異界都市日記3
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静かな執務室内で、カタカタという音だけが響いていた。
音の元であるマウスとキーボードを操作しながら、クラウスは真剣な表情でパソコンのディスプレイと向き合っていた。彼の隣には簡易椅子を持ってきて座っている結理の姿があり、彼女の視線もディスプレイにくぎ付けで、ほとんど瞬きをせずにじっと凝視している。
そんな二人がいるデスクから少し離れたソファの上では、レオがぐったりとした様子で寝転がっていた。
「何だい「それ」は。ギルベルトさん」
レオの姿に気付いたスティーブンが、湯気の立つマグカップを片手に問いかける。問われたギルベルトは静かに人差し指を立てながらレオに毛布をかけて、「行く所が無くなってしまったそうです」と質問に答えた。
「本当に40秒で支度させられるとは思わなかったとか何とか」
「この街で宿無しとは命取りだな。「活動資金」をもっとくれてやった方が良いんじゃないか?彼…妹の仕送りも大変なんだろう?」
「受け取らないのです。基本額以上は「特別扱いは嫌だ」と仰いまして」
「…ふうん…」
殊勝な態度は褒められたものだが、現実問題住む場所がない状況はかなり厳しい。話を聞く限りとソファの横にレオの私物らしい箱が積んであるのを見る限り、突然追い出されたようなので次に住む所もまだ何も決まっていないだろう。
そんな会話をしていると、荒々しい足音が響いて扉が開いた。入ってきたのは顔面を真っ赤に染めたザップで、そのまま一直線にソファに向かうと寝転がっているレオの頭の上にどっかりと座った。突然の衝撃と圧力に悲鳴のような呻き声をレオが上げるが、ザップは一切構わずにタオルで顔を拭く。
「おいおい、酷い血だな」
「俺のじゃねえっすよ。ヤク中のチンピラに絡まれたんす」
驚いた様子もレオの上に座っていることを咎める様子もないスティーブンに返した通り、タオルに血を吸わせるように顔を拭うザップに傷はない。
「洒落にならない勢いで突っかかって来るから頸動脈撫で切りにしてやったんだけど…ありゃあ死んでねえな」
「人間か?」
「手応えと断面の構造は」
「ヘルサレムズ・ロットにはあっち側用こっち側用その両方用、強弱2千からの麻薬が溢れてるからねえ」
「薬って…首切られても死なない人間を作るのが薬物の仕事とでも?」
「それが、まんざら馬鹿げても居ないんだよ」
静かなスティーブンの言葉に、ザップは表情にわずかな緊張を走らせた。
頸動脈を切り裂かれても死なない人間を作る麻薬。その情報は既にライブラにも入っていた。
「エンジェルスケイル?」
「超高度術式合成“麻薬”。麻薬というより――一時的な人体改造だな」
その出回りつつある麻薬は粘膜経由か静脈注射により、最初に体組織が再構成される。人間では壊れてしまう快楽を受け止められるように器から工事してしまおうという効果が、知覚の鋭敏化だけでなく筋力や回復力も爆発的に高め、一時的にスーパーマン、というよりは狂戦士を作り上げる程の力をもたらすという、恐ろしい代物だ。
「…ヤバいっすね。金の匂いがプンプンすらあ」
「するね。実際グラム数万ゼーロで取引されてるって話だよ」
「それは「ここ」での話でしょ?「人界」の価格はその2~3百倍は下らないんじゃないすかね?」
「レル・デミソスとバンライ・ミナミガタの二重門超えてか?」
今現在、異界と人界の奇跡的均衡を保てているのは、スティーブンが上げた二人の偏執狂のお陰に他ならない。その二人が作り上げ、今なお補強を続けているこの上ない強固な門を超えることなど、本来では到底不可能だ。
「だが、ヘルサレムズ・ロットに限らず、世界は何でも起こる」
あり得ないと捨てた事態から騒動が生まれることは多々ある。人体を改造するでたらめな麻薬は既に生まれているし、超えられない門を超えてしまう者もいずれ現れる可能性も、絵空事ではない。
「だな」
「っすね」
スティーブンの言葉にザップが頷くように相槌を打った時だった。不意に何かを感じて、ザップはテーブルに乗せた自分の手を見た。
そのすぐ後に手の上に足が現れ、重みがついてきた。人一人の重みが丸ごと指に集中して、みりみりと音を立てる。
「あだだだだだだだだ!!」
「それがですね、これをご覧下さい」
「おりろバカ手が手が手が!!!」
現れたチェインは悲鳴を上げるザップの手に体重をかけ続けながら、持参したディスクを掲げてみせた。
「何だねそれは?」
「先程諜報部が入手した映像です。ホヤホヤです」
スティーブンの問いに答えたチェインは、ザップの手を丁寧に踏みにじってから、プレイヤーにディスクをセットして再生する。数秒程砂嵐が流れた後に、映像が映る。
それは凄惨な光景だった。
場所はどこかの室内で、八つ裂きにされたスーツ姿の男の死体がいくつも転がり、床は赤い川が出来あがっている。中心に立っていた男は異形の姿に成り果てていて、体に大穴を空けられて尚、自分を撃った相手を睨みつけている。だがそれで限界だったようで、睨みつけた体勢のままどしゃりと崩れ落ちた。
『…大統領…!!』
『…大統領…ご無事で…!?』