二章 不退転
「お、おおおはよう中也」
「おー…はよ」
翌朝、学校にて。
同じ学校で同じ教室にいるのだから、一度も会わず、と言うわけにはいかない。
何故か凄く動揺しているような太宰の顔を覗き込む。
「どうした?なんかあったか?顔赤ぇぞ」
「ななななんでもないっ!一寸は、離れてっ」
「あー、おう…?」
そんなに近づいてもないんだけどな、と首を傾げる。
とはいえ、平静を装っているようでも自分の鼓動はバクバクと大きく拍動している。
太宰への恋心を自覚して、もう数ヶ月が経っているから最早慣れたものだけれど。かなりポーカーフェイスを保てるようになったと思う。
だが昨日の兄貴の電話のせいで、抑え込めていた気持ちが今にも逸りそうで気が気でない。
「…中也」
「ひぇあっ!?」
「あっごっごめんっ!?!?」
無理。やっぱ無理。
此奴のこと好きだって思わないようにしないと。
「何だ?」
「えっ何急に、怖い怖い何でそんな怒ってんの」
「は?怒ってねぇし」
「怒ってるじゃん…」
ふふ、と笑いを噛み殺す太宰に、胸の奥がきゅんと高鳴った気がした。
…これも恋、なのか?
「ていうか、何、さっきのひぇあって…ふふ」
「黙れ糞鯖」
「鯖!?何、新手の嫌がらせかい蛞蝓」
「蛞蝓だぁ?捻り潰してやろうか貧弱野郎」
「ちびっこ
「五月蝿え!まだ成長するんだよ莫ァ迦!」
「え、もう流石に無理じゃない?」
「黙れマジで!!」
ふと気付くと、教室に大方集まっている級友達(クラスメイト)が生暖かい目で見ている。
思わず口を黙、そのまま静かに着席する。
恥ずかしさで蒸発して死にそう。
「中也って…太宰と仲良かったんだなぁ」
誰かがぽつりと呟いた言葉に、皆が皆一斉に首肯する。
「違ぇ…つーか今ので仲良く見えるかフツー!?」
「逆に見えないとでも思ったのか?」
再び、一同の首肯。
此奴ら…巫山戯てんのか?
「ほら朝礼始めるぞー、…なんか珍しく静かだな、でも席着けよ」
担任が教室に入ってきた。
何故か静まり返っている教室を見渡し、表情を変えずにそう言う教師。
男子校だからと気楽な彼の心中は察するが、時に空気の読めない無敵の天然さは感嘆にも値する。
「センセー…今超面白いところだったのに…」
「何?そうは見えなかったが…一寸出直してくる」
「待って待ってどこに行くの先生っ」
「うん?面白そうな雰囲気で待っていてくれないか、出直してくるから」
「無理だっての」
クラス全員で教師を慌てて引き留める。
全く、天然なんだかボケなんだかよくわからない先生だ。
◽︎◽︎◽︎
「––––––………じゃあ、朝礼は終わりだ。一限移動だぞ、遅れるなよ」
「きりーつ、れーい」
がたがたと机や椅子の音を響かせながら、何事もなかったかのようにめいめい話し出す級友。
「中也ー、昨日の化学休んでたからノート貸してくんね?」
「おう、いいぜ」
「あざっす!なんか奢るわ」
「じゃあ昼飯奢ってくんねぇ?今日飯忘れた」
「えー、珍し」
いつも弁当なのにな、と数人が中也と軽口を叩くのを遠目に見る。
楽しそうだな、とは思うが、あそこに混ざりたいとは思えない。
何なら中也とだけ話していたい。
羨ましい……
羨ましい?
待って今私、羨ましい、って?
「あー…私、嫉妬してるのか…」
「何にだ?」
「うゎあっ!?」
急に降って来た声に吃驚して振り向くと、担任の教師だった。
「うわ、吃驚した…なんだ、織田作か…」
「そろそろ先生をつけたらどうだ」
「やだよ、織田作は織田作だもん」
窓辺の机に座り、足をぶらつかせる。
織田作は私の隣に同じように座った。
「…ねえ、織田作。自分以外と話して欲しくないってうい人、いる?」
「自分以外と、か?…無いな。しかし随分心が狭い人間だな」
「ぐゥっ…」
織田作は偶に、こうして無自覚に心にブッ刺さることを言ってくる。
中々辛辣なことを涼しい顔で言う彼の心の中は察しきれない。
天然っていうのは最強の武器だ。
「なんだ、太宰には自分以外と話して欲しくない人がいるのか」
「い…る、よ」
「そうか」
頷いたっきり、織田作はそれより先を深く追求しようとしなかった。
理由を問うと、「教師に生徒の
「…そう。織田作はすごいね」
「うん?何がだ」
「…何でもない」
はあ、と溜め息をついたきり、沈黙が漂う。
「しかし…太宰にも恋をすることがあるのだな」
「……え?」
口を思わずぽかんと開けたまま莫迦みたいに固まる。
真逆、真逆織田作から恋という言葉が出てくるとは。
しかも、見破られる、とは。
「うん?恋じゃなかったか?」
「…何で解ったの?ていうか、織田作、何でもないような顔して結構ぶっ込んでくるよね」
「ん?何の話だ?」
しかも無自覚、そして天然。
どういう神経構造をしているのか本当に知りたい。
「青春だな」
さらりと言ってのける織田作。
こういうところが、憎めない。
「…青春なんていいものじゃないよ、悩みすぎてもうどんな顔して中也に会えばいいのか判んないや」
「そうか?素直に気持ちを伝えればいいじゃないか」
なんか森さんにも同じようなこと言われた気がする。
然し織田作に言われると、何故だか素直に聞き入れる気になってしまうのは何故だろうか。
何だかバツが悪くなって、目線を逸らす。
カーテンがそよそよと揺れて、足元を柔らかに照らした。
「悩み過ぎるのも良くないぞ。もっと、その人と良く話してみてはどうだ?相手の気持ちもわかるかもしれないだろう」
「…そうか、うん、確かに」
中也に少なくとも嫌われてはいない筈だ。
でも、この関係に傷をつけ、深く抉るような真似はしたくない。
だからこそ慎重に、中也の内心を推し量る。
私の得意技だ、けど。
恋をした相手に対しては…一寸、自信が…無いなぁ。
「…ところで太宰、次の授業、移動だが大丈夫か?」
「え?あ、えっ嘘!!」
気付けば授業開始時間二分前。
移動にかかる時間、最低三分。
致命的な一分を短縮できる訳がない。
「間に合わないじゃん…サボるか」
「…教師の前でそれ言っていいのか?」
遅刻してもいいから出席しろ、そのうち授業日数足りなくなるぞ、と涼しい顔で怖いことを言い出す織田作には本当に参った。
「次の授業、化学だな?先生にチクって課題、倍にさせても…」
「あああ判った!判ったって、今行くってば」
慌てて教科書やらを引っ掴み、教室を飛び出る。
別に、授業なんて聞かなくても考査で全教科満点を取るくらい造作もないことだ。
けど授業日数が足りなくて留年だとか洒落にもならない。去年はギリギリセーフ、あと一限でも休んでいたら留年だと言われた。
「遅れてすいませーん…」
こそこそ教室に入って、冷たい視線を浴びる。
その視線の中に、中也のものはない。
彼は複数の生徒と、隅の方の席で小さく談笑している。
「遅刻した訳は?」
「あー…おださ…織田先生に呼び出されてました」
話していたんだもの、事実だ、事実。
疑り深そうな眼にじっと見つめられる、…不快だった。
「そうか、まあ…仕方ないか、座れ」
「はーい」
「太宰は明日の朝までにワーク115頁まで提出」
「えっ何で!?」
周りの皆がどっと笑う。
うわ、最悪だ。
しかもこの化学の先生全然見つからないし、提出は至難の業。
七面倒過ぎる。
「じゃ、出欠とるぞー…」
席に着く。
ずっと、中也の姿を追いかけている自分に、気付いた。
目を細めて、笑う姿。
男子とは思えないくらいに可愛い、と思うのは何故だろう。
難儀なモノだなあ、恋。