでいてもおかしくはない。
「あーあ。どーすっかなぁ……」
 宮野にだけは、連絡しとくか。あいつ煩えからな。なんてぼやいたのが聞こえたのか、その本人からの着信に思わず蛙が潰れたような悲鳴を上げてしまった。
「なな、なんだよ灰原、降谷さんに電話ならしたぜ?出なかったけど…………え?」
 落ち着いて聞いて頂戴、という宮野の声が震えていた。
 新一は、その話をどこか他人事のように茫洋として受け止めた。だって、そうでもしないと気が触れそうだったから。
 彼とは番じゃない。番にはなれなかったけど、この体はもう、彼なしでは生きていけなくなっていた。降谷を喪ったら、自分は――――。


 『部下の不手際があり後方指揮をしつつ現場入りした降谷くんが、自暴自棄になった犯人の運転するダンプに轢かれた……らしい。彼なら避けられそうなものだが、どうも部下を庇ったらしく。重体だと、彼を知る眼鏡の男が言っていた』……と。
 新一との仲をどうにかしないと本気で自分が攫うがいいのかと。赤井が降谷に発破を掛けるつもりで向かった先、たまたま警視庁から出てきた風見を捕まえ所在を聞いた所で事態を知らされたという。
 風見は蒼白になりながらも、降谷の身に何か起こったのだと察知し凄んだ赤井に『人づてなので詳しい事はまだ分からないが……意識不明状態にあるのは確かだ』と伝えた。
「状況が分かり次第、俺の所に連絡が入る……。だから落ち着くんだ、ボウヤ」
 工藤邸のリビングにて。新一の挙動を心配した宮野がまず駆け付け、それから暫くして赤井が来た。
「病院は当然ながら門前払いだったが、あそこの見取り図もセキュリティも把握済だ。なんなら忍び込んで連れて行ってやるが」
「いや……、そこまでして降谷さんのフェロモン嗅ぎに行くなんてしたくねぇよ」
「……そういう意味ではないのだがな」
 この場で一番憔悴しているのは新一だった。不安ばかりが胸の中を渦巻いて、一つも希望を見いだせない。絶対に諦めないで待ち続けられる強い気持ちを、保てない。負の気持ちに押し負けそうな自分が歯痒く、許せない。
 とくとくと速まる心臓の鼓動。その場所に手を当てた。とくん、とくん。どくん、どくん。――ひゅう、と喉を切る空気の音。
「――――ッ!?」
「工藤くん!?」
「ボウヤ!!」
 ぐらりと前に傾いだ幼い体を、向かい側から赤井が咄嗟に受け止める。詰まった息をがはりと吐いた。
「おい、志保どうなってる!?」
「ダメよ工藤くん!ネガティブな気持ちはアポトキシンを増幅させるだけ!」
「チッ……!!」
 あの全身を駆け巡る激痛が襲い来る前兆だと身を持って知っているからこそ、新一は今度こそ死を予感した。この小さな体は猛毒に対抗しきれない。さらに小さくなるのか、体内を巡る業火に焼かれてしまうのか。
「は、はいばら……ワリ……」
「なにバカなこと言ってるの死なせなんかしないわよ!?」
 薬取ってくる!と叫ぶな否や、宮野がリビングを飛び出して行く。けれども新一はきっと間に合わないだろうな、とどこか冷静に判断を下していた。意識が朦朧としてくる。いつの間にか赤井の腕の中にいて、必死な呼びかけが頭上から聞こえてくるが応える気力も最早ない。足元から開放されていく重力。きっと魂が抜けていく感覚とは、こういう事をいうのだろう。
 ――赦せよ降谷くん、と赤井の声が聞こえたような、気がした。



 ***

 喉が乾いた。
 背中にびっしょりとかいた汗が気持ち悪い。
 体の節々や筋肉が持久走の後のようなだるさを訴えてくる。
 水。水が欲しい。
「ゆっくりとよ。少しずつ。……まだ意識の混濁が見られるわね」
 降谷さんから怒られるかな。
「馬鹿ね。あの人が貴方を怒る理由なんてないでしょう」
 だって、なんか自分の体が違うもんになっちまったみてぇでよ……。降谷さんのものじゃなくなったみたいな。
「ああ……。それに関しては貴方の責任じゃないし……人命救助みたいなものだし。そもそも二年掛かりのマーキングに敵うものなんてないんじゃないかしらね」
 そうか?
「ええそうよ。貴方は自信を持って、あの人に愛されてるって胸張ってどっしり構えて、迎えが来るのを待っていればいいの。……さ、もう寝て。次に目が覚めた時にはきっと全てが上手く行ってるわ」
 そうか……そっかぁ。
「――志保。ボウヤの様子はどうだ」
「まだ朦朧としてるけど、もう大丈夫。そっちは?」
「ああ、連絡が取れた。降谷くんは――――」
 降谷さん?…………。



 目を覚ますと、窓から夕焼け空が見えた。
「何日寝てたんだ、俺……」
 そのくらい体は重だるく、胃がくうくうと切なく鳴っている。点滴のスタンドは何もかかっておらず、横たわる新一の側にまるでカカシのように所在無げに立っていた。
「丸三日は寝ていたかな。まったく、僕よりも重体じゃないか」
 あんなやつの臭いまで付けて。
 拗ねた声は、ベッドサイドの下の方から。視線をさらに奥に下にと落としていくと、夕焼けに染まりオレンジ色になった後頭部が少しだけ見えた。
「……降谷さん?」
「うん」
「顔、見たいです」
「……それは難しいな」
 どうしてですか、と尋ねる声が掠れ、咳き込んだ。節々の鈍痛に呻くと、「工藤くん」と不安げに揺れる声と共に降谷が振り向き立ち上がり、全貌が露わになる。
「……う、わ」
 包帯だらけ傷パッドだらけで、いつもの浅黒い肌が殆ど白に覆われてしまっている降谷の姿に言葉を失った。腫れ気味の顔や、漂う軟膏の臭い。――誰が誰より重体だって?
 それなのに怪我なんか無かったかのように機敏に水差しから吸い飲みに湯冷ましを注いで、そっと新一の口元にあてがってくる。
「咽ないように、少しずつ……そう、上手だ」
 なんだか、いつかも似たような言葉を聞いたような気がする。それがいつなのか考えることも出来ないくらい、頭の中がぼやけていた。
「君は死にかけた所を、僕以外の……あの男のαフェロモンを浴びせられ、急激に元の姿に戻ったんだ。この点に関しては不本意ながら緊急時だったから仕方がないんだけどね。……とにかく、物凄く疲れている筈だから、しっかり寝て体力回復に努めるように」
 優しい声色と、慈しむような手付きで頭をひと撫でする降谷を重たい瞼の隙間から覗き見る。
「……うそつき」
 怒ってないフリをして、本当は凄く怒っている。青灰色の瞳が濃く揺らいでいる。どうして、なんで怒っているのか。何に?誰に?
「嘘つき、か……。僕にも最初は分からなかったさ。こんなにも、君が――――」
 閉じかけた瞼に触れた彼の柔らかな唇の感触は冷たくて。かなり血が足りてないんじゃねえのか、なんて取り留めもないことを思いながら、微睡みの中に溶けてゆくように意識は落ちていった。

 ――こんなにも君が愛おしいなんて。あの時は、自分でも知らないうちに保護欲という名の厚いヴェールに僕の本心が覆い隠されてしまっていたと、今ならわかるよ。
 あれからずっと、工藤くんの告白のことばかり考えていたんだ。二年も君を支え続けた理由を。曖昧な形としては見えてきていたけれど……はは、君のこと恋愛ポンコツ探偵だなんて笑えないな。
 僕は僕自身の想いにさえ、二年間も気付けずにいたんだ。あいつの臭いを纏った君を見た瞬間に、僕のものものだと吼える自分がいて、初めて知ったんだ。ばかみたいな話さ。
 ……この告白の続きは、また今度。薬が切れかかってきた……戻れるうちに戻らないと。路上でのたれ死ぬわけにはいかないからな。それじゃあね、工藤くん。

 所々だけ聞こえてきた降谷の甘くてほろ苦い独白を、だから新一は夢だと思った。次に目が覚めた時、彼の姿はなく。微かな残り香があの人をなんとなく彷彿とさせて胸を甘やかに切なく締め付ける。けれどもそれは、不思議と痛みを伴わないもので。日常の雑多な音に徐々に掻き消されていく記憶の中の声を、新一は都合の良い夢だと。そう、思った。


***

「――はぁあ!?殴り合った?降谷さんと!?」
 意識不明の重体患者じゃなかったっけ!?と問い尋ねると、目の前の美丈夫は左頬の大きな湿布を煩わしそうにしながら返してきた。
「目が覚めたら送りつけた動画を見るようにと言付けたら、その翌々日のうちに飛んできた元気な重体人だがな」
「その動画……とは」
 嫌な予感にじわりと変な汗が浮く。赤井はといえば、なんてことないと言わんばかりに手にしていた端末をついついと操作して、新一に掲げて見せた。
「ボウヤがボウヤの姿でいた時のものだ」
『……俺だって赤井さんのフェロモンより断然降谷さんのがいいに決まってるっつの。あの人、すんげー良い匂いすんだよ。なんかこう……桜?なのかな?独特な花の匂い。桜餅食べた時と似てるから多分桜だな。こうしてる今だって、降谷さんの淹れてくれたコーヒー飲みてぇなぁなんて思ってるし、なんつーか、もうあの人じゃないと無理。降谷さんがくれた、匂いとコーヒーでこの体は出来上がってんの。……あーあ、俺きっと、一生独身かもしんねえな』
「……ッッッッ!!」
 ぶわりと頬が熱くなった。え、これ全部聞かれたのか?と意味もなく手をわたわたと泳がせる。一歩間違えれば相手を束縛しかねない言葉の羅列だ。重たいのは百も承知でぼやいた言葉だ。こんなの聞かされたら、誰であろうとも責任を取らなくてはと思うだろう。
「そ、れで、なんで殴り合いになったワケ?」
 端末をしまう代わりに今度は煙草のケースを取り出し、手のひらの中でくるくるともてあそぶ。無骨だが銃を扱う者の手だ。戦いに長けた、男の手だ。それを降谷との殴り合いに使ったのか。もしかするとあの人の包帯の半分は、この男が拵えたものなんじゃないだろうか。
「人の話を聞こうともせずに、元の大きさに戻ったボウヤに染み付いてしまった俺のニオイが臭いと、突然殴りかかって来たのでな」
 ついうっかり反撃をしてしまったが、正当防衛だ。そう、そらっとぼけて言い放った赤井の後ろに立って、宮野も援護に回る。
「凄かったわよー。いくら人命救助だと説いても聞く耳持たず。自分の居ない間に匂いつけされたのがよほど悔しかったんでしょ。αは独占欲強いっていうけど、本当ね。マーキングするだけして放置するのとどっちが残酷だと思う?って聞いたら黙ったけど」
 ひえ、と思わず息を呑んだ。女というのは常に容赦ない。いや、宮野は当然のことを言ったまでだけど。その後の降谷の落ち込みようを想像したら自分まで背筋が震えた。
「そ、それで……?降谷さん、動画についてなんか言ってた?」
 あの人の反応を考えるととても恐ろしいけれど、脈アリかナシかだけでも知りたい。お見舞いに来てくれたのはなんとなく朧気に覚えているけど、どんな会話を交わしたのか全然思い出せない。というより、今ここで聞くまで夢だと思っていた。
 赤井と宮野は互いに顔を見合わせ。二人同時に、新一に向かって口元だけで笑って答えた。
「それは、本人から聞きなさい」――と。


***

 それから一週間後、ようやく降谷の面会謝絶が解けたというのでお見舞いに行くと、夢の中で見た(と思い込んでいた)よりも白の面積はだいぶ減っていて。むしろ暇を持て余しているのか、洗面所と思わしき入口の壁側の棧に両手の指をかけて懸垂をしている姿に、ドアを開けたまま新一は素っ頓狂に叫んでしまった。
「降谷さん!一体何やってんですか!?」
「ああ……。こんにちは、工藤くん」
「こんにちは。……じゃなくて!」
 よっ、と軽い感じで着地する様子から、ほぼ傷も治っているのかもしれないなと新一は胸を撫でおろした。とても十日前にダンプに轢かれて重体だったようには見えない。改めて降谷の身体回復能力に舌を巻く。
「なんかもう、直ぐにでも退院できそうじゃないですか」
「そうなんだけどね。でもまだ肋骨は折れてるままで」
 ほらこの通り、バストバンドがないと痛むんだよねと病衣の上を寛げて見せた胸部はほぼ白で埋め尽くされていた。病室であることも忘れ新一は思わず叫んだ。
「――寝てください!!」

 何がいいかと悩みまくって、食べ物や花はきっと持ち帰らされるのだろうなと思い、お見舞いの品は本を一冊。最近読んでとても面白いと思った推理小説だ。それでも突き返されるかなと思い、新たに買わずに自分のものを持ってきた。あわよくば返しに来てくれるかなという下心つきで。
「へぇ。ありがとう、丁度暇してたんだ」
「あ、受け取るんだ」
 クエスチョンマークを浮かべて見上げてきたベッドの上で横たわったまま手を差し出してきた男に、慌てて頭を振って何でもないですと答えた。
「せっかく来てくれたんだし、座って少し話をしないか」
「……」
 どうしようか、と躊躇したのは一瞬。
 部屋の隅でお飾りとなっていた丸椅子を引き寄せて、足元の辺りに腰を下ろした。
「ちょっと遠くないか?」
「それは、この後の降谷さんの返答次第じゃないですか?」
「君の距離感にもよるかなぁ」
 遠回しに他人行儀な言葉遣いを改めろと言われ。新一は気持ち天を仰いだ。
「へーへー。ま、どうせ俺の気持ちも何もかも筒抜けだし。今更だよな」
「お互い様だよね」
 降谷の方も、自分の想いが筒抜けだという自覚があるのだと隠しもしないので。
 二人は束の間見つめ合って。
 ――どちらからともなく、吹き出した。
「い、った……」
「やっぱあんた重傷じゃないですか!本当にお見舞いに来て良かったのかよ!?」
 胸を抑えて呻く降谷の傍に寄って手を伸ばす。
「いや、本当はまだ絶対安静の身なんだけれどね。……君にどうしても、今すぐ会いたくて」
 手を絡め取られた。引っ張られて、そのまま降谷が横たわるベッドの上へ。衝撃の予感に咄嗟に瞑った瞼は、背中に回された力強い腕に回避を悟って眼光鋭く開く。
「降谷さ――」
 文句を言ってやろうと、思ったのに。
 視界いっぱいに彼の顔が映り、喉が詰まった。
 青混じりのグレーが濃く揺らめく。怒りでもなく、悲しみでもなく。その光彩が放つ色を、新一は今なら言い当てられる気がした。
「俺……降谷さんのこと好きだって、言っていいのかな」
「僕も、工藤くんにもう一度チャンスを下さいとお願いしてもいいのかな」
 直後、「もちろん」と言葉を紡いだのは二人同時のことだった。嬉しさに綻ぶ口元も、打ち震える感情が緩ませた涙腺もまた。
 二年もの歳月をかけて積み重ねてきた恋しさ、愛しさを共有するように、想いを伝えるより早く唇が重なった。



 ――――二人が番となったのは、降谷が退院して直ぐのこと。



***

「なぁ……灰原センセぇ〜」
「灰原じゃないし、そもそもどういう事よその姿は!?」
「だぁから、それを聞きに来たんだっつの」
「番になったんじゃないの!?」
「なったって!ちゃんと!」
「じゃあどうして、」
「今、国際サミット開催されてっから……」
「…………なるほどね。ちなみにどの位?」
「一ヶ月と、半月くらい会ってねぇな」
 はぁ、と重い溜め息はどちらのものか。
「番なったら治んじゃなかったのかよ……」
「誰もそんな事言ってないじゃない。っていうか!アナタΩの性質に引きずられすぎなんじゃないの?元αのあのそびえ立つプライドは何処行ったのよ!?少しの間会えないくらいで、まるでウサギじゃない!」
「チチチ。それは違うぜ、灰原。寂しくて死ぬってのは」
 ドヤ顔をする子供の額を人差し指で強く小突いて、宮野は般若の形相で見下ろし冷たく言い放つ。
「体調不良も心身の不調も、一切飼い主に悟らせないで死ぬからでしょう!?こうなる前に寂しいなら寂しいってあの人にハッキリ言いなさいよ!お国の仕事なんかほっぽり出して飛んできてくれるわよ!?」
 それよりも、新一は降谷と一緒に都心のマンションで暮らしているはず。ここまでどうやって来れたのか。
 宮野の疑問に新一は満面の笑みで答えた。
「ちょうど日本に来てたからよ、赤井さんに迎え来てもらったんだ」
 同時に騒がしくなる外に、眉間の皺を揉んで呻いた。
 ――赤井ィィ!貴様性懲りもなく!
 ――おっと降谷くん、今回ばかりは濡れ衣だ。それになにも手出しはしてないぞ。
「もしかしなくても……。わざと伝わるようにあの人を呼んだわね?」
「なんのこと?ボクわかんなぁい」
 番の一大事、重要機密事項(アポトキシン4869被験者)の危機とあれば降谷だって優先順位が変わってくる。そもそもサミットの警備管理業務も降谷の担当ではなかったのを、お見合いを蹴っ飛ばして工藤新一と番った事への腹いせに上役が無理矢理組んだものだったのだ。
 そこまで把握していて、けれど降谷からは手出し口出し無用と言いつけられていたから。我慢に我慢を重ねた結果がこれだ。
「まぁ……れーさんもこれに懲りて、俺にじっとしてろなんて言わなくなるだろ」
「あなたってホンッッと、タチ悪いわね……」
 外ではついにじゃれ合いが始まったのか、地を蹴る音や何かを叩きつけるような音まで聞こえてきた。窓の外を見やれば互いに本気の仕合ではなく、いい体慣らしといったような具合だ。
「零さんもああやってストレス発散できるし、赤井さんもなんだかんだで楽しそうだし。いいんじゃね?」
「そうね……。それでも雷の一つや二つは覚悟なさいよ」
「ハハッ!肝に銘じとく」
 目が合ったのか、窓際の少年は外に向かって小さく手を振った。転んでもただでは起きない。ピンチをチャンスに変える。それこそがこの少年の強みなのだと、宮野は思い出した。
「あんなにメソメソしていたくせにね」
 きょとんと振り向いた少年になんでもないと手をふりふりして、宮野は玄関へと向かった。いい加減にしてくれないと近所迷惑も甚だしい。
 ちらりと盗み見た先の少年は、子供らしくない恋する男の眼差しで己の番を見つめている。
 そういえば、と宮野は新一のヒート周期がそろそろだったのを思い出した。会いたい想いを募らせてしまうのも仕方ない。それになんだかんだで丸く収まったから、それでいいかと肩をすくめた。
「あなたたちが幸せなら、それで」
 ……その後も新一と降谷のすったもんだに度々振り回される未来が待ち受けているだろうとは露とも思わず。



 おしまい!





 
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