日常に至る経緯2
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堕落王に連れられて来たのは、彼が選んだとは到底思えない程ごく普通に見えるレストランだった。昼時でそれなりに賑わっている店内の真ん中に位置する席で、二人は向かい合って座る。
「言っときますけど、わたし監視されてますよ?」
「知っているよ。異次元の者とはいえ血界の眷属の血が入った娘を、ライブラが無防備に放り出すわけがないからね」
「そこまで知ってるんですか…!?」
「君が教えてくれたんじゃないか。家系図の写しはまだとってあるよ?」
「……ええ思い出しましたよ」
顔をしかめたまま、結理は吐き捨てるように唸った。先日の事件の直後、意識を失う直前に唐突に思い出した、堕落王との繋がり。
結理は先日以前にこの世界を訪れていた。その時の記憶はほとんど曖昧で、二日足らずで次の世界へと発ったのだが、何故今まで忘れていたのだろうかと思うぐらいのインパクトを持つ、目の前の相手と出会っていたことだけは鮮烈に思い出した。
ついでに、駆け足で異世界移動をしなければならなかった理由も……
「何が目をかけたですか…!あんたわたしのこと実験動物にしようとしたじゃないですか!つかそもそも名乗んなかったし!!」
「異次元からやってきた言葉の通じる個体に出会ったのは初めてだからね!いやああの時はついテンションが上がってしまって色々惜しいことをした!ああそうそう。この間の魔獣は保存しておいた君の血から作り出したんだけど、思いの外耐久力がなくて不満だったよ」
「そりゃどうも……!!」
ぎりぎりと歯噛みしてから、結理は怒るのも馬鹿馬鹿しくなってきてため息をついた。注文したオレンジジュースを一気に半分ほど飲んでから、向かいの席の堕落王を睨む。
「……で?要件は何ですか?」
「言っただろう?労いに来たって」
「嘘ならもっとマシなのついてください」
「つれないなあ……君がドMの所業をするのは本当に予想外だったんだ」
「誰のせいだと思ってんですか……あと傷はもうとっくに完治してますからお気遣いなく」
「所で結理、僕の所に来る気はないかな?」
「ありませんお断りしますふざけんな死ね」
「あっはは!ストレートな殺意を隠そうともしないか!」
会話の延長で飛んできた問いを、結理はばっさり切り捨てた。返答は予想してたらしく、堕落王は笑みを崩さずに持っていた試験管をゆらゆらと振って見せる。結理はそれを冷めた瞳で見つめていたが、テーブルの下では静かに拳を握っていた。
「けれど君の返答一つで世界の命運が変わるとしたら……どうする?」
「どうぞお好きに。その程度で世界の命運が変わるんなら、正すことも簡単でしょう?」
「凄い自信だな。世界を自分の好きにできるとでも思っているのかい?」
「『理に背く者―ディストート―』」
「……っ…!」
にたりと笑った堕落王の口から出てきた呼び名に、結理は表情を凍てつかせて息を止めた。話した覚えはない。誰にも話すはずもないその名を、目の前の男は知っている。つい今まで凹ませてやりたいと思っていた笑みに、触りたくないと思う程うすら寒い感覚を覚えながら、目を逸らさずに口を開く。
「…………どこでその名を……」
「知っているさ。僕等の界隈じゃ君『達』はそれなりに有名なんだ。いつか『彼女達』とも会ってみたいが、この僕を以てしても中々捕まらない。まー僕は暇人だから試す時間はいくらでもあるんだけれどね!」
「……『彼女達』はわたしとは違います。『世界』そのものに引き寄せられない限り、ここに来ることもあなたに会うこともありません。絶対に」
「それは残念だ」
さして残念な風もなく、堕落王は無造作に試験管をテーブルの上に置いた。予想していなかった動作に結理が驚いている間に、フォークを持つと試験管に立てる。
「今日の所は帰るよ。今度はディナーでも行こうじゃないか、一之瀬結理」
「!待っ……」
止めようと立ち上がりかけるが、フォークが試験管を貫く方が早かった。ぼふん!という音と共に煙が上がり、視界を奪われる。
結理は煙を吸わないように口元を覆いながらテーブルから離れた。店内がパニックに陥って何人かが逃げ出そうとする気配を感じ、その中に堕落王の気配がないことを確認して、目算で今まで彼が座っていた席に向かって蹴りを放つが、手応えはない。
「く…!」
どこへ逃げたのかと気配を辿ろうとすると、突然煙が一点に収束し始めた。煙はテーブルの上のあるものに吸い込まれ、店内は何事もなかったかのように元の視界を取り戻した。堕落王の姿はなく、誰もが呆然としているだけで、煙を吸って苦しんでいる者や意識を無くした様子の者はいない。
「……えぇぇ…!?」
煙が立ち込めて少しパニックになっただけで終わった状況に、結理は逆に戸惑った。今度は外で何か起こるのではないかと注意を向けるが、空飛ぶ異界生物が街灯にぶつかった光景が目に入った以外は、この数日を過ごしたヘルサレムズ・ロットの日常があるだけだった。
そこでようやく、テーブルの上に目をやった。フォークで砕かれた試験管に添えるように、赤と白の一輪ずつの薔薇が置いてある。ひとまずそれを手にとって燃やそうとしたが、何となく止めて代わりに外を睨んだ。探している姿はどこにもない。
退屈凌ぎに付き合わされたのか?という疑問がよぎり、自然と眉間にしわが寄った。だが大事にならくてよかったと好意的解釈をすることにした。そうでも思わなければやっていられない。いちいち気にしていては無駄に疲れてしまうことは、短いながらも過ごした日々で嫌という程学習している。
「……訂正忘れた……」
息をついて、結理は薔薇を持ったままの手を緩く握った。
「わたしに世界をどうにかできる力なんてないですよ……」
呟き、手の中の薔薇を燃やし尽くした少女の瞳は、暗く陰っていた。
日常に至る経緯2 了
2024年8月18日 再掲