異界都市日記20
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「やっぱり心配よね」
少女が消えていった空間の入り口から目を離さずに、K.Kがぽつりと呟いた。隣で直立しているクラウスが何を思っているかは、顔を見ずとも大体分かる。
「けどこう言っちゃあれだけど、向こうからしてみたらただのお遊びって感じなんでしょ?別に殺される訳じゃないんだから大丈夫じゃないの?」
「……確かに、普段通りの対局ならば命をかけたやり取りをする訳ではない。だが今回はそれでは済まないかもしれない」
「?どういう意味?」
「結理が目的を持って異次元を渡り歩いていたことは聞いているかね?」
「定住できそうなとこを探してた、みたいなことは聞いたことあるわ。それ以外にも何かあるの?」
「……結理は何かを知ろうとしていた。それは恐らく、家族や故郷に関することだ」
「でも、ユーリの家族は故郷の崩壊に巻き込まれて皆なくなったんでしょ?それをどうやって……」
口に出してから、K.Kは『それ』に気付いた。表情を強張らせてクラウスを見ると、クラウスは硬い表情で空間の入り口を見つめていて、拳を握りしめていた。
「……まさかユーリ…!それを知る為にドン・アルルエルと勝負してるわけ!?」
「可能性は高い」
「……もー……あの子はほんと…!」
恐らく、というよりは確実にそうなっているだろう事態を察してしまい、K.Kは呆れ返ったように頭を抱えてため息をついた。
どれほどの時間が経ったのかは、既に分からなくなっていた。
ただ相手の猛攻を防ぎ、いなすだけで精一杯で、雑談に応じる余裕すらない。何度も王手の寸前まで迫られ、その度にどうにかかわしているが、ギリギリの綱渡りはいつまで続けられるか分からない。
「思っていたよりも粘るな。君との最長対局時間は大分更新しているよ」
楽しげな口調とは裏腹な重く鋭い攻撃を、結理はどうにか防ぐ。戦況は不利が続き、いつ詰まされてもおかしくない。一瞬でも集中を切らせばその瞬間に勝敗が決してしまう状況は、容赦なく少女の気力と体力を削り取っていく。
それでも結理は手を止めない。格の違いなど初めて対局した時から分かり切っている。対面にいる異界存在の前では、自分など簡単に一蹴できる小さな存在にすぎないだろう。
だがそれは、自分から負けを認めていい理由にはならない。
負けるわけにはいかないという意志だけで、結理は戦い続けていた。
「……実を言うとね、結理君」
そんな少女に、ドン・アルルエルは静かに言い放った。
「君との対局はそろそろ終わりにしようと思っていたんだ」
「……?」
唐突な言葉を聞いた結理は、視線だけを相手に向けた。この数時間で消耗しきっている少女を一瞥し、ドン・アルルエルは駒を進めながら続ける。
「だから君から願いがあると口にしてくれたのは都合がよかった。手順を踏まずに奪うのはルール違反だからね」
容赦のない攻撃が更に少女を追い詰めていく。既に体力も限界間近で、駒を持つ手もどこか覚束ない。
「対局中にこんなことを言うのは失礼だが、君は自分の力ではここから出られない」
視界と思考が霞む。先の戦況どころか次の一手すら見えなくなりそうで、相手の声も霧の向こうから聞こえているような感覚になる。
このままでは、勝敗が決まる前に終わってしまう。
(やばい……)
「……君を取り戻す為に、『彼』はどれ程の時間を積んでくれるかな?」
「っ!!!」
今にも切れてしまいそうな緊張と集中の糸をどうにか繋ぎ止めようと、歯を食いしばって自身を奮い立たせようとした結理の耳に届いた言葉は、あらゆる思考をほんの一瞬吹っ飛ばした。
煮えたぎって燃え尽きそうだった思考に注がれた冷水のようなその言葉で、結理は全てを理解してしまった。
ドン・アルルエルが何故結理と数度に渡って対局をしようと思ったのか。
目の前の強大な異界存在が見ていたのは何だったのか。
(……そういうことか……)
彼が見ていたのは少女ではない。その後ろで待つクラウスだ。その為に、彼からしてみれば素人同然の結理と、何度も息抜きと称した対局を続けていた。
ドン・アルルエルがクラウスに執着している節があることは、何度かの謁見で察していた。プロスフェアーに千年以上を費やしてきた存在にとって、自分と何十時間も渡り合える人間はさぞ興味深く、できるものなら己の手元で永久に指し続けていたいのだろう。
だからその側にいた結理に目をつけた。
全ては少女を餌に、クラウスを対局の場に引きずり出す為に……
今敗北すれば、結理は命かそれに準ずるものを奪われるだろう。少なくとも、この場から帰ることはできなくなる。それをクラウスは絶対に許さない。結理だから、仲間だからではなく奪われる相手が誰であろうと、奪わせまいと何十時間の対局を突き付けられても戦う。その確信は、彼を知る者ならば誰もが抱くものだ。
自分はまんまと、対面の相手が描くシナリオの舞台装置に仕立て上げられた。
それら全てを理解した結理は、
「!?」
だん!!
と、力強い音を立てて駒を置いた。その置かれた場所に、駒に、ドン・アルルエルは僅かに驚いた様子を見せる。
守りに徹し、逃げの一手で攻撃をどうにかいなしていた少女が、攻めに転じた。自棄になったが故の手ではない。戦況を把握し、先の手を想定した上での確実な一手だ。
「……手を、誤りましたね……ドン・アルルエル……」
一つ大きく息を吐き、今にも崩れ落ちそうになりながらも、相手を真っ直ぐに睨みつける少女の目は、ぎらぎらとした光を宿していた。
「わたしを折ろうとしたんでしょうけど……逆効果ですよ」
何物も恐れない。退かない。折れない。
「……何が何でも負けられない理由が一個増えました」
そんな意思をぶつけるように、少女は告げる。
「あなたにあの人は渡さない……絶対に…!!」
少女の不利は変わっていない。にもかかわらず、一瞬こちらが追い詰められたように錯覚させられる程の圧を感じながらも、ドン・アルルエルはにちゃりと笑いながら返した。
「……いいだろう」
そこから、止まっていた対局が再び動いた。
「そこまで言い切るのなら、最後まで折れてくれるなよ?一之瀬結理」