それでも一緒にいたい

「亜双義のアンポンタン!」
 同居人は奇天烈な罵声をオレに浴びせて部屋を出て行った。
 どたどたと喧しく足音を立てて、成歩堂は憤慨していた。オレが全面的に悪いので、こればかりはしょうがない。成歩堂を迎えに行くために、オレも外へ出る準備をした。

 きっかけは夜のお茶の間の時間。テレビの前のソファでニュースを見ていた成歩堂の発言からだった。
「ぼくらも結婚するかあ」
 その言葉に、オレともあろうものが、動揺してしまった。オレは仕事が休みで、成歩堂は仕事だったので夕飯づくりはオレがしている。ソファの前の卓袱台に料理を置いていると、成歩堂がテレビの画面から視線を逸らさずそう言ったのだった。
 夜のニュースでは、ちょうど同性婚の制度についてキャスターが話していた。どうやら世間では同性婚の制度が成立したらしく、画面の向こうの人々は幸せそうな顔で喜んでいる。しかし、オレにはその世界がなんだか遠くの出来事に思えてしょうがなかった。なぜなら、オレたちは恋人関係にない、ただの友達なのだから。
「・・・・・・は?」
「だから、ぼくらも結婚しようぜ。そっちのほうが色々と安上がりだし」
「いや、キサマは確か結婚には興味なかったはず・・・・・・」
「それは制度がなかったからだろ。せっかくできるようになったんだし、使えるものは使っていかないと」
 ことり、と成歩堂の分の小鉢を置く。ほうれん草のおひたしは萎びてしまうかもしれない。そんな予感に、恐怖した。
「成歩堂、オレたちは恋人じゃない」
「うん」
「だから、キサマを縛り付けるのは、オレはどうかと思う」
「・・・・・・うん?」
 成歩堂は眉間に皺を寄せて首を傾げる。そんな成歩堂の態度に構わず続けた。
「これから先、いい人が現れるかもしれない。そのときのために、たかが友人であるオレを選ぶべきではない」
「亜双義、本気でそう言ってるのか?」
 成歩堂の声は怒りに満ちていた。なぜ成歩堂が怒るのか、オレには理解できない。至極当然のことを言ったはずだ。友人関係など、簡単に恋愛に取って代わってしまう。少なくとも今まで見てきた人々はそうだった。同級生も、職場の連中も、みんなそうだった。だから成歩堂に恋人ができても、いつでも離れられるように準備してきたのだ。そんな人間が成歩堂と結婚だなんて、現実味がない。
「本気もなにも、オレは将来を見据えてだな・・・・・・」
「亜双義」
 オレを呼ぶその声は震えていた。今にも泣き出してしまいそうな声だった。どきりとして口を噤むと、成歩堂はきっ、とオレを見据え、立ち上がってオレの胸ぐらを掴んだ。
「ぼくはお前がいい! 誰でもない、お前がいいんだよ!」
「成歩堂、落ち着け」
「恋人だとか友達だとか関係ない! 一緒にいたいと思ったヤツと一緒にいる! それのなにが悪いんだよ⁉」
「成歩堂!」
 名前を呼べば、親友はハッと我にかえる。それでも怒りの持って行き場がないらしく、顔をぐしゃぐしゃに歪めてオレの身体を突き飛ばした。
「亜双義のアンポンタン!」
 そうして、成歩堂は勢いのまま部屋を出て行った。

 オレと成歩堂が出会ったのは大学時代だ。同じ法学部だったものの、最初のうちは関わり合いにならなかった。オレも周りには後腐れのない態度だけとっていたし、成歩堂は反対にいろいろなヤツによく絡まれていた。性格の違いもあって、話すこともほとんどなかった。
 それが、大学名物の弁論大会でがらりと変わってしまった。
 オレを弁論で打ち破った成歩堂に声をかけ、そこから急に距離が近づいた。話してみると存外気の良いヤツで、聡いところもあった。共にいると安心できて、幸せな心地になる。オレはいつの間にか、成歩堂に骨抜きにされていた。天涯孤独の身に、突如降り注いだ陽光であった。
 同居を提案したのは、大学にまだ在籍していた頃だ。オレとしては一大決心して持ちかけたのだが、成歩堂はさらりと返した。
「いいな、それ」
「恋人はいいのか?」
「恋人なんていないよ。結婚にも興味ないし。お前といるのが楽しいから」
 その言葉に胸が疼いたのは、気のせいではなかった。気のせいではないから厄介だった。オレはきっと、この男に執着している。そう思うと不安で夜も眠れなくなった。
 執着という感情で、唯一の親友を雁字搦めにしようとしているのではなかろうか。オレは、自由に振る舞う成歩堂が好きだった。自由に笑う親友を、愛していた。
 この感情は本来存在してはいけないものだ。だから、相棒が旅立つそのときまでに離れる覚悟を決めようと思っていた。
 今更離れられるわけがないのに、自分はどこまでも愚かだった。共にいる時間が増えれば増えるほど、彼に対する執着は深くなるばかりだ。もうどこにも離したくない。ずっと隣で笑っていてほしい。しかし哀しい哉、この世界は恋愛感情しか認めてくれなかった。
 社会に出るといやでも経験する、社会の規範や価値観。オレはそれを浅い笑いで受け流しながら、少しずつ摩耗していった。それはもしかすると、成歩堂も同じだったのかもしれない。結局、オレと成歩堂は社会に出てからもずっと一緒に住んでいた。
 此奴が離れてしまったら、オレは二度と誰とも生きていけなくなるだろう。そんな予感が、ひしひしと自身を苛んだ。それくらい、成歩堂の隣は息がしやすかった。
 ずっとずっと、相棒と共にいられたら。――生きていけたなら、これほど嬉しいことはない。
 相棒も、そう思ってくれていたのだろうか。
 アパートの近くの海辺で佇んでいる成歩堂を見て、ほっと息をついた。夜の暗い海から目を離さない成歩堂は、オレを振り返りもしない。潮風にかき消されないよう、彼の名前を呼んだ。
「成歩堂」
 秋の海辺は少々冷える。途中の自動販売機で買ったホットココアを成歩堂の頬に当てると、彼は渋々といった態度で受け取った。空は晴れ渡り、月が煌々と海の波を照らしている。隣に立つと、成歩堂は横目でじとりとオレを睨んだ。目尻が少し赤くなっている。もしかして泣かせてしまっただろうか。
「ぼくは、怒ってる」
「ああ」
「なんでか分かるか?」
「正直分からん。オレは至極真っ当な意見を述べただけだが」
 そう言うと、成歩堂は再び眉をつり上げて「お前ってヤツは、本当にそうだよな!」と声を荒らげる。しかし室内で口論になったときより声音は落ち着いていた。
「亜双義」
「なんだ」
「ぼくと結婚しろ」
 真摯な言葉が、まっすぐに胸に突き刺さる。今度は此方が泣けてきてしまう。どうしたらいいか分からず、成歩堂に尋ねた。
「・・・・・・なぜ、オレなんだ」
「なぜって、それはお前もよく分かってるだろ?」
 オレの相棒は、今度は笑った。月灯に照らされた彼の笑顔は、誰よりも眩い。その笑顔を、いつまでも隣で見ていたかった。オレだけの、一等席で。
「お前と、ずっと一緒にいたいからだよ」
 そんな簡単な言葉で、容易に救われてしまう。ずっと欲しかった言葉だった。相棒から、ずっと言われてみたかった。この男の隣にいることを、誰よりも願った。オレのどうしようもない感情がぐちゃぐちゃになり、泣くのを必死に堪える。相棒の言葉しか、いらなかった。
 キサマに言われるから嬉しいのだ、成歩堂。
「いいのか。オレはきょうだいも家族もいない、天涯孤独の身だぞ。キサマを紹介できる相手もいない。そもそも、同性なのだ。キサマのご両親にも迷惑ではないのか」
 それでも皮肉が出てしまうオレに、成歩堂は何度も瞬きして、そして当たり前のように答えた。
「周りがどう言おうが、お前はお前だろ? それに、もし家族がお前を否定するなら、お前を認めさせてやるだけだよ」
 ・・・・・・本当にこの男は、昔からめちゃくちゃだ。
 成歩堂は左手でオレの右手を握る。祈るように目を瞑る。成歩堂の睫毛に、銀の煌めきが絡みついた。
 潮騒の音がきこえる。もう言葉は必要なかった。
 静寂と月が、オレたちを見守っている。何度オレは、この男に救われるのだろう。もしかしたら一生、オレは救われ続けるのかもしれない。美しい感情を持った、この男に。
 やがて、成歩堂が口を開いた。
「帰るか」
「それはいいが・・・・・・飯はすっかり冷めてしまっているだろう。どこかへ食べに行くか?」
「いや」
 成歩堂は満面に笑みを浮かべて、オレの手を更に強く握った。
「お前の料理が食べたい」
 その返答がやけに擽ったく感じられて、オレもつられて笑った。
 なんて幸福な夜なのだろう。オレたちは笑いあいながら、帰り道をゆっくり歩いた。
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