幕間:闘技場の舞姫
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「うへえ……ぎりっぎりでしたね……」
倉庫街にはパトカーが集まっていた。エデンの現オーナーからドラッグの流通ルートと結理の情報をどこで得たのかを『聞き出し』、更にVIPルームにいた全員から記憶を消し去る処理をして地下を出た直後に、一斉摘発は踏み込んでいた。後一分遅かったら、スティーブンと結理も何らかの形で拘束されていただろう。
「情報を流した相手が相手だからね、あわよくば僕等にも手錠をかけようとか考えてたんだろう」
「どんな人なんですか?」
「一言で言うなら腐れ縁かな?現場にもよく出るから、その内顔を見ることになると思う」
「ちょっと楽しみです」
言葉の通り楽しげに笑ってから、結理は嫌そうに顔をしかめて「うえ……」と呻いた。運転中のスティーブンは少女を横目で一瞥して怪訝そうに問いかける。
「また酔ったのか?」
「いえ、口ん中鉄臭くて気持ち悪いんです……催眠術使う任務じゃなきゃ血なんて飲むもんじゃありませんねぇやっぱ……」
「吸血鬼とは思えない言葉だなあ」
「実際そんなもんですよ。家のおじいちゃんも純血の吸血鬼なのに血が嫌いで、血液パックすらよく拒否してましたもん」
「血界の眷属が君の家族みたいな奴ばかりだったら、この世界ももう少し平和だったろうね」
「そこは同意します。血界の眷属は色々意味分かんないです」
出くわす度に、戦う度に不可解を積み上げていく敵対者の事を考えながら、結理はため息をついて助手席から窓の外を見た。夜のヘルサレムズ・ロットはネオンが瞬いていて、眠ることを知らない景色が広がっている。煌びやかな光が、あの『地下』でのスポットライトを何となく思い出させた。
「……エデン、閉鎖されちゃうんですよね……」
「だろうね。ただでさえあの手の地下施設は犯罪の温床にもなる。HLPDも前からマークしていたようだし、あの辺り一帯も『掃除』されるだろう」
「まあ……いずれはそうなってただろうし、しょうがないんですけどね」
「意中の人でもいたのかい?」
「綺麗な戦い方をするって意味合いでは」
からかうような問いに結理は即答した。
初めてエデンを訪れ、話と違う闘技ショーを秒殺で終わらせた後、何気なく見たリング上の試合にくぎ付けになったことは今でも覚えている。
手合わせをしてみたいとも思ったが、何よりもっと見ていたいと思っていた。
「闘技ショーずるずる辞めなかったのも、今思うとその人を見てたかったからかもしれないです」
「……お嬢さんがそんなにも虜になるなんて、何だか妬けるなあ」
「やだなあわたしの一番はスティーブンさんに決まってるじゃないですかあっはっは」
「嬉しいなあデートに誘った甲斐があったよ」
「……止めません?何か虚しいです」
「ああ止めよう」
「あ、そろそろですね」
後半からコントじみた棒読みになった会話を打ち切って、結理はふいと外を向いた。仕事はまだ終わっていない。ここから先は、警察の介入も許さない『裏』の仕事だ。
「……どうしますか?」
「君の判断に任せるよ」
「じゃあ……血液パックもう一個ありますか?」
「言うと思った」
「念の為です」
苦笑交じりに息をついたスティーブンに即答した結理は、笑っていなかった。
「ぶった斬るしかできないんならぶった斬りますんで。てゆうか……無暗にぶった切らない為の『保険』、みたいなもんですかね?」
「後ろのクーラーバッグの中に入ってる」
「ありがとうございます」
「『八つ当たり』は程々にな」
「……善処します」
地下闘技場エデンを始めとした偽装倉庫街全体が一斉摘発されたその日、街外れのとある一角にある寂れたアパートが崩壊したが、それは日常の一つとして大きなニュースになることはなかった。
「よっと」
軽い掛け声と共に、結理は放り投げたボールに向かって跳び、両足で挟むようにキャッチした。そのまま体重を感じさせない動きで台の上に降り、ボールの上に乗ったまま一礼をする。周囲から拍手が沸き起こり、台の前に置かれた箱に小銭や紙幣が投げ込まれ、結理はバランスを崩すことなく台の上から飛び降りて、もう一度礼をした。
「ユーリ、」
「あ、グレゴールさん!」
本日の営業も終わり、道具を片付けていた所に声をかけられた結理は顔を上げた。声をかけたのは見知った、だが外で出会うのは初めての相手で、驚きも混じった明るい声で名前を呼ぶ。
「すごい人気だな。『地下』よりも盛況なんじゃないか?」
「一応こっちが本業なんで。てゆうか、『地下』以外で会うの初めてですね」
「ああ……」
頷いたグレゴールが、わずかに表情を曇らせたのを、結理は見逃さなかった。
「……エデン、摘発されて閉鎖になったそうですね」
「ああ。君が聞いた噂通りになった。おかげでしょっ引かれずに済んだよ。ありがとう」
「そんな。グレゴールさんの運が良かっただけですよ」
軽く頭を下げるグレゴールに、噂が現実になる一端を担った少女は少しだけ憂いの見える笑顔で首を横に振る。
後悔は一切ないが、罪悪感がない訳でもない。
だからこそ、続ける言葉に本音を混ぜた。
「でも……閉鎖は残念です」
「まあ、HLには地下なんてゴマンとあるからな。その内どこかで再開されるだろ」
「またリングに上がるグレゴールさんが見られるの、楽しみにしてます」
「俺も、『漆黒の戦乙女』がリングを跳び回る日が来るのを楽しみにしてるよ」
言い合い、青年と少女は楽しげに笑い合った。
了
2024年8月11日 再掲