一章 宿縁宿命
「太宰君?だっけ」
隣の席に座る小林さんという中也の先輩、に当たる人が私へニコニコと笑いかけている。人当たりの良さそうな人で、温厚な性格は見て取れる。
此方も曖昧に微笑み、頷く。
「太宰君はやっくん…中原選手の演技、生で見たことある?」
「ええと…いいえ。それどころか、中也がどんな選手だったか最近知ったばかりです」
「そうなの?あれ、友達歴長そうに見えたのに」
「そう…ですかね」
そう見えたのなら申し訳ないが、中也と私は未だたった一ヶ月の交友関係だ。
しかし、友達というものに疎い太宰でさえもわかる程、中也との関係は親密すぎるほど親密、なことは気付いていた。
互いの考えていることも何となくわかる、程。
でも。
時々、考えてしまう。
私と中也の関係に、靄がかかったかのように、友達という境界線が不明瞭に見えてしまうことがある。
それはまるで、私が中也と友達でいることを、阻止するような。
「お、始まる」
はっと我に返り、俯きかけていた顔を上げる。
リンクの中央で、中也は挑戦的な笑みを浮かべていた。
そして、此方を見つめている。
「っ…」
ひどく、孤独だった。
けれど、綺麗だった。
そして私は、
…恋に落ちた。
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SIDE KOBAYASHI
正直に言おう。
引退を表明した中原中也選手、その衝撃の報道から一年後。
俺のバイト先に来た時、がっかりした。
普通の男子高校生、という感じ。一般人と何ら変わりのない子供。
高校生にスケートリンクのバイトは難しいだろう、というのを口実に、面接係だった俺はこれ以上憧れていた『中原選手』を壊すまいと彼を落とすことを決めた。
しかし、管理人の一言で彼を採用することが決まってしまった。
表面上では優しく接しながらも、どこか苛立ちと失望を隠せないでいた。そんな俺に、彼は気付いていたのだろうか。
『小林君、確か中也君のファンだったよね。今から滑ってもらえるからさ、一緒に見ないか』
管理人が俺だけを誘ったのは、多分そんな俺を見かねたからだろう。
だが彼の演技を見たとして何も変わることはないだろうと渋り、帰ろうとする俺を強引に引き止め、「上司命令だよ」と強制的に観客席へ連れ込まれた。
其処に居たのは、先程まで俺の見ていた「中原中也」ではなかった。
氷の反射する光の眩しさと、冷え冷えとしてピンと張った空気が引き立てるのは、リンクにたった一人で佇む、一人の選手だった。
そして彼は、それに相応しい態度で氷上で舞った。
普通の高校生?莫迦を言うな。
何が普通だ、失望だ、…俺は間違っていた。
息をするのも忘れるくらい、俺は彼の演技を食い込むように見つめた。
あっという間だった一曲の間、瞬きすら惜しかった。
それほど俺は、彼に再び魅了された。
『どうでした?鈍ってましたか?』
息を弾ませ、俺に問う彼は喜色に滲んでいた。
再び氷の上に立った喜びに。
鈍ってなんかいるものか。
むしろ引退前よりも良い滑走だった、とさえ感じた。
そして、この一年間色んな声を浴びた中原中也のことを何も知らない俺は悔しさで目の前がぼやけた。
『ううん。…ごめんね』
そう言い、遂には泣き出した俺に彼は慌てふためきながら、最後には一緒に笑ってくれた。
そんな彼の友人だと言う太宰君をちらと横目で見る。
どうせ、太宰君が近づきたいのは「中原選手」でしかないのだろう、と思っていたが、どうやら違うようだ。
「青春か、…善いなぁ」
彼は正しく、恋する者の眼をしていたのだから。