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タイアイつめ

 目の前に置かれた小瓶と注射器を、カツトシは胡乱な目で見つめる。女が笑って「いくら欲しい? いくらでも出す」と話した。
「簡単なことよ、とっても。まずこの瓶に入った薬でタイラを眠らせる。それからこの注射を打って、しっかり心臓が止まってることを確認して持ってきてほしいの。あまり傷がつかないように気をつけてね。そしたらあなたと……あの女の子? が一生困らないようにしてあげる。お金の面でも、とにかく何もかもよ。わかる?」
 あなたなら簡単に出来るでしょ、と女は言う。「まあ」とカツトシは肩を竦めた。
「なんというか、別に僕はあなたがあの男の死体とよろしくやることについてはとやかく言わないけど……でも死体って腐るわよ。知ってる?」
「……夢のないことを言う方ね。いいのよ、別に。欲しいの、あの男が。たった数日でもいい。欲しいの。手元に置いてみたいのよ」
「そこまでの価値があるようには全然思えないけど」
 カツトシは小瓶と注射器をとりあえず袋に入れる。「一回持ち帰るわね。ちょっと考えたいから」とその場を後にした。



「ってことがあって」
「“ってことがあって”じゃねえよ」
 仏頂面のタイラが頬杖をつきながらカツトシを見ている。
「僕、どうすればいいと思う?」
「だから“どうすればいいと思う?”じゃねえんだよ。それ俺に聞くか?」
「だって他に相談する相手いないし」
「普通俺も選択肢から外れるよ、この場合。むしろ俺が真っ先に選択肢から外れるよ」
「僕とユメノちゃんの一生を保証してくれるならあんたを殺すのはやぶさかじゃないけど……」
「やぶさかであれよ、ちょっとは」
 ため息をついたタイラが「つまり『大人しく殺されてくれ』ってことか? 断る」と言い切った。カツトシは少しだけ首をかしげ、「そうじゃない」と首を横に振る。「そうじゃない?」とタイラが訝しげにカツトシを見た。
「僕は本当に悩んでる。あんたを殺すべきかどうか。できればアドバイスがほしい」
「えっ、俺の? この話題で?」
「わかった。最初から話し直すわね。これは僕じゃなくて僕の友達の話で、あんたとは一切関係ないんだけど、ある人の死体を持っていけばお金も貰えるし一生を保証してくれるって言われたの。どうするのがいいと思う?」
「いや遅いだろ、もう。それ俺だろ? 俺の死体の話だろ?」
「僕が殊勝にもあんたにアドバイスを求めているのに、何よその態度は」
「逆ギレ??」
 カツトシはムッとして、「こういう時、あんたは頼りになると思ってた。あんたの言うことはいつも割と的を射ているから」と唇を尖らせる。タイラはといえば呆れ果てた表情で、「俺の生死がかかった話で、俺にアドバイスを? 正気じゃないな」と腕を組んだ。
 それからタイラは煙草を口にくわえ、火をつけながら「まあ、なんだ……」と呟く。

「まず第一に、その女がお前たちの一生を保証するものと本気で考えているなら甘すぎると言う他ないな」
「嘘をついていると思う?」
「嘘をついているかどうかなんて関係ない。その女がどれほどの資産を持っているか知らないが、そんなとち狂った望みを持つようなら落ち目だろう。お前たちの一生を保証し得るとは思えない。たとえ本気でもな」
「なるほど」
「もしそれがまともな人間で、十分な資産を持ち、お前たちを一生養えると客観的に見て考えられたとしても、だ。一生を保証されるということはすなわち一生をそいつに依存するということだぞ。お前たちがある程度の自由を求めてこの街にたどり着いたのであれば、それは賢明な判断とは言えないな」
 一旦言葉を切って、タイラは「わかるか?」と聞いてきた。カツトシは素直に「わかる」と頷く。その上で、とタイラは言葉を選ぶ素振りを見せた。
「その上で……まあ、いらないものを質に入れるくらいの気持ちで俺の死体を納品し、貰った金でとりあえずパーッと美味いもんでも食うってのが妥当なところじゃないか」
「質に入れる……っていうのは、リサイクルショップで売るみたいな感じ?」
「一生なんて甘い話は半分ぐらいに聞いて、とりあえず目先の金目当てにやる分には悪くないってことだ。俺みたいな人間を一人殺したくらいじゃリスクもほとんどないしな」
 煙を吐きながら、「勘違いするなよ。『是非そうしろ』って言ってるわけじゃない」とタイラは億劫そうに言う。
「大体、そんな話聞かされたら今後一切お前から提供される飲み物も食い物も口にしねえぞ。俺もそんなことで殺されちゃあ、たまったもんじゃないからな。なんだ、死体とよろしくやるって。気持ち悪ぃな」
 そう思うなら、『そんなことは絶対にやめた方がいい』と諭せばいいものを。
 カツトシはカウンターに寄りかかり、「だけど一つ問題があるのよ」と口を開いた。

「あんたが死んだら、こういうことを相談できる人がいなくなる」
「俺にも相談してほしくなかったけどな、今回ばかりは」

 少し困った顔をして、カツトシは「本気で言ってる。僕、困ってるのよ」と話す。
「あんたはどう思う? あんたがいなくて、僕たちって大丈夫だと思う?」
「……それ俺に聞くか?(本日二度目)」
 タイラは腕を組んだ。それから妙に真面目くさった顔で「わからん」と呟く。
「正直なところ、皆目見当もつかない。お前たちがお前たちだけで上手くやっているところが思い浮かばないんだ」
「それってダメってこと?」
「……そうだな。俺も『お前たちなら大丈夫だろう』と言ってやりたいのは山々なんだが、それはさすがに無責任なように思う。というかこういう悩みがお前の口から出てくる時点でお前自信不安なんだろう。それが答えだと思うが」
 言葉に詰まって、カツトシはうつむいた。タイラの言う通りではあった。恐らく自分たちだけでは暮らしていけないだろうという感覚がある。
 ふと、タイラが煙草を灰皿に押しつけながら口を開いた。
「これは命乞いと取ってくれて構わないが……もう少し俺を傍に置いておいたらどうだ」
 驚いて、カツトシはタイラの顔をまじまじと見てしまう。この男の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。もしかして思った以上にこの男は僕たちのことが好きなのではないか、と思ったほどだ。
「そうする」とカツトシは言った。小瓶も注射器も引き出しの奥の方へしまいこんでしまった。



 あの日の小瓶と注射器をカウンターの上に並べ、「覚えてる?」と尋ねてみる。タイラは不審そうにそれを見るだけで何も答えなかった。
「あんたを質に入れるつもりだって言ったらどうする?」
 重ねて問いかけてみる。タイラはようやく思い出したようで、「ああ」と言いながら頬杖をついた。
「そんなこと、言わずにやれよ。お前の飯が不味くなるだろ」
「食べなきゃいいんじゃない?」
「今更だな」
 くすくす笑って、カツトシは小瓶と注射器をまたしまい込む。「僕、本当にあの時のあんたの答えが好きなのよ」と歌うように言った。「俺は何を言ったんだ」なんて抜かしているタイラは、不思議とあの時みたいな妙に真面目くさった顔をしていた。
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