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タイノンつめ

 自動販売機に小銭を投入し、ボタンを押す。強カフェインのコーラが落ちてきた。ノゾムはそれを掴んで、手繰り寄せる。午後も仕事をするためだ。何でこの自販機にはペプシしかねえんだよ、と毒づく。

「お兄さん、ちょっといいですか? ゴミ、収拾しに来たんですけど」

 ノゾムはびくっとしながら「スミマセン、今どきます」と言って離れようとした。清掃のスタッフだろうか、男は軽く会釈をして前を通る。不意にキャップの隙間から男の口元が見えた。笑っているようだった。
「コーラ、好きなの?」
 そんなことをいきなり聞かれて驚く。「あっ、」と呟いて「そっすね」と肩をすくめてみせた。
「でも、コカ・コーラの方が好きなんすけど」
「言っとくよ」
「え?」
「俺も一応ここの社員だからさ」
 そう言って、男は自動販売機のロゴマークをとんとんと指す。

「あ……そうなんですね」
「掃除のおっさんだと思ったか?」
「っすね」
「まあ、今後ともよろしく頼むよ。ご贔屓にってことで」

 男は、ノゾムよりは歳上だろうか。“おっさん”というほど上には見えないが。男は爽やかにキャップのつばを掴んで去って行った。



 どれだけ働いても足りない理由の一つに、借金がある。知人の連帯保証人になってしまったのが地獄の始まりではあるが、ノゾムとしてはあまりそこに後悔してはいない。ただ、地獄だとは思っている。
 その日も借金取りに追いかけられ、ノゾムは競歩の姿勢を取っていた。「スミマセン、今は金がないです」と言いながら歩く。『ないならないで誠意ってもんがあるでしょうが』というようなことを言って借金取りは追いかけてくる。ちょっとなにを言っているのかわからないので立ち止まらない。

「ナメてんでしょ、お兄さん。ちょっと止まんなよ」

 いや、止まっても脅されるだけでしょ。金ができたらちゃんと払うんで勘弁してください。
 そんな渾身の叫びも虚しく、後ろから腕を掴まれる。やべえ、と顔をしかめた。「ひどいことするんでしょう、同人誌みたいに。同人誌みたいに」と叫んで威嚇する。それくらいでは全く離してもらえなかった。

「あのぉ、マジで今金ないんで」
「金ないならないでできることあるでしょ、お兄さん」
「ないでしょ。え? マジで同人誌みたいな?」

 困惑していると、横をバイクが走っていく。それがゆっくりと旋回して戻ってきた。配達員のバイクだろうか、見たことのある制服だ。配達員はヘルメットを脱いで、「道聞いてもいいですか」と尋ねてきた。ノゾムはその男の顔を見たことがあるような気がして、目を細める。
「この建物なんですけど」と男がスマートフォンの画面を見せてきた。
「いや、今取り込み中だから」と借金取りは顔をしかめる。

 あれ、と白々しく男がノゾムを指さした。
「お兄さん、あそこの社員さんでしょ。この前話しましたよね」
「えっ、あっ……自販機の人……」
「自販機の人って言い方もどうかと思うけどな。ちなみに今は配達の人だ」
 薄い笑みを浮かべた男は瞬きをして、「困っているか?」と端的に確認してくる。ノゾムは戸惑いながら、「困ってます」と答えた。男は「ふうん」と言ってバイクの後ろを指さす。
「乗れよ、俺いま迷ってんだ。案内しろ」

 戸惑っているノゾムを急かした。意を決して、男の後ろに乗り込む。そのまま、男がエンジンをふかした。怒鳴っている借金取りを尻目に発進する。

「あの、」
「何だ」
「色々仕事してんすか?」
「そうだな。でも基本は変わらないよ」

 ちゃんと掴まれ、と言われて仕方なく男の腰のあたりに腕を回した。
「幸せを運ぶのが仕事だ。俺の、人生的に言えば」
「それは……すごいっすね」
「届いたか?」
「まだちょっと」
「必ず届けてやるから待ってろ。まずはこれを届けてからな」
 宅配の品は、料理だろうか。いい匂いがする。
「どうしてオレのこと、助けてくれたんすか?」
「お前さ、一目惚れって信じる?」
「信じますけど、それって今関係ありますかね」
「どうしてお前を助けたかって言うと、お前の顔が好みだったからという話になる」
「……オレ、そっちの趣味はなくてですね」
「俺にもねえよ。美術品としてお前に価値があるって言っただけだろ、自惚れんな」
 なにを言っているのかよくわからない。この分だと、借金取りに捕まっていた方がマシだったかもしれないなとノゾムは思った。

 バイクは風を切っていく。黄色信号をギリギリで駆け抜けた。男は言った。「俺な、人間じゃないんだ」と。大真面目に。
「気に入ったやつを幸せにするだけの楽な仕事をしている」
「へえ……そりゃすごいや。天使みたいですね」
「そうだ。信じるか?」
「……今更、裏切られても何も痛くないんで」
「じゃあ、俺の家に来るか?」
 どこまで本気なのかわからなかった。ただノゾムは笑って、「でもその割にはバイト掛け持ちとかしてんですね、天使のくせに」と呟く。自称天使の男は、「うるせえな。神ってやつは大体ケチくせえから、なかなか経費を出さねえんだよ」とこれまた本気なのか冗談なのかわからないことを吐き捨てた。
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