日常に至る経緯6
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「……っ……お疲れ様です、チェインさん」
気配がした方向に向かって振り向くと、数秒遅れて今まで見えなかった姿が見えるようになった。声をかけられたチェインは室内を軽く見回してから、結理に問いかける。
「結理だけ?」
「はい。クラウスさんは温室にいますけど、スティーブンさんは所用で出てます」
「そう……」
チェインは返答に軽く息をついてから、『ヘルサレムズ・ロットの歴史』と書かれている本に目を通している結理を見下ろした。視線に気付いた少女は、怪訝そうに顔を上げる。
「……何かありました?」
「いつもどのくらいのタイミングで私に気付くの?」
「入ってくる直前くらいには気付きます。集中すればもっと早く分かりますけど……」
「見えてるわけじゃないんだよね?」
「はい。いるなあって、感じ取るだけです」
「ふうん」
納得したのかしていないのか、チェインは頷くと唐突に姿を消した。結理は目を丸くしたが、そのまま動かずに意識だけで辿る。
数秒程してから、チェインは結理が座るソファの背に足をつけて姿を現した。角度的に膝が少女の頭に乗っているはずなのだが、重さは感じない。
「これも、移動してるのに気付いてるってこと?」
「はい」
「今結構思い切って希釈したんだけどなあ」
「き、しゃく?透明になってるんじゃないんですか?」
「ちょっと違う」
怪訝そうに尋ねる結理に答えながら、チェインは軽く飛び上がると少女が座るソファのひじ掛けの上に着地してしゃがんだ。そのまま伸ばした手だけを希釈し、結理の顔を撫でるように動かした。感触は無いのに気配だけが通り抜けたのを感じ取ったらしい少女は、驚いた様子でぱちぱちと瞬きを繰り返している。
「簡単に言うと、自分の存在を薄めるの」
「薄める……いないことにする、みたいな感じですか?」
「そんな感じ」
「成程」
ほう……と感嘆らしいため息を漏らして、結理は何気なくチェインの手に触れた。好奇心に輝いている瞳で見つめながら遠慮なく手を握る少女に何か言うべきか迷ったが、結局チェインはされるがままに触れさせておくことにした。
やがて、結理ははっと我に返った様子で身じろぐと、頬を紅潮させながら慌てて手を離した。
「っ!す、すいません…!無遠慮ににぎにぎしちゃって…!」
「いいよ別に。減るもんじゃないし」
わたわたと謝る結理に即答して、チェインは両手で挟むように少女の頬に触れた。触れられた結理は驚いたように目を丸くして、左右で色の違う瞳でチェインを見つめる。
「チェインさん…?」
「かわりに私も触るから」
宣言するなり、チェインはまるで犬を撫でるように結理の顔と髪を遠慮なく撫で始めた。驚きながらも手を振り払ったり嫌がる素振りは見せない少女だったが、撫でられて触れる指や揺れた髪が首や耳を掠めるくすぐったさに身をすくめる。
「うわ……あの、チェインさ……あはは!くすぐったいです…!」
けらけら笑う結理は、普通の少女にしか見えない。それはこのヘルサレムズ・ロットではある意味不自然なのかもしれないが、少なくとも目の前の少女は得体の知れない化物には見えなかった。普通に笑い、驚き、興味を示す、見た目の年相応な女の子だと思えるような反応だ。
「……結理さ、」
「はい?」
「監視されてるの、当然気付いてるよね?」
「はい」
乱した髪を整えてやりながら尋ねると、結理はあっさりと頷いた。
「嫌じゃない?」
「そりゃあいい気分はしませんけど、やましいことは特にないし、この世界にわたしを証明できるものはないから仕方がないとも思います」
問いかけに、結理はやはり当たり前のようにさらりと即答する。
一之瀬結理の経歴調査はチェインも参加している。異界とも違う異次元の存在だという堕落王の言葉通り、少女の経歴は未だにどこからも出てこない。生きている以上、人類であろうと異界の者であろうと血界の眷属であろうと、生きてきた軌跡はほんのわずかだとしても必ずどこかから出てくるものだが、彼女にはそれがない。正にあの日突然、目の前の少女はこの世界に現れた。
ライブラの一員ということにはなっているが、その異常性と不透明性から、実際の所彼女の処遇は未だに保留状態だ。それを知っているのは調査と監視に携わっている、ほんの一握りしかいない。
恐らく、結理はその全てに気付いている。気付いた上で、何でもないように日々を過ごしている。
「強いね」
「色々巡ってきたんで、嫌でも図太くはなりましたね。それが裏目に出ることもありますけど」
「……結理っていくつなの?」
「覚えてないです。ていっても、何百年も生きてるわけじゃないですよ?ギルベルトさんよりは間違いなく下だと思いますけど……中身は見た目まんまだって言われたことはあります」
「ずっと15歳くらいのまま?」
「らしいです。家系的に外見に合った精神年齢になるとかで。一人サ●エさん時空ですね」
「サザ…?」
「あー……日本のスラングみたいな表現です。厳密に言うとちょっと違うんですけど、年を取らずに月日が流れることをいいます」
「ふーん」
結理の回答にチェインは頷くように息をついた。
「……聞かれて困ることってある?」
「え?うーん……相手にもよりますし聞かれれば答えると思いますけど、一般常識的に聞かれて困ることは大体当てはまるんじゃないんですかね?例えば……下の話とか」
「何人殺してきたとか」
「……っ……答えたほうがいいですか…?」
「ううん。言ってみただけ」
というよりは、返答と強張らせた表情を見て察してしまったので、チェインは冗談を装って首を横に振る。それを聞いた結理が、こっそり安堵のようなため息をついていたのは見逃さなかった。
異次元の存在。吸血鬼に連なる者。人類と人外の混血。年齢不詳。経歴不詳。戦闘慣れしている。疑われること、敵視や警戒されることに慣れている。不可視の人狼を難なく感知する。素直に感情を表に出す、ように見える。
得た情報を並べてみても、まだ一之瀬結理という存在に対しての結論は、チェインは出すことは出来なかった。