肴にくえない話をしよう
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「これで貸し借りはチャラだな」
「いいネタだったんだけどなあ……」
「とっとと返せてこっちは大助かりだ」
薄暗いバーの片隅で、二人の男が並んで座っていた。片方はくわえた煙草を噛み潰しそうに顔をしかめていて、もう片方は涼しい顔でグラスを傾けている。
同僚の二人が仕事終わりに一杯ひっかけに来た、という風に見ようと思えば見えるかもしれないが、そんな間柄では決してない。片方は紐育が異界都市へと変貌する前から表立って治安維持に努めている身で、もう片方は目的こそ似通っているが表に出ることのない存在だ。本来なら隣同士で雑談を交わすなどあり得ないが、何かと出来る縁でこの不自然とも言える光景は成り立っている。
「ったくよお……氷の副官殿はどこまで腹ん中真っ黒なら気が済むんだよ」
「僕の腹が真っ黒なら、君は肺が真っ黒だな。吸い過ぎは体によくないぞ?」
「ほっとけ。数少ねえ癒しだ」
軽口に悪態を返しながら、ダニエル・ロウは短くなった煙草を灰皿に押し付けて、新たな一本に火をつける。それから何かを思い出した様子で、隣に座るスティーブンを見やりながら「そういや」と切り出した。
「この間お前んとこのお嬢ちゃんと会ったぞ」
「聞いたよ。一緒にお昼したんだって?いい店を教えてもらったってご満悦そうだった」
どこか含みのある楽しげな笑みをこぼしたスティーブンは、その笑みをダニエルに向ける。
「いい子だったろ?」
「ああそうだな。油断したこっちににっこり笑って忠告投げつけてくれる、できたお子さんだった」
先日の(襲われかけていると判断して助けた少女は隣に座る男の部下で、ただの子供なんじゃないかと思った矢先に秘密結社の一人としての顔を見せつけられた)一件を思い出して、ダニエルはまた嫌そうに顔をしかめてから続けた。別れ際に向けられた少女の笑顔は当分忘れられそうにない。もちろん悪い意味で。
「あのお嬢ちゃん、お前の子飼いか何かか?」
「詮索にしては雑な聞き方だね。ダニエル・ロウ警部補ともあろう人が」
「詮索ってほどでもねえよ。無防備なお嬢ちゃんかと思ったら、まーどっかの誰かさんみたいな顔するもんだから気になっただけで、回答は期待しちゃいねえ」
「彼女の事なら君も知ってるだろ?1年ちょっと前に堕落王が大々的に紹介していたんだから」
「………ああ、そういやそんなのもあったな」
言われてダニエルは思い出した。何かよく分からない解説をされていたが、少女があの日突然ヘルサレムズ・ロットにやってきたことだけは理解できた。その時は堕落王の騒動に巻き込まれた憐れな一般人の子供という印象を抱いていただけで、まさかそんな少女の印象ががらりと変わるなど、当時は予想もしなかっただろう。
「堕落王の騒動なんざ最低月一で起こるから、すっかり忘れてた。そん時に拾って飼い馴らしたってわけか」
「人聞きの悪い言い方をしないでくれ。彼女は出会った時から何も変わっちゃいない」
即答したスティーブンの声音には、ダニエルでも分かる程度に不機嫌が混じっていた。思っていたよりもまともに回答が来たので、茶化そうとした言葉は飲み込んで別の言葉を投げる。
「……最初っから腹ん中に黒いもん抱えてる得体の知れねえ女って意味か?」
「まさか。お嬢さんは子供だよ。事務仕事と戦闘がちょっと得意なだけの、一人で居たがる癖に寂しがり屋な、ただの子供さ」
「…………」
その回答に、というよりは回答者の表情を見たダニエルは、聞かなきゃよかったと胸中でぼやいた。
腐れ縁で、互いに背中を見せるような関係だとは決して思っていない筆頭な相手の、見たくもない顔を見てしまった。誰かをたらしこむ演技ですら、隣の伊達男のこんな顔は見たことがない。
「……スカーフェイス、」
「ん?」
「お嬢ちゃん手込めにしようってんなら考え直せ。いくらなんでも未成年略取なんて罪状でお前に手錠かけたくねえ」
「……ちょっと待った。一体何の話をしてるんだ…?」
「お前とお嬢ちゃんとの年齢差考えたらHL(ここ)でも犯罪だろ」
「だから何の話をしてるんだ!?お嬢さんは部下の一人だぞ?それ以上でもそれ以下でもないし君が勘繰ってるような関係でもない」
「うわー……さらっとひでえこと言うなーお前。あんな年頃の女の子捕まえて部下の一人でしかないとか、やっすいドラマなら恋敵に掻っ攫われそうになる展開だわー…tenn
」
「なあ、まさか酔ってるのか?まだ一杯しか飲んでないだろ?いつからそんな酒に弱くなった?」
「とまあ冗談は半分置いといてだ、」
「残りの半分はどうした!?」
「氷の副官殿にしちゃ、その部下の一人を随分大事に可愛がってるみてえじゃねえか」
「は…?」
(うわこいつ無自覚だ……)
振り回された直後で繕う余裕がないのか、珍しく心底から怪訝そうな顔をしている相手を見て、ダニエルは声には出さずに唸った。だが直後に、面白いネタができたなとほくそ笑む。仕事上では何の役にも立たない手札だが、こうして雑談交じりに飲み交わしている時には十分有効打になりうる手札だ。ただの腐れ縁だからこそ、遠慮なく切り込める。
「しかし、書類仕事が得意ねえ……そりゃうちにも欲しい人材だ。何せ始末書も報告書も片付けた端から出てきやがる」
「やらないぞ。あの子のお陰でこっちがどれだけ助かってるか……」
「やっぱ子飼いじゃねえか。あー何だっけなあ…?ジャパンの古書でそんな話あったな。ガキの内から囲って自分好みに育てるってやつ。あれ見た時はジャパニーズこええなあって思ったわ」
「何でそこまでして人をそっち方面の犯罪者に仕立て上げたいんだ…!!」
やり取りに若干疲れてきたらしくため息をついたスティーブンに、ダニエルはにやりと意地の悪い笑みを返してやった。
今日の酒は、いつもよりおいしく飲めそうだ。
end.
2024年8月25日 再掲