七夕アソ龍
七夕祭りの日、オレは成歩堂と街をたむろしていた。
七月七日、特に用事もなかったオレたち二人の蛮行である。正確に言うと、オレは試験に向けて勉学に励んでいたのだが、成歩堂が突然やってきて祭りに誘ってきたのであった。
「息抜きにどうだ?」
丸い目を星のように輝かせる友人を放っておくわけにもいかず、こうして街の喧騒の中を漂っている。夜空に浮かぶ星は、街の灯のせいで薄らとしか見えなかった。街の、橙色の灯が成歩堂の肩に滲んでいる。人の熱気で暑いのか制服を脱いでシャツ姿になっていた。オレの前を往く成歩堂が立ち止まって振り返る。
「おい。いきなり止まるな。ぶつかるだろう」
「亜双義、彼処の団子屋で休憩しよう」
「キサマが団子を食べたいだけだろう」
相棒はへらりと腑抜けた調子で笑い、後頭部を掻いた。オレの相棒は少し、いやかなりとぼけている。軽い足取りで団子屋へ向かう成歩堂を見ると自分も調子を狂わされる。肩をすくめて、彼に着いていった。
「すみません。串団子二つ」
「おい待て。二つも食うのか?」
「一本はお前のぶんだよ、食べるだろ?」
まるでオレも食すのが当たり前のように首を傾げる。実際、食べるはめになるのだろう。すっかり成歩堂に流されている自分がいた。番傘の立てられた腰掛けに二人並んで座る。目の前で繰り広げられる祭りの催しを夢心地でぼんやりと眺めた。夜の湿り気を帯びた風が、成歩堂のシャツの襟を揺らす。やはり灯に溶けそうだな、と思った。
しばらくすると茶と菓子が運ばれてくる。待ってましたとばかりに受け取る成歩堂の表情は幼子のようであった。いそいそと受け取った相棒は、いそいそと団子を頬張る。その姿が実に楽しそうで、本当に美味そうに食う男だ。女給は優しく微笑んで、オレたちに話しかけてきた。
「そういえばお客さん、短冊は飾りましたか?」
「短冊、ですか?」
食べるのに勤しんでいる成歩堂の代わりに尋ねると、女給は「はい」と頷いた。
「うちの店でも短冊を飾っているんですよ。良かったらお願い事していきませんか?」
「願い事か・・・・・・」
団子を一つ飲み込んだ相棒は、やはり目を輝かせて言うのだった。
「どうせだからお願いしていこうぜ、亜双義」
「そうだな。・・・・・・すみません、紙をください」
女給に短冊の紙を頼むと、浴衣の帯を此方に向けて準備してくれた。二枚渡されたので、そのうちの一枚を成歩堂に分ける。彼は「お団子を食べてから書こう」などとのんきなことを言っている。あまりにも自由気ままな態度に拍子抜けする。成歩堂の奔放さは見習いたいところだ。もちもちと、粘り気のある団子を喰む。そういえば、成歩堂の頬も餅のように丸っこい。何度か触ったことがあるが、絶妙な柔らかさだった。そんなくだらないことを考えていると、最後の団子を食べた成歩堂が懐から万年筆を取り出した。短冊にさらさらと書いている様子は、清廉な学生そのものなのだが。オレも団子を食べ終わり、紙に己の願い事を書く。願い事というよりは必ず成し遂げなければならない悲願だ。洋墨の紫がじわりと紙の繊維に滲んだ。己の悲願を書いた短冊を笹に括りつけると、成歩堂もそれに倣った。飾り終えた彼は、意気揚々とオレの短冊に指をかける。
「亜双義はなにをお願いしたんだ?」
「おい、人の悲願をそう易々と見るな」
「別にいいじゃないか。減るものでもなし」
そう言って、成歩堂は簡単に紙を捲ってオレの字を読んだ。
「『使命を果たす』か。お前らしいな」
満面の笑みで肯定するこの男は、どんな気持ちでオレがその悲願を書いたのか知らないのだろう。少し、罪悪感を覚える。彼が思うような人間ではないというのに、なぜ相棒はこんなに清らかな笑みを見せてくれるのか。この男の笑顔を見ると、心が軋む。己の中に潜む黒い魔物がおいおいと声をあげて泣くのだ。
「そういうキサマはなにを書いたのだ」
彼の短冊を指先で捉えると、此奴はなんと裏にも願い事を書いていた。欲張りな奴だ。表には「おいしいものをいっぱい食べられますように」と記されていた。
「ふむ、随分のんきな願い事だな。裏にはなにが・・・・・・」
「あ、亜双義」
捲って裏を読もうとすると、成歩堂が焦った声で制止した。先程の笑顔とは打って変わって至極真面目な顔つきをしている。
「頼む。裏は見ないでくれ」
あまりにも必死な形相なので、俄然興味がわいた。にやりと笑ってみせると、相棒の顔はさっと青ざめた。オレの腕を掴むが時既に遅し。成歩堂の短冊を捲った。
そこには、小さな文字で「亜双義と共にあれますように」と書いてあった。
思わず息を呑む。心臓が激しく打つ。異様な高揚感が足元から湧き上がり背筋を駆けていった。成歩堂のほうを見やると、彼は耳まで赤くしてその美しい横顔を晒していた。
「見ないでくれって、言ったのに」
口を窄めるその表情がいじらしい。心臓が斑の紐になって首を絞めていくような、妙な圧迫感を覚える。その紐に雁字搦めにされ、身動きがとれない。とにかく此奴を隠さなくては。どこか、人の目に触れぬところへ。どうしてオレは友人如きに苦しい想いをしているのだ。
咄嗟に彼に手を伸ばし、此方へ引き寄せ抱きしめた。
「お、おい。亜双義、こんな人前で」
動揺している成歩堂を無視して縋り付くしかなかった。もし使命が無ければ、オレは成歩堂ともっと向き合えたのだろうか。もっと健やかな感情で接することができたのではなかろうか。使命など、無ければ良かったのに。使命を果たせない己など赦せるわけがないのに、そんな莫迦なことを考えた。考えてしまうほど、オレはこの男に惹かれていた。こんな愚かな人間と、それでも共にありたいと願ってくれるのか。
「・・・・・・亜双義、泣いているのか?」
泣いているわけがない。それなのに、呼気が荒くなる。声をあげて泣き叫んでしまいたくなるほどの衝動を全部呑み込んだ。成歩堂はオレの心臓辺りの背中を撫でる。
「あ、亜双義。流れ星だ」
そんなものはどうでも良かった。相棒が祈ってくれた願い事だけが燦然と輝いていた。そう、成歩堂の願い事は祈りそのものだ。オレが喉から手が出るほど欲しかった、成歩堂の祈りだった。成歩堂を抱き寄せたまま、彼の肩に顔を埋める。他の星など、オレには端から見えていないのだ。
相棒は、己の元に降りてきた流れ星そのものであった。
七月七日、特に用事もなかったオレたち二人の蛮行である。正確に言うと、オレは試験に向けて勉学に励んでいたのだが、成歩堂が突然やってきて祭りに誘ってきたのであった。
「息抜きにどうだ?」
丸い目を星のように輝かせる友人を放っておくわけにもいかず、こうして街の喧騒の中を漂っている。夜空に浮かぶ星は、街の灯のせいで薄らとしか見えなかった。街の、橙色の灯が成歩堂の肩に滲んでいる。人の熱気で暑いのか制服を脱いでシャツ姿になっていた。オレの前を往く成歩堂が立ち止まって振り返る。
「おい。いきなり止まるな。ぶつかるだろう」
「亜双義、彼処の団子屋で休憩しよう」
「キサマが団子を食べたいだけだろう」
相棒はへらりと腑抜けた調子で笑い、後頭部を掻いた。オレの相棒は少し、いやかなりとぼけている。軽い足取りで団子屋へ向かう成歩堂を見ると自分も調子を狂わされる。肩をすくめて、彼に着いていった。
「すみません。串団子二つ」
「おい待て。二つも食うのか?」
「一本はお前のぶんだよ、食べるだろ?」
まるでオレも食すのが当たり前のように首を傾げる。実際、食べるはめになるのだろう。すっかり成歩堂に流されている自分がいた。番傘の立てられた腰掛けに二人並んで座る。目の前で繰り広げられる祭りの催しを夢心地でぼんやりと眺めた。夜の湿り気を帯びた風が、成歩堂のシャツの襟を揺らす。やはり灯に溶けそうだな、と思った。
しばらくすると茶と菓子が運ばれてくる。待ってましたとばかりに受け取る成歩堂の表情は幼子のようであった。いそいそと受け取った相棒は、いそいそと団子を頬張る。その姿が実に楽しそうで、本当に美味そうに食う男だ。女給は優しく微笑んで、オレたちに話しかけてきた。
「そういえばお客さん、短冊は飾りましたか?」
「短冊、ですか?」
食べるのに勤しんでいる成歩堂の代わりに尋ねると、女給は「はい」と頷いた。
「うちの店でも短冊を飾っているんですよ。良かったらお願い事していきませんか?」
「願い事か・・・・・・」
団子を一つ飲み込んだ相棒は、やはり目を輝かせて言うのだった。
「どうせだからお願いしていこうぜ、亜双義」
「そうだな。・・・・・・すみません、紙をください」
女給に短冊の紙を頼むと、浴衣の帯を此方に向けて準備してくれた。二枚渡されたので、そのうちの一枚を成歩堂に分ける。彼は「お団子を食べてから書こう」などとのんきなことを言っている。あまりにも自由気ままな態度に拍子抜けする。成歩堂の奔放さは見習いたいところだ。もちもちと、粘り気のある団子を喰む。そういえば、成歩堂の頬も餅のように丸っこい。何度か触ったことがあるが、絶妙な柔らかさだった。そんなくだらないことを考えていると、最後の団子を食べた成歩堂が懐から万年筆を取り出した。短冊にさらさらと書いている様子は、清廉な学生そのものなのだが。オレも団子を食べ終わり、紙に己の願い事を書く。願い事というよりは必ず成し遂げなければならない悲願だ。洋墨の紫がじわりと紙の繊維に滲んだ。己の悲願を書いた短冊を笹に括りつけると、成歩堂もそれに倣った。飾り終えた彼は、意気揚々とオレの短冊に指をかける。
「亜双義はなにをお願いしたんだ?」
「おい、人の悲願をそう易々と見るな」
「別にいいじゃないか。減るものでもなし」
そう言って、成歩堂は簡単に紙を捲ってオレの字を読んだ。
「『使命を果たす』か。お前らしいな」
満面の笑みで肯定するこの男は、どんな気持ちでオレがその悲願を書いたのか知らないのだろう。少し、罪悪感を覚える。彼が思うような人間ではないというのに、なぜ相棒はこんなに清らかな笑みを見せてくれるのか。この男の笑顔を見ると、心が軋む。己の中に潜む黒い魔物がおいおいと声をあげて泣くのだ。
「そういうキサマはなにを書いたのだ」
彼の短冊を指先で捉えると、此奴はなんと裏にも願い事を書いていた。欲張りな奴だ。表には「おいしいものをいっぱい食べられますように」と記されていた。
「ふむ、随分のんきな願い事だな。裏にはなにが・・・・・・」
「あ、亜双義」
捲って裏を読もうとすると、成歩堂が焦った声で制止した。先程の笑顔とは打って変わって至極真面目な顔つきをしている。
「頼む。裏は見ないでくれ」
あまりにも必死な形相なので、俄然興味がわいた。にやりと笑ってみせると、相棒の顔はさっと青ざめた。オレの腕を掴むが時既に遅し。成歩堂の短冊を捲った。
そこには、小さな文字で「亜双義と共にあれますように」と書いてあった。
思わず息を呑む。心臓が激しく打つ。異様な高揚感が足元から湧き上がり背筋を駆けていった。成歩堂のほうを見やると、彼は耳まで赤くしてその美しい横顔を晒していた。
「見ないでくれって、言ったのに」
口を窄めるその表情がいじらしい。心臓が斑の紐になって首を絞めていくような、妙な圧迫感を覚える。その紐に雁字搦めにされ、身動きがとれない。とにかく此奴を隠さなくては。どこか、人の目に触れぬところへ。どうしてオレは友人如きに苦しい想いをしているのだ。
咄嗟に彼に手を伸ばし、此方へ引き寄せ抱きしめた。
「お、おい。亜双義、こんな人前で」
動揺している成歩堂を無視して縋り付くしかなかった。もし使命が無ければ、オレは成歩堂ともっと向き合えたのだろうか。もっと健やかな感情で接することができたのではなかろうか。使命など、無ければ良かったのに。使命を果たせない己など赦せるわけがないのに、そんな莫迦なことを考えた。考えてしまうほど、オレはこの男に惹かれていた。こんな愚かな人間と、それでも共にありたいと願ってくれるのか。
「・・・・・・亜双義、泣いているのか?」
泣いているわけがない。それなのに、呼気が荒くなる。声をあげて泣き叫んでしまいたくなるほどの衝動を全部呑み込んだ。成歩堂はオレの心臓辺りの背中を撫でる。
「あ、亜双義。流れ星だ」
そんなものはどうでも良かった。相棒が祈ってくれた願い事だけが燦然と輝いていた。そう、成歩堂の願い事は祈りそのものだ。オレが喉から手が出るほど欲しかった、成歩堂の祈りだった。成歩堂を抱き寄せたまま、彼の肩に顔を埋める。他の星など、オレには端から見えていないのだ。
相棒は、己の元に降りてきた流れ星そのものであった。
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