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門のように並んだ円柱の間を潜ると、そこは何もない白い空間だった。その中心にこれから始まる遊戯の円卓と、その対戦者が待ち構えている。痛いくらいの静寂と、凍りついているような気配が漂っている空間を、結理は何ともなしに見回した。
「空間……いや、時間が切り離されてるんですね……凄い力……」
「よく気付いたね」
思わず声に出た言葉に、ドン・アルルエルがどこか楽しげに答えた。解けた緊張が再び漂い始めたのを感じながら、結理は相手に向き直る。
「失礼します」
言い置いて一礼してから席に着くと同時に盤の中心が開き、そこから伸びたいくつもの手が素早く駒を並べた。
「全部で5局。持ち時間は無制限としよう。君が何度負けようと、全局打ち切れば終了だ。だが一つだけ守ってほしいことがある」
「何でしょう?」
「全力を出し切って対局に臨んでほしい。下手な小細工や付け焼刃は必要ない。君が常に最善と思う手を打ち続けてくれ」
「……それ、下手するとものすごく早く終わっちゃうかもしれませんが……」
「構わないよ。早く終わればクラウス君の心労も少なくて済むんじゃないか?」
「はあ……」
恐る恐る進言すると、ドン・アルルエルはにちゃりと笑いながら返した。冗談なのか本気で言っているのか、いまいち分からない言葉に曖昧な返事をしてから、結理は表情を引き締めた。
「分かりました。例え到底及ばなくても、全身全霊で臨ませていただきます」
「では始めよう」
1局目は、恐ろしいほど早く終わった。
「…………!!」
盤面を凝視している結理は目を見開いて冷や汗を流していた。格が違うどころの話ではない。啖呵を切った通り全力で臨んだが手も足も出なかった。そもそもようやくルールを把握し、初級者から抜け出しかけている程度の腕前しか持たない自分が、あのドン・アルルエルと対局するなど、何の力も持たない一般人が血界の眷属に挑むようなものだ。分かり切ってはいたが、いざ実際に目の当たりにすると本当に実力差があり過ぎる。
「……あ、あの……質問は許されますか?」
「聞くだけ聞こうか」
「クラウスさんが貴方に勝ったことはあるのでしょうか?」
「あるよ。と言っても、時間いっぱいまで逃げ切るという形でだけれどね」
「成程」
(……ヤバい、わたし、死ぬ……)
回答を聞いて冷や汗の量が一気に増えた。結理が知っている中で、クラウスのプロスフェアーの手腕は上から数えた方が早い。そのクラウスが引き分けに持ち込んでようやく逃げ切れているのだ。自分など瞬殺されて当たり前だ。ドン・アルルエルが自分の何を見たいのかは分からないが、期待外れも甚だしいだろう。もしも怒らせてしまったら、約束を反故にされる恐れすらある。首元をゆるゆると締められているようなプレッシャーが、思考も締め上げているような感覚がした。
「……対局前に言った言葉は覚えているね?」
「っ!」
焦燥がぐるぐると頭の中を回っている所に問いかけられ、結理は冷水を浴びせられたように身震いした。ただの確認か、くぎを刺したのか。とにかくその言葉で沸騰しかけていた頭が冷えて、心の温度が下がる。
「…………覚えています」
目の前の存在の怒りを買わないただ一つの方法。
全力を出し切り、対局に臨むこと。
それに対し自分が返した言葉も思い出す。
例え到底及ばなくとも、全身全霊で臨む。
力の差など最初から分かっている。相手が望んでいるのは勝敗という結果ではなく、その過程だ。
「……よろしい。何者にも縛られず、他の思考に囚われることなく力を出し切り、心行くまで楽しもうじゃないか」
少女の表情から焦燥と恐れが消えたのを見計らったように、神性存在と並ぶ異界の者であり無類のプロスフェアー愛好家がそう告げた。
白で埋め尽くされた空間に、駒を置く音が一定のリズムで響いていた。
「早指しではないんだから、そう急がないで欲しいな」
「っ!あ、すいません……急いでるわけではないんですけど、長考が苦手なものでして……」
雑談に応じながら、結理は盤面から視線を外さない。既にいくつか対局を終え、口調も、駒を動かす手も、1局目とは比べ物にならない程落ち着いていた。それに比例するように、対局の時間も少しずつ伸びてきている。
「長く止まると、無駄に迷ってしまう性分なんです。迷って動けなくなるくらいなら、今目の前にある最善を選びます」
「それがこの、自らを削るような手筋かい?」
「……っ……」
「咎めている訳ではないよ。本来なら守りに徹するのがセオリーな戦況で、あえて攻めを貫く姿勢は実に興味深い。一見無鉄砲のように見えてその実、被害を最小限にとどめている的確な手だ」
「……ありがとうございます」
「だが、攻めるだけで切り抜けられるほど、この遊戯(プロスフェアー)は甘くはない」
「っ!」
押し潰すように告げられた直後、リズムが途切れ、崩れた。次の駒に伸ばしかけていた手を、盤面全体に巡らせていた視線を止め、結理は思わず息をのんだ。
「……惜しかった。今の「堕天使」の振り方は少し驚かされたよ。まだまだ粗削りだが中々筋がいい」
「もったいないお言葉です……」
「さて、次で最後の対局だが……」
「はい」
「早指しで1時間といこう」
「……はい?」
唐突なルール変更に、結理は盤面に向けていた真剣な顔を怪訝と驚きに変えながら対面の相手を見た。目が合った(かどうかはよく分からなかったが)ドン・アルルエルは悠然とした様子で続ける。
「君がさっきしたクラウス君が私に勝ったことがあるのかという質問の対価さ。投了はもちろんだが、逃げ切りでも引き分けでも君の勝ちとして全対局の終了とする。もし負けたら相応の対価を払ってもらうよ」
「――っ!?」
(嘘でしょ…!!?)
半分忘れかけていた何気ない質問にいきなり対価をつけられ、先程消えたはずの緊張と焦燥が再び戻って来た。その表情が思い切り出ていたらしく、ドン・アルルエルは苦笑のような声を漏らす。
「心配しなくとも、負けたからといって命を取ろうって訳じゃない。無事に返すという約束は守る。そうだな……君が負けたら追加で早指し10局といこうじゃないか。勿論勝敗は問わないよ」
「わ!……分かりました。」
(負けたら死ぬ…!!この人(?)と早指し10局なんてしたら脳みそ燃え尽きる…!!!)
次など未来永劫あって欲しくないが、もしもあるのならば安易な質問は絶対にしないと固く心に誓いながら、結理は一度深呼吸をしてから思考を切り替えた。
「……よろしくお願いします」