おまえにめとられたい

 成歩堂は熱に侵されていた。
 高校に入学して早一週間。バス停までの道のりの短縮で、墓場を通ったのがいけなかった。よく手入れされた墓場だったので大丈夫だろうと安易に足を踏み入れてしまった。余計なものを連れてきてしまったらしい。その日から原因不明の高熱に魘され、数日外に出られずにいた。
 いつもなら亜双義に頼んで祓ってもらうのだが、最近はできるだけ頼らないようにしていた。いつまでも彼に頼ってばかりではだめだと、この歳になって思うようになった。亜双義と共にいるためには、誇れる人間にならなければ。
 だから今回のことも自分でどうにかしようとするも、どうもうまくいかない。成歩堂を蝕むソレは、魂の奥深くまで喰らい尽くそうとしている。絶対負けないと気合いを入れて自分の身の内に結界を張るが、どこまで持つかは分からなかった。
 今日、両親は仕事で遅くまで帰ってこない。成歩堂は自室のベッドで独り苦しんでいた。
 熱い。
 噎せ返る熱に、頭がぐらりと重くなる。呼吸をするたびに肺が痛む。はあはあとあがる息が煩わしい。寝間着は汗で濡れてしまっているが、着替えをする体力もない。とにかく頭が茹だる。強く目を瞑り、苦しみに耐えていた。
 そんなとき、突然自室の空気が一変した。
 清涼な花の香りが瞬時に部屋を彩る。よく知っている気配に、朧気に目を開いた。
「暫く見ないと思えば、またキサマは・・・・・・」
 ベッドのすぐ横に、背筋を伸ばした亜双義が立っていた。
 怒りを通り越して呆れているのか、腕を組んで鼻を鳴らしている。成歩堂は彼に手を伸ばして、着物の裾を弱々しく掴んだ。
「あそうぎ、あいたかった」
 自然と口に出た言葉に、亜双義に会いたかったのだとはじめて自覚した。亜双義の手が汗ばんだ頭を優しく撫でる。額に触れる温度はひんやりとしていて気持ちが良かった。
「・・・・・・そんな顔をするくらいなら、変な意地を張るな」
「ん・・・・・・」
 成歩堂には自分がどんな顔をしているのか分からなかった。亜双義が言うくらいなのだからきっとひどい顔をしているだろう。
 意識が朦朧とする中、亜双義が顔を近づけてくる。彼の名前を呼ぶより先に顎を掴まれ、唇が重なった。突然のキスに驚いたが、身体の怠さが勝ってしまい、抵抗する気も起きなかった。触れているだけなのに隙間すら許されていない。柔らかな唇の感触が心地よくてうとうととしてしまう。すると、緩く開いていた唇の内側をぐるりと舐められた。
「もう少し口を開けろ」
 そう指示されてもう一度唇が重なる。言われたとおり口を先ほどより開けていると、突然ふっ、と息を吹き込まれた。
 途端、全身を駆け巡る、経験したことのない感覚。
「あっ、あっ・・・・・・あ」
 唇を離された成歩堂は、その感覚に喘ぐしかない。甘美なその刺激は、まるで己の身体に白い花が押し込まれたかのようだった。射精時の感覚に似ているが、決して性感ではないそれに身体を震わせるしかない。亜双義は口元を心底愉快そうに歪め、成歩堂の火照った頬を撫でた。
「どうだオレの気は。少しずつ馴らしていたから心地がいいだろう」
「あっ、あそうぎ、んぅ、なに、これ」
「やはりヒトの身体では少しばかり強烈だったか・・・・・・。まあ、これでキサマに巣くっていた雑魚は消えた。世話が焼ける奴だ。次からは早めに言えよ」
 自分に憑いていたものがどうなったのか、もうそれどころではなかった。身体中が甘く痺れて仕方がない。ずっとこの泥のような感覚に身を沈めたくなってしまう。あまりの感覚に、毛布を退けた。
 頬を撫でる亜双義の手に触れて、はあ、と熱い息を吐いた。
「きもち、いい」
「フ・・・・・・随分と蕩けた顔をしているな。なにせキサマが童子の頃から少しずつ喰わせてやっていたのだ。さぞ心地よいだろう」
 亜双義が横たわった成歩堂の上に覆い被さる。人間ではないからか、重さを感じなかった。それなのに、腹部に圧を感じる。視線を移せば、亜双義が成歩堂の寝間着を捲り、腹をさすっていた。その感触にざわりと産毛が逆立つ。手の平の温度は冷たい。それでも内側から燻る熱を感じ取ってしまった。上に乗られ、足を封じられているために身じろぎすらできない。神様から与えられる快楽に、ただ喘ぐしかない。
 ぐ、と腹部を強く押され、身体が大仰に跳ねた。
「なあ、成歩堂。ここにオレの子種を植えてやろうか」
「こだね・・・・・・?」
「ああ。そうすればキサマはオレの神気に護られ、不埒な輩は近づけなくなる。もう誰も、キサマに障りを起こすものはいなくなる。誰もキサマに触れられない。オレ以外はな」
 それは、きっと素敵なことだと成歩堂はぼんやりとした視界の中で思った。だから、考えもせず言葉が漏れた。
「来いよ」
 両手を伸ばし、亜双義の頭を引き寄せる。すると、彼の身体が固まった。
「お前なら、いいとも」
 本心だった。
 孤独な親友の傍にいられるなら、なんだって良かった。大切な大切な、ぼくの親友。お前を愛したことは、この短い人生の僥倖だった。
 そう思って、手を伸ばしたのに。亜双義は勢いよく頭を上げて、思いっきり成歩堂の頭を叩いた。
「この・・・・・・っ! 大莫迦者!」
「でぇっ⁉」
 彼は成歩堂の身体から退いて、再びベッドの横に移動した。そして今度は、額を指で弾かれる。デコピンはあまり痛くなかった。
「そうやってホイホイ心を許すからつけいられるのだ! もっと警戒心を持て!」
「だってお前から言ったんじゃないか・・・・・・」
 理不尽な暴力に唇を尖らせれば、亜双義は「む」と口をへの字に曲げた。やたら気まずそうに頭を撫でてくる。叩いたり撫でたり、親友は忙しそうだ。殊勝な様子の親友に、思わず笑ってしまう。
「・・・・・・ふふふ」
「なんだ。気味悪い笑い声をあげて」
「お前だって、なんだかんだぼくには甘いじゃないか」
 成歩堂がそう言うと、亜双義は口を噤んだ。
 眠気がくるまで、亜双義が頭を撫でてくれる。その手の平の体温が心地よく、成歩堂は目を瞑った。
「体力が戻るまで寝ていろ」
 うん、と返事をしたかったが、既に意識は泥濘に埋もれていた。身体が白い花々に包まれているようで、安心して眠った。
 次に起きたときには、亜双義はいなかった。発熱していたのが嘘のように身体が軽かった。亜双義とのやりとりをはじめは夢だと思ったが、枕元に散った白い花弁を見て、やはりあれは夢ではなかったと知った。
 どうしようか迷ってしまう。随分、恥ずかしい声を聴かれてしまった。更にはあんな、人に言えないようなやりとりをしてしまった。どう顔を合わせたらいいのか分からない。それでも体調が良くなったのは亜双義のおかげだ。神気を分けてもらったからか、霊力が安定している。お礼を言うために、次の日、太陽が出ている時間に大樹へ向かった。
 まだ時期ではないので白い花は咲かない。そのはずなのに、自分の身体が白い花になってしまったような気がしていた。まだ亜双義の神気に酔っている。
 亜双義は今日も大樹で待ってくれていた。ほっとすると同時に、顔を合わせづらかった。意識している成歩堂とは対照的に、亜双義はいつもの通りに快活に笑う。
「調子が戻ったようだな」
「ああ。お前が気を分けてくれたからだよ。ありがとう」
「なに、礼には及ばん。ああ、それと」
 亜双義が懐から白い布のようなものを取り出す。その布はお世辞にも柔らかいとは言えず、反対に干からびていた。手渡されたので反射的に受け取った。よく見ると不思議な光沢があり、ざらざらしていながらもしっとりとした質感がある。その白いなにかは鱗状の線が引かれていた。
「これをなにか・・・・・・巾着でもいい。とにかく肌身離さず持っていろ」
「これはなんだ?」
「オレの抜け殻の一部だ」
 亜双義の抜け殻、と聞いて、そこでこの白いものが蛇の抜け殻だと知る。変な声を出して落としそうになったが、すんでの所で堪えた。亜双義からもらったものを落としたらしつこく責められかねない。
「それがあれば離れていても変な奴らから障りは受けないだろう」
「・・・・・・でも」
「いいから持っておけ。キサマがオレを頼りたくないのは知っている。だからそれを渡すのだ」
「どういうことだ?」
「どうしても直接関与したくなってしまうからな。それがあればオレの一助はいらん」
 どうやら神様からの贈り物は、神様がいなくても強い効果があるらしい。成歩堂は抜け殻を抱きしめた。
「ありがとう。お前だと思って大事にする」
 お礼を言えば、亜双義は満足そうに笑って、成歩堂をいつものように抱き上げた。成歩堂は驚いて、亜双義の肩に掴まる。昔から亜双義は、こうして成歩堂を抱き上げて大樹の天辺まで連れて行くのだ。
「なあ、これ、さすがにもう恥ずかしい」
「では、自分で登ってくるか?」
「うう、それも無理なんだけど・・・・・・」
 お前の体温を感じてしまって恥ずかしいんだと言うと、亜双義は薄く笑って顔を寄せる。思わず亜双義の顔に手をやって押さえつけた。
 亜双義は揶揄い口調で言う。
「ん? どうした?」
「だって、顔が近かったから」
「くく・・・・・・愛い奴め」
 本当はもう一度、キスがしてみたかった。しかしそれを強請るには自分は半人前すぎて、どうも言えなかった。
 早く一人前になりたいなあ。
 亜双義に抱きかかえられ、空に想いを馳せる。今日もすがすがしいほどの晴天だった。

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