日常に至る経緯7
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「ただいま戻りましたー」
お昼ごはんを外で済ませて戻ると、執務室の中には一人しかいなかった。その一人のスティーブンさんはわたしの方を向いて笑う。スティーブンさんの目の前のテーブルにはチェス盤が置いてあって、誰かと対局した後みたいで駒は盤上いっぱいに広がっていた。
「おかえりお嬢さん」
「おお……チェスですか?」
「さっきまでクラウスと対局していたんだ。君もやってみるか?」
「はいやりたいです!ああでも、あんまり強くないんでおてやわらかにお願いします……」
即答して、わたしはスティーブンさんの向かい側に座って駒を並べ始めた。
スティーブンさんの視線には気付いてる。
わたしのことをじっと観察してるみたいなその視線の温度が低いことも。
スティーブンさんは時々、特にわたしと二人しかいない時はこの目をわたしに向ける。けどわたしはいつも、気付いていないふりをしてる。多分気付いてないふりをしてることには気付かれてるだろうけど、やましいことはないし、言いたいことがあるんなら直接言ってほしいと思うし、下手につついてややこしいことになっても困る。
「……飛車角落ちとかありですか?」
「うん?」
「将棋でハンデつける為に強い駒をいくつか抜いてくれるルールです」
「残念だけどチェスにそういったルールはないな。代わりにはならないが先手は譲ろう」
「ありがとうございます」
今はとりあえず、目の前の対局に集中するだけ。
「よろしくお願いします」
一礼をしてから、わたしはポーンの駒に触れた。
予想通りって言うべきか、スティーブンさんはかなりチェス慣れしてた。思い切って突っ切りたいけど何回も阻まれるし、逆に攻め返されることが多い。
「中々やるじゃないか」
「ありがとうございます」
「しかし……何とも君らしい手だな」
攻めようとしてた白のナイトを、黒のビショップで取りながらスティーブンさんがそう言った。うん、確かにチェスとか将棋の手は、普段の戦闘とあんまり変わんない感じかもしれない。
「昔祖父と将棋やった時に同じこと言われました。自分を削りながら突っ込む無茶な手だって」
「プロスフェアーなら30分持たずに詰みそうだ」
「ぷろ……す、ふぇあー……って何ですか?」
「異界で大昔からあるらしいチェスに似たゲームのことさ。クラウスが熱狂的にハマってるから、今度手ほどきしてもらったらどうだい?」
「何か面白そう……聞いてみます」
異界でとかクラウスさんがハマってるとかって聞くと難しそうな気がするけど、何か楽しそうなゲームだ…ボードゲームの類は誰かと対戦してもそんなに勝率よくないけど、プレイするの自体は好きだから今度クラウスさんに聞いてみよう。
……っと、まずい……ちょっと追い詰められてきた……でも攻め切れるかな…?
「そういえば、スティーブンさんはそのプロスフェアーはやらないんですか?」
「脳味噌を沸騰させる趣味はないよ」
「一体どんなゲームなんですか……」
「チェックメイト」
「…………え?」
あっさり告げられた言葉に、わたしは思わず息を詰まらせて止まった。盤面を隅々まで見て、ようやく気付いた。いつの間にか少しだけど張ってた守りが崩されてて、白のキングは黒に囲まれていた。
「……え、ええっ?嘘ぉっ!?」
「攻めに重点を置く戦術は有効な時もあるが、それが通じない相手もいるってことだ」
「……逆もまた、ですよね?」
「屁理屈だな」
「分かってます。負け惜しみの悔し紛れです」
えー…!?いつ崩されたの…?全然分かんない……ダメだ、やっぱチェスって奥深い……これで敗戦記録更新だあ……将棋だと勝てること多いんだけど…やっぱ取った駒使えないのは不利だなあ……
「もう一局やるかい?」
「はい!おねが……」
スティーブンさんが言ってきたから、わたしはすぐによっかかってたソファから飛び起きた。こうなったらこっちの気が済むまで付き合ってもらおう。
駒を並べ直そうと思って乗り出そうとして、止まった。
ていうか、足が動かなくて止まるしかなかった。
何が起こったか分からなくてとりあえず動かない足元を見てから、スティーブンさんの方を見た。スティーブンさんは何でもないみたいに駒を並べ直している。
もう一回、確認する気持ちで見ると、やっぱり最初に見た時と同じで、テーブルの下から伸びてる氷がわたしの足を凍らせていた。まず間違いなく、これは目の前にいる人の仕業だ。ていうかいつ氷が伸びてきたのか全然分かんなかった……すごいな……多少気ぃ抜いててもこの手のには気付ける自信があるんだけど、本当に分かんなかった……
「……スティーブンさん、冷たいです」
「あんまりにも無防備だから、ちょっかいをかけてみたくなってね」
「事務所の中でぐらい気を抜いたってよくないですか?」
「わざと言ってるのか?」
「わざとはぐらかしてます」
問いかけに、わたしは少しだけ緊張しながら即答した。試されてるのは分かってる。本気で攻撃する気なら足だけじゃなくて全身を凍らせることだってできたはずだし、殺意が乗ってるならいくらなんでも気付く。
それをしないってことはわたしの何かを見たい、もしくは暴きたいってこと。スティーブンさんが何を思っているのか、自分がどうするべきか、何をすれば正解か、不正解か。それを見極めないと多分、本気で凍らされる。
駒を並べる手を止めて、スティーブンさんがわたしを見た。顔は少し笑ってるけど、目は全然笑ってない。