Only and Only
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「届け物……ですか?」
「これを4番街のハロルドに届けてくれ。それとツェッドの紹介も宜しく」
「ぅげ……!」
指示された名前と住所を聞いて、結理は盛大に表情を引きつらせた。その理由が分からないツェッドは怪訝そうに首を傾げ、理由が分かっているスティーブンは特にリアクションはせずに書類とにらめっこを続けている。
「あのロr……変t……『雑貨屋』さんの所ですか…?」
「そう。あのロリコンで変態でお嬢さんをこよなく気に入ってる『雑貨屋』ハロルドだ」
「オブラート破んないでください。包み切れてなかったけど……てゆうか、あの、スティーブンさんは行かないんですか?」
「ついて行ってあげたいけど、ご覧の通り処理しなきゃなんない書類が溜まっててね」
「……書類はわたしが」
「却下。君とツェッドの二人で行くように。これは業務命令だ」
「く…!分かりました……」
「まあ、奴が直接君に手を出すってことはないよ……多分」
「……もしもの時はぶっ飛ばしていいですか?」
「駄目。あれでも亡くすには色々勿体ない相手だ。逃げるぐらいにしときなさい」
「言ってみただけです」
嫌そうに顔をしかめつつも、結理は差し出された封書を受取って隣に立つツェッドに笑いかけた。
「じゃあ、行こうかツェッド君」
ヘルサレムズ・ロットは今日も剣呑で平穏だった。
小さな異界生物が空を飛び交い、道の真ん中で小競り合いが起こり、道路で車と異界存在の衝突事故が起こり、通りとビルを挟んだ向こうでは破壊音と銃声が聞こえてくる。
そんな喧騒の中を、結理は鼻歌交じりに歩いていた。目的地こそ憂鬱だが長丁場になる用事でもないので、さっさと済ませてしまえば後は昼食をとりながらのんびりと帰路に着けばいい。そう考えると気持ちも軽くなるし、頭の中で行きたい店のピックアップをする程度の余裕も生まれる。
そこまで考えてから、足を止めて後ろからついてきていたツェッドに振り返った。
「そんなじっと見なくても、突然いなくなったりしないから大丈夫だよ?」
「っ!すみません……凝視していたつもりはなかったんですが……」
指摘すると、ツェッドははたと我に返った様子で慌てて謝罪した。大方目を離すとはぐれてしまうかもしれないと思われていたのだろうが、それ以上は触れずに話題を変える。
「そういえば、ツェッド君と二人だけって最初にパン屋さん行った時以来だね」
「……言われてみれば……そうですね。普段はレオ君か兄弟子か、そのどちらもいることが多いですし」
「どうかね?この街には慣れたかね?」
「……クラウスさんの真似ですか?」
「えへへ……当たり」
改めて指摘されると少し気恥ずかしくなって、誤魔化すように笑った結理はツェッドの隣に並んで歩みを再開した。
「騒がしくて色んな人がいて、びっくりすること多いでしょ?」
「ええ。慣れたと思った矢先に、また新たな驚きと遭遇します」
「分かる。昨日までの普通が異常になったり、逆に異常が日常になったり。わたしも最初の頃はいちいち反応しちゃって大変だったなあ」
「そういえば……結理さんは何故この街に?元から『牙狩り』に所属していたわけではないのでしょう?」
「来たの自体はたまたまかな?HLに来るまでは適当に次元移動してたから」
「……次元移動?」
「……わたしのことどこまで話したっけ?」
「特に何も聞いていません」
「人間と吸血鬼と人外のハイブリットってことも?」
「吸血鬼…!?」
「おぉ…!そっからか…!」
吸血鬼という単語を聞いてぎょっとするツェッドに驚いた結理も、丸い目を更に丸くしてから「久しぶりのリアクションだなあ……」と苦笑を漏らした。
「まあ、吸血鬼って言っても血界の眷属じゃないよ?ちょっと長くなるけど……あ、そこの道入ったらすぐだから。この話はまた後で」
少しだけ楽しげに話していた結理は、道を指しながら小走りで路地に入った。
目的地は路地に入ってしばらくも行かない内にあった。レンガ造りの古びた建物に取り付けられたドアは、今にも朽ちてしまいそうな色をしている。そんなドアについたノッカーを結理が叩くと、数秒程で中から開いた。出て来たのは髪が触手状にうねっている異界人の男で、ツェッドの姿を見て怪訝そうにしたが、少女の姿を認めるとすぐに明るい声を上げる。
「おおユーリじゃん!」
「こんにちはルレカさん。ハロルドさんはいますか?いないですよね?じゃあしょうがないこれだけ渡しといてくだ」
「ユーリ!?ユーリちゃあぁぁぁぁぁん!!」
一方的にまくしたてて封書を手渡そうとした結理だったが、それは奥からの声によって遮られた。盛大に顔をしかめかけたがどうにか繕い、ルレカと呼ばれた異界人は苦笑するように息をつく。
「入ってらっしゃい!顔見せて!ああんもう来るなら来るって言ってよー!」
「……だそうだ。相変わらず散らかってるけど、どうぞ?」
「……失礼します帰りたい」
「結理さん、本音が出てます」
扉を潜った先にあった部屋は、一番近い表現をするならば物置だった。壁一面に設置された棚から溢れんばかりに様々な物が詰め込まれていて、床も通路として確保されているらしいけもの道以外は全く見えない。
そんな部屋の奥に持ち主はいた。一見では性別が判断できないその人物は、待ちわびていた様子で結理を見ると目を輝かせながら机を飛び越えそうな勢いで歓声を上げた。
「ユーリちゃん!ああっ…!今日も可愛い……びゅーてぃほー……その艶やかな黒髪に黒曜石みたいな黒目……もちもちしてそうなほっぺた……食べちゃいたい…!隅々まで……あますとこなく……!!」
「ハロルドさん今日もフルスロットルですねぇ……あ、これスターフェイズさんからです。それと新人をご紹介に」
「あら、珍しいタイプの子ね」
「ツェッド・オブライエンです」
荒い呼吸をつきながら舐め回す様に上から下まで眺める人物に、結理は表情を引きつらせないように最大限の努力をしながら封書を渡してツェッドの紹介もする。少女に向ける視線はどう控え目に表現しても危ないそれだったハロルドは、ツェッドに向き直ると今までの態度を全て吹っ飛ばしてごく普通に笑いかけた。
「よろしくミスタ・オブライエン。アタシは『雑貨屋』ハロルド。イイ男は可愛い女の子の次に好きよ。あ!そうそうユーリちゃん、見せたい物があるのよ!お近づきの印って程じゃないけど、ミスタ・オブライエンも見て行ってちょうだい?ルレカ!持ってきて!」
「はいはいかしこまりましたよ」
「はいは一回!」
「はーい」
上下関係のあるだろう相手に軽くあしらうような返事をしたルレカが持ってきたのは、布の張られたボードに乗せられたガラス細工のようなものだった。多角形のガラス板をいくつも重ね合わせたようなそれは、照明の光を受けてキラキラと輝いている。
「これ……ただのガラス細工じゃありませんね?」
「その通り!これね?35度以上の温度に触れると術式が発動して、なんと!部屋の中が簡易プラネタリウムになるらしいのよ!この間骨董市でオススメされて買っちゃったのー!ねえねえねえねえ触ってみてー!!」
「はあ……」
テンションの上がっているハロルドに引いた様子で曖昧な返事をしつつ、結理は言われた通りにガラス細工を持ち上げて、軽く握るように掌に乗せた。
「綺麗……」
「氷の結晶のようですね。」
「……っ?」
ツェッドと一緒にガラス細工を覗き込んでいた結理は、探知能力が捉えた違和感に眉を寄せた。その正体を探るよりも早く違和感が広がり、それは目に見えるものへと変化する。
手にしていたガラス細工の内側から光がこぼれ出し、まるで羽を広げるように光が形を作った。
「っ!?な……」
光の羽は部屋中を照らす勢いで輝き、光源のすぐ側にいた結理とツェッドを攫うように覆ってすぐに消えた。
「……え……ええええっ!?」
後に残ったのは呆然とした表情で見ていた部屋の主達と、床に落ちた小さなガラス細工だけだった。
「……っ……あれ…?」
気がつくと、さっきまでいた物で溢れかえった手狭な部屋の中ではなかった。眩しいぐらいに明るい空間に結理は一人で立っている。周囲を見回すが、鏡のようなガラスのような壁に光が当たって反射して、降り注ぐようにきらきら輝いている光景が目に映るだけだった。
「ちっ……またかあの『雑貨屋』…!」
恐らく『雑貨屋』が渡したガラス細工にプラネタリウムではない何かの術式が組まれていて、それに閉じ込められたのだろう。
様々なネットワークを持つ『雑貨屋』が、こうしたトラブルを意図せずにこちらに放り投げて来たことは一度や二度ではない。口ぶり的に今回も何も知らずに購入した可能性が高いだろう。何某の対応はしようと心に決めてから、結理は今解決すべき問題に向き直る。
「ツェッドくーん!!聞こえたら返事してー!!」
一緒に引きずり込まれた姿は見えていたのでひとまず声を張り上げて呼ぶが、鏡とガラスに反響するだけで返事はない。
(携帯……も圏外。自力で探すしかないか……)
「……ぅ…!?」
確認しながら探知感度を広げたが、引っ繰り返りそうになって慌てて感度を狭めた。少女は生物や建物を始めとして魔術や害意に至るまで様々な気配を知覚できる探知能力を有しているが、この空間内では探知感度を広げようとすると先程声を上げた時のように感覚が反響して様々な気配が無駄に流れ込んできてしまい、前後不覚に陥りかけてしまう。いつものように広範囲を探知してツェッドの気配だけを捉えるのは困難なようだ。
「ハンデ付きでミラーハウス挑戦は初めてだなあ……」
皮肉気に笑いながら、結理は探知を狭める直前にほんの僅かだけ捉えた気配の方に足を向けた。
独りごちた通り、道はミラーハウスのように迷路状になっていて、何の警戒もなしに歩けば鏡やガラスの壁にぶつかりかける。ごく狭い範囲で探知を行いながら、半透明な地面を見て正しい道を慎重に選んで歩く。
二、三回壁にぶつかりかけながらも迷路はすぐに抜けることができた。最初に立っていた空間と同じくらいの広さのある場所に出たが、行き止まりのようで先に抜ける道が見当たらない。
「えぇ…?どうしよう……っ……」
思わず声に出してぼやいた直後に、不穏な気配を感じた。その方向を見ると、壁際の地面の一部が盛り上がり、人の形を作っている。二体のそれらは最初は空間内の壁や地面と同じ半透明だったが、すぐに色がついた。
それは、非常に見覚えのある容姿の少女だった。
「本物の前にニセモノ出してどうすんの……」
ツッコミを入れるが、自分と同じ姿をした二体は無言無表情でこちらに向かいながら手を広げた。結理はやや呆れたため息をつきながら、迷路を抜ける途中ではめておいたグローブに覆われた両手を打ちつけて皮膚を破り、血を溢れさせる。
偽物の結理達は黒の両目で本物の結理を見据え、赤い刃爪を纏わせた手を振りかぶった。それを冷めた目で見つつ、結理も腕を振るう。
「『血術―ブラッド・クラフト―』……『刃鞭―エッジ・ウィップ―』」
振るわれた赤い棘鞭は、振るった本人と同じ姿をした少女達を難なく切り刻んだ。鞭の数だけ分割された少女の姿達は、地面に落ちる前にガラス片に変わる。
背後から戦闘の気配を感じたのは一つ息をついた直後だった。振り向くと、うっすらと見えるガラスの壁の向こうで誰かが戦っている。慎重に感覚を広げ、探知能力と視覚を連動させて壁を透視すると、ツェッドが結理の姿と切り結んでいた。どうやら対峙している相手が本物かどうか判断しかねているらしく、攻めあぐねているようだ。
結理は壁から二、三歩距離を取ってから腕を振りかぶった。
「『血術』……」
掌から溢れた血が彼女の手の数倍の大きさの丸い塊を形作り、固まる。
「『鉄槌―フレイル―』!!」
勢いをつけて手を振るうと、掌から離れた赤い塊が鎖のついた鉄球のように赤い尾を引きながらガラスの壁をぶち破った。結理は赤い鉄槌を消しながら駆け出して砕いた壁を飛び越え、ツェッドに攻撃を仕掛けようとしていた自分の姿に飛び蹴りを叩き込んだ。
乱入してきた少女にツェッドは驚いたようだったが、それはひとまず無視して更に腕を振るう。
「『血術』……『刃鞭』!」
放たれた赤い棘鞭は少女の体を切り刻み、地面に落ちる頃にはガラス片に変わっていた。がしゃん!とひと際大きな音が反響した後は、耳が痛くなる程の沈黙が流れる。
「……ふう」
周囲を軽く見回して追撃の様子がないことを確認した結理は、軽く息をついてから唖然とした表情でいるツェッドの方を向いた。
「……本物、だよね?」
「……そっちこそ本物ですか?」
「もちろん。でもそっちはどうかなぁ…?鏡を作るのは得意でしょ?」
「?何の事ですか…?」
「まあ、会話ができるってことはニセモノではないよね。ちゃんと気配もするし、ニセモノ同士が仲間割れする意味もないし」
よく分からないといった表情の質問にふっと緊張を解くように笑い、結理はツェッドに駆け寄ってから上を見上げた。ツェッドもつられるように上を向く。光源は見えないのに天井は眩しいぐらいに輝いていて、果ては見えない。
「あのガラス細工に閉じ込められてしまったようですね」
「うん。この手のは、多分だけど核になってる部分をぶっ壊せば出られると思う。問題は核がどこにあるかってことなんだけど……」
「感知することはできないんですか?」
「さっき試そうとしたんだけど、色んな気配が反響しちゃって難しいんだよねぇ……」
問いの答え通り難しげに顔をしかめて、結理は周囲を軽く見回した。手近にあったガラスの壁に触れたり軽くノックをしながら、小さく呟く。
「うーん……めんどくさいから一気にやるか」
「え?」
「多分色々降ってくると思うから、吹っ飛ばしてもらっていいかな?」
「は?」
怪訝そうなツェッドの返答を待たず、コートのポケットから鮮血色の石を二つ取り出して一度に口に放り込むと、グローブをはめた掌底同士を打ちつけるように合わせて地面に両手を置いた。それから口に含んだ赤い石を噛み砕き、術を紡ぐ。
「『血術』……『血の乱舞―レッド・エクセキュート―』!!」
「!!?」
少女が形成した大きな赤い棘が、鏡の空間を手当たり次第に貫いていく。氷を割るように地面を砕き、甲高い音を立てて壁をぶち破って天井にまで次々と伸びていき、満遍なく破壊していった。
「結理さん!!これは無茶が過ぎませんか!!?」
「へーきへーき大丈夫!」
色々降ってくるという言葉を理解したツェッドが、慌てて風を起こして自分達に向かって落ちてくる鋭いガラス片を吹っ飛ばしながら思わず叫ぶ。デリケートそうな空間を遠慮なく破壊していく結理は平然とツェッドに返して、技を維持しながら目線を周囲に巡らせた。
「……見つけた!!」
やがて、天井付近から今まで降り注いでいたガラス片とは比べ物にならない程大きな何かが降ってきた。それを見るなり結理は巨大な塊に向かって跳ぶ。
「『血術』……『拳―ナックル―』!!」
赤い装甲に覆われた拳が水晶のような半透明の塊を殴り砕いた直後、引きずり込まれた時と同じように周囲が光で包まれた。
「ぐぉぉめんなさあぁぁぁぁぁぁい!!!知らなかったのよおぉぉぉ!露店のお兄ちゃんはプラネタリウムだって言ったのよおぉぉぉぉぉ!!」
鏡とガラスの空間から脱出し、中で起こった出来事を聞き終わると同時に机に額を擦りつけるように平伏した『雑貨屋』を、結理は冷ややかな目で見下ろしていた。
「この間もそんな感じで変なオブジェ買って世界滅ぼしかけましたよね?」
「それもわざとじゃないのぉぉぉぉ!!」
「んなことは知ってます。わざとだったらとっくの昔に切り刻んでますから。けどこれ何回目でしたっけねえ…?!」
「ああん許してぇぇぇぇっ!!」
言い放つ結理は全身から怒のオーラを発していて、訪れた時に繕おうとしていた表情は一切ない。その光景をツェッドは黙って、ルレカは少し楽しげに苦笑しながら眺めている。
「……とにかく、この事は貸し一つということできっちり報告させてもらいますんで、覚悟しといてください。あと、ネットワークも少し洗わせてもらいます」
「ユーリちゃん……最近目つきがスターフェイズに似てきたわよ…?ああでも…その氷みたいな目も堪らない…!お仕置きに踏んで欲しい…!」
「やらかした人にご褒美あげてどうするんですか…!」
「ごめんなあユーリ……この人俺がいない時に限ってやらかしちゃうんだよ」
「……解決したし用も済んだし、今日はこれで失礼します。封書はちゃんと目を通しといてくださいね?ツェッド君帰るよ」
「また来てねーー!今度は真っ当なの用意しとくから!!次来たら踏んで!!」
「誰が来るか変態凍らされろ」
最後の言葉だけは聞こえない音量で吐き捨てるように呟いて、結理はさっさと室内から出て行った。遅れてついてきたツェッドが外に出たのを確認してからやや乱暴に扉を閉めて、嫌そうな顔でたった今閉めた扉を睨みつけて鋭く息をつきながらコートのポケットを探り、目的のものがないことに気付いて舌打ちをしそうな程顔をしかめる。
そんな少女を見てツェッドが言葉をこぼした。
「……余りにもエキセントリックで驚きました」
「まあ……わたしが絡まないとそうでもないんだけどね。だからスティーブンさん抜きで来たくなかったのに……」
「いえ、結理さんの事です。彼……いや、彼女……あの『雑貨屋』も個性的な方だとは思いましたが……」
「え、わたし?何で?」
「閉じ込められた空間から力押しでの脱出を試みたのは予想外でした。アテがあっての行動だったんですか?」
「…………ウン、モチロンダヨ」
「嘘ですね。というか、アテもなかったのによくあんな行動に出ましたね…!?」
「っ!さ、さー帰ろうか!」
冷静に指摘され、結理は誤魔化しながらその場を離れようと歩きだした。だが数歩も進まない内に膝から力が抜けたようによろめいて、そのまま倒れそうになる。
「危ない!」
「ご、ごめん……ちょっと、つまずいちゃった……」
「……貧血ですか?」
「血晶石切らしちゃって……でも、大丈夫。大したことないから……」
支えられた腕をやんわりと外して、結理は再度歩こうと一歩踏み出した。大きな術を使った反動の貧血で目眩はするが、動けない程ではない。慎重に動けば事務所までは問題なく歩けるだろう。
「……まったく……」
「う、わ…っ!!?」
だが、同行者はそれを許さなかった。大仰にため息をついたツェッドは有無を言わさず少女を抱え上げた。突然の事に結理は目を白黒させて、抱え上げた本人を見やる。
「つぇ、ツェッド君!?」
「途中で倒れられてしまうよりは、こうした方がいいと思いまして」
「ちょ、ま、待って!てゆうか大丈夫だから!」
「そんな顔色で言われても説得力ありませんよ」
「ぅ……」
切り捨てるように言い放たれて、結理は気まずげに視線を逸らした。どうにかこの状態を拒否したいが、ツェッドが譲りそうにないのは嫌になるほど感じ取れたので、仕方なしに諦めて両手で顔を覆ってか細い声で呟く。
「あの、その……せめておんぶにシテクダサイ……街中お姫様だっこは目立つから…!!」
その姿もそれなりに注目の的となるのだが、幸いにと言うべきかどちらも最後まで気付くことなかった。
「本当に申し訳ない……怪我してる訳でもないのに……」
「気にしないでください。あの中では僕も助けられましたし、これでお相子です」
「お釣りが来そうな勢いなんだけど……」
「……そうですね。あの破壊活動をしなければ、こうはならなかったかもしれません」
「……ツェッド君のいじわる……」
「事実を述べているだけです」
「くぅ…!」
ひとしきりの応酬の後、ツェッドに背負われている結理は悔しげに呻いた。できるものなら今すぐにでも自分の足で歩きたいが、一度疲弊を認めた体はそう簡単に回復することもなく、今はツェッドに体重をかけすぎないようにするだけで精一杯だ。『雑貨屋』を出るまではどうにか取り繕ったが、やはりあれ以上無理をして歩いていたらツェッドが指摘した通り途中で倒れてしまっていたかもしれないと、今更ながらに気付く。
「……重くない?」
「驚くぐらい軽いです」
控え目に尋ねると即答された。細身でもやっぱり鍛えてるんだなあと胸中で独りごちていると、ツェッドが静かに続ける。
「……あまり無茶はしないでください」
「……言う程無茶はしてないんだけどな……」
「こんな状態でよく言えますね…!?」
「だって事務所までは歩けたもん。今は可愛い後輩の厚意に甘えてるだけ」
小さく体を震わせて、結理は力なく笑った。強がりであろうことは多分ツェッドも察している。それに気付いている結理もすぐに笑うのを止めた。
「……今は……この世界に来てからは本当に楽にやらせてもらってるよ。HL(ここ)に来る前はもっと無茶してたから」
「そういえば、さっきの話を中断したきりでしたね」
「……それ覚えててよくわたしのことおんぶしてるね……」
「血界の眷属とは違うと言っていたでしょう?それに、ライブラの構成員として在籍しているのなら敵である訳がありませんし」
「………そっか」
「それ以前に、敵ならばスティーブンさんが書類処理を任せたりしません」
「そっちか…!」
自分への信頼ではないのかとツッコミを呻いて、結理は気を取り直すように息をついてから先程中断した話を再開する。
「……わたしね、異界とも違う別の次元から来たの。その世界の吸血鬼や人外と人間の混血だから、血界の眷属とは違うってこと」
「別の次元……」
「ヘルサレムズ・ロットの存在しない世界の住人ってゆうのが、一番分かりやすいかな?」
「所謂、パラレルワールドと呼ばれてる世界ですか」
「そんなとこ。だから血界の眷属には結構びっくりしたよ。あんな理不尽で訳分かんない吸血鬼見たのほとんど初めてだったし」
「結理さんのいた世界では、吸血鬼は人類と共存していたんですか?」
「表立ってじゃないけどね。ある意味HLでの人類と異界人との接し方と一緒かな?知ってる人は出会い頭で襲ってこない限りは普通に接するし、悪いことすれば人間も人外も関係なく止める。彼等は人間とは別の種族ってだけだから。でも話の通じない化物って考えてる人もいたと思う。今考えると、わたしの周りは外から見れば異常だったんじゃないかな?人間も、人外も、吸血鬼も、当たり前みたいに共存してたから。まあ、そうじゃなきゃわたしは……わたしの一族自体生まれなかったけど」
「……故郷には帰らないのですか?」
「もうないの。家族も一緒に、世界ごと滅んじゃったから」
「……っ……すみません」
「気にしないで。もう昔の話だし」
触れてはいけない話題に触れてしまったと謝るツェッドに、結理は苦笑交じりに即答した。気遣われたことに嬉しさと申し訳なさがよぎって、誤魔化すように言葉をこぼし続ける。
「それにね、故郷のことはあんまり覚えてないの。どんな所だったのか、どうやって滅んだのか、どうしてわたしだけが生き残ったのか、地名も……家族やその周辺のことはなんとなくでも覚えてるのに、いたはずの友達の顔すら思い出せない……」
きっと今、自分は言わなくていいことを口にしている。それは分かっているのだが、疲労とそれ以外で歯止めの緩んでいる自身を止めることはできなかった。
「……故郷が滅んで、わたしだけが生き残って、色んな次元を巡ることになって、そんな旅しててたまたま辿り着いたのがヘルサレムズ・ロットだった。で、着くなり堕落王に目ぇつけられて騒動に巻き込まれちゃってねぇ……そんな時にクラウスさん達に助けてもらって、ライブラに勧誘されたの。吸血鬼の血が入ってるってことで最初は多少疑われたけど、それなりにやってく内に認められて、色んな人と出会って仲良くなったりもして、いつの間にか……帰る場所になってた。故郷以外にそんな場所、絶対できないって思ってたのに……」
「…………」
「まあ、いつぶっ壊れて消えてなくなるか分かんない場所だけどね」
「自分で台無しなオチをつけましたね」
「だってHL(ここ)ってそうゆうとこじゃん。めちゃくちゃで何が起こっても不思議じゃない、びっくり箱みたいな世界。何かを失くしても落っことしても、悲しむ暇もないよ」
最後に冗談めかして締めくくり、結理はくっくと笑う。
本当に、毎日が目まぐるしいこの異界都市では寂しさも悲しみも喪失も抱えて立ち止まっている暇がない。
けれど、それに救われている部分も少なからずあるのは事実だった。
「……さっきの言葉に少し付け加えます」
「?」
「結理さんの無茶はそう簡単に止まりそうにないので、余りにも無茶が過ぎるようだったら今後は縛り上げてでも止めます」
「えー…?何それこわー……」
さらりと言い放たれた言葉の中に優しさが含まれていることに気付いた少女は、思わず失笑をこぼした。
「……僕達は、少し似てますね」
「……そうかな?」
「この世界に一人きりという点だけですが」
「……うん、そうだね」
寄りかかるように、結理はツェッドの背に体重を預ける。強がって寂しさを紛らわせていると気付かれてしまったようだ。先程の縛り上げてでも止めるという宣言も、それ故の気遣いなのだろう。あるいは共通点を見つけた安堵なのかもしれない。彼の過去を詳しくは知らないが、平穏平凡な生い立ちでないことは確かだ。もしも彼と自分が似た生い立ちだとしたら、少し嬉しいと思ってしまうのは失礼だろうかと胸中でだけ考える。
世界で一人きり。確かにそうだろう。
けれど、
「でも一人じゃない。だって、わたし達をわたし達のままで受け入れてくれる人達がいるから」
「……はい」
「ふふ……いいね。一人だけど一人じゃないって」
「そうですね」
気が付けば二人で笑みをこぼしていた。すれ違いながら一瞥してくる住人もいるが、大して気にならない。
接すれば接するほど、ツェッドの誠実な面を目の当たりにする。この混沌と理不尽が跋扈している異界都市では生きにくい部分もあるだろうが、真面目一徹ではなく柔軟な所もあるのでうまく遣り過ごせているのは知っていた。
そんな彼の人柄がとても好ましく、少しだけ眩しく見えた。
「ツェッド君は、いい人だね」
「……急にどうしたんですか?」
「んー?思ったから言っただけだよ」
「そう、ですか……」
「そうそう」
思わず出た言葉に自分でもおかしくなってしまい、結理は困惑した様子のツェッドに笑いながら頷いていた。
