異界都市日記4
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これほどまでに憂鬱な気分で出社することはかつてなかった。任務で盛大に失敗した時もこんなに落ち込みはしない。それほどまでに、これからやって来る相手は結理にとって相性が最悪だった。
「おおユーリ!相変わらず小さいな!その小ささでちょこまか働いてるか?」
「ぅぅ……はい。お久しぶりですエイブラムスさん……」
もっとも相手、エイブラムスは結理のそんな胸中には全く、少女から恐れられていることにすら気付いていない。結理の姿を見つけると大股で歩み寄り、わしわしと頭を撫でる。
(こういうとこクラウスさんと師弟だなあって思うなあ……)
クラウスも時々、誰もが気付いている人間関係のあれこれに気付いていない、もしくは認識がずれていることがある。
挨拶を終えてさりげなくできる限り距離を置きながら、結理は胸中でこっそりぼやいた。それから、エイブラムスと会って流れ弾を食らったらしいレオとザップに駆け寄る。
「災難だったねレオ君……あ、ついでにザップさん、治すんで座ってください」
「誰がついでだクソガキ」
少女に悪態を返しながら、ザップはレオが寝かされているソファの縁に腰掛けた。結理は赤く染まったザップの頭に手を添えて、治癒の術をかける。
「『療』」
「もう説明はいらねえな?二つ名の意味と俺達の表情の理由」
「分かりました全て納得しました。自分だけが特別ラッキーな人なんですね?」
「あー……ちょっと違うかも……」
「?」
「正しいんだが正確じゃない。レベルが違う」
ブリッツ・T・エイブラムス。
世界屈指の血界の眷属対策の専門家で、その為に血界の眷属の社会全体から恨まれている。その恨みを形にすべく、長寿の彼等が百年、あるいは千年かけて編み出した呪術のフルコースを、小国なら国ごと滅びてしまうような術を、エイブラムスは一身に受けて掠り傷一つ負わない。
『豪運のエイブラムス』という二つ名がついている通りに、彼は凶悪な呪いを残らず撥ね退けてしまう程の、恐ろしいまでの強運・悪運の持ち主だ。
「だがよ~術そのものは発動してるわけさ~」
「回避される直前までね。あ、ザップさん終わりましたよ」
「おう。なあレオ、行き場の無くなった呪いは何処へ行くと思う!?」
「やめて下さいもうイイです!!」
「レオ君も身をもって体験してるよねぇ…!?」
「あーー!聞きたくない!!」
「何だって!?本当ですかそいつぁ」
「っ!ひゃあああ!!」
驚いたような言葉と共にエイブラムスが大きな足音を立てながらソファに、正確にはレオに駆け寄った。渦中の人物が突然近づいてきて、結理が悲鳴をあげながら逃げ出してザップの後ろに隠れる。
「レオナルド君、君「神々の義眼」保有者だったのか!」
「あ…はい」
「馬鹿な!!何故先に眼のことを言わない!眼は大丈夫なのかね!?次からは眼の為に片腕犠牲にするぐらいの覚悟で行け!!」
「清々しいぜーこの人ー…」
「ウラ表ないにも程があるよなー」
「だから怖いんですよぉー……」
遠慮なくレオに言い放つエイブラムスを遠目に、ザップとスティーブン、そして二人の間に隠れるようにしている結理が順番にぼやいた。その間にエイブラムスは何やら取り出すと、レオの片目を覆うように張り付ける。
「あの…これは…」
「お札だ。効くかどうかは分からんが何もせんよりはマシだろう」
そう言ってエイブラムスは、ずっと持っていたアタッシュケースを開けた。中に入っていたのは朽ちかけている何かの手と、その手が持つルーズリーフの切れ端だった。
47名の精鋭が命を落としてまで手に入れた紙片には、本体を失ってなお守り続けようとする執念から推察するに、血界の眷属の頂点に存在する「創造されし13長老」の真の名が記されている可能性が高いらしい。
DNAに直接術式を書き込む出鱈目な「人体改造」。人智を超えた存在が人間を好き放題に『遊んだ』結果生まれたのが、吸血鬼という存在の正体である。
その中でも超初期に現れたず抜けて完成度の高い13体を『13人の長老―エルダーズサーティーン―』と呼び、彼等はどれだけ肉体を破壊しても何事もなく再生し、倒せる保証はゼロだと断言されていた。
だが、そんな彼等にも唯一と言っていい弱点がある。
「レオナルド、「読んで」みてくれ。「名」は「言霊」。「呼ぶことの出来る存在」になるのを彼らは極度に忌避している。霞のごとく捉えられぬ存在の本質を捉えるのだ」
促され、レオは慎重にその瞳を開いた。本体が朽ちて尚「名」を守ろうとする手が、幾何学的な文様の浮かぶ青い光をこぼす『神々の義眼』に見据えられ、警戒するようにびくりと動く。繋がれた箱からガタガタと音を鳴らしながら飛び出ようとし、「名」を暴こうとする存在に抗うように力を放った。
「っ!」
その力は結理が咄嗟に伸ばした腕とレオの顔に張り付けられていた札を弾いた。少女の腕から鮮血が舞い、レオは後ろに引っ繰り返った。
「レオ…!!」
「結理!」
「痛った……」
「おお…あ…びっくりしたあ…」
「レオ君大丈夫?」
「!?」
血の流れる腕を押さえながら結理が問うと、呆然としていたレオが引っ繰り返ったまま表情を変えた。
「これは…うわやべえ…やべえっす!!光が…どんどん……流れ込んで……」
「レオ君大丈夫かなあ…?」
人の大分減った執務室内で、結理はため息交じりに呟きながら腕に巻かれた包帯に軽く触れた。
「クラウスとザップが一緒なんだ。余程のことがない限り問題ないだろう」
「……腹痛は治りましたか?スティーブンさん」
「もうすっかり」
半眼で尋ねる少女に、書類処理をしているスティーブンはにこりと笑って返す。何か言いたげな表情で口を開いた結理だったが、出てきたのはため息だけだった。
「いや、わたしも人のこと言えないんですけどね……」
ユグドラシアド中央駅に向かうというエイブラムスの言葉に、小学生のような理由で辞退を申し出たスティーブンに呆れるしかないが、自分も出勤前に駄々を捏ねていたことを思い出すと責める気にはなれない。K.Kは元々事務所に近寄りもしなかったし、チェインに至っては遠慮なく目の前で消えた。そして結理も、レオを守ろうとした際の負傷を理由に同行を拒否している。さほど重傷というわけでもなかったのだが、色々と『準備』もしたかったので怪我を口実にした。
「わざと怪我をしたのか?」
「まさか!でも、正直……ラッキーとは思いました……いやレオ君は心配ですけどね!?クラウスさんいるから大丈夫だとは思いますけど……」
大丈夫だとは思うが、いつもと違う状態のレオへの心配は尽きない。先程の負傷のせいで『義眼』が軽い暴走状態になっているらしく、今なら普段は見ることのできない異界の奥まで見通すことができるという見解だが、恐らくレオにかかっている負担はいつもより大きいだろう。
何事もなく帰って来てくれればと思いながら、結理は牛乳瓶の蓋を開けた。
「そういえば結理、」
「何でしょう?」
「少年に君自身のこと、話したのかい?」
「……少しだけ。でも吸血鬼のことは言うの延び延びになっちゃって、昨日怖がらせちゃいました。この件が終わったら全部話そうと思ってます」
問いに答えて、結理は瓶の中身を呷った。
執務室内に着信音が鳴り響いたのは、その直後だった。電話に出たスティーブンは内容を聞いて、顔色を変える。ただならない気配に気づいた結理は牛乳を一気に飲み干して瓶を置くと、立ち上がって側にかけてあったサマーコートを羽織った。
やがて電話を終えたスティーブンが、今まであったどこか和やかな雰囲気を全て消して告げる。
「出動要請だ。ストムクリードアベニュー駅にて血界の眷属が発生。恐らく長老級だ」
「了解です」
答える結理も、先程までの少女ではなく、戦士の顔をしていた。