タイミヤつめ
下の階で話し声がする。このあたたかな騒がしさはもう慣れっこだが、何度聴いてもいいものだ。都は微笑みながら、しばらく階段の手すりに寄りかかってそれを聴いていた。
「立ち聞きとは感心しないね、お嬢さん」
驚きのあまり思わず飛び跳ねると、「おいおい落ちるなよな」とタイラが都の肩を引き寄せる。
「ご、ごめんなさい……そんなつもりでは」
「まあ、聞いていたくなる気持ちはわかるが。俺もよくやるし」
「よくやるんじゃありませんか」
うん、とタイラは素直に言って「降りないの?」と尋ねてきた。
ちょっと黙って、都は「その……“お嬢さん”というの、やめてもらえたら嬉しいのだけど」と言ってみる。
「ん?」
「お嬢さんという歳ではないし……ずっと言っていると思うけど」
「……お姉さん?」
都はこほんと空咳をして「名前も知っている仲でわざわざそのような名詞を使って呼びかけられるのは、からかわれているような気持ちになります」と早口で言った。ちらりとタイラを見ると、彼はなぜだかぽかんとしてこちらを見ている。
それからタイラは何か言おうとして口を開き────結局、黙りこくった。
「ええと、タイラ?」
「…………わかった」
あまりにもすんなり彼がそう言うので、今度は都の方がぽかんとしてしまった。何か言い返されるなり、受け流されるなりすると思っていたのだ。
彼はなんとも言えない表情で都から離れ、下に降りていってしまった。残された都は、『もしかしたら何か間違えたのかもしれない』と考える。具体的に何ということもないけれど。
それからしばらくのち朝、都はジャムの瓶と格闘していた。なかなか蓋が開かないのである。あまりに開かないので諦めと困惑の表情をしていると、マグカップを片手にタイラが歩いてきた。
「お嬢さん、何か────」
言いかけて、すぐに「悪い」と言いながらカウンターの上にマグカップを置く。
「何か困ってるのか?」
都もジャムの瓶をそっと置き、「いえ、あの……」と目を伏せた。
「この前の、気を悪くしたなら謝るわ」
「なんで君が謝るんだよ。気を悪くしたのは君の方だろ」
「気を悪くしたというほどでは、その……」
しどろもどろになりながら、都は懺悔する。「あれくらい受け流せない私は、あなたから見たら小娘でしょう……。好きに呼んでいただいて結構です」と瞬きをした。
顔を上げると、タイラは頬杖をついてこちらを見ていた。「……小娘?」と聞き返してくる。都は顔が熱くなるのを感じた。
「君のことを小娘と思ったことはないし、からかうつもりも……なかったよ」
言いながらタイラはひょいっとジャムの瓶を取り上げる。
「喋るとき、茶化すような癖があるのは認めよう。でも別に、君を馬鹿にしているわけじゃないよ」
瓶の蓋は、彼の手の中で簡単に、軽い音で開いてしまった。都はそれを感心して見る。
「俺はまあ、こんなんだから、普通に話しているとよく不機嫌だと思われる。君もさっき『気を悪くしたなら謝る』とか言っていたが、俺は本当に気を悪くした覚えがないから、君の誤解だろう」
一瞬躊躇うように口を閉じたタイラが、やがてぽつりと「君やあいつらに怯えられたり、顔色を伺われるのは、ちょっとというか結構堪える」と呟いた。
「それで……まあ、せめて優しく見えるようにと思うわけだ。それが……馬鹿にしていると思われるのは、よりによって君にそう思われるのは、」
ジャムを目の前に差し出しながら、タイラは「心外だ」と言う。それは淡々としていながら、どこか拗ねているようでもあって。
ああ、と都は自分の胸の辺りをさする。なんでだかその辺りがチクリと痛んだようなきがしたのだ。
(ああ、嫌な女だ……)
そう、自分のことを思った。気を遣ってくれていたのに。自分のことばかり考えていた。
「あなたに、呼びかけられるのは……」
キラキラした苺のジャムを見つめながら都は口を開く。
「どんな言葉だって嬉しくないはずがなかったのに、思い上がっていたみたい。ごめんなさい」
タイラがマグカップを持ち上げて、コーヒーを一口飲んだようだった。
「仲直りで構わないか?」
「あなたが許してくれるなら」
それはよかった、と言いながらタイラが立ち上がる。不意にくすくす笑って、「ところで」と都の手元にあるジャムの瓶を指さした。
「一体何分、そいつと格闘してたんだ? 今度からそういう時は誰かに頼むといいですよ、お嬢さん 」
都は顔を真っ赤にしてしまい、「今のは絶対に馬鹿にしたでしょう」と訴える。タイラは喉を鳴らして、来た時と同じようにマグカップ片手にどこかへ行ってしまった。
「立ち聞きとは感心しないね、お嬢さん」
驚きのあまり思わず飛び跳ねると、「おいおい落ちるなよな」とタイラが都の肩を引き寄せる。
「ご、ごめんなさい……そんなつもりでは」
「まあ、聞いていたくなる気持ちはわかるが。俺もよくやるし」
「よくやるんじゃありませんか」
うん、とタイラは素直に言って「降りないの?」と尋ねてきた。
ちょっと黙って、都は「その……“お嬢さん”というの、やめてもらえたら嬉しいのだけど」と言ってみる。
「ん?」
「お嬢さんという歳ではないし……ずっと言っていると思うけど」
「……お姉さん?」
都はこほんと空咳をして「名前も知っている仲でわざわざそのような名詞を使って呼びかけられるのは、からかわれているような気持ちになります」と早口で言った。ちらりとタイラを見ると、彼はなぜだかぽかんとしてこちらを見ている。
それからタイラは何か言おうとして口を開き────結局、黙りこくった。
「ええと、タイラ?」
「…………わかった」
あまりにもすんなり彼がそう言うので、今度は都の方がぽかんとしてしまった。何か言い返されるなり、受け流されるなりすると思っていたのだ。
彼はなんとも言えない表情で都から離れ、下に降りていってしまった。残された都は、『もしかしたら何か間違えたのかもしれない』と考える。具体的に何ということもないけれど。
それからしばらくのち朝、都はジャムの瓶と格闘していた。なかなか蓋が開かないのである。あまりに開かないので諦めと困惑の表情をしていると、マグカップを片手にタイラが歩いてきた。
「お嬢さん、何か────」
言いかけて、すぐに「悪い」と言いながらカウンターの上にマグカップを置く。
「何か困ってるのか?」
都もジャムの瓶をそっと置き、「いえ、あの……」と目を伏せた。
「この前の、気を悪くしたなら謝るわ」
「なんで君が謝るんだよ。気を悪くしたのは君の方だろ」
「気を悪くしたというほどでは、その……」
しどろもどろになりながら、都は懺悔する。「あれくらい受け流せない私は、あなたから見たら小娘でしょう……。好きに呼んでいただいて結構です」と瞬きをした。
顔を上げると、タイラは頬杖をついてこちらを見ていた。「……小娘?」と聞き返してくる。都は顔が熱くなるのを感じた。
「君のことを小娘と思ったことはないし、からかうつもりも……なかったよ」
言いながらタイラはひょいっとジャムの瓶を取り上げる。
「喋るとき、茶化すような癖があるのは認めよう。でも別に、君を馬鹿にしているわけじゃないよ」
瓶の蓋は、彼の手の中で簡単に、軽い音で開いてしまった。都はそれを感心して見る。
「俺はまあ、こんなんだから、普通に話しているとよく不機嫌だと思われる。君もさっき『気を悪くしたなら謝る』とか言っていたが、俺は本当に気を悪くした覚えがないから、君の誤解だろう」
一瞬躊躇うように口を閉じたタイラが、やがてぽつりと「君やあいつらに怯えられたり、顔色を伺われるのは、ちょっとというか結構堪える」と呟いた。
「それで……まあ、せめて優しく見えるようにと思うわけだ。それが……馬鹿にしていると思われるのは、よりによって君にそう思われるのは、」
ジャムを目の前に差し出しながら、タイラは「心外だ」と言う。それは淡々としていながら、どこか拗ねているようでもあって。
ああ、と都は自分の胸の辺りをさする。なんでだかその辺りがチクリと痛んだようなきがしたのだ。
(ああ、嫌な女だ……)
そう、自分のことを思った。気を遣ってくれていたのに。自分のことばかり考えていた。
「あなたに、呼びかけられるのは……」
キラキラした苺のジャムを見つめながら都は口を開く。
「どんな言葉だって嬉しくないはずがなかったのに、思い上がっていたみたい。ごめんなさい」
タイラがマグカップを持ち上げて、コーヒーを一口飲んだようだった。
「仲直りで構わないか?」
「あなたが許してくれるなら」
それはよかった、と言いながらタイラが立ち上がる。不意にくすくす笑って、「ところで」と都の手元にあるジャムの瓶を指さした。
「一体何分、そいつと格闘してたんだ? 今度からそういう時は誰かに頼むといいですよ、
都は顔を真っ赤にしてしまい、「今のは絶対に馬鹿にしたでしょう」と訴える。タイラは喉を鳴らして、来た時と同じようにマグカップ片手にどこかへ行ってしまった。
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