かみさまのあたまのなか

 今日は親友と二人で水族館に来ている。
 外は生憎の雨だが、どうせ施設内を歩き回るのだから問題はない。亜双義は券売機の前で、ぼくに手の平を見せた。
「なんだ?」
「成歩堂、ぼんやりしているな。キサマの分の金だ。それともオレにすべて払わせるつもりか?」
「ぼくの分も払ってくれるなら助かるけど」
「……キサマの面の皮の厚さは見習うべきところだな」
 ごめんよと形だけの謝罪をして、呆れ顔の亜双義の手の平に一人分の金額を渡す。券売機の札入れに吸い込まれていく千円札を眺めた。

 なぜ親友と水族館に来ているのか。時は二日前まで遡る。
「亜双義、気分転換に水族館でも行かないか?」
 大学の食堂でそう持ち掛けたのは、紛れもないぼくだ。亜双義はその時も同じ呆れ顔で、うどんを挟んでいた箸を置いた。
「キサマはいつも気分転換ばかりだろう」
「そんなことはないぜ、友よ。ただ単純に、お前といると楽しいだけだとも」
「口だけは達者だな」
 亜双義はなんだかんだ言ってぼくの提案にいつも付き合ってくれる。今回も満更ではなかったようで、顎に指をかけぼくに問いかけた。
「なぜ水族館なんだ? 特別な展示があるとは聞いていないが……」
「無性に海で泳ぎたくなったんだけど、今は十一月だろう。海開きはしていないし、第一凍っちまうよ」
「寒中水泳で心身を鍛えたらどうだ。付き合ってやるぞ」
「亜双義……ぼくを凍死させたいのか?」
 恨みがましく言えば、亜双義は高笑いをした。
「要するに海で泳ぐ気分になりたいと。そういうことだな?」
「ああ。水族館なら手っ取り早く満喫できるだろう?」
「まったく、キサマは本当に突拍子もないな。いいだろう」
「亜双義……! 持つべきものは親友だな!」
 亜双義は穏やかな笑顔で、「そんなことよりさっさと食べるぞ。次の講義がはじまる」と急かす。ぼくらはうどんを手早く食らって、食堂を後にした。

 そんな会話をしたのが二日前。そして当日となった今日、実際にぼくらは水族館にたどり着いた。
 この近辺では規模の大きい水族館で、アシカなどの海獣コーナーもあるらしい。周辺を見渡してみると家族連れが多く、繁盛しているようだ。巨大な水槽の前に立ち、掲示されている魚の説明文を読みながら先へ進んでいく。
「見ろ亜双義。アジだ。きっとうまいんだろうなあ」
「なぜキサマはすぐ食欲に結びつくんだ。食い意地が張りすぎているぞ」
「あっ! 亜双義、あそこに砂に隠れてる魚がいるぞ。シュールだなあ」
「あれはヒラメだな。海底に隠れる習性があるらしい」
「ヒラメかあ。刺身にして食べたいな」
「成歩堂……そればっかりだな。キサマは」
 さぞ呆れた顔をしているのだろう。水槽から目を離して亜双義を見やると、予想に反してぼくの親友は満足そうな笑みを浮かべていた。
「……なんでそんなニヤケてるんだよ」
「いや、キサマが随分楽しそうだからな」
 くく、と喉で笑う亜双義は、きっと誰から見てもかっこよく見えるのだろう。水槽の色を反射して、亜双義の肌は青白く輝いていた。なんだか見てはいけないものを見てしまった気がしたが、どうしても目が離せなかった。
「成歩堂。向こうに海中トンネルがあるようだ。行くぞ」
「あ、ああ」
 返事をしたが、なぜだか足が動かなかった。亜双義が振り返り、ぼくの手首を掴んで引きずっていく。亜双義の掌の温度は、ぼくの体温より高かった。じわじわと、耳が熱くなる。十一月の晩秋だというのに、変な汗が出てきそうだった。
 海中トンネルの中に入る。一本の道は、アクリルガラスで護られている。周囲が水で囲まれていて、名前の通り海の中に沈んだ気分になった。水に反射する光の中、様々な海中生物たちが遊泳している。
 網目状の光の螺旋が、亜双義の皮膚に映り込む。目が眩んで、なにも言えなくなってしまった。水の香りに包まれた亜双義が、ひどく綺麗なものに見えた。
「まるで海の中だな」
「……随分楽しそうだな、亜双義」
「そうか?」
 ぼくの親友は目の前で笑って、ぼくの手首を離そうとしない。ぼくも結局、亜双義から目が離せなくて、素直に感じたことを口にした。
「……ぼくはなんだか、宇宙にいる心地だよ」
「またそれは、奇天烈だな」
「ほら、なんて言ったかな……宇宙の、泡の……」
「『宇宙の泡構造』のことか?」
「さすが亜双義、物知りだな。ぼくには、この光の線がそれに見える」
 亜双義に映る水の網の光を掴みたくなった。鼻筋に浮かぶ光の線をなぞると、亜双義は擽ったそうに笑った。
 ぼくは続けて言った。
「宇宙の泡構造は、全体を見ると人間の脳神経に酷似しているらしい。だからもしかすると、宇宙はかみさまの脳なのかもしれない、とぼくは思う」
「ふむ」
「ここの水の光も、なんだか脳神経に見えてこないか? 網目状だし」
「ではここは、誰かの頭の中ということか」
「そういうことになるな」
 ぼくは笑ったが、亜双義は反対に笑みを消した。
 亜双義の目が翳る。亜双義はたまに、暗い目をしてぼくを見るときがある。普段の快活な親友も好きだが、ぼくはその目に映る、美しい色も好きだった。
「成歩堂」
「なんだい、亜双義」
「キサマの宇宙に、オレはいるか」
「当たり前のことを聞くなよ。いるに決まっているともさ」
 笑って即答すると、ぼくを握る手に力がこめられた。少し痛かったが、それすらも心地良かった。
 広い海の中、確かにぼくらは二人きりだった。
 お前の宇宙にもぼくがいますように。そう願わずにはいられなかった。
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