2020年2月29日(土) 最終日 京都市内観光②
この日は旅行最終日で、令和初の閏年です😆閏年に旅行も初めてです♪
朝は6時頃に起き、7時前に朝食を食べました😋今回は洋食中心です。パンの上にサラダやハムを乗せる事が出来ます♪
9時からタクシー観光の開始で、運転手さんは2日目の午後にお世話になった方です。(雅京都観光タクシーさんです)
最初に清水寺を観光しました。
https://www.kiyomizudera.or.jp/
清水までの広い道路は、シーズンだと大渋滞で観光バスが中々入れないそうですが、この日は早朝だったので、スムーズに進めました。産寧坂や清水寺までの門前町もほとんど人が来ていませんでした。
清水寺は修学旅行のマイクロバス班行動の時に、最初に訪れた以来です。京都市内が一望できます。この日は天気が不安定で、ポツポツと雨が降り始めました(涙)弁慶殿が履いた下駄と、武器の錫杖は見事に重かったです・・・。これを装備した弁慶殿は、超人怪力だったのでしょうか😆
本堂はこの日に工事が終わったので、閏年を記念に見ることが出来ました。この舞台を支えている『懸造り(かけづくり)』は、欅の柱を組み合わせ支えるという、日本古来の建築様式です。当時、この高さで太い柱を組み合わせた技術は凄いと思いました。地震や台風などの災害にも耐えた、頑丈な造りだと分かりました。
音羽の瀧は時間が早いのか、まだ誰も飲んでいませんでした。
本堂から対岸に歩くと、子安塔がありました。こちらは安産祈願を祀っています。運転手さんがこの位置からがベストショットと教えてくれました😊清水の舞台の下の道を歩くと、アテルイとモレの石碑が置いてありました。石碑は東北地方の形に彫られていました。ここで、悲しい歴史を運転手さんから聞きました。
坂上田村麻呂は強い武将だとアテルイとモレが認め、降伏した。そして、田村麻呂は京都へ連れて行き、朝廷に『このまま2人に、蝦夷の支配を続けさせて欲しい』と頼んだが、それは認められず、大阪河内で処刑された・・・。しかし、長い年月が過ぎ、岩手県胆沢の人々が、坂上田村麻呂に感謝し、石碑を建てたいと申したそうです。
京都と東北の和解や、会津と長州の和解など、日本は歴史的な因縁が残らないのが良いですね😊
10時半頃に、清水寺から二条城を見学しました。二条城は割と人も居て、観光バスも何台か止まっていました。運転手さん曰く、これでも少ない方だそうです。
http://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/
二条城の東大手門は、当初は現在のような二階建ての櫓で、上から岩を落としたり、銃撃が出来る門でしたが、天皇家が訪れた時に、見下さないように、1階建てになった時代もあったそうです。門に入ると、城を守備する武士の番所がありました。二の丸御殿に入る唐門は唐破風という、中央部が凸型で、端っこが凹んでいる門です。色鮮やかで細やかな欄間や金の装飾が豪華絢爛だと感動しました。
二の丸御殿は、天皇家の家紋『菊花紋章』が飾られていました。タクシーの運転手さんが教えてくれましたが、何処かに葵の紋の跡があるそうです。じっくり見ても見つからなかったです・・・。
御殿内は撮影禁止なので、大まかな説明ですが、
入城すると、さっそくウグイス張りの廊下で『キュッキュ!!』と鳴りました(笑)『ミシミシ・・・』って音かとイメージしていたら意外と可愛い音でした😊当時から、ウグイスの鳴き声をイメージして作られたそうです。最初の広間、『遠侍』を見ると、襖に虎や豹の絵が描かれていました。絵は、厳つく大迫力ですが、何か違和感が・・・。それは、当時、狩野甚之絵師(狩野永徳絵師の甥)が、虎と豹を想像で描いていたので、2匹の毛皮が混ざっているような区別が付かない絵になったそうです。日本には虎も豹も居ないので。
次の『式台』という中広間から、巨大な松の絵が襖に描かれていました。松は繁栄を司る縁起の良い木なので、徳川家繁栄のために、大きく松が描かれていました。二の松庭園も松が沢山植わっていました。幕末に大政奉還が行われた『大広間』は、多くの譜代や外様大名が慶喜公に向かい、座っている人形が置いてありました。襖絵の松も将軍の方向を向いていました。時代が幕府から朝廷に戻されるにも関わらず、慶喜公の座っている位置に迫力を感じさせました。
大広間から、『蘇鉄の間』、『黒書院』、『白書院』と進むと、梅や桜や鶴など、落ち着いた絵になり、水墨画で描かれた間もありました。こちらは、徳川家に親しい人物を招いたお部屋なので、威厳さより、ゆっくりと寛げと造ったお部屋だと分かります。これは、名古屋城の本丸御殿と造りが似ています。
昔の二の丸庭園は、天皇家が地面を歩かないように、庭園に高い板の道を造り、そこを渡って城内に入ったそうです。本丸は改修工事中でした。売店には刀剣が沢山飾ってありました♪刀剣好きな方は必見です。こちらに名城100のスタンプも置いてあります。
二条城も運転手さんがガイドをして、1時間位で回れました。
12時に、二条城から左京区の西尾八つ橋の里で、八つ橋をお土産に買い、隣接する食事処で、にしんそばを食べました😋食事処の庭園も綺麗でした。この建物は、立命館大学の創始者『河原林檉一郎』氏の邸宅として建てられ、その後は、東芝産業の保養所となったそうです。
にしんそばは、にしんの味付けが濃いめですが、汁はさっぱりとした味わいで、バランスが取れていました😊
https://www.8284.co.jp/shop/8284nosato.html
昼食後は、タクシーで少し行った、銀閣寺を見学しました。この辺りは、中学の修学旅行で訪れたことがあり、哲学の道も歩きました♪懐かしいです。歩いている途中の甘味処で抹茶のかき氷を食べたような😋
https://www.shokoku-ji.jp/ginkakuji/
銀閣寺の入場券はお札でした。金閣寺のように銀箔が塗ってない、地味な造りですが、詫びさびを感じさせます。枯山水や高月台が白くて綺麗で、本堂と一緒に撮影すると映えます。銀閣寺は昔は白塗りされていて、月の光で銀色に映えたという由来があると運転手さんが言っていました🌜足利義政公も、毎回違う位置から月を見るというこだわりを持っていたそうです。
庭園の苔は、嵐山にある苔寺『西芳寺』を模して造られたそうです。修学旅行時は、苔まで見なかったですが、大人になって苔の魅力を感じました。
銀閣寺を出て、坂道の家やお店を見ると、屋根にフクロウのような置物が飾ってありました。運転手さんの説明によると、自宅を護る守護神だそうです😊沖縄でいうシーサーですね。
銀閣寺からタクシーで北へ進み、14時に上賀茂神社を参拝しました。こちらは、雷神を祀るお社なので、見事ここで雨が本格的に降ってきました(汗)また、葵祭の儀式と出発地点でもあります。賀茂一族の子孫は徳川家という説もあるそうです。上賀茂神社は、一の鳥居から、馬小屋と大きな斎王桜がある広場になっていますが、タクシーは境内に近い駐車場に止めました。鳥居は大幣で雨雲や雷を表現していました。境内に入ると、立砂は神山を表現しており、陽と陰で一対になっています。大きさも見事に均等でした。
本殿と権殿は国宝で、楼門の朱塗りは鮮やかでした。直ぐ傍を流れる小川も清らかで綺麗でした。ねずみ年の可愛い看板も飾ってありました🐭
https://www.kamigamojinja.jp/
15時頃に、上賀茂神社から金閣寺を見学しました。金閣寺も修学旅行で訪れたことがあります。金閣寺は大雨でしたが、観光客がそこそこ居ました。金閣寺も銀閣寺と同様、お札のような入場券でした。こちらも修学旅行以来訪れました。舎利殿の金箔は、修学旅行の時よりも金ピカに見えました。本来は水面に舎利殿が映るのですが、雨で残念でした(涙)屋根の天辺には金の鳳凰が飾られています。舎利殿の1階には、仏像のような物が見えましたが、特別公開で見られるのは滅多にないと運転手さんが言っていました。
金閣寺は当時、足利義満公が鏡湖池(きょうこち)で舟遊びをしていたので、舎利殿から直ぐに池に出られるようになっています。
陸舟の松という、舟の形をした松の盆栽が置いてありました。
舎利殿から奥に進むと、義満公がお茶の水をくんだとされる銀河泉がありました。清らかな水でお茶を飲んだり、手を洗ったり、羨ましいですね✧
安民沢(あんみんたく)という池は、日照りでも水が涸れる事が無かったので、雨乞いで使われるそうです。金閣寺は金箔だけではなく、水源が多いのも魅力的です。
高台にある、夕佳亭(せっかてい)は、江戸時代に造られた茶室す。
金閣寺の近くに左大文字山が見えました。
https://www.shokoku-ji.jp/kinkakuji/
16時過ぎにタクシー観光が終わり、京都駅のストリートで駅弁やビールを買いました😋
17時8分ののぞみで、東京まで乗りました。2時間20分、遅れもなく、京都ビールでのんびりと酒盛りをしながら、近江牛弁当やかに寿司などを食べました♪普通指定席も8割位乗っていました。
コロナウィルスが完全に終息したら、京都を中心に奈良や滋賀にも行ってみたいと思います☆
朝は6時頃に起き、7時前に朝食を食べました😋今回は洋食中心です。パンの上にサラダやハムを乗せる事が出来ます♪
9時からタクシー観光の開始で、運転手さんは2日目の午後にお世話になった方です。(雅京都観光タクシーさんです)
最初に清水寺を観光しました。
https://www.kiyomizudera.or.jp/
清水までの広い道路は、シーズンだと大渋滞で観光バスが中々入れないそうですが、この日は早朝だったので、スムーズに進めました。産寧坂や清水寺までの門前町もほとんど人が来ていませんでした。
清水寺は修学旅行のマイクロバス班行動の時に、最初に訪れた以来です。京都市内が一望できます。この日は天気が不安定で、ポツポツと雨が降り始めました(涙)弁慶殿が履いた下駄と、武器の錫杖は見事に重かったです・・・。これを装備した弁慶殿は、超人怪力だったのでしょうか😆
本堂はこの日に工事が終わったので、閏年を記念に見ることが出来ました。この舞台を支えている『懸造り(かけづくり)』は、欅の柱を組み合わせ支えるという、日本古来の建築様式です。当時、この高さで太い柱を組み合わせた技術は凄いと思いました。地震や台風などの災害にも耐えた、頑丈な造りだと分かりました。
音羽の瀧は時間が早いのか、まだ誰も飲んでいませんでした。
本堂から対岸に歩くと、子安塔がありました。こちらは安産祈願を祀っています。運転手さんがこの位置からがベストショットと教えてくれました😊清水の舞台の下の道を歩くと、アテルイとモレの石碑が置いてありました。石碑は東北地方の形に彫られていました。ここで、悲しい歴史を運転手さんから聞きました。
坂上田村麻呂は強い武将だとアテルイとモレが認め、降伏した。そして、田村麻呂は京都へ連れて行き、朝廷に『このまま2人に、蝦夷の支配を続けさせて欲しい』と頼んだが、それは認められず、大阪河内で処刑された・・・。しかし、長い年月が過ぎ、岩手県胆沢の人々が、坂上田村麻呂に感謝し、石碑を建てたいと申したそうです。
京都と東北の和解や、会津と長州の和解など、日本は歴史的な因縁が残らないのが良いですね😊
10時半頃に、清水寺から二条城を見学しました。二条城は割と人も居て、観光バスも何台か止まっていました。運転手さん曰く、これでも少ない方だそうです。
http://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/
二条城の東大手門は、当初は現在のような二階建ての櫓で、上から岩を落としたり、銃撃が出来る門でしたが、天皇家が訪れた時に、見下さないように、1階建てになった時代もあったそうです。門に入ると、城を守備する武士の番所がありました。二の丸御殿に入る唐門は唐破風という、中央部が凸型で、端っこが凹んでいる門です。色鮮やかで細やかな欄間や金の装飾が豪華絢爛だと感動しました。
二の丸御殿は、天皇家の家紋『菊花紋章』が飾られていました。タクシーの運転手さんが教えてくれましたが、何処かに葵の紋の跡があるそうです。じっくり見ても見つからなかったです・・・。
御殿内は撮影禁止なので、大まかな説明ですが、
入城すると、さっそくウグイス張りの廊下で『キュッキュ!!』と鳴りました(笑)『ミシミシ・・・』って音かとイメージしていたら意外と可愛い音でした😊当時から、ウグイスの鳴き声をイメージして作られたそうです。最初の広間、『遠侍』を見ると、襖に虎や豹の絵が描かれていました。絵は、厳つく大迫力ですが、何か違和感が・・・。それは、当時、狩野甚之絵師(狩野永徳絵師の甥)が、虎と豹を想像で描いていたので、2匹の毛皮が混ざっているような区別が付かない絵になったそうです。日本には虎も豹も居ないので。
次の『式台』という中広間から、巨大な松の絵が襖に描かれていました。松は繁栄を司る縁起の良い木なので、徳川家繁栄のために、大きく松が描かれていました。二の松庭園も松が沢山植わっていました。幕末に大政奉還が行われた『大広間』は、多くの譜代や外様大名が慶喜公に向かい、座っている人形が置いてありました。襖絵の松も将軍の方向を向いていました。時代が幕府から朝廷に戻されるにも関わらず、慶喜公の座っている位置に迫力を感じさせました。
大広間から、『蘇鉄の間』、『黒書院』、『白書院』と進むと、梅や桜や鶴など、落ち着いた絵になり、水墨画で描かれた間もありました。こちらは、徳川家に親しい人物を招いたお部屋なので、威厳さより、ゆっくりと寛げと造ったお部屋だと分かります。これは、名古屋城の本丸御殿と造りが似ています。
昔の二の丸庭園は、天皇家が地面を歩かないように、庭園に高い板の道を造り、そこを渡って城内に入ったそうです。本丸は改修工事中でした。売店には刀剣が沢山飾ってありました♪刀剣好きな方は必見です。こちらに名城100のスタンプも置いてあります。
二条城も運転手さんがガイドをして、1時間位で回れました。
12時に、二条城から左京区の西尾八つ橋の里で、八つ橋をお土産に買い、隣接する食事処で、にしんそばを食べました😋食事処の庭園も綺麗でした。この建物は、立命館大学の創始者『河原林檉一郎』氏の邸宅として建てられ、その後は、東芝産業の保養所となったそうです。
にしんそばは、にしんの味付けが濃いめですが、汁はさっぱりとした味わいで、バランスが取れていました😊
https://www.8284.co.jp/shop/8284nosato.html
昼食後は、タクシーで少し行った、銀閣寺を見学しました。この辺りは、中学の修学旅行で訪れたことがあり、哲学の道も歩きました♪懐かしいです。歩いている途中の甘味処で抹茶のかき氷を食べたような😋
https://www.shokoku-ji.jp/ginkakuji/
銀閣寺の入場券はお札でした。金閣寺のように銀箔が塗ってない、地味な造りですが、詫びさびを感じさせます。枯山水や高月台が白くて綺麗で、本堂と一緒に撮影すると映えます。銀閣寺は昔は白塗りされていて、月の光で銀色に映えたという由来があると運転手さんが言っていました🌜足利義政公も、毎回違う位置から月を見るというこだわりを持っていたそうです。
庭園の苔は、嵐山にある苔寺『西芳寺』を模して造られたそうです。修学旅行時は、苔まで見なかったですが、大人になって苔の魅力を感じました。
銀閣寺を出て、坂道の家やお店を見ると、屋根にフクロウのような置物が飾ってありました。運転手さんの説明によると、自宅を護る守護神だそうです😊沖縄でいうシーサーですね。
銀閣寺からタクシーで北へ進み、14時に上賀茂神社を参拝しました。こちらは、雷神を祀るお社なので、見事ここで雨が本格的に降ってきました(汗)また、葵祭の儀式と出発地点でもあります。賀茂一族の子孫は徳川家という説もあるそうです。上賀茂神社は、一の鳥居から、馬小屋と大きな斎王桜がある広場になっていますが、タクシーは境内に近い駐車場に止めました。鳥居は大幣で雨雲や雷を表現していました。境内に入ると、立砂は神山を表現しており、陽と陰で一対になっています。大きさも見事に均等でした。
本殿と権殿は国宝で、楼門の朱塗りは鮮やかでした。直ぐ傍を流れる小川も清らかで綺麗でした。ねずみ年の可愛い看板も飾ってありました🐭
https://www.kamigamojinja.jp/
15時頃に、上賀茂神社から金閣寺を見学しました。金閣寺も修学旅行で訪れたことがあります。金閣寺は大雨でしたが、観光客がそこそこ居ました。金閣寺も銀閣寺と同様、お札のような入場券でした。こちらも修学旅行以来訪れました。舎利殿の金箔は、修学旅行の時よりも金ピカに見えました。本来は水面に舎利殿が映るのですが、雨で残念でした(涙)屋根の天辺には金の鳳凰が飾られています。舎利殿の1階には、仏像のような物が見えましたが、特別公開で見られるのは滅多にないと運転手さんが言っていました。
金閣寺は当時、足利義満公が鏡湖池(きょうこち)で舟遊びをしていたので、舎利殿から直ぐに池に出られるようになっています。
陸舟の松という、舟の形をした松の盆栽が置いてありました。
舎利殿から奥に進むと、義満公がお茶の水をくんだとされる銀河泉がありました。清らかな水でお茶を飲んだり、手を洗ったり、羨ましいですね✧
安民沢(あんみんたく)という池は、日照りでも水が涸れる事が無かったので、雨乞いで使われるそうです。金閣寺は金箔だけではなく、水源が多いのも魅力的です。
高台にある、夕佳亭(せっかてい)は、江戸時代に造られた茶室す。
金閣寺の近くに左大文字山が見えました。
https://www.shokoku-ji.jp/kinkakuji/
16時過ぎにタクシー観光が終わり、京都駅のストリートで駅弁やビールを買いました😋
17時8分ののぞみで、東京まで乗りました。2時間20分、遅れもなく、京都ビールでのんびりと酒盛りをしながら、近江牛弁当やかに寿司などを食べました♪普通指定席も8割位乗っていました。
コロナウィルスが完全に終息したら、京都を中心に奈良や滋賀にも行ってみたいと思います☆