桜の樹の下にはぼくらが埋まっている
「桜の樹の下には財宝が埋まってるらしいぜ」 月の輝く十二月、極秘裁判が終わって少し経った頃だ。ぼくは亜双義を連れて夜の校内へ忍び込んでいた。空気が冷え込んでいるせいで手がかじかんでしまっていけない。季節は冬だというのに、裏庭にある一本の立派な樹だけ桜の花が咲いていた。亜双義曰く、最近少し暖かかったから樹の体内時計が狂ってしまったのだろうとのことだった。スコップを携え、その桜の樹の下を掘り始める。亜双義は月灯の下でも分かりやすく呆れた表情をしていた。
「キサマ、そんな都市伝説を信じているのか」
「欲しくないか? どっかのお偉いさんの埋蔵金」
「金に目が眩みすぎだろう……」
「もう、莫迦にするならついてこなきゃ良かっただろ」
苦言を呈す亜双義にうんざりして口を尖らせると、親友は「すまんすまん」と苦笑した。やはり莫迦にしているではないか。埋蔵金が発掘されてもビタ一文もくれてやらないことに決めた。掘る行為に集中しはじめたぼくに、亜双義はにやりと笑いかける。
「桜の樹の下には死体が埋まっているという話ではなかったか」
「え」
「オレはそう聞いたがな」
己の頭からさっと血の気が引いていくのが分かった。亜双義はいよいよ楽しげに破顔して、止まってしまった手からスコップを奪い取り、ぼくの代わりに掘り進めていく。慌てて亜双義の制服の裾を掴んだ。
「ま、待て亜双義! もし本当に死体が出てきたら……」
「だから、それを確認するのだろう」
しれっと言って、亜双義はぼくの何倍もの速さで掘り進めていった。すっかり怖じ気づいたぼくは立ちすくんでしまう。
やがて、ある程度掘り進めた亜双義が手をとめた。
「ふむ。なにもないぞ。やはり噂は噂でしかなかったな」
恐る恐る穴を覗くと、そこにはなにもなかった。ただ、深い暗闇が此方を覗いているだけだ。安堵したのも束の間、亜双義がとんでもないことを言い出した。
「ちょうど良い機会だ。死体でも埋めるか」
とんでもないことを提案する親友に首を傾げる。弁護士ともあろう者が殺人を犯すとは思えない。亜双義は懐から小さな和紙と万年筆を取り出した。
「死体って……願掛けみたいなものか」
「ああ。留学の日が近づいてきているからな。この紙に抱負を書いて埋めるのも一興だろう」
なんだ。此奴もぼくと同じことを考えていたんだな。埋蔵金を探すのは建前だととっくの昔に勘づかれていたらしい。恥ずかしくなって後頭部を掻いた。
少しでもいいから、もうすぐ大英帝国へ旅立ってしまう亜双義との思い出が欲しかった。彼との思い出があれば、寂しくてもどうにかやっていけるはずだと信じて。どうやら親友も同じだったらしく、珍しく亜双義ははにかんでいた。美丈夫が恥ずかしそうに笑うと、なんだか少しだけ可愛い気がした。
和紙を半分に切り、万年筆を交換しながら抱負を書く。お互い、なにを書いたか秘密にしておいた。後で掘り返したとき、また二人で思い出を噛みしめ合うために。
紙を入れる袋は、ぼくの巾着袋で代用することにした。入れられそうなものがそれしかなかったのだ。巾着袋に入れていたびい玉のコレクションを取り出していると、「キサマ、そんなものまで集めていたのか……」と呆れられた。どうせなら今日という日を思い出せるように、咲いた桜の花びらも巾着袋に詰めた。
そうして僕たちは、桜の樹の下に死体を埋めた。季節外れの桜が雪のように舞っている、月の眩しい夜だった。
桜の樹の下には死体が埋まっている。
学生たちからよく耳にする都市伝説だ。死体があるのなら、弁護士として確認しないわけにはいかない。そうして深夜、もう学生の身分でもないぼくは帝都勇盟大学の敷地内に侵入した。
警備員の目を掻い潜り、スコップを持って裏庭まで迷い無く進む。季節は春。校内の桜は満開で、辺り一面吹雪いていた。地面には花びらの海が出来上がり、その深い桜の香りに溺れてしまいそうだ。足で花びらをかき分けながら、目的の桜の樹の下に辿り着いた。
あの日とは違い、今日はぼく一人だ。一人でどうにかしなくてはいけない。覚悟を決め、地面にスコップを突き立てた。
ざく、ざくと掘り進めていく。この先にあるものが財宝だったら良かったのに。埋められたのが死体だなんて酷すぎる。人間の血を吸った桜は一際綺麗に咲くと言うが、この樹が綺麗な花を宿しているかなど、ぼくにはまったく分からなかった。
掘り進めていくと、土とは違う感触があった。それからは手で掘る。爪の間に土が入り込んで痛かった。やがて、見つけてしまった。
すっかり色あせ、土で汚れてしまった巾着袋が、手の中にあった。
「良かった……」
思わず安堵の言葉を吐いた。今すぐこれを処分しなければいけない。掘った穴は埋めるとして、その前にこれを燃やさなければいけなかった。そのために蝋燭と燐寸を持ってきたのだ。必ず遂行しなくてはいけない。誰かに読まれるその前に。
汚れたままの巾着袋を一旦懐にしまおうとした。
「そこでなにをやっている」
男の声がして、驚いて振り返る。警備員かと思ったが、どうも違うらしい。真っ白な洋装を身に纏っている。満月の光を背に受けて立っているその男の姿は、恋い焦がれてやまない人そのものだった。
「なんだ。キサマだったか、成歩堂」
「亜双義……日本に帰ってきてたのか」
今は大英帝国にいるはず亜双義が、そこにいた。凜とした出で立ちは月の色にふさわしく、燦然と輝いている。土に汚れたぼくとは大違いだ。巾着袋を握りしめ、立ち上がる。逃げ出してしまいたかった。よりにもよって一番見られたくない相手に、発見されてしまった。
「今し方帰ってきたところだ。……その帰宅途中に、怪しげな輩が学内に入っていったのでな」
「怪しい輩で悪かったな」
「それにしても懐かしいな。この桜か……。では早速、当時の答え合わせといこうぜ。キサマがなんと書いたのか気になっていたのだ」
そう言うと思って、処分しようと思っていたのだ。いよいよ逃げ出したい衝動に駆られる。しかし自分より体力のある亜双義に足で勝てるとは思えなかった。観念して、亜双義に汚れた巾着を差し出した。
亜双義は手袋を脱ぎ去り、その骨張った手で巾着を受け取る。土が彼の爪を汚していく。花に触れるように、巾着を開いていく。すっかり色あせてぼろぼろになった和紙を開いて中身を確認すると、ぼくに押しつけてきた。
「……なんだよ」
「これはオレが書いたものだ。キサマも読んでみろ」
仕方がないので、亜双義のしたためた文章を読む。そこには「成歩堂を連れていく」と書いてあった。彼らしい、真っ直ぐな字だ。ぼくはつい笑ってしまった。
「お前、なにも変わってないな」
「そうだろう。これを埋めたときにはもう、キサマを連れていくことだけを考えていた。結果、連れて行って正解だったがな」
亜双義は笑いながら、もう一つの紙切れを開く。あれはぼくの抱負が書かれているものだ。抱負とは言えない、願いのようで、祈りのようなもの。友の目に触れさせるには、卑しくて穢らわしいもの。案の定、亜双義は目を見開いて、ぼくに視線を向けた。
白状するしかなかった。
「……最低だろう。ぼくは」
「成歩堂」
「莫迦だよな、叶うわけないのに。それでも必死だったんだ。ぼくは……もう、祈るしかなくて」
亜双義は眉間に皺を寄せ、紙切れと共にぼくの手を両手で掴んだ。
「……別に、いいだろう。好きなだけ、オレの傍にいたらいい」
「いれるわけないだろ。ぼくは……だって、男だし。親友じゃ、いつまでも共にいられないさ」
泣きそうだった。羞恥で消えたい気持ちもあるが、それ以上に、彼と共にいられない事実が胸を締めつける。彼が繋いでくれた手をぼんやりと見つめていた。
「キサマらしくないぞ、成歩堂。顔を上げろ」
凜とした声に導かれ、顔を上げる。唇に、柔い感触がした。亜双義の顔がすぐ近くにある。彼の濡羽色の瞳は、満月の如く光に満ちている。ぼくは、彼の、前を見据えるその目が好きだった。
唇を離されて、微笑まれる。
「まずは穴を塞ぐか。スコップを貸せ。オレがやる」
そうして掘った穴を再度埋めた。その間、巾着はぼくが持っていた。埋め終えると、亜双義は巾着をひったくる。
「キサマに持たせてると燃やされかねん。オレが保管する」
「そ、それは……」
なにも言えずにいると、亜双義がぼくの頭に手を伸ばしてくる。亜双義の指には淡い花びらが乗っていた。月灯を吸収して、花びらは柔らかく発光している。月溜まりの花びらを二枚巾着にしまった。
「さすがに昔入れた花びらはよれてしまっているな。まあいいだろう。帰るぞ、成歩堂」
「あ、ああ」
彼に倣って歩こうとすると、手を強く握られた。恐る恐る握り返すと、親友は優しく笑う。
「まったく、似た者同士だな。オレたちは」
その言葉に泣きたくなって、ぼくは唇を噛んだ。お前と一緒に生きていいのか。ぼくはまた、お前の隣にいられるのか。その答えは、目の前の親友だけが知っている。
亜双義と共にあれますように。ぼくの死体は、そう言った。
桜の樹の下にはぼくらの死体が埋まっている。その死体は、もう歩き出してしまったけれど。
「キサマ、そんな都市伝説を信じているのか」
「欲しくないか? どっかのお偉いさんの埋蔵金」
「金に目が眩みすぎだろう……」
「もう、莫迦にするならついてこなきゃ良かっただろ」
苦言を呈す亜双義にうんざりして口を尖らせると、親友は「すまんすまん」と苦笑した。やはり莫迦にしているではないか。埋蔵金が発掘されてもビタ一文もくれてやらないことに決めた。掘る行為に集中しはじめたぼくに、亜双義はにやりと笑いかける。
「桜の樹の下には死体が埋まっているという話ではなかったか」
「え」
「オレはそう聞いたがな」
己の頭からさっと血の気が引いていくのが分かった。亜双義はいよいよ楽しげに破顔して、止まってしまった手からスコップを奪い取り、ぼくの代わりに掘り進めていく。慌てて亜双義の制服の裾を掴んだ。
「ま、待て亜双義! もし本当に死体が出てきたら……」
「だから、それを確認するのだろう」
しれっと言って、亜双義はぼくの何倍もの速さで掘り進めていった。すっかり怖じ気づいたぼくは立ちすくんでしまう。
やがて、ある程度掘り進めた亜双義が手をとめた。
「ふむ。なにもないぞ。やはり噂は噂でしかなかったな」
恐る恐る穴を覗くと、そこにはなにもなかった。ただ、深い暗闇が此方を覗いているだけだ。安堵したのも束の間、亜双義がとんでもないことを言い出した。
「ちょうど良い機会だ。死体でも埋めるか」
とんでもないことを提案する親友に首を傾げる。弁護士ともあろう者が殺人を犯すとは思えない。亜双義は懐から小さな和紙と万年筆を取り出した。
「死体って……願掛けみたいなものか」
「ああ。留学の日が近づいてきているからな。この紙に抱負を書いて埋めるのも一興だろう」
なんだ。此奴もぼくと同じことを考えていたんだな。埋蔵金を探すのは建前だととっくの昔に勘づかれていたらしい。恥ずかしくなって後頭部を掻いた。
少しでもいいから、もうすぐ大英帝国へ旅立ってしまう亜双義との思い出が欲しかった。彼との思い出があれば、寂しくてもどうにかやっていけるはずだと信じて。どうやら親友も同じだったらしく、珍しく亜双義ははにかんでいた。美丈夫が恥ずかしそうに笑うと、なんだか少しだけ可愛い気がした。
和紙を半分に切り、万年筆を交換しながら抱負を書く。お互い、なにを書いたか秘密にしておいた。後で掘り返したとき、また二人で思い出を噛みしめ合うために。
紙を入れる袋は、ぼくの巾着袋で代用することにした。入れられそうなものがそれしかなかったのだ。巾着袋に入れていたびい玉のコレクションを取り出していると、「キサマ、そんなものまで集めていたのか……」と呆れられた。どうせなら今日という日を思い出せるように、咲いた桜の花びらも巾着袋に詰めた。
そうして僕たちは、桜の樹の下に死体を埋めた。季節外れの桜が雪のように舞っている、月の眩しい夜だった。
桜の樹の下には死体が埋まっている。
学生たちからよく耳にする都市伝説だ。死体があるのなら、弁護士として確認しないわけにはいかない。そうして深夜、もう学生の身分でもないぼくは帝都勇盟大学の敷地内に侵入した。
警備員の目を掻い潜り、スコップを持って裏庭まで迷い無く進む。季節は春。校内の桜は満開で、辺り一面吹雪いていた。地面には花びらの海が出来上がり、その深い桜の香りに溺れてしまいそうだ。足で花びらをかき分けながら、目的の桜の樹の下に辿り着いた。
あの日とは違い、今日はぼく一人だ。一人でどうにかしなくてはいけない。覚悟を決め、地面にスコップを突き立てた。
ざく、ざくと掘り進めていく。この先にあるものが財宝だったら良かったのに。埋められたのが死体だなんて酷すぎる。人間の血を吸った桜は一際綺麗に咲くと言うが、この樹が綺麗な花を宿しているかなど、ぼくにはまったく分からなかった。
掘り進めていくと、土とは違う感触があった。それからは手で掘る。爪の間に土が入り込んで痛かった。やがて、見つけてしまった。
すっかり色あせ、土で汚れてしまった巾着袋が、手の中にあった。
「良かった……」
思わず安堵の言葉を吐いた。今すぐこれを処分しなければいけない。掘った穴は埋めるとして、その前にこれを燃やさなければいけなかった。そのために蝋燭と燐寸を持ってきたのだ。必ず遂行しなくてはいけない。誰かに読まれるその前に。
汚れたままの巾着袋を一旦懐にしまおうとした。
「そこでなにをやっている」
男の声がして、驚いて振り返る。警備員かと思ったが、どうも違うらしい。真っ白な洋装を身に纏っている。満月の光を背に受けて立っているその男の姿は、恋い焦がれてやまない人そのものだった。
「なんだ。キサマだったか、成歩堂」
「亜双義……日本に帰ってきてたのか」
今は大英帝国にいるはず亜双義が、そこにいた。凜とした出で立ちは月の色にふさわしく、燦然と輝いている。土に汚れたぼくとは大違いだ。巾着袋を握りしめ、立ち上がる。逃げ出してしまいたかった。よりにもよって一番見られたくない相手に、発見されてしまった。
「今し方帰ってきたところだ。……その帰宅途中に、怪しげな輩が学内に入っていったのでな」
「怪しい輩で悪かったな」
「それにしても懐かしいな。この桜か……。では早速、当時の答え合わせといこうぜ。キサマがなんと書いたのか気になっていたのだ」
そう言うと思って、処分しようと思っていたのだ。いよいよ逃げ出したい衝動に駆られる。しかし自分より体力のある亜双義に足で勝てるとは思えなかった。観念して、亜双義に汚れた巾着を差し出した。
亜双義は手袋を脱ぎ去り、その骨張った手で巾着を受け取る。土が彼の爪を汚していく。花に触れるように、巾着を開いていく。すっかり色あせてぼろぼろになった和紙を開いて中身を確認すると、ぼくに押しつけてきた。
「……なんだよ」
「これはオレが書いたものだ。キサマも読んでみろ」
仕方がないので、亜双義のしたためた文章を読む。そこには「成歩堂を連れていく」と書いてあった。彼らしい、真っ直ぐな字だ。ぼくはつい笑ってしまった。
「お前、なにも変わってないな」
「そうだろう。これを埋めたときにはもう、キサマを連れていくことだけを考えていた。結果、連れて行って正解だったがな」
亜双義は笑いながら、もう一つの紙切れを開く。あれはぼくの抱負が書かれているものだ。抱負とは言えない、願いのようで、祈りのようなもの。友の目に触れさせるには、卑しくて穢らわしいもの。案の定、亜双義は目を見開いて、ぼくに視線を向けた。
白状するしかなかった。
「……最低だろう。ぼくは」
「成歩堂」
「莫迦だよな、叶うわけないのに。それでも必死だったんだ。ぼくは……もう、祈るしかなくて」
亜双義は眉間に皺を寄せ、紙切れと共にぼくの手を両手で掴んだ。
「……別に、いいだろう。好きなだけ、オレの傍にいたらいい」
「いれるわけないだろ。ぼくは……だって、男だし。親友じゃ、いつまでも共にいられないさ」
泣きそうだった。羞恥で消えたい気持ちもあるが、それ以上に、彼と共にいられない事実が胸を締めつける。彼が繋いでくれた手をぼんやりと見つめていた。
「キサマらしくないぞ、成歩堂。顔を上げろ」
凜とした声に導かれ、顔を上げる。唇に、柔い感触がした。亜双義の顔がすぐ近くにある。彼の濡羽色の瞳は、満月の如く光に満ちている。ぼくは、彼の、前を見据えるその目が好きだった。
唇を離されて、微笑まれる。
「まずは穴を塞ぐか。スコップを貸せ。オレがやる」
そうして掘った穴を再度埋めた。その間、巾着はぼくが持っていた。埋め終えると、亜双義は巾着をひったくる。
「キサマに持たせてると燃やされかねん。オレが保管する」
「そ、それは……」
なにも言えずにいると、亜双義がぼくの頭に手を伸ばしてくる。亜双義の指には淡い花びらが乗っていた。月灯を吸収して、花びらは柔らかく発光している。月溜まりの花びらを二枚巾着にしまった。
「さすがに昔入れた花びらはよれてしまっているな。まあいいだろう。帰るぞ、成歩堂」
「あ、ああ」
彼に倣って歩こうとすると、手を強く握られた。恐る恐る握り返すと、親友は優しく笑う。
「まったく、似た者同士だな。オレたちは」
その言葉に泣きたくなって、ぼくは唇を噛んだ。お前と一緒に生きていいのか。ぼくはまた、お前の隣にいられるのか。その答えは、目の前の親友だけが知っている。
亜双義と共にあれますように。ぼくの死体は、そう言った。
桜の樹の下にはぼくらの死体が埋まっている。その死体は、もう歩き出してしまったけれど。
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