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「……っ……結理!」
「……ただ今戻りました、クラウスさん」
外の流れに換算して1時間にも満たない内に、少女は白い空間から出て来た。
慌てた様子で駆け寄ってきたクラウスに、結理は笑顔で返した。その顔には濃い疲労の色が浮かんでいて、肩はわずかに震えている。それでも少女は、しっかりした足取りでクラウスの側まで歩み寄ってから振り返った。
時忘れの庵が消え、ドン・アルルエルが姿を見せる。満足げな雰囲気を纏わせている異界存在は、にちゃにちゃと笑いながら結理を見下ろした。
「いや、中々面白い時間だったよ。特に最後の対局は、あの場面からよく立て直して逃げ切ったものだ」
「とんでもない。運が向いただけですよ」
「……次に会う時はもっといい指し手になっていることを期待しているよ、結理君」
「っ!!?」
言外にまた対局する予定をにおわされて、結理はぎょっとして身じろぐが、すぐに表情を繕って笑う。
「えっと……幻滅されてしまう前にご辞退させて欲しい所ですけど、わたしなんかでよければ是非。お付き合いいただき、ありがとうございました」
きっぱりと答えた少女の表情にあるのは緊張だけで、恐れの色はなかった。
「失礼、」
「え?」
エレベーターの扉が完全に閉まって少ししてから結理が大きくため息をつくと、断りの言葉と一緒に不意に体が持ち上げられた。
「う、わ…!?え?クラウスさん!?」
「無理をしないでくれ。あのドン・アルルエル氏と対局したのだ、並大抵の疲労ではないはずだろう」
「……あー……車まではって、思ったんですけど……すいません……」
抱え上げたクラウスに言われ、結理は苦笑を漏らしつつも素直に自分を包む腕に体重を預けた。緊張の糸が切れて、抑え込んでいた疲労が一気に噴き出した。
「すっごかったです……頭沸騰するかと思いました……ボードゲームやっててあんなに思考巡らしたの生まれて初めてでしたよ……」
体を動かした後とは違う疲労と、抱える腕から伝わって来る体温が、ゆるゆると眠気を誘い始めた。けれどこれだけは口にしなければと、結理は落ちそうになる瞼をどうにか持ち上げて、予想通りの顔をしていたクラウスに笑いかける。
「……大丈夫ですよ。ドン・アルルエル氏はとっても紳士的な方でしたし、ただプロスフェアーで対局しただけです。だからそんな顔しないでください」
「すまない。私が君の名を出したばかりに、こんな大事に巻き込んでしまった」
「そんなことないですよ……でも何でわたしのことを?」
「以前彼と対局した時に、少しだけ君の指し方を真似たことがあったのだ。それでどんな指し手なのかと聞かれてつい……」
「……よくあの人との対局中にわたしの指し方真似しましたね…!」
恐らくだが最後の対局で行った制限時間を設けた早指しが、通常の対局だったのだろう。対価を口にしていたので普段はもっと危険な賭けをするであろう中で、自分でも無茶だと自覚している指し方を真似たクラウスに、結理は疲労も忘れて呆れたように息をついた。
「いやでも……おかげですごい貴重な体験ができました……まさかペーペーな腕前のわたしが、あんな雲の上の存在と対局できるなんて……できれば二度とごめんですけど……」
笑いながらそう言った結理の声には、力が入っていなかった。疲労は限界で、意識もふわふわと覚束ない。
そんな意識の中で、先程の対局を思い出した。命のやり取りをしているような緊張の連続で、圧倒的な力をかわすのが精一杯だった中、それでも攻めることは諦めなかった。ドン・アルルエルが言った通り、一手一手に全力を尽くし、戦い抜いた。
天の上の存在のようなプロスフェアー愛好家との戦いの後に、疲労感よりも満足が勝った一瞬があった。
「……楽しかったなぁ………」
意識が完全に沈む直前にこぼした言葉は、その本人である結理自身には届いていなかった。
end.
2024年8月28日 再掲