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そのほか詰め

 秒針の動く音がする。もはや生活の一部となったそれを聞きながら、美雨はふとため息をついた。随分と大きな月が見える。
「綺麗だな」
 そう言って、由良がマグカップを差し出してきた。中には温かいコーヒーが注がれている。
「今日は月が近いですわね」
「ちょっと引くほどな」
 美雨は少し呆れて笑う。まったくこの人には情緒もクソもない。
 由良は月を見上げながら「月は人を狂わせるって昔から言うよな」と話す。美雨はすました顔で「もう少しロマンチックなことを仰れないのですか?」と言ってみた。
「いや、月はおれも好きだよ」と由良はどこか言い訳めいたことを呟く。ただ、と頭を掻いた。
「この国には、月から来た女が月に帰っていく話がある」
「それ、知っています。かぐや姫でしょう」
「だからおれはあれが苦手なんだ。……帰るのか、君も。いつか月に」
 美雨は目を丸くし、由良を見る。由良は照れた様子もなく真剣で、ただコーヒーを飲んでいた。
「もしそうだとしたらどうなさいます?」と訊いてみる。由良は「そうだな」とマグカップを置いた。
「追いかけていくだろうな。ロケットにでも乗って」
「それはそれは」
「そして連れ戻す。おれは月には住めないから。この街を気に入ってる」
「強欲ですこと」
 実のところこの人は、欲しいと思ったものは手に入れる人なのだ。そのためにどんな犠牲も厭わず、周囲をどれほど巻き込んだって後悔しない人だ。特別腕が立つわけでもない、特別頭の回るわけでもない、特別上手く立ち回れる器用さもない。それでもいつの間にか、欲しいものは手に入れている。その強欲さ故に、諦めることを知らないからだ。
 美雨は彼のそういうところを、無性に愛していた。

 くすくす笑った美雨をちらりと見て、「君はおれのために月を捨てるか?」と尋ねる。恐らくそれは問いではなく確認だ。
 美雨はマグカップで指先をあたためながら、「そうするでしょうね、今のままでは」と言った。
「愛しい人、いつでも私が望むものをお持ちになって」
「強欲だなァ」
「お互い様でしょうね」
 顔を見合わせて笑う。別離など、決して訪れないと思っていた。


☮☮☮


 部下に簡単な指示を出しながら、美雨はふと空を見る。少し恐怖を覚えるほどの大きな月が浮かんでいる。「今日の月は“引くほど”近いですわね」と呟いた。自然とため息が漏れてしまう。
「……結局、月に帰ってもあなたは迎えに来てくれませんでしたし。にもかかわらず私は月を捨てて、まるであなたの一人勝ちですわね」
 美雨様、と部下が耳元で囁く。まるでかぐや姫の言う無理難題のようだ。まさか自分がこちら側に立つことになろうとは。部下の報告を一通り聞いた美雨は「本当に、この星で恋なんかしなければよかった!」と嘆いた。
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