ドラアグに溺れる
「たまには夕餉でも食らいに行くか」
今日の仕事が終わり、たまたま鉢合わせた亜双義と話していたら、夕飯を共にする話になった。亜双義が大英帝国から日本に帰ってきて一年と少し。検事も随分板についてきたらしい。今日の法廷は彼との闘いになった。
亜双義は学生時代と比べて、更に快活な男になった。たまに妙に昏い目でぼくを見ているときがあるのだが、なにか文句でもあるのだろうか。何はともあれ、親友が溌剌と過ごせているならそれだけで儲け物だ。
二人で食べに出かけるなんて、それこそいつぶりだろう。大英帝国で再会したときもゆっくり語らう時間はなかった。しばらく忙しい日々に追われていたが、最近漸くお互い生活も落ち着いてきた。いい機会だと思って二つ返事で了承する。
「牛鍋にしよう」
「いいな。以前通っていたところでいいか?」
「おうとも」
牛鍋もそうだが、久しぶりの親友との会合で浮き足立っていた。亜双義の隣に並んで歩くと、肩の距離も目線も昔と変わらない。ぼくも、少しはお前の誇りになれているだろうか。
店へ赴いて二人で牛鍋をつつき、他愛もない話で盛り上がる。鍋の温かさで頬が熱い。はふはふと息を吐くと、「慌てて食べるな」と亜双義は苦笑した。亜双義も肉をかっ食らう。彼の食べっぷりは男らしい。亜双義の元気な姿を見られただけで、ぼくは嬉しかった。
腹を満たして外に出ると、深い夜が訪れていた。すっかり遅くなってしまった。やはり親友とはいつまでも話せてしまうな、と一息つく。
昔から変わっていないところと、確実に昔とは違うところ。ぼくは漸く、亜双義の顔がはっきり見えるようになった。満月の輝く九月の夜、ぼくら二人の足元は明るい。二人で並んで帰路につく。すっかり夜遅くなってしまったので、人通りはなかった。
亜双義の懐から、なにか小さい物が落ちた。
彼は落とし物に気が付かなかったらしい。屈んで拾うと、それはいつぞや見た小瓶と酷似していた。
白い錠剤が入った、小さな小瓶。
小瓶にはラベルが貼られている。月灯に煌めくその小瓶は、まるで宝石のようだった。
これは賭けだ。そう、覚悟した。
「……亜双義」
「どうした?」
「これからぼくの事務所に来ないか? まだ話し足りないんだ」
先を歩いていた亜双義が訝しげに振り向く。月の光が眩しくて、彼の表情に影が差す。それでもぼくには、亜双義の顔がよく見えた。
亜双義はぼくの手に握られた小瓶を見て、露骨に「しまった」という顔をした。眉間に皺を寄せ、ぼくを警戒しているようだった。
「お前、まだ眠れていないのか」
「なに、心配はいらない。以前よりはずっと眠れるようになった。それもたまに飲む程度だ」
「……やっぱりお前が眠れなかったのは、プロフェッサーの件か?」
「……そうだな」
亜双義は最初、言葉を慎重に選んでいたが、やがて覚悟を決めたのか大きく頷いた。
「キサマにも言うわけにはいかなかった……誰にもな」
「亜双義……」
「しかし、キサマに抱かれて眠るのは悪い気はしなかった。実際、よく眠れたしな」
亜双義は穏やかに笑んで言う。このままだとはぐらかされそうだった。だから、ぼくは話を続けた。
「あのときぼくは無力だった。お前の苦しみも、なにも分かってやれなかった。……ぼくはなんでもいいから、お前の力になってやりたかったけど・・・・・・」
「……成歩堂」
「でも、もう昔とは違う」
小瓶から錠剤を一つ取り出して、自分の口に含む。身動きがとれないでいる亜双義の胸倉を引き寄せて、親友の唇を奪ってやった。
亜双義は身を固くしていたが、やがてぼくを受け入れた。彼の唇を割って、薬を無理矢理口腔に侵入させる。亜双義の瞳は揺らいでいたが、一度瞼を閉じ、再び開く頃には、熱を孕んだ目がぼくを射抜いた。やはり、この男の眼は美しい。
ぼくらは視線を合わせたまま、薬を分け合った。口の中の熱が高まり、白い錠剤は唾液に溶けていく。深く繋がった唇も、めまいがするほど熱かった。ぼくは亜双義の胸倉を、亜双義はぼくの頭を引き寄せて、それが当たり前であるかのように寄り添った。
亜双義の長い舌が、頬の内側を擦るので擽ったい。温度が心地よくて眠気が襲う。くらくらして、ふらふらして、そうして薬はなくなっていく。腰のあたりがぞくぞくとして気持ちが良かった。
薬が溶けきって、漸くぼくらは唇を離した。唾液の糸が月に照らされて銀色に輝いている。亜双義の濡れた唇の赤が、やけに目を引いた。
「亜双義、ぼくの事務所に来い」
ぼくはもう親友から逃げない。目も背けない。
亜双義は一瞬眩しそうに目を細めて、泣きそうな顔をする。そして、胸倉を掴んでいたぼくの手をとって、指を絡ませた。
「……ああ、相棒」
そうしてぼくらは、月の明るい夜空の下、幼い子どものように手を繋いで、光の先を歩いた。
友よ、あの夜の続きと洒落こもうではないか。
今日の仕事が終わり、たまたま鉢合わせた亜双義と話していたら、夕飯を共にする話になった。亜双義が大英帝国から日本に帰ってきて一年と少し。検事も随分板についてきたらしい。今日の法廷は彼との闘いになった。
亜双義は学生時代と比べて、更に快活な男になった。たまに妙に昏い目でぼくを見ているときがあるのだが、なにか文句でもあるのだろうか。何はともあれ、親友が溌剌と過ごせているならそれだけで儲け物だ。
二人で食べに出かけるなんて、それこそいつぶりだろう。大英帝国で再会したときもゆっくり語らう時間はなかった。しばらく忙しい日々に追われていたが、最近漸くお互い生活も落ち着いてきた。いい機会だと思って二つ返事で了承する。
「牛鍋にしよう」
「いいな。以前通っていたところでいいか?」
「おうとも」
牛鍋もそうだが、久しぶりの親友との会合で浮き足立っていた。亜双義の隣に並んで歩くと、肩の距離も目線も昔と変わらない。ぼくも、少しはお前の誇りになれているだろうか。
店へ赴いて二人で牛鍋をつつき、他愛もない話で盛り上がる。鍋の温かさで頬が熱い。はふはふと息を吐くと、「慌てて食べるな」と亜双義は苦笑した。亜双義も肉をかっ食らう。彼の食べっぷりは男らしい。亜双義の元気な姿を見られただけで、ぼくは嬉しかった。
腹を満たして外に出ると、深い夜が訪れていた。すっかり遅くなってしまった。やはり親友とはいつまでも話せてしまうな、と一息つく。
昔から変わっていないところと、確実に昔とは違うところ。ぼくは漸く、亜双義の顔がはっきり見えるようになった。満月の輝く九月の夜、ぼくら二人の足元は明るい。二人で並んで帰路につく。すっかり夜遅くなってしまったので、人通りはなかった。
亜双義の懐から、なにか小さい物が落ちた。
彼は落とし物に気が付かなかったらしい。屈んで拾うと、それはいつぞや見た小瓶と酷似していた。
白い錠剤が入った、小さな小瓶。
小瓶にはラベルが貼られている。月灯に煌めくその小瓶は、まるで宝石のようだった。
これは賭けだ。そう、覚悟した。
「……亜双義」
「どうした?」
「これからぼくの事務所に来ないか? まだ話し足りないんだ」
先を歩いていた亜双義が訝しげに振り向く。月の光が眩しくて、彼の表情に影が差す。それでもぼくには、亜双義の顔がよく見えた。
亜双義はぼくの手に握られた小瓶を見て、露骨に「しまった」という顔をした。眉間に皺を寄せ、ぼくを警戒しているようだった。
「お前、まだ眠れていないのか」
「なに、心配はいらない。以前よりはずっと眠れるようになった。それもたまに飲む程度だ」
「……やっぱりお前が眠れなかったのは、プロフェッサーの件か?」
「……そうだな」
亜双義は最初、言葉を慎重に選んでいたが、やがて覚悟を決めたのか大きく頷いた。
「キサマにも言うわけにはいかなかった……誰にもな」
「亜双義……」
「しかし、キサマに抱かれて眠るのは悪い気はしなかった。実際、よく眠れたしな」
亜双義は穏やかに笑んで言う。このままだとはぐらかされそうだった。だから、ぼくは話を続けた。
「あのときぼくは無力だった。お前の苦しみも、なにも分かってやれなかった。……ぼくはなんでもいいから、お前の力になってやりたかったけど・・・・・・」
「……成歩堂」
「でも、もう昔とは違う」
小瓶から錠剤を一つ取り出して、自分の口に含む。身動きがとれないでいる亜双義の胸倉を引き寄せて、親友の唇を奪ってやった。
亜双義は身を固くしていたが、やがてぼくを受け入れた。彼の唇を割って、薬を無理矢理口腔に侵入させる。亜双義の瞳は揺らいでいたが、一度瞼を閉じ、再び開く頃には、熱を孕んだ目がぼくを射抜いた。やはり、この男の眼は美しい。
ぼくらは視線を合わせたまま、薬を分け合った。口の中の熱が高まり、白い錠剤は唾液に溶けていく。深く繋がった唇も、めまいがするほど熱かった。ぼくは亜双義の胸倉を、亜双義はぼくの頭を引き寄せて、それが当たり前であるかのように寄り添った。
亜双義の長い舌が、頬の内側を擦るので擽ったい。温度が心地よくて眠気が襲う。くらくらして、ふらふらして、そうして薬はなくなっていく。腰のあたりがぞくぞくとして気持ちが良かった。
薬が溶けきって、漸くぼくらは唇を離した。唾液の糸が月に照らされて銀色に輝いている。亜双義の濡れた唇の赤が、やけに目を引いた。
「亜双義、ぼくの事務所に来い」
ぼくはもう親友から逃げない。目も背けない。
亜双義は一瞬眩しそうに目を細めて、泣きそうな顔をする。そして、胸倉を掴んでいたぼくの手をとって、指を絡ませた。
「……ああ、相棒」
そうしてぼくらは、月の明るい夜空の下、幼い子どものように手を繋いで、光の先を歩いた。
友よ、あの夜の続きと洒落こもうではないか。
2/2ページ