二章 不退転
「……はー…」
「どうしたんだい太宰君、そんな溜め息ついて」
「うわっ」
急に降ってきた声に吃驚して身を起こす。
叔父がこちらを向いている。
「何だ、森さん…帰ってたの」
「おや、気づかなかったかい。返事もしていたのに」
「してないよ」
「…あれ?」
冷蔵庫をガサガサと漁っていた森さんは、ふと不審な声を上げた。
「太宰君、このタッパーの惣菜、君が作ったのかい?」
「……あー………」
凡そ察しはついた。
タッパーの惣菜。
この間、中也が家に来た際に作っていったものだ。
森さんにまだ中也の話はしていない。
「そのぉ…ええと…………ほわあ…」
「ほわあじゃないの。誤魔化さないの」
「えーっと…その…友達を家に上げました…」
「本当に?友達かい?」
じとぉっとした目で見つめられる。
疑われてる、警戒心マックスで。
「まぁたその辺の女の子を誑かして連れ込んで…」
「してないしてない!今回はちゃんと友達だってば!」
「でも友達が普通作り置きしていく?」
「え?友達って一緒に料理したりとかそう言うもんじゃないの?」
私がそういうと森さんは溜め息をつき、「忘れてた、太宰君に交友歴無いんだった」と呟いた。
…何気に酷くない?それって私に友達がいないこと公言してるようなものだよね?
「それで、友達って?これで女子とか言ったら一寸そろそろ価値観の摺り合わせを検討しないといけなくなりそうだ」
「男子だよ、ちっちゃい」
「ちっちゃい?」
「中原中也って子」
知らない?と問うと、森さんは酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくと開閉させ、目を剥いた。あはは、面白い顔。
「知ってるも何も!有名人じゃないか!」
「あれ、森さんは知ってたんだ」
「否、知らない方が珍しいんじゃ無いかい?」
オリンピックに年齢制限で出れなかったまま何故か引退しちゃった子だよね、と森さんは続けた。
「サインもらった?」
「要らないでしょ、別に。いつでも会えるんだもん。それにもう彼は選手じゃあ無い」
「そうだけど…」
私は抑も中也からサインを貰うという発想は浮かばなかった。
友達が有名人だろうと、別に私の知ったこっちゃない、んだけど…。
「もぉ…」
「牛の真似かい」
「五月蝿いよ」
森さんの存在が邪魔だから中也は家にまだ招けない(というか休日で中也の方に予定がある)し、それに今会うと色々と私の感情が爆発して収拾つかなくなりそうだからやめておこう。
「太宰君、恋で悩んでるのかい?」
「ぐふぅっっ」
吹っ飛ばされた。衝撃が強すぎた。
真逆森さんの口から「恋」と言う単語が出てくるとは思わなかった。
「な、何急に」
「否、恋してる顔だなー、青春だなーってね。それでどこの子?」
「なんで森さんが興味持つの!」
「だって君、今まで色んな女の子と遊んでたみたいだけどそんな顔一度もしなかったじゃないか」
「ううう…」
図星すぎた。
叔父とはいえ血の繋がりはあるものだし、伊達に一緒に暮らしている訳じゃなかった。
淹れたばかりの珈琲を私に手渡し、自分の分を啜る森さんの顔は興味津々、だった。
私も一口、珈琲を啜る。
中也が淹れた方が美味しいな、と思いながら、ほろ苦さをじっくり味わう。
「ねえ、それでそれで?どうして太宰君はそんなに惚れたんだい」
「わかりますん」
「え、どっち?」
「……」
–––––––どうしてこんなに惚れているのか、なんて此方が聞きたいよ。
今まで碌でもなく女子を誑かし尽くしたけど、私に「恋」と言う言葉は無縁だった。
私はそれを与える側で、一度だって享受したことはない。
数多の女を惚れさせ、少しの時間だけ夢を与えさせ、そして醒めさせる。
その繰り返しだった、私が。
「なんで惚れちゃったんだろ…」
「……本当に珍しいねえ、太宰君が恋で悩むだなんて」
青天の霹靂ってこういうことを言うのだねえ、とほざいている森さんを睨みつける。万年ロリコンおじさんに言われたくない。
「その子、可愛いのかい?」
「可愛い…?」
男だし、矢鱈粗暴だし。
でもまあ、私の目から見るとだけど。
「まあ、可愛い…とは思う」
「どんなところが?」
「えー…無意識で上目遣いとか、髪の毛ふわふわしてるとことか、偶にしか笑わないけどその時にちょっと見える八重歯とか…」
「ベタ惚れじゃあないか!!!」
一寸待って聞いてない、と頭を抱える森さん。
「逆に何でそれで悩んでるんだい!?もう君が告白しちゃえば済む話じゃないか!?癪だけど君が告白して断る人はいないでしょう!?」
癪だけど、って。主観入りすぎ。
「それがさあ…」
「え!?!?!?いるの!?!?」
「否、別にまだ告白はしてないんだけどね?なんていうか…脈なし?っていうの?」
「脈とか太宰君が気にするんだ…」
「失礼だよさっきから」
「でも君に堕ちない女子とかいるんだねえ」
ううん…女子、じゃないけど。
「因みに、何で脈なしだって思うんだい」
「なんて言うか…鈍感すぎるくらいに鈍感なんだよね。私があからさまに恋心を見せているってわけでもないけどさ、そろそろ気づいてもいいんじゃないかなー、とは、思うんだけどねぇ…」
「それは…君ももう一寸伝えようとするべきじゃない…?」
「無理」
ぴしゃりと言うと、「そういうとこだよ」と溜め息まじりに言われた。
「全く…何で急に恋愛初心者になるの。慣れてるんじゃないの?」
「それはそれ、これはこれ」
「えぇ……兎に角、当たって砕けろって言うじゃない?告白してみたら」
「告白……」
って、どうやってやるものだっけ。
いやあ、される側になりすぎて一寸わかんないなあ。
…待って、本当に、切実に、どうやってするものなの?
告白…って、何?すればいいの?
さあっと青褪めていくような音が自分から聞こえてくるような気がした。これまでされた告白の数々を思い出す。
手紙書いたり?否、なんか破り捨てられそうだから却下。
屋上に来てねって?忘れるかすっぽかされそうだから却下。
バレンタインチョコと一緒に?もうバレンタインなんてとっくに過ぎてるから却下。
友達伝に?私中也以外に友達とかいないから却下。
音楽室でラブソングを?別に歌好きなわけじゃないから却下。
…ううん、無理。どの方法を採っても成功する訳がない。
思考を諦めてソファにぼすりと寝転がる。
今中也、何してるんだろう。
中也の居ない日なんて、久々すぎて何したらいいのかもわからない。
はた、と中也の事ばかり考えている自分に気づく。
そして、ああ、これが恋なのか、と少し寂しくなる。
同時に、少しだけ嬉しくも。
「それはそうと、このお惣菜一寸食べていい?ごめんもう食べちゃってるけど。うん凄く美味しいよ」
「あああああっ!!最低っっ!!!」