Only and Only
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かち、かち、と、時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる。
クラウスとスティーブンに呼び出され、執務室で彼等と向かい合う形でソファに座ったツェッドは、何故か気まずげな沈黙を貫く二人に居心地の悪さを覚えながらも発言を待っていた。
「……その……」
一体何があったのだろうとここ最近の自分の素行や耳にした情報を思い返していると、気まずげな表情のままのクラウスが沈黙を破った。
「最近はどうかね?何か、困りごとなどはないだろうか?」
「はあ……」
面談のような質問をされて、戸惑いが増した。スティーブンが頭痛を覚えたようにうな垂れたので、多分本題は違うのだろうと察するが、その本題が読み取れない。
「……そうですね……水槽やエアギルスの整備も先日してもらいましたし、特に不便はないと思います」
「そうか……それは……」
ひとまず質問に答えると、クラウスの方が明らかに困ったように言葉を詰まらせた。何を聞きたいのかこちらから切り込むべきだろうかと悩んでいると、うな垂れていたスティーブンがどこかやけくそ気味に顔を上げて切り出す。
「あーもう単刀直入に聞こう。結理と何があった?」
「!?」
「スティーブン……」
「これはもう回りくどく聞く方が無理だろ」
直球の問いかけにツェッドが盛大に動揺し、クラウスが宥めるとも咎めるともとれる声と表情をスティーブンに向けた。スティーブンは顔をしかめながらクラウスに返してから、ツェッドに向き直る。
「根掘り葉掘り聞きたいわけじゃない。けど最近の君達がどうにもぎくしゃくしてるのも、君が結理から距離を取りたがってるのも知っている。別に仲良しこよしになれとは言わないが、問題があるならこっちとしても放置はできない」
「……すみません……」
まさか周囲にも影響を及ぼしているとは気付かず、ツェッドは申し訳なさに謝罪した。それから少しの躊躇いとどう説明するかで悩む沈黙を置いて、自分の思いを吐露する。
「その……結理さんと、どう接していいか分からなくなりました」
うつむき気味に話しながら、ツェッドは現状と自分の心情を整理するような気持ちで言葉を考える。
「僕は結理さんに好意を抱いています。けれど僕が結理さんに抱く好意と、結理さんが僕に向ける好意は別物で、始めはそれでもいいと割り切ろうとしていたのに、その差を突きつけられる度に、段々と苦しくなっていってしまって……」
これが身勝手な感情であるということはツェッドにも分かっていた。全て自分の都合だ。少女はこちらの気持ちなど何も知らない。だからツェッド自身で気持ちを消化していくしかないのだ。
なのに、心のどこかでそれをよしとしない自分がいることに気付いてしまった。
「僕が勝手に想いを寄せているだけなのに、結理さんは何も悪くないのに、勝手に避けてしまっているのは申し訳ないと思っています。けれど、今までのように結理さんと接することが、ひどく難しくなってしまってるんです」
改めて言葉にすると自分が情けなくなり、ツェッドは思わず表情を歪めてしまった。割り切らならければならないのにそれができない自分を恥じる。けれど話を聞いてもらって少しだけ気持ちの整理はできた気がして、いつの間にかうつむききっていた顔を上げた。
「ご迷惑をおかけしてすみません。時間はかかっても割り切りますし、業務には支障をきたさないようにしますので、今まで通りに指示をしてくれて構いませんから」
「……ツェッド」
会話を終わらせるようにそう言うと、黙って話を聞いていたクラウスが静かにツェッドを呼んだ。
「今一度、結理と話をしてみてはどうだろうか?」
「え……」
「我々の視点では、今現在の君と結理は行き違いを起こしているように見えるのだ」
「行き違い……ですか」
「対話が足りていない、とも言える。言葉に出来ないこともあるだろうが、今のまま距離を取っていてはいたずらに溝を深める一方になってしまう……と、私は思う」
真っ直ぐに見据えてくる瞳に射竦められたように、ツェッドは背筋を正す。
「対話をしても望む結果は得られないかもしれない。互いに傷つけ合ってしまうかもしれない。だがそれでも、向き合うべきではないのかね?」
「それは……」
「今すぐが難しいのなら、それでも」
構わない、と言いかけたクラウスが不意に言葉を止めた。スティーブンも何かに気付いたように視線を少し上に向ける。何故だろうと振り向こうとしたツェッドだったが、それよりも早く誰かがツェッドを押し退けるようにドカッと隣に座った。
「…………何ですか?」
「なーにをごちゃわちゃこねくり回してんだよ」
思わず尋ねると、ツェッドの隣を陣取ったザップは盛大に表情を歪めながらそう言い放ち、睨みつけるようにツェッドに詰め寄った。
「女に惚れたらやるこた一つだろうが!とっとといでっ!」
「何を吹き込む気だ何を」
まくしたてようとしたザップだったが、それは頭に落とされた拳骨によって阻まれた。ザップは拳骨を落としたスティーブンを涙目で見上げて反論する。
「まだ何も言ってねえでしょうが!」
「お前のこの手のアドバイスが公序良俗に反してないわけないだろうが」
「違いますって!女に惚れたんならとっとと惚れたって言いに行けって言おうとしたんすよ!!」
「……言い難いが、ツェッドは二回撃沈してる。一回はお前のせいだけどな」
「んなもん全部ノーカンすよノーカン!」
スティーブンに睨まれても一切怯まず、ザップはツェッドを指差して当然のように続けた。
「こいつはどーーでもいいことでいちいち悩みすぎなんすよ!ましてや相手はあのじゃじゃ馬なんだから、足踏みしてたらあっという間に遠くに行っちまう!ホントに惚れてんなら捕まえとけっつの!!」
「……けど」
「けどもエドもねえーーよ!!」
「ちょ、ちょっと!」
まくしたてられて戸惑いを見せるツェッドに焦れたザップは、ツェッドを引っ張り上げてるとそのまま突き飛ばすように出入り口へと追い立てた。
「テメーも結理もいつまでもジメジメウジウジぐちゃぐちゃごちゃごちゃうっとおしいっつってだよ!!事務所にカビ生やすな葛餅が!!フラレんならきちっとフラれてこい!」
「捕まえろって言ったりフラれてこいって言ったりどっちなんですか!それにまだ僕は」
「うるっせえよ!お出口はあちらだ加湿器!!」
「お嬢さんなら多分いつものダイナーにいるぞ」
「!?」
「湿り気取れるまで帰ってくんなクラゲ葛餅!」
宥めるどころかザップを後押しするとも取れるスティーブンの言葉に驚いている隙に、ツェッドは執務室から追い出されてしまった。戻って抗議するわけにもいかず、ツェッドはその場で立ち尽くして途方に暮れる。
二度も想いを告げた結果が全て空振りに終わっているのに、今更どうしろというのか。確かにこのまま結理を避け続けることができないのは分かっているが、ザップのようにシンプルな結論をすぐに出すことはできなかった。
けれど、振られるのならきちんとと、望む結果が得られなかったとしても対話をすべきだという言葉は、胸に残っている。なんとなく、今を逃したら当分か、あるいはこの先ずっと彼女と向き合えない気がした。
こうなってしまったからにはまずは結理に会おうと決めたツェッドは、外への扉へ踏み出した。
顔を見たら言葉が出なくなるかもしれない。気持ちを押し付けてしまうかもしれない。それ以前に一方的に避けたことで結理からはもう嫌われてしまっているかもしれない。
それでも、やはりこのままでは駄目だと自分を奮い立たせた。
外の扉が閉まる音を聞いて、執務室にいた面々はそれぞれ深いため息をついた。
「……まさかお前がツェッドの背中を押しに来るとはなあ……」
「そんなんじゃねえっすよ」
スティーブンが苦笑交じりにそう言うと、ザップはめんどくさげにそっぽを向いてソファにどっかりと座り直す。
「いつまでも空気悪くされちゃたまんねえからってだけですって」
「だが、君がツェッドの背を押して発奮させてくれたおかげで、事態は動いた。ありがとう、ザップ」
「…………」
「でもまあ……」
クラウスのストレートな御礼の言葉を受けて気まずげに顔をしかめるザップを尻目に、スティーブンはツェッドが出ていった扉を見やった。
「これでどうにかうまいこと収まってくれるといいなあ……」
それはきっと、二人を見守っている者達の総意だった。
躊躇いの残る自身を振り払うように、ツェッドは強くドアノブを握ってダイナーのドアを開けた。取り付けられたベルがカラコロと鳴って、店内の視線が集まる。
「あ!ツェッド!!」
その中の一人である常連の青年がツェッドの姿を認めるなり駆け寄ってきて、他の常連達も席を立ってわらわらと集まってきた。
「なあツェッド!お前ユーリと何があったんだよ!?」
「え…?」
「あいつ、ツェッドに嫌われたっつってさっきまで泣きながらそこで飯食ってたんだぞ!?」
「え!?」
常連達からの情報にツェッドは思わず驚愕した。ツェッドが結理を嫌うなどあり得ない。
「あ……」
だが自分の行動を省みて、そう取られてもおかしくないと今更ながら気付いた。避けて、距離を考えさせてほしいと宣言するなど、どう考えても嫌ってる相手の言動だ。自分が嫌われたかもしれないとは考えた癖に逆の事態になる可能性にも気付かなかった視野の狭さに、後悔が一気に押し寄せる。
「結理の奴何したんだ?」
「セクハラかましたって?」
「手柄横取りされたんだろ?」
「こら!変な尾ひれつけるんじゃない!!」
口々に詰め寄ってくる常連達をビビアンが一喝した。海を割るように一斉に開けた道を通ったビビアンは、ツェッドの前まで来ると睨むように見上げる。
「何があったか知らないけど、もう一回話し合いたいって言ってたよ、ユーリ。それを突っぱねたりはしないだろ?」
「……はい」
問いかけに、ツェッドはしっかりと頷いた。
「僕も、結理さんとちゃんと向き合う為に来ました」
「……よし!」
返答を聞いたビビアンは満足ににかっと笑ったが、すぐにそれを苦笑に変えた。
「て言っても、ユーリがどこ行ったかは分かんないんだけどさ。十分くらい前までここで食ってたんだけど……レオも一緒だからそっちに連絡する?」
「いえ、自分で探します」
「ああ。行ってきな!」
「ありがとうございます」
「頑張れよ!」
「しっかりねー!」
お礼を言ってからツェッドは踵を返した。常連達の応援を背に受けつつダイナーを出て、左右を見回す。
行きで鉢合わなかったということは、事務所とは反対の方向へ行ったのだろう。回り道をしてから帰ろうと思ったのか、他に理由があったのかは分からない。
「……そういえば」
結理が行きそうな所を脳内でピックアップしていき、一つ思い当たる所が浮かんだ。42番街の近くにあるパーラーだ。景気づけや験担ぎの時によく行くと以前言っていたのを思い出し、もしかしたらと42番街方面へ足を向ける。
ヘルサレムズ・ロットはいつものように賑やかで、遠くからはサイレンの音が聞こえてくる。また強盗か事故だろうかとなんとなく考えていると、不意に携帯端末が着信に震えた。見るとディスプレイにはレオの名前が表示されている。
一瞬、ツェッドは悩んだ。レオは今結理と一緒にいるはずだ。そのレオから着信が来たということは、自分の端末からでは出ないかもしれないと彼に借りた結理かもしれないという考えがよぎる。
だが、それならば逆に好都合だと思い直したツェッドは、意を決して着信に出た。
「はい」
『ツェッドさん!!今ダイアンズダイナーにいますか!?』
「?いえ、今ダイナーを出て42番街方面に向かってます」
『そのまま大通りを北に向かってください!ユーリがヤバそうなのと戦ってます!!』
「え…!?」
切迫した声のレオから受けた報告に、ツェッドは驚きながらもすぐさま走り出した。
「ヤバそうって……血界の眷属ですか?」
『血界の眷属ではないです。けど道路のど真ん中に現れるなり暴れだして、強い戦士がいたら挑んでこい的なことを主張してます!』
「それを結理さんが受けたと」
『はい。クラウスさんとスティーブンさんには連絡済みで、ツェッドさんが俺らを探しに行ったって聞いて……わあっ!!』
「レオ君!?レオ君!!」
『……っ……あ!だ、大丈夫っす!』
通話の途中で受話器から悲鳴と瓦礫が崩れているらしい音が聞こえてきた。呼びかけると数瞬間が空いてから慌てた返事が来る。戦闘はかなり広範囲で繰り広げているようで、受話器からだけでなく進行方向でも破壊音が聞こえて、煙のように土埃が舞うのが見えた。
「もうすぐ合流します。レオ君はなるべく戦場から離れててください」
『はい!』
通話を終えて、ツェッドは駆ける足を更に速めた。クラウス達に連絡をしたということはただの小競り合いではない。相手がどういった存在かはまだ不透明だが、これだけ派手に暴れる手合いと対峙している結理がまた無茶をしかねないのは予測できた。
交差点を曲がると現場は混乱の極みだった。血を流して倒れている住人達が何人も転がっているが、地面がめくれ上がっていたり車が引っ繰り返って道路を塞いでいるせいで救急車が入れないようで、動ける者や装備を破壊された警官が応急処置と避難誘導にあたっている。
「ツェッドさん!!」
「っ!レオ君!」
まずはレオを探そうとしたところで、先にツェッドを見つけたレオがバタバタとした足取りで駆け寄ってきた。そこかしこを土埃で汚しているが、怪我はないように見える。
「怪我はありませんか?」
「僕は大丈夫です!ユーリが守ってくれたんで」
「その結理さんは?」
「向こうで戦ってます。なるべく人気のない所に誘導したいっぽいんですけど、相手が許してくれないみたいで……それと、クラウスさん達はセントラルパークで急に召喚儀式が始まっちゃってそっちに向かってます」
「こんな時に……敵の特徴は?」
「簡単に言うとリザードマン的なやつです。二足歩行のトカゲっぽい……多分異界存在だと思うんですけど、とにかく周辺を巻き込んで暴れ倒すタイプです」
レオが説明している最中に派手な破砕音が響いた。その方向を見ると十数メートル先の雑居ビルの一角が崩れていて、そこから小柄な黒い影が飛び出した。遠かった為に不鮮明だが結理で間違いないだろうと判断した直後に、巨大な赤い棘が天に向かって突き出される。
「っ!」
「あ、ツェッドさん!」
それを見たツェッドは戦場の中心に向かって駆け出した。少女が大技を出してなお、戦闘音は途切れることなく続いている。それだけ手強い相手であるのなら加勢が必要だ。そうでなくても強敵を前にして戦いにのめり込んでしまう結理を止める必要もある。
何より、嫌な予感がした。
確証などない。だがそれでも早く結理の元へ向かわなければと人だかりを抜け、瓦礫を飛び越える。
「きゃああああっ!!」
悲鳴が響いたのは瓦礫を越えた先で少女の姿を探そうとする直前だった。声のした方を見ると出入り口のガラスが粉々に砕けたショッピングセンターがあり、続けて耳障りな哄笑が外まで聞こえてきた。嫌な予感が加速して、急き立てるようにショッピングセンターへ駆け込む。
「!!」
その光景を目にしたツェッドは、一瞬息が止まった。
エントランスの真ん中に立って哄笑をあげているのは、レオが話した特徴の通り爬虫類を思わせる容姿の異界人だ。声の調子から多分男だろう。
その異界人から少し離れたブティックの前に結理はいた。
正確には、クモの巣状に砕けて赤く染まったガラスの壁の前に力なく倒れ伏している。ピクリとも動かず、息をしているのかも定かでない。
「結理さ」
「なんたる愚行!!」
笑い続けていた異界人は、ツェッドの存在に気付かず高らかに声を張り上げる。
「勝ちを捨て!路傍の虫を庇い立てるために戦いを放棄するなど愚の骨頂!!浅慮の極み!ああなんという愚か者か!とんだ期待外れだ!!」
男の言葉でツェッドは気付く。逃げ遅れたらしい異界系の母娘が柱の陰で抱き合って震えていた。恐らく先程の悲鳴は彼女達のどちらかだろう。
結理は、あの母娘を助けようとした隙をつかれて致命打を受けた。
「虫に気を取られる愚者に戦士たる資格なし!」
他者を、もっと言うのなら戦いから縁遠い者達を守ろうとした少女の行動を、あの男は嘲笑っている。
「さて、もっと気骨ある……ん?誰だ?」
「……彼女を、」
それにどうしようもなく、腹が立った。
「愚弄するな!」
「なっ!?」
一足で距離を詰めて繰り出した三叉槍を、トカゲ型の異界人は慌てながらも弾いて飛び退いた。距離を取って値踏みするようにツェッドを上から下までざっと眺めて、牙を見せるように笑う。
「新たな戦士か……面白い!」
言いながら男が鋭い爪を振りかざしながら地を蹴った。次々と振るわれる斬撃の爪を、ツェッドは全て三叉槍で捌いていく。
「貴様がこの俺の目に適う戦士か!見定めよう!」
楽しげな様子で続ける男と斬り結びながら、ツェッドも相手の力量を測る。そしてすぐに気付いた。
この異界人は確かに手強く、油断できる相手ではない。だがそれだけで、結理ならば最終的に大きな負傷もなく勝ちを収められる程度の手合いだ。
だとすれば、
「……普通に戦えば勝てないとふんで、わざとあの親子を狙ったのか」
「何?」
レオは結理に守られたと言っていた。恐らくそれを目撃していて、少女の隙をつくために母娘を狙って誘導したのだろう。卑怯な戦法ではあるが、理にはかなっている。
「何が見定めるだ」
だが、強い戦士との戦いを望むような素振りを見せる輩がとっていい戦法ではない。
「戦士たる資格がないのは、貴方の方だ」
「んな…!」
きっぱりと言い放つと、男の顔が盛大に歪んだ。不愉快を顔全面に出しながら大振りの一撃でツェッドを遠ざけ、激高する。
「きさ……貴様が俺を値踏みする権利などないわあああっ!!!!」
「その言葉そっくりそのままお返しします」
「貴様もすぐさま血祭りに……っ!!?」
喚き立てながら男は再度ツェッドに攻撃を繰り出そうとしたが、その直前で背後の殺気に気付いて表情を凍てつかせた。
その殺気の持ち主である結理は、相手の驚愕など構わずに刃爪を振るう。
「何!?」
男はすんでのところで少女の攻撃を弾いたが、動揺したせいで体勢が崩れた。結理の乱入に驚いたのはツェッドも同じだったが、男よりは少女を知っていた。
この場面なら、結理は自身がどんな状態であろうと必ず追撃をかける。
ツェッドは動揺で二の足を踏むことなく即座に三叉槍を空斬糸に変えて男を縛り上げ、動きを封じた。
「貴様…っ!」
「『血術─ブラッド・クラフト─』……」
全身を拘束された男はうっとおしげに糸を引き千切ろうとするが、結理の方がずっと早い。
「『爪─クロウ─』!!」
少女が繰り出した刃爪は硬質な肌を難なく突破し、男の首と胴体を両断した。悲鳴もなくトカゲの身体が傾き、重いものが複数落ちる音がエントランス内に反響する。
「結理さん!!」
着地と同時にそのまま崩れ落ちかけた結理を、ツェッドは慌てて支えた。荒い呼吸を繰り返す少女はどこもかしこも血に塗れていて、本来ならとても動ける状態でない負傷具合だ。汗のように流れる血が床に赤い点をいくつも作っていき、早く手当てをしなければ命に関わる。
「結理さん!しっかりしてください!!」
呼びかけるが、少女からの返事はない。聞こえていないのか声を上げる余裕もないのかは分からないが、一刻を争う状態なのは確かだ。
「……おのれ……」
「っ!?」
そういえばあの母娘も連れ出さなければと思いかけたところで、悔しげな声がどこかから漏れ出た。見ると首を落とされたはずの男が忌々しそうにこちらを見ていた。
「口惜しいが……敗北は、敗北だ……次は……負けぬ」
そう言い残すなり、両断された男の首の周囲の空間が突然歪んだ。その歪みは小さな黒い穴となって、男を回収するように吸い込み始める。
「……っ……」
それに反応したのは結理だった。逃がすまいと言いたげに指を曲げ、とどめを刺すために駆け出そうとする。
「っ!駄目です結理さん!!」
踏み出しかけた少女ををツェッドがすんでのところで引き止めている間に、男を回収した黒い穴が閉じた。あの異界人が何者だったのかは不明だが、少なくとも今この瞬間にもう一度仕掛けてくることはないと思いたい。
戦闘の気配が霧散したのを確認してから、ツェッドは再度少女に呼びかける。
「……結理さん、結理さん…!」
「…………だめ……」
「え?」
「……まだ……だめ……まだ……倒れるな……」
ようやく言葉を発した少女は前を向いていたが、どこも見てはいなかった。
「結理さん…?」
「……守らなきゃ……」
うわ言のように言葉をこぼす少女は、戦いが終わったことに気付いていない。まだ戦わなければと、死にかけの身体をなおも動かそうとしている。
心が、戦場に置き去りにされている。
「……っ……結理さん!!」
そんな少女を引き戻す為に、ツェッドは強く肩を掴んで向き直らせ、顔を上げさせた。それでようやく我に返ったらしい結理は、ツェッドの顔を見て驚きと怪訝に目を見開く。
「……ツェッドくん…?」
「戦いは終わってます。貴方が勝ったんです!!」
「え……」
「貴方は、守るべきものを守り抜いたんです!!」
言葉が届いたのか、結理は呆然とした表情で一度瞬きをしてから、ふいと視線を別に方向へ向けた。
その視線の先では、いつの間にか来ていたレオが母娘に声をかけながら出口へと誘導している。
「あ……」
息のような声を小さく漏らした結理は、泣きそうに顔を歪めた。直後に糸が切れた人形のように全身から力が抜け、ツェッドにもたれかかるように崩れ落ちた。
「結理さん!!」
ツェッドの呼びかけに、少女が応えることはなかった。
