異界都市日記6.5
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告げられた場所に向かって、結理は全速力で走っていた。
いるはずがない。存在するはずが無い。だが特徴は全て合致している。
驚く通行人にも構わずに通りを風のように駆け抜け、飛び込むように目的の路地に入り、ある程度走った所で足を止める。思い出したように体が酸素を求め始めて大きく喘ぎながら、結理は周囲を見回した。人の気配も姿もなく、大通りの喧騒が遠くに聞こえるが、路地は静まり返っていた。
「…………何やってんだろわたし……」
大きくため息をついてうな垂れる。分かり切った結果が待っていることなど理解しているはずなのに、後先も考えずに突き動かされるように飛び出してしまった。
動揺やそれ以外の感情を振り切るように首を振って、来た道を戻ろうと踵を返した。
「結理」
「っ!!?」
声をかけられたのはその直後だった。聞こえてきた声に、結理は弾かれたように振り返る。
いつの間にか、道の向こうに誰かが立っていた。
艶のある黒髪に翡翠のような緑の瞳を持つ女性は、優しげな眼差しで結理を見つめている。薄暗い路地でも、その姿は見間違えようがなかった。
「お……母、さん…!?」
「結理」
懐かしい顔、懐かしい声、懐かしい姿の持ち主が、ずっと、もう会うことは叶わないと諦めていた相手が、記憶の中と変わらない姿でそこにはいた。
「本当、に……?だって、だってみんな、あの時に……」
問いのような呟きに答えるように、少女が母と呼んだ女性がふわりと微笑んで両腕を広げた。
「おいで結理?」
「……っ!!」
その言葉に抗う理由はなかった。結理はふらりと一歩踏み出し、徐々にしっかりとした足取りで走り出すと、飛びつくように母親に抱きついた。触れられる。温もりがある。彼女は確かに存在している。
「お母さん……お母さん…!!」
「いい子ね結理は。本当にいい子。私達の自慢の娘よ」
「生きてたの…!?お父さんは?じいちゃん達は?今までどこにいたの…!?」
「あなたは本当にいい子」
矢継ぎ早な問いに答えず、片手で結理の髪を撫でていた母は、もう片方の手を徐に上げた。
「だからね結理……」
その上げた手には、鋭い赤がまとわりついている。
「死んでちょうだい」
「……え?」
呆然と聞き返した時には、殺気に反応した体が動いていた。今まで結理がいた場所を赤い刃爪が通り過ぎ、かわしきれなかった刃が頬を裂く。それを振るった本人は、確かな手応えが無かったことに怪訝な様子で目を瞬かせた。
「あら?」
「お母さん…!?」
「……結理……避けるなんて悪い子」
「何で……」
「ちゃんと死んで?」
笑顔のままの女は、愕然とした表情で震える結理に静かに歩み寄って、刃爪を構える。頬を流れる血を拭うことも忘れ、結理はただ女を凝視していた。思考が混乱して何の行動も起こせない。頭の中で何故という言葉だけが渦巻いている。
「結理!!」
刃爪を振り下す女とそれとただ見ているだけの結理の間に、影が割って入った。振るわれた刃爪を赤い刃で受け止め、突き飛ばす様に少女を下がらせる。
「ザップさん…!」
「……てめえはさっきの」
「……邪魔しないで」
唸るように言い放つなり、女の目つきが変わった。瞳孔が獣のように縦に細長くなり、翡翠の瞳の色味が強まる。女は両手に赤い鉤爪を纏わせ、ザップに斬りかかった。次々と繰り出される攻撃を受け流しつつ、ザップは背後の結理に問いかける。
「ちっ……オイ結理!この女お前の知り合いか!?」
「……お母さん、です……」
「……は!?おっと!」
予想外の回答にザップは思い切り結理の方を向いたが、直後に殺気を感じて飛び退いた。いつの間にか座り込んでいる少女の側まで下がって、ザップは油断なく構えたまま顔を引きつらせて軽口を叩く。
「オイオイ、随分過激なママじゃねえかよ…お前ん家じゃ挨拶代わりに人に斬りかかんのか?」
「……違……そんな……」
「結理」
「っ!!!」
新たにかけられた声に、結理はその方向を見た。別の路地から誰かが歩いてくる。結理を呼んだ声の持ち主、やや長身気味の男は、柘榴石のような赤い瞳で結理を見つめている。
「……お父さん…!?」
「はあ!?」
「何だ結理、まだ死んでないのか」
「え……」
投げつけられた言葉を聞いた結理は、驚愕に染まっていた表情を凍てつかせた。その様子にも構わず穏やかな笑みを浮かべ、結理が父と呼んだ男は自身の爪で掌を切った。溢れ出した血が形を作り、研ぎ澄まされ、一振りの剣となる。出来あがった剣を、男は当然のように少女に突きつけた。
「死んでくれないと困るよ、結理」
「……っ!!」
ほんの一瞬の膠着状態の中、最初に動いたのはザップだった。赤い刀身を糸に変え、結理に殺意を向ける男女の周囲に張り巡らせて、ジッポに火をつける。
赤い糸を伝って炎が燃え上がると同時に、ザップは結理を担ぎ上げてその場から離れた。相手の能力が分からない以上に、状況が訳が分からない。何より完全に戦意を失くし、襲撃者を両親と呼ぶ結理をこれ以上この場に留まらせるのは危険が高かった。
路地を飛び出るが、男女が追ってくる気配はなかった。走り出す直前の視界の端で、炎の向こうで何でもないように立っていた二つの人影が、陽炎のように消えたように見えた。