日常に至る経緯7.5
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「うぅ~……」
扉が閉まった数秒後、結理はか細く呻きながらソファに引っ繰り返った。
異次元の、それも『同族殺し』の力を持つ吸血鬼に連なる者の存在を知って急遽HLにやってきたエイブラムスに、一悶着あった末に相当な量の血を抜かれて今にも倒れてしまいそうな程顔を真っ青にしていたが、全員(特にクラウス辺りだろう)がいなくなるまでは倒れまいと繕っていたのが限界を迎えたらしい。
「大丈夫……じゃなさそうだな、お嬢さん」
「……スティーブンさん…?」
覗き込んで声をかけると、結理は驚いたように目を丸くしてから、スティーブンが残っていたことに今気付いたらしく、しまったと言いたげにわずかに顔をしかめる。
「いや……大丈夫です……緊張し過ぎただけで……気疲れってやつです……」
そして明らかに嘘であろう言葉をさらりと口にした。それを指摘してやろうかと思ったが、少女が続ける方が早かった。
「……エイブラムスさんにまとわりついてた呪いって、聞いて大丈夫な感じですか?」
「感知できたのか……」
「あれだけ濃いのが大量にへばりついてたら嫌でも……」
「彼は血界の眷属対策の専門家だけあって、連中からの恨みも大量に買っているんだよ」
驚きを隠さずに呟いてから、少女の疑問に答える。最初は驚いたり顔を引きつらせたりとリアクションを取っていた結理だったが、徐々にそれも緩慢になり、眠そうに瞼が落ち始めた。それを横目に、スティーブンは隅にある小型の冷蔵庫から用意しておいた大きめの瓶牛乳と、棚から鉄剤の入った瓶を取り出すとテーブルに置く。その音に気付いた少女が、目を丸くしてがばりと飛び起きた。
「牛乳!!」
「彼が来るって聞いた時点でこうなるんじゃないかって思ってね」
「うわああああああん!!ありがとうございますスティーブンさん大好き!!!」
勢いよくお礼を言って瓶に飛びついた少女が全て飲み終わる頃には、先程までの状態が嘘のように顔色は良くなっていた。見れば見る程変わった体質だなあと思いつつ、一応釘は刺しておく。
「心配をかけたくないという気持ちは察するけど、どんな理由であれ体調が悪いのは隠さないこと。君の貧血は普通のとは違うんだから尚更だ。鉄剤は常備しておくから、何かあったらいつでも言うといい」
「……ぅ……はい……」
ばつが悪そうに苦笑を漏らした結理だったが、すぐに表情を曇らせて顔を上げた。
「……っ……あの、スティーブンさん、」
「ん?」
「わたし、本格的に検体になるんですか?」
尋ねる少女の瞳は、不安げに揺れていた。血界の眷属対策の専門家が自分に会いに来たとなれば、嫌でもこれからのことを想像してしまう。下手をすれば実験動物扱いをされるのではないかという懸念を抱くのも当然だ。そしてそれを拒否してしまったら、自分がライブラや『牙刈り』と敵対することになるのではないかという不安を抱えているのが、表情から見て取れた。
「血界の眷属対策の専門家が来たってことは……そうゆうことですよね?」
「それはないな」
迷うように尋ねる結理に即答しながら、スティーブンはソファに腰掛けた。隣に座られるとは思っていなかったらしい少女は驚いたように目を丸くするが、そのまま返答を待っている。
「さっき見た通り、彼は少し遠慮がないタイプだから、今回来たのもまず間違いなく独断だ。それに一応建前上として、異次元から来た君がヘルサレムズ・ロットの外に出られるのかという疑問が残ってる。HLだから存在を維持できているだけで、外に出た瞬間消滅するかもしれないし、別の次元に飛ばされるかもしれない。実際、『牙刈り』本部にはそう報告してあるしね。研究施設は外にあるから、君を連れ出すのは難しいだろう」
「成程」
返答に嘘はない。突如現れた異界とも違う異次元の存在かつ、吸血鬼に連なる者である一之瀬結理の処遇は、組織としてはまだ持て余し気味だ。敵対の危険性はないと判断して大まかの監視は解いているが、『門』を越えようとするとどうなるか分からない為、誰も手を出せない状態だった。
納得気に頷いて、ついでに何故か若干の恐怖らしき感情で顔を引きつらせてから、結理は気になることがあったのか訝しげに眉を寄せて続けた。
「建前ってことは、本音もあるってことですか?」
「クラウスが絶対に許さないよ。同志として勧誘して迎え入れたのに、掌を返して被検体として差し出すなんて所業は君への侮辱であり裏切りだ。そんな騙し討ちのような決定は断固反対する……と、あいつなら言うだろうね」
「……あー……」
実際、エイブラムスが来るという話になって一番気が気でなかったのはクラウスだろう。もしも結理が生体サンプルのような扱いを受けることになったらどうやって食い止めるべきか、そもそも食い止めることが出来るのか、鬼のような形相で胃に穴が空きそうな程悩んでいる姿をスティーブンは目撃している。結理が採血されている最中も血液が持ち帰られた後のことを悩んでいたようなので、彼が想定する最悪の事態になったら協力してやらないとなと考えていると、渦中の少女が小さく笑みを漏らした。
「……信用されてるなあわたし……」
「疑われたいのかい?」
「嬉しいってことですー…!」
わざと意地の悪い聞き方をすると、結理は拗ねたように口を尖らせてから嬉しさを隠し切れないようにまた笑う。
「こんな、訳分かんない存在なわたしのこと仲間として認めてくれて……こんな嬉しいことないですよ」
少女の笑みは言葉にした通り心の底から嬉しそうで、どこか安堵しているように少しだけ泣きそうに見えた。
「……それはお嬢さんが自分で勝ち得た信頼だよ」
「わたしが…?」
「君が何も包み隠さず行動で示してみせたから、みんな君を認めたんだ。さっきはクラウスが許さないと言ったけど、施設行きを反対するのはきっとあいつだけじゃない。例え本部と喧嘩になろうとも、君を実験動物扱いするような真似は許さないさ」
「……スティーブンさんも……ですか?」
「……そうだね」
恐る恐る尋ねてくる結理の頭を、スティーブンは何の気なしに撫でた。自然と出た動作に自分でも少し驚いたが、それは表に出さずに少女に答える。
「ザップが書いた古文書を解読できる子がいなくなるのは痛手だ」
「……実用的な理由ですね」
冗談めかした言い方が面白かったのか、結理は思わずといった風に噴き出した。それからすぐに顔を上げて、真っ直ぐにスティーブンを見上げて微笑む。
「でも……ありがとうございます」
「…!」
変化が現れたのは結理が礼を言ったすぐ後だった。
まるで霧が晴れるように、或いは朝日が昇るように、ずっと夜の闇のような黒だった少女の瞳の色が鮮やかな二色に変化した。彼女の瞳にかけられているらしい術が解除され、本来の色を見たスティーブンは驚きに軽く目を瞠った。
「ああ成程……『これ』か」
クラウスを始めとした何人かの会話の端から聞いた、宝石のような柘榴色と翡翠色のオッドアイ。それを持つ少女は、怪訝そうに瞬きを繰り返した。
「へ?どれですか?」
「確かに綺麗な瞳だ」
「うぇえぇっ!?いきなり口説き文句ですか!?」
「子供を口説くほど不自由はしてないよ」
「うわナチュラルに失礼……」
素直に顔をしかめた少女はデスクの上に書類が積み上がっているのを見つけると、どこか申し訳なさそうな顔になってから、手伝えることはないかと申し出てきた。
「……何か手伝えることありますか?」
「まだ大丈夫だ」
少し前なら、それで会話は終わっていた。積み上がっている書類は機密文書も多く、簡単な書類や本人が作成した分でもない限り、少女には触らせなかった。
けれど今は、その先を続ける。続けられる、と言った方が正しいかもしれない。
「……と、言いたいところだけど、期限順に仕分けをしてくれないか?」
「はい喜んで!!」
仕事を頼むと、結理は花が咲いたようにぱっと表情を輝かせた。
7.5 end.
2024年8月18日 再掲