錆びたカトラリー

 亜双義に連れられて、ぼくはとある屋敷を訪れていた。
 立派な建築物で、広くはないが庭もある。亜双義の留学が決まり、ぼくの極秘裁判が行われ一段落ついた後、亜双義に誘われてのこのこついてきた。寒さが忍び込んでくる師走の始まり、亜双義は突然共に来て欲しいと言ったのだ。
 そうしてやってきたのが、都の外れにあるお屋敷だった。手入れはされているのだが人の気配は無く、住人のいなくなった屋敷は閑散としていて寂しいものがある。案内する亜双義の背中を見やって、ようやく尋ねた。
「ここは誰のお屋敷なんだい?」
「知り合いがこの屋敷を管理していてな。今日一日貸してもらった」
「へえ。随分金持ちの知り合いがいるんだな」
 貸してもらった、と言うには、亜双義の足は軽い。恐らく初めて訪れた場所ではないのだろう。彼は迷いなく屋敷内を巡り、お茶の間に通された。
 埃っぽい座布団を二枚、対面に敷く。片方の座布団によっこいしょと腰を下ろせば、亜双義は荷物を下ろしてにかりと笑った。
「それでははじめようではないか」
「はじめるって、なにをだよ」
「この前の祝いの席はキサマが犯人に仕立て上げられたせいで台無しになってしまっただろう。だからこの場を借りて肉を焼く」
「……なんだって?」
 亜双義は手提げ袋から網を取り出して、悪戯小僧のような笑みを浮かべる。亜双義につれられてお茶の間を抜け、庭に出た。亜双義は快活に言った。
「今から焼くぞ、成歩堂!」
 それからどうしたものか、亜双義はあっという間に火起こしをして、燃え盛る火の上に網をのせ、ステエキとキノコを焼き始めた。なんという手際の良さだ。ぼくはただぼんやりと亜双義の背中を見つめていた。その背中がどことなく急いているのは気のせいだろうか。こうして二人で遊んでいられるのも今のうちか。寂しくないと言えば嘘になる。けれども亜双義の夢が叶うのは素晴らしいことだった。なんでもやってのける強くて優しい親友は、ぼくの誇りだ。
「食器を探してくるよ」
 寂しさと若干の照れくささをごまかして、ぼくは屋敷内を詮索することにした。手入れは行き届いているが、やはり住人のいない家は廃れやすい。所々壁が傷んでいた。静かで寂しい家だ。屋敷内の冷たい空気に身震いする。
 台所に辿り着くと、食器棚には一通り並んでいた。ステエキをのせるための広い皿、湯呑みを二人分手に取る。食器は少し錆びてしまっている。さすがにここまでは手入れされていないようだ。元の家の主は裕福だったのだろう。カトラリーも揃っていた。中には子ども用の小さなものまであった。しかし、どれもひどく錆びて傷んでいる。まるでこの家に置き去りにされた死骸だ。寂しい食器棚を眺めていると、突然背後から声をかけられた。
「成歩堂」
「うわ! いきなり話しかけてくるなよ。びっくりしたじゃないか」
「なぜそこで驚く……。まあいい。肉が焼き上がったぞ」
「ああ、うん……」
「……なにかあったのか?」
 ぼくの隣に並ぶ亜双義に、食器棚に丁寧に並んであるカトラリーを見せた。ふと、亜双義の目元が柔らかくなったのは気のせいだろうか。
「錆びてしまっているけど、上等な品みたいなんだ。子ども用もあるし、きっと幸せな家だったんだよ」
「…………」
「どうしてこのお屋敷には人がいないのだろう。不思議だと思わないか?」
「……考えられるとしたら、家の主が亡くなった可能性だろう。立て続けに妻が亡くなり、相続権を持つ子はまだ幼く……。そういう理由であれば、この家に誰もいないのは仕方のないことだ」
「なんだか寂しいな」
 子ども用のフォークを掴んで裏返してみる。使われていた形跡は既になく、ただ錆びたそれがあるだけだった。亜双義が眉尻をひくりを動かして顔を顰める。
「寂しいだと?」
「だって、その話が本当だとすると、子どもは独りぼっちじゃないか。そんなの寂しいだろ。ぼくだったら泣いてしまうかもしれない」
 錆びたフォークを窓から差し込む光で照らす。陽の光に照らされて銀色に輝いた。
「……抱きしめてあげたいな。きっと、人の温度も分からなくなってしまっているだろうから」
 すると突然、隣から腕が伸びてフォークを掴んだ手に骨ばった手が重ねられた。勢いがよかったので再び心臓が跳ね上がったが、緊張で汗ばんだ感触になにも言えなかった。
 亜双義がすぐ近くで言う。
「成歩堂、オレと共に大英帝国へ来い」
 ぎゅ、と力強くフォークを掴んだ手を握られる。亜双義の手は冷えきっていた。先程の話との関連性はなく、どうして亜双義が突然突拍子もないことを言うのか分からない。なにを言っているんだ、とか、突然なにを言い出すんだ、とか、言うべきことはたくさんあった。
 たくさんあったのに、亜双義がひどく泣きそうな目をしていたので。
 なんだか胸が苦しくなって、ついと言葉が出た。
「……いいとも」
 亜双義が泣いて縋り付いてきたわけではない。表情はいつも通りの快活な奴で、寂しさの欠片もない。ただ、泣きそうだな、と予感しただけだ。そんな親友と共にいたいと思ったのは、間違いなくぼく自身だった。
 置き去りにされた子どもが安心するかのように、亜双義は笑う。
「本当にいいのか?」
「いいって言ってるだろ。それよりぼく、もうお腹ぺこぺこだよ。早く食べよう」
 亜双義はぼくの手を離して、カトラリーを物色する。冷たい感触が、手の甲に痕となって消えない。
「このカトラリー、結構上等なものだけれど、勝手に使っていいのかしらん」
「いいだろう。どうせ、この先も使われることなんてないのだから」
「そんなことはないだろう。もしかすると、子どもが戻ってくるかもしれない」
「しかし、こんなに錆びていたら使う気も失せる。まあオレたちは使わざるを得ないのだがな」
 そう言う亜双義の表情はいつも通り不敵だった。いつもの亜双義に戻って、ぼくは胸を撫で下ろした。やはりぼくの親友は明るく笑っていたほうが似合う。屈託無く笑う親友が大好きだった。
 そうしてぼくたちは食器類を持ってお茶の間に戻った。焼き上がったステエキや、しいたけ、舞茸を錆びた皿にのせる。塩で味付けしたようだ。お茶もつくって、二人で祝いをやり直した。ぼくは大人用のカトラリーを使ったが、亜双義は子ども用のものを使っていた。明らかに食べづらそうにしているので心配になる。
「本当にそれで良かったのか?」
「ああ」
 それでも綺麗に肉を切り分けているのはさすがとしか言えない。亜双義は一口大に切ったステエキを頬張る。そして子どものように目を輝かせて、うっすらと笑むのだ。
「懐かしい味だ」
 そう呟く親友がなぜか寂しそうに見えて、大の大人相手に抱きしめてあげたいな、などと思うのだった。
 
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