おまえにめとられたい
それから、毎日のようにその人と遊ぶようになった。
遊ぶと言っても、大樹の天辺に登って二人で語り合うだけだった。しかし幼い少年にとってはその穏やかな時間がなによりも貴重だった。今日の国語のテストは結構できた、隣の席の男の子と仲良くなったなんて話をすると、その人は優しく笑うのだ。その人の笑顔を見ると胸が擽ったくて、つられて笑ってしまう。
その人は成人男性の形をしていたが、本当の姿でないのであろうことは、幼いながらも勘づいていた。そういった話をすると、「成歩堂家の者は本当に『視える』のだな」と感心するのだった。本来の姿を見たいと言えば、その人は首を横に振る。友人であっても、すべてを曝け出せないのだなと寂しかった。成歩堂はその人を友だと思っていた。
枝の上で自分の手を覆うように重ねられた、自分より大きい手はひんやりとしていた。「キサマの手はぬくいな」と指を絡ませ、その人は言う。この美しい人が、大好きだった。
そうして穏やかな毎日を送ること二年、成歩堂が小学三年生になった頃だった。
七月中旬、緑葉の生い茂る季節。燦々と輝く太陽のせいか、身体が重かった。
肩に岩がずっしりと乗っているようだった。額に浮かぶ汗を拭いながら、家にランドセルも置かず、まっすぐ大樹へ向かう。獣道を抜けると、すぐにその大樹はある。陽光を浴びた緑は太陽に負けないくらい輝いていた。揚々と輝く緑葉に、光が透けている。いつぞや見たステンドグラスのように、成歩堂を照らしていた。
「・・・・・・おい」
いつになく低い声が天上から降ってくる。成歩堂の元まで舞い降りたその人は、不機嫌な様子を隠そうともしていない。どことなく空気がひんやりとしていて、寒くないのに思わず身震いした。
その人は両手を伸ばして成歩堂の両肩を強い力で叩く。想定よりも力が強かったせいで心臓が飛び跳ねた。
仮面越しでも分かる。理由は定かではないが、猛烈に怒っている。
その人が両肩から手を離すと、今までの重さが嘘だったかのように身体が軽くなっていた。肩の痛みがなくなっている。
ぐるぐると肩を回していると、地を這う声でその人は言った。
「キサマ・・・・・・召喚の儀を行ったな」
「しょうかんのぎ・・・・・・? ああ、コックリさんのことか。よく気づいたな。友達にさそわれて断れなくてさ。仕方なく・・・・・・」
「たわけ!」
その人が指を差し向け、成歩堂の額を弾く。あまり痛くなかった。
「キサマは他の奴らより『視える』のだ。その分障りに触れやすい。死にたくなければ用心しろ」
「う、うん・・・・・・分かったよ」
死ぬだなんて、そんな深刻な話なのかしらん、と首を傾げる。そんな成歩堂を置いてきぼりにして、その人はずっと怒っていた。
成歩堂に再び手を伸ばし、頬に触れてくる。ひんやりとした手の平が気持ちよくて、目を細めてしまった。
「まったく・・・・・・このオレがいながら、他の奴に現を抜かすとは」
その言葉の意図は図りかねたが、そんなに悪いことは言われていないのだろうと思って、いつもの通りにその人に抱きついた。その人は幼い自分を抱きかかえて、大樹の上までひとっ飛びで連れて行ってくれる。
今日も二人でいつもの枝で語り合う。
「・・・・・・今日はなにが憑いていたんだ?」
「狐だな」
「だよなあ・・・・・・。そんな気はしてたんだよ」
「分かっているならもっと気をつけろ。危なっかしい・・・・・・」
「だって、おまえがまもってくれるから、ちょっとはいいかなって」
その人の肩にもたれかかると、「これだから人間は・・・・・・」と深くため息をつかれた。また機嫌を損ねてしまったかと見上げると、口元が笑んでいた。
尋ねたら教えてくれるかなと淡い期待を持って、その人に今日も問いかける。
「なあ、そんなことよりさ、いつになったら教えてくれるんだよ」
「なにをだ」
「名前」
無言になったその人に、膨れっ面を見せる。もう二年も一緒にいるのに、この男は名前を教えてくれない。
親友なのに、彼の名前すら知らないのがもどかしかった。
「・・・・・・キサマも知っていると思うが、そう簡単に名前は教えられぬ」
「知らない」
「いつになく聞き分けがないな」
その人は苦笑して、成歩堂の唇を指で摘まむ。アヒルのような形になった唇を指で弄ばれる。感触が面白かったのか、その人はころころと笑った。暫く唇で遊んでいたかと思えば、ぱっと手を離して妖しく笑う。
「そうだな、キサマを娶ってもいいなら、話は別だ」
「めとっていいよ」
「・・・・・・言葉の意味を理解していないだろう。童子風情が生意気な」
娶るという言葉を知らないので、反論できない。膝の上で、拳をぎゅっと握りしめるしかなかった。
「・・・・・・でも、いいんだよ」
「おい」
「たしかにに意味は分からないさ。だけど、いいんだ。だっておまえは、ぼくにひどいことしないだろう? 親友なんだもの」
顔を上げて、彼を見据える。その人は喉を鳴らして、成歩堂の膝の上の右手に手を重ねた。それから首元に触れられた。擽ったくて身を捩ると、その手はすぐに引っ込められた。仮面越しにあるだろう目を見つめて、その手を引き留める。
「ぼくを信じられないか?」
「・・・・・・」
「じゃあ、指切りしよう」
右手を翳して小指を差し向けると、珍しくその人は狼狽えた。首を傾げてじっと見つめていると、やがてその人はまた深い息を吐いた。
「分かった分かった。だからそんな目で見つめるな」
そう言って、するりと小指を絡ませてくる。その動作が蛇に似ていて、ドギマギしてしまった。きゅ、と小指を絡ませて、成歩堂は揚々と歌った。
ゆびきりげんまん うそついたらはりせんぼんのます
さらさらと、木の葉の擦れ合う音が聴こえる。
二人の小さな約束を、大樹だけが知っていた。
遊ぶと言っても、大樹の天辺に登って二人で語り合うだけだった。しかし幼い少年にとってはその穏やかな時間がなによりも貴重だった。今日の国語のテストは結構できた、隣の席の男の子と仲良くなったなんて話をすると、その人は優しく笑うのだ。その人の笑顔を見ると胸が擽ったくて、つられて笑ってしまう。
その人は成人男性の形をしていたが、本当の姿でないのであろうことは、幼いながらも勘づいていた。そういった話をすると、「成歩堂家の者は本当に『視える』のだな」と感心するのだった。本来の姿を見たいと言えば、その人は首を横に振る。友人であっても、すべてを曝け出せないのだなと寂しかった。成歩堂はその人を友だと思っていた。
枝の上で自分の手を覆うように重ねられた、自分より大きい手はひんやりとしていた。「キサマの手はぬくいな」と指を絡ませ、その人は言う。この美しい人が、大好きだった。
そうして穏やかな毎日を送ること二年、成歩堂が小学三年生になった頃だった。
七月中旬、緑葉の生い茂る季節。燦々と輝く太陽のせいか、身体が重かった。
肩に岩がずっしりと乗っているようだった。額に浮かぶ汗を拭いながら、家にランドセルも置かず、まっすぐ大樹へ向かう。獣道を抜けると、すぐにその大樹はある。陽光を浴びた緑は太陽に負けないくらい輝いていた。揚々と輝く緑葉に、光が透けている。いつぞや見たステンドグラスのように、成歩堂を照らしていた。
「・・・・・・おい」
いつになく低い声が天上から降ってくる。成歩堂の元まで舞い降りたその人は、不機嫌な様子を隠そうともしていない。どことなく空気がひんやりとしていて、寒くないのに思わず身震いした。
その人は両手を伸ばして成歩堂の両肩を強い力で叩く。想定よりも力が強かったせいで心臓が飛び跳ねた。
仮面越しでも分かる。理由は定かではないが、猛烈に怒っている。
その人が両肩から手を離すと、今までの重さが嘘だったかのように身体が軽くなっていた。肩の痛みがなくなっている。
ぐるぐると肩を回していると、地を這う声でその人は言った。
「キサマ・・・・・・召喚の儀を行ったな」
「しょうかんのぎ・・・・・・? ああ、コックリさんのことか。よく気づいたな。友達にさそわれて断れなくてさ。仕方なく・・・・・・」
「たわけ!」
その人が指を差し向け、成歩堂の額を弾く。あまり痛くなかった。
「キサマは他の奴らより『視える』のだ。その分障りに触れやすい。死にたくなければ用心しろ」
「う、うん・・・・・・分かったよ」
死ぬだなんて、そんな深刻な話なのかしらん、と首を傾げる。そんな成歩堂を置いてきぼりにして、その人はずっと怒っていた。
成歩堂に再び手を伸ばし、頬に触れてくる。ひんやりとした手の平が気持ちよくて、目を細めてしまった。
「まったく・・・・・・このオレがいながら、他の奴に現を抜かすとは」
その言葉の意図は図りかねたが、そんなに悪いことは言われていないのだろうと思って、いつもの通りにその人に抱きついた。その人は幼い自分を抱きかかえて、大樹の上までひとっ飛びで連れて行ってくれる。
今日も二人でいつもの枝で語り合う。
「・・・・・・今日はなにが憑いていたんだ?」
「狐だな」
「だよなあ・・・・・・。そんな気はしてたんだよ」
「分かっているならもっと気をつけろ。危なっかしい・・・・・・」
「だって、おまえがまもってくれるから、ちょっとはいいかなって」
その人の肩にもたれかかると、「これだから人間は・・・・・・」と深くため息をつかれた。また機嫌を損ねてしまったかと見上げると、口元が笑んでいた。
尋ねたら教えてくれるかなと淡い期待を持って、その人に今日も問いかける。
「なあ、そんなことよりさ、いつになったら教えてくれるんだよ」
「なにをだ」
「名前」
無言になったその人に、膨れっ面を見せる。もう二年も一緒にいるのに、この男は名前を教えてくれない。
親友なのに、彼の名前すら知らないのがもどかしかった。
「・・・・・・キサマも知っていると思うが、そう簡単に名前は教えられぬ」
「知らない」
「いつになく聞き分けがないな」
その人は苦笑して、成歩堂の唇を指で摘まむ。アヒルのような形になった唇を指で弄ばれる。感触が面白かったのか、その人はころころと笑った。暫く唇で遊んでいたかと思えば、ぱっと手を離して妖しく笑う。
「そうだな、キサマを娶ってもいいなら、話は別だ」
「めとっていいよ」
「・・・・・・言葉の意味を理解していないだろう。童子風情が生意気な」
娶るという言葉を知らないので、反論できない。膝の上で、拳をぎゅっと握りしめるしかなかった。
「・・・・・・でも、いいんだよ」
「おい」
「たしかにに意味は分からないさ。だけど、いいんだ。だっておまえは、ぼくにひどいことしないだろう? 親友なんだもの」
顔を上げて、彼を見据える。その人は喉を鳴らして、成歩堂の膝の上の右手に手を重ねた。それから首元に触れられた。擽ったくて身を捩ると、その手はすぐに引っ込められた。仮面越しにあるだろう目を見つめて、その手を引き留める。
「ぼくを信じられないか?」
「・・・・・・」
「じゃあ、指切りしよう」
右手を翳して小指を差し向けると、珍しくその人は狼狽えた。首を傾げてじっと見つめていると、やがてその人はまた深い息を吐いた。
「分かった分かった。だからそんな目で見つめるな」
そう言って、するりと小指を絡ませてくる。その動作が蛇に似ていて、ドギマギしてしまった。きゅ、と小指を絡ませて、成歩堂は揚々と歌った。
ゆびきりげんまん うそついたらはりせんぼんのます
さらさらと、木の葉の擦れ合う音が聴こえる。
二人の小さな約束を、大樹だけが知っていた。