いいないいな
七月の夜、成歩堂がオレの部屋に突然転がり込んできた。
どうやら様々な科目から一度に課題が押し寄せてきたらしく、「人目があったほうが集中できる」と言って、それから一日余り卓袱台を占領している。確かにこの時期の課題の多さといったらない。狭いアパートの一室で、二十を超えた男が二人。成歩堂はよくオレの部屋に訪れる。逆も然りだ。慣れきった距離感で、成歩堂は課題を、オレは期末試験に向けた勉強をしている。
「ぼくのことはそこら辺の雑巾と同じ扱いをしていいから」と口にしていたので放っているが、大分挙動が怪しい。ずっとノートパソコンに食らいついているが、もしやしばらく寝ていないのだろうか。そういえばオレが昨日の夜、布団に入ったときはまだ起きていた。この様子だとシャワーすら浴びていないのだろう。彼の大きな目の下には隈ができていた。オレも鬼ではないので、軽食や飲み物などは渡してやっている。そろそろ声をかけてみるかと横目で窺っていると、突然成歩堂は頭を抱えて唸り始めた。
「うううううう……」
「……あとどれくらいだ?」
「あと三分の一くらい……」
「今回は共通科目の課題が多かったからな。無理もない」
「……同じ科目を受けてるのに涼しい顔してるな。亜双義は」
「まあ、終わったからな」
そう言えば、成歩堂は卓袱台に突っ伏して更に低い唸り声をあげた。と思えば、相当追い詰められているのか、いきなり不思議な頼みをしてくるのだった。
「亜双義……、ぼくが無事課題を終わらせられたら甘やかしてくれないか?」
「……は? とうとう気でも狂ったか」
「とっくの昔に狂ってるんだよ!」
成歩堂は爛々とした目でオレを睨んでくるが、全然怖くもなんともない。彼は少々優しげな顔つきをしているので迫力がないのだ。無言を返していると、成歩堂が幽鬼のような声で「にんげんっていいな」を歌い始めた。
「おいしい亜双義、ほかほか亜双義、あったかい亜双義で眠るんだろな……」
「おい、成歩堂。オレを勝手に食い物にするな。一旦寝ろ」
「待ってくれ……もう少し粘る……」
「そんなに追い詰められるなら一人でやったほうがいいのではないか?」
これ以上の追い込みは成歩堂の身体にも良くないと注意するが、成歩堂はそれには反応せず、代わりにオレの手を握ってきた。どうしたのかと彼の顔を覗き込んだら、想定よりもずっと穏やかな顔をしていた。
「追い詰められると人肌恋しくなるんだな」
「……おい、成歩堂。キサマ……」
「亜双義といると不思議と頑張れるんだよな」
言葉が出てこないオレとは違い、成歩堂はへらりと笑って手を離した。ほんの短い間だけ触れた熱は、すぐに冷えていく。彼のそういうところが、オレのなにかを狂わせていくのだった。
「……分かった」
「え」
「キサマの課題が終わったら思う存分甘やかしてやる。その代わり手は抜くなよ」
自分が折れただけではない。甘やかしたら彼は一体どんな反応をするのか興味があった。
要望を受け入れると、成歩堂は黒い目をきらきらと輝かせて、再びパソコンの画面と向き合った。
対するオレは、
「……暑いな」
火照る身体を初夏のせいにして、エアコンのボタンを押すのだった。
どうやら様々な科目から一度に課題が押し寄せてきたらしく、「人目があったほうが集中できる」と言って、それから一日余り卓袱台を占領している。確かにこの時期の課題の多さといったらない。狭いアパートの一室で、二十を超えた男が二人。成歩堂はよくオレの部屋に訪れる。逆も然りだ。慣れきった距離感で、成歩堂は課題を、オレは期末試験に向けた勉強をしている。
「ぼくのことはそこら辺の雑巾と同じ扱いをしていいから」と口にしていたので放っているが、大分挙動が怪しい。ずっとノートパソコンに食らいついているが、もしやしばらく寝ていないのだろうか。そういえばオレが昨日の夜、布団に入ったときはまだ起きていた。この様子だとシャワーすら浴びていないのだろう。彼の大きな目の下には隈ができていた。オレも鬼ではないので、軽食や飲み物などは渡してやっている。そろそろ声をかけてみるかと横目で窺っていると、突然成歩堂は頭を抱えて唸り始めた。
「うううううう……」
「……あとどれくらいだ?」
「あと三分の一くらい……」
「今回は共通科目の課題が多かったからな。無理もない」
「……同じ科目を受けてるのに涼しい顔してるな。亜双義は」
「まあ、終わったからな」
そう言えば、成歩堂は卓袱台に突っ伏して更に低い唸り声をあげた。と思えば、相当追い詰められているのか、いきなり不思議な頼みをしてくるのだった。
「亜双義……、ぼくが無事課題を終わらせられたら甘やかしてくれないか?」
「……は? とうとう気でも狂ったか」
「とっくの昔に狂ってるんだよ!」
成歩堂は爛々とした目でオレを睨んでくるが、全然怖くもなんともない。彼は少々優しげな顔つきをしているので迫力がないのだ。無言を返していると、成歩堂が幽鬼のような声で「にんげんっていいな」を歌い始めた。
「おいしい亜双義、ほかほか亜双義、あったかい亜双義で眠るんだろな……」
「おい、成歩堂。オレを勝手に食い物にするな。一旦寝ろ」
「待ってくれ……もう少し粘る……」
「そんなに追い詰められるなら一人でやったほうがいいのではないか?」
これ以上の追い込みは成歩堂の身体にも良くないと注意するが、成歩堂はそれには反応せず、代わりにオレの手を握ってきた。どうしたのかと彼の顔を覗き込んだら、想定よりもずっと穏やかな顔をしていた。
「追い詰められると人肌恋しくなるんだな」
「……おい、成歩堂。キサマ……」
「亜双義といると不思議と頑張れるんだよな」
言葉が出てこないオレとは違い、成歩堂はへらりと笑って手を離した。ほんの短い間だけ触れた熱は、すぐに冷えていく。彼のそういうところが、オレのなにかを狂わせていくのだった。
「……分かった」
「え」
「キサマの課題が終わったら思う存分甘やかしてやる。その代わり手は抜くなよ」
自分が折れただけではない。甘やかしたら彼は一体どんな反応をするのか興味があった。
要望を受け入れると、成歩堂は黒い目をきらきらと輝かせて、再びパソコンの画面と向き合った。
対するオレは、
「……暑いな」
火照る身体を初夏のせいにして、エアコンのボタンを押すのだった。
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