すべては暑さのせい
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「スティーブンさんお願いです。踏んでください……」
「僕にそんな趣味はないよ」
少女の懇願を、スティーブンは彼女を視界に入れることすらせずに断った。断られた少女は、床に座り込んだまま愕然とした表情で嗚咽のような引きつった呼吸を漏らす。
「そんな……酷いこと言わないでください……わたし……あつくてあつくて……もう、耐えられないんです…!」
上気した顔と潤んだ瞳で少女、結理は懇願を繰り返す。言葉に出した通りもう限界は間近で、どうにかなってしまいそうな状況なのだ。
「だって……だって……!」
うつむいた拍子に流れた汗が床に落ち、それを追いかけるようにどうにか上げていた上半身が傾いた。
「事務所が涼しくないなんて予想外だったんですぅぅぅぅぅぅぅぅ………!!!」
半泣きの声で力なく叫び、結理はとうとう床に寝そべるように突っ伏した。
本日のヘルサレムズ・ロットは全域で生存率が60%を切るという予報が流れている。その原因の約半分が、記録的な猛暑の為だった。うだるような暑さで目が覚め、予報を聞いた結理は定時より一時間早くアパートを出た。それもこれも、この暑さから逃れる為に涼しい事務所で過ごそうという為に。
だがその目論見はあっさりと崩れ去った。空調の故障により温度が下げられないのだ。完全に壊れたわけではないので外よりは多少は温度が低いのだが、それでも本当に多少で暑いことには変わりがない。そして修理は終わる目処が立っていない。
「うわーん……あーーつーーいぃぃぃ……!!」
「そんなに涼しくなりたいんなら自分で出せばいいじゃないか。氷の術は君も使えるだろう?」
「出力調整苦手なんです~……今やったらこの階丸ごと氷漬けになっちゃいますよぉ……」
「それはそれでいいんじゃないか?」
「クラウスさんの温室凍らせるわけにはいかないでしょ…!」
「ああ、それは駄目だな」
「だから氷出してくださいぃぃぃ……踏んでぇぇぇ……」
「あー……俺も氷欲しいっす……」
べったりと床に顔をつけてうめく結理に続いて、彼女と同じように涼を求めてきたものの、予想外の事務所内の暑さにソファでのびていたレオも力なく挙手をした。完全に暑さで参っているらしく、さらりと恐ろしいことを肯定するスティーブンや色々際どく聞こえる発言をしている結理に突っ込む気力もないようだった。
「君達は僕のことを製氷機か何かと思ってるのか?」
「「うぇ~……」」
若干険を込めて問いかけるが、返答は気の抜けた呻き声だけだった。これ以上の会話の成立はもう望めそうにない。
「……仕方ないな」
「「っ!!」」
やれやれと言いたげな声とぱきりという音が耳に届き、レオと結理はつい今までのぐったりした様子からは考えられない程の速度で起き上った。視線の先、スティーブンのデスクの下から少し先に、小さな氷の広場が出来あがっている。
「五分だけだぞ」
言い終わる前に少年と少女は氷の上に寝そべっていた。餌に群がる子犬のような二人を見て、スティーブンは思わず苦笑交じりにため息をつく。
「「ああ~~~……涼しい……!!!」」
「お嬢さんもだが、少年がここまでになるなんて珍しいな」
「生まれが寒い方なんで、暑いの苦手なんすよ……多少は我慢できるんですけど、今日は駄目です……暑すぎます……」
「気温が25度超えるなんてあり得ないですよぉ……何でヘルサレムズ・ロットの癖に気温だけニューヨーク準拠なんですかぁ……」
「そうでもないさ。これからマイナスまで下がる可能性だってある。」
「……ありましたねそうゆうの……寝る前までバカみたいに暑かったのに、起きたら雪降ってたのすごい覚えてます……元凶は「全てを氷でとざすのよ!」とか叫んで天候変えてた異界の人でしたよね、確か」
「温室を氷漬けにされたクラウスが問答無用で粉砕させた件だね」
「あの時のクラウスさんはめっちゃくちゃおっかなかったですねぇ…涼しくなってやったー!って思ったの後悔したの、後にも先にもあの時だけですよ」
和やかに中々物騒な話題で笑いあうスティーブンと結理に、レオは色々な意味で何も言えなかった。聞いていないふりを続行する為に逸らした視線の先では、ソニックが気持ちよさそうに氷の上で寝そべっている。きっと、今の自分達も似たような顔をしているのだろう。
「ふぃーあーっちぃ……って何つーとこでくたばってんだよお前ら!」
そこに、大きな独り言と一緒に出入り口の扉が開いてザップが入ってきた。そして床で寝そべっているレオと結理の姿を見つけると、呆れと驚きの混じった様子で一歩下がる。
「うわー……暑苦しいのが来たー……」
「んだとクソガキ!ケンカ売ってんのか!」
「やですよー……動きたくないですー……」
「この暑いのによくそんな騒げますね……」
「外よかここの方が何倍もマシだろうが……」
言いながらザップは、少年と少女が寝そべっている床に薄く氷が張っていることに気付いて、目を丸くしてからやや呆れた様子でスティーブンの方を見やった。
「スターフェイズさん……こいつらのこと甘やかし過ぎじゃないすか?」
「お望みならお前も凍らそうか?」
「いや遠慮しときます」
「ほら二人とも、五分経ったぞ」
「「ええ~~~~…!?」」
告げると同時に氷が床から消えると、レオと結理は揃って不服そうに顔を上げ、またのびるように床に寝そべった。
「天国って儚いね、レオ君……」
「そうだねユーリ、儚いから今を生きなきゃダメってことだね…」
「ダメだこいつ等、頭沸いてやがる」
名残惜しそうに冷気の残滓を堪能しつつ言い合う二人を見て、ザップは遠慮なくドン引きした視線を向けた。
「つーかよ、そんな涼しくなりてえんなら魚類んとこでも行けばいいじゃねえか。あそこならここより涼しいんじゃねえの?」
「「…………」」
「な……何だよ?」
ザップの言葉に、レオと結理は無言で顔を上げた。無言無表情で凝視されているザップは思わずたじろぐが、二人はお構いなしに続ける。
「……ザップさん、あんた天才ですか?」
「その発想はありませんでした。流石ですね」
「……オイ待て」
「レオ君、行こう」
「うん」
頷き合う頃には、二人は立ち上がって駆け出していた。そんな少年と少女を、呆れを始めとした様々な感情がないまぜになった表情で見送ったザップは、唖然と呟く。
「何であそこまでぶっ飛んでんだよあいつら……」
「暑いからじゃないか?」
それから少し後、
「わあああああああっ!!ユーリストーーーーーップ!!!」
とある一室からそんな悲鳴がした後に、大きな何かが水に落ちるような音がした。
「僕も暑さは得意ではないから涼を求めたい気持ちは分かります。けれど水槽にいきなり飛び込んでくる人がありますか?いくら身体能力が高くとも、貴女は水中では呼吸ができないんですよ?あんなに深さのある所に服も着たまま……いや、あの状況で脱がれる方が困るんですけど、とにかく余計に動きがとれなくなるような状態で飛び込んで、万が一の事態になったらどうするつもりだったんですか。実際、僕がいなかったら溺死していたかもしれないんですよ?」
「うぅ……ごめんなさい……」
「前々から思っていたんですが、貴女は無鉄砲が過ぎます。女性である前に人として、もっと自分を大事にしてください。この間も――」
「うぅぅぅ……」
更にその後、大きなタオルにくるまれた状態で髪から水を滴らせる結理が、執務室でツェッドに長々と説教をされている光景が目撃された。
end.
2024年8月28日 再掲